当前位置:文档之家› 竹取物语原版

竹取物语原版

竹取物语原版
竹取物语原版

竹取物語

竹取物語001)かぐや姫の生ひ立ち

今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづの事につかひけり。名をば讃岐の造となむいひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて、寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうて居たり。翁いふやう、「われ朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて知りぬ。子になり給ふべき人なめり」とて、手にうち入れて、家へ持ちて来ぬ。妻の嫗にあづけて養はす。うつくしき事かぎりなし。いと幼ければ、籠に入れて養ふ。

竹取の翁、竹を取るに、この子を見つけて後に竹取るに、節を隔てて、よごとに、黄金ある竹を見つくること重なりぬ。かくて、翁やうやう豊かになりゆく。この児、養ふほどに、すくすくと大きになりまさる。三月ばかりになるほどに、よき程なる人になりぬれば、髪上げなどさうして、髪上げさせ、裳着す。帳の内よりも出ださず、いつき養ふ。この児の容貌のけうらなること世になく、屋の内は暗き所なく、光満ちたり。翁、心地あしく苦しき時も、この子を見れば、苦しき事もやみぬ。腹立たしきことも慰みけり。翁、竹を取ること久しくなりぬ。勢ひ猛の者になりにけり。この子いと大きになりぬれば、名を、御室戸斎部の秋田を呼びて、つけさす。秋田、なよ竹のかぐや姫とつけつ。このほど三日、うちあげ遊ぶ。よろづの遊びをぞしける。男はうけきらはず呼び集へて、いとかしこく遊ぶ。

竹取物語002)貴公子たちの求婚

世界の男、貴なるも賤しきも、いかでこのかぐや姫を得てしかな、見てしかなと、音に聞きめでて惑ふ。そのあたりの垣にも、家の門にも、をる人だにたはやすく見るまじきものを、夜は安き寝もねず、闇の夜に出でても、穴をくじり、垣間見、惑ひあへり。さる時よりなむ、「よばひ」とは言ひける。

人の物ともせぬ所に惑ひ歩けども、なにの験あるべくも見えず。家の人どもに物をだに言はむとて、言ひかくれども、事ともせず。あたりを離れぬ君達、夜を明かし、日を暮らす、多かり。おろかなる人は、「用なき歩きは、よしなかりけり」とて、来ずなりにけり。

その中に、なほ言ひけるは、色好みといはるるかぎり五人、思ひやむ時なく、夜昼来たりけり。その名ども、石作の皇子?庫持の皇子?右大臣阿部御主人?大納言大伴御行?中納言石上麻呂足、この人々なりけり。世の中に多かる人をだに、少しも容貌よしと聞きては、見まほしうする人どもなりければ、かぐや姫を見まほしうて、物も食はず思ひつつ、かの家に行きて、たたずみ歩きけれど、甲斐あるべくもあらず。文を書きてやれども、返事もせず。わび歌など書きておこすれども、甲斐なしと思へど、霜月?師走の降り凍り、水無月の照りはたたくにも、障らず来たり。

この人々、ある時は、竹取を呼び出でて、「娘を、われに賜べ」と、伏し拝み、手をすりのたまへど、「おのが生さぬ子なれば、心にも従はずなむある」と言ひて、月日過ぐす。かかれば、この人々、家に帰りて、物を思ひ、祈りをし、願を立つ。思ひやむべくもあらず。さりとも、つひに男婚はせざらむやはと思ひて、頼みを

かけたり。あながちに心ざしを見え歩く。

これを見つけて、翁、かぐや姫に言ふやう、「わが子の仏、変化の人と申しながら、ここら大きさまで養ひ奉る心ざし、おろかならず。翁の申さむこと、聞き給ひてむや」と言へば、かぐや姫、「何事をか、のたまはむことは、承らざらむ。変化の者にて侍りけむ身とも知らず、親とこそ思ひ奉れ」と言ふ。翁、「嬉しくものたまふものかな」と言ふ。「翁、年七十に余りぬ。今日とも明日とも知らず。この世の人は、男は女に婚ふことをす。女は男に婚ふことをす。その後なむ、門ひろくもなり侍る。いかでか、さることなくてはおはせむ」。かぐや姫のいはく、「なんでふ、さることかし侍らむ」と言へば、「変化の人といふとも、女の身持ち給へり。翁のあらむかぎりは、かうてもいますがりなむかし。この人々の、年月を経て、かうのみいましつつのたまふ事を、思ひ定めて、一人一人に婚ひ奉り給ひね」と言へば、かぐや姫いはく、「よくもあらぬ容貌を、深き心も知らで、あだ心つきなば、のち悔しき事もあるべきを、と思ふばかりなり。世のかしこき人なりとも、深き心ざしを知らでは、婚ひがたしとなむ思ふ」と言ふ。

翁いはく、「思ひのごとくものたまふかな。そもそも、いかやうなる心ざしあらむ人にか、婚はむと思す。かばかり心ざしおろかならぬ人々にこそあめれ」。かぐや姫のいはく、「何ばかりの深きをか見むと言はむ。いささかの事なり。人の心ざし等しかんなり。いかでか、中に劣り優りは知らむ。五人の中に、ゆかしき物を見せ給べらむに、御心ざし優りたりとて、仕うまつらむと、そのおはすらむ人々に申し給へ」と言ふ。「よき事なり」と承けつ。

竹取物語003)五つの難題-仏の御石の鉢

日暮るるほど、例の集まりぬ。あるいは笛を吹き、あるいは歌をうたひ、あるいは唱歌をし、あるいはうそを吹き、扇を鳴らしなどするに、翁、出でていはく、「かたじけなく、きたなげなる所に、年月を経てものし給ふこと、極まりたるかしこまり」と申す。「『翁の命、今日明日とも知らぬを、かくのたまふ君達にも、よく思ひ定めて仕うまつれ』と申せば、『ことわりなり。いづれも劣り優りおはしまさねば、御心ざしのほどは見ゆべし。仕うまつらむことは、それになむ定むべき』と言へば、これよき事なり。人の恨みもあるまじ」と言ふ。五人の人々も、「よき事なり」と言へば、翁、入りて言ふ。

かぐや姫、「石作の皇子には、仏の御石の鉢といふ物あり。それを取りて賜へ」と言ふ。「庫持の皇子には、東の海に蓬莱といふ山あるなり。それに銀を根とし、黄金を茎とし、白き珠を実として立てる木あり。それ一枝、折りて賜はらむ」と言ふ。「いま一人には、唐土にある火鼠の皮衣を賜へ。大伴の大納言には、竜の頸に五色に光る珠あり。それを取りて賜へ。石上の中納言には、燕の持たる子安の貝、取りて賜へ」と言ふ。翁、「難きことにこそあなれ。この国にある物にもあらず。かく難きことをば、いかに申さむ」と言ふ。かぐや姫、「何か難からむ」と言へば、翁、「とまれかくまれ、申さむ」とて、出でて、「かくなむ。聞こゆるやうに見せ給へ」と言へば、皇子たち?上達部聞きて、「おいらかに、『あたりよりだに、な歩きそ』とやはのたまはぬ」と言ひて、倦んじて、みな帰りぬ。なほ、この女見では世にあるまじき心地のしければ、天竺にある物も持て来ぬものかは、と思ひめぐらして、石作の皇子は、心の支度ある人にて、天竺に二つとなき鉢を、百千万里のほど行きたりとも、いかで取るべきと思ひて、かぐや姫のもとには、「今日なむ、天竺へ石の鉢取りにまかる」と聞かせて、三年ばかり、大和の国十

市の郡にある山寺に、賓頭盧の前なる鉢の、ひた黒に墨つきたるを取りて、錦の袋に入れて、作り花の枝につけて、かぐや姫の家に持て来て見せければ、かぐや姫あやしがりて見れば、鉢の中に文あり。ひろげて見れば、

海山の道に心を尽くし果てないしの鉢の涙流れき

かぐや姫、光やあると見るに、蛍ばかりの光だになし。

置く露の光をだにも宿さましを小倉の山にて何もとめけむ

とて、返し出だす。鉢を門に捨てて、この歌の返しをす。

白山にあへば光の失するかと鉢を捨てても頼まるるかな

と詠みて入れたり。かぐや姫、返しもせずなりぬ。耳にも聞き入れざりければ、言ひかかづらひて帰りぬ。かの鉢を捨てて、また言ひけるよりぞ、面なきことをば、「はぢをすつ」とは言ひける。

竹取物語004)蓬莱の珠の枝

庫持の皇子は、心たばかりある人にて、朝廷には、「筑紫の国に湯浴みにまからむ」とて、暇申して、かぐや姫の家には、「珠の枝取りになむまかる」と言はせて、下り給ふに、仕うまつるべき人々、みな難波まで御送りしける。皇子、「いと忍びて」とのたまはせて、人もあまた率ておはしまさず。近う仕うまつるかぎりして出で給ひ、御送りの人々、見奉り送りて帰りぬ。おはしましぬと人には見え給ひて、三日ばかりありて、漕ぎ帰り給ひぬ。

かねて、事みな仰せたりければ、その時、一の宝なりける鍛冶工匠六人を召し取りて、たはやすく人寄り来まじき家を造りて、竈を三重にしこめて、工匠らを入れ給ひつつ、皇子も同じ所に籠り給ひて、知らせ給ひたるかぎり十六所を、かみにくどをあけて、珠の枝を作り給ふ。

かぐや姫のたまふやうに違はず作り出でつ。いとかしこくたばかりて、難波にみそかに持て出でぬ。「船に乗りて帰り来にけり」と殿に告げやりて、いといたく苦しがりたるさまして居給へり。迎へに人多く参りたり。珠の枝をば長櫃に入れて、物おほひて持ちて参る。いつか聞きけむ、「庫持の皇子は、優曇華の花持ちて、上り給へり」とののしりけり。これをかぐや姫聞きて、われは、この皇子に負けぬべしと、胸つぶれて思ひけり。

かかるほどに、門を叩きて、「庫持の皇子おはしたり」と告ぐ。「旅の御姿ながらおはしたり」と言へば、会ひ奉る。皇子のたまはく、「命を捨てて、かの珠の枝持ちて来たる」とて、「かぐや姫に見せ奉り給へ」と言へば、翁、持ちて入りたり。この珠の枝に、文ぞつけたりける。

いたづらに身はなしつとも珠の枝を手折らでさらに帰らざらまし

これをも、あはれとも見でをるに、竹取の翁、走り入りていはく、「この皇子に申し給ひし蓬莱の珠の枝を、一つの所あやまたず、持ておはしませり。何をもちて、とかく申すべき。旅の御姿ながら、わが御家へも寄り給はずしておはしましたり。はや、この皇子に婚ひ仕うまつり給へ」と言ふに、物も言はず、頬杖をつきて、いみじく嘆かしげに思ひたり。

この皇子、「今さへ、何かと言ふべからず」と言ふままに、縁に這ひ上り給ひぬ。翁、ことわりに思ふ。「この国に見えぬ珠の枝なり。この度は、いかでか辞び申さむ。人ざまもよき人におはす」など言ひ居たり。かぐや姫の言ふやう、「親ののたまふことを、ひたぶるに辞び申さむことのいとほしさに」と、取り難き物を、かくあさましく持て来たることをねたく思ひ、翁は、閨のうち、しつらひなどす。

翁、皇子に申すやう、「いかなる所にか、この木はさぶらひけむ。あやしく麗しく、めでたきものにも」と申す。皇子、答へてのたまはく、「一昨々年の如月の十日ごろに、難波より船に乗りて、海の中に出でて、行かむ方も知らずおぽえしかど、思ふこと成らで世の中に生きて何かせむと思ひしかば、ただ空しき風にまかせて歩く。命死なばいかがはせむ。生きてあらむかぎり、かく歩きて、蓬莱といふらむ山にあふやと、海に漕ぎただよひ歩きて、わが国の内を離れて歩きまかりしに、ある時は、浪荒れつつ海の底にも入りぬべく、ある時には、風につけて知らぬ国に吹き寄せられて、鬼のやうなるもの出で来て、殺さむとしき。ある時には、来し方行く末も知らず、海にまぎれむとしき。ある時には、糧尽きて、草の根を食ひ物としき。ある時は、言はむ方なくむくつけげなるもの来て、食ひかからむとしき。ある時には、海の貝を取りて、命を継ぐ。

旅の空に、助け給ふべき人もなき所に、いろいろの病をして、行く方そらも覚えず。船の行くにまかせて、海に漂ひて、五百日といふ辰の時ばかりに、海の中にはつかに山見ゆ。船のうちをなむ、せめて見る。海の上に漂へる山、いと大きにてあり。その山のさま、高く麗し。これや、わが求むる山ならむと思ひて、さすがに恐ろしく覚えて、山のめぐりをさしめぐらして、二三日ばかり見歩くに、天人の装したる女、山の中より出で来て、銀の金椀を持ちて、水を汲み歩く。これを見て、船より下りて、『この山の名を何とか申す』と問ふ。女、答へていはく、『これは蓬莱の山なり』と答ふ。これを聞くに、嬉しきことかぎりなし。この女、『かくのたまふは誰ぞ』と問ふ。『わが名は、うかんるり』と言ひて、ふと山の中に入りぬ。

その山、見るに、さらに登るべきやうなし。その山のそばひらをめぐれば、世の中になき花の木ども立てり。黄金?銀?瑠璃色の水、山より流れ出でたり。それには、色々の珠の橋渡せり。そのあたりに、照り輝く木ども立てり。その中に、この取りて持ちてまうで来たりしは、いと悪かりしかども、のたまひしに違はましかばと、この花を折りてまうで来たるなり。

山はかぎりなくおもしろし。世にたとふべきにあらざりしかど、この枝を折りてしかば、さらに心もとなくて、船に乗りて、追風吹きて、四百余日になむ、まうで来にし。

大願力にや。難波より、昨日なむ都にまうで来つる。さらに潮に濡れたる衣をだに脱ぎ替へなでなむ、こちまうで来つる」とのたまへば、翁聞きて、うち嘆きて詠める、

くれ竹のよよの竹取野山にもさやはわびしき節をのみ見し

これを、皇子聞きて、「ここらの日ごろ、思ひわび侍りつる心は、今日なむ落ちゐぬる」とのたまひて、返し、

わが袂今日乾ければわびしさの千種の数も忘られぬぺし

とのたまふ。

かかるほどに、男ども六人、列ねて庭に出で来たり。一人の男、文挟に文を挟みて申す。「内匠寮の工匠、漢部内麻呂申さく、珠の木を作り仕うまつりしこと、五穀を断ちて、千余日に力を尽くしたること、少なからず。しかるに、禄いまだ賜はらず。これを賜ひて、悪き家子に賜はせむ」と言ひて、捧げたり。竹取の翁、この工匠らが申すことは何事ぞと傾きをり。皇子は、われにもあらぬ気色にて、肝消え居給へり。

これを、かぐや姫聞きて、「この奉る文を取れ」と言ひて、見れば、文に申しけ

るやう、

皇子の君、千日賤しき工匠らと、もろともに同じ所に隠れゐ給ひて、かしこき珠の枝を作らせ給ひて、官も賜はむと仰せ給ひき。これをこのごろ案ずるに、御使とおはしますべきかぐや姫の要じ給ふべきなりけりと承りて、この御屋より賜はらむ。

と申して、「賜はるべきなり」と言ふを聞きて、かぐや姫、暮るるままに思ひわびつる心地、笑ひ栄えて、翁を呼びとりて言ふやう、「まこと、蓬莱の木かとこそ思ひつれ。かくあさましき虚言にてありければ、はや返し給へ」と言へば、翁答ふ。「さだかに作らせたる物と聞きつれば、返さむこと、いとやすし」と、うなづきをり。

かぐや姫の心ゆきはてて、ありつる歌の返し、

まことかと聞きて見つれば言の葉を飾れる珠の枝にぞありける

と言ひて、珠の枝も返しつ。竹取の翁、さばかり語らひつるが、さすがに覚えて眠りをり。皇子は、立つもはした、居るもはしたにて、居給へり。日の暮れぬれば、すべり出で給ひぬ。

かの愁訴せし工匠をば、かぐや姫、呼び据ゑて、「嬉しき人どもなり」と言ひて、禄いと多く取らせ給ふ。工匠らいみじく喜びて、「思ひつるやうにもあるかな」と言ひて帰る。道にて、庫持の皇子、血の流るるまで打ぜさせ給ふ。禄得し甲斐もなく、みな取り捨てさせ給ひてければ、逃げ失せにけり。

かくて、この皇子は、「一生の恥、これに過ぐるはあらじ。女を得ずなりぬるのみにあらず、天下の人の、見思はむことの恥づかしきこと」とのたまひて、ただ一所、深き山へ入り給ひぬ。宮司、さぶらふ人々、みな手を分かちて、求め奉れども、御死にもやし給ひけむ、え見つけ奉らずなりぬ。皇子の、御供に隠し給はむとて、年ごろ見え給はざりけるなりけり。これをなむ、「たまさかる」とは言ひ始めける。

竹取物語005)火鼠の皮衣

右大臣阿部御主人は、財豊かに、家広き人にておはしけり。その年来たりける唐土船の王慶といふ人のもとに、文を書きて、

火鼠の皮といふなる物、買ひておこせよ。

とて、仕うまつる人の中に、心確かなるを選びて、小野房守といふ人をつけて遣はす。持て到りて、かの唐土にをる王慶に金を取らす。王慶、文をひろげて見て、返事書く。

火鼠の皮衣、この国になき物なり。音には聞けども、いまだ見ぬ物なり。世にある物ならば、この国にも持てまうで来なまし。いと難き交易なり。しかれども、もし天竺にたまさかに持て渡りなば、もし長者のあたりに訪ひ求めむに。なきものならば、使に添へて、金をば返し奉らむ。

と言へり。

かの唐土船来けり。小野房守まうで来て、まう上るといふことを聞きて、歩み疾うする馬をもちて走らせ、迎へさせ給ふ時に、馬に乗りて、筑紫よりただ七日にまうで来たる。文を見るに、いはく、

火鼠の皮衣、からうして人を出だして求めて奉る。今の世にも昔の世にも、この皮は、たやすくなき物なりけり。昔、かしこき天竺の聖、この国に持て渡りて侍りける、西の山寺にありと聞き及びて、朝廷に申して、からうして買ひ取りて

奉る。価の金少なしと、国司、使に申ししかば、王慶が物加へて買ひたり。今、金五十両賜はるぺし。船の帰らむにつけて、賜び送れ。もし金賜はぬものならば、かの衣の質、返し賜べ。

と言へることを見て、「なに仰す。今、金少しにこそあなれ。嬉しくしておこせたるかな」とて、唐土の方に向ひて、伏し拝み給ふ。

この皮衣入れたる箱を見れば、くさぐさの麗しき瑠璃をいろへて、作れり。皮衣を見れば、金青の色なり。毛の末には、黄金の光し輝きたり。宝と見え、麗しきこと、並ぶべき物なし。火に焼けぬことよりも、けうらなることかぎりなし。「うべ、かぐや姫好もしがり給ふにこそありけれ」とのたまひて、「あな、かしこ」とて、箱に入れ給ひて、ものの枝につけて、御身の化粧いといたくして、やがて泊りなむものぞと思して、歌詠み加へて、持ちていましたり。その歌は、かぎりなき思ひに焼けぬ皮衣袂かわきて今日こそは着め

と言へり。

家の門に持て到りて、立てり。竹取、出で来て取り入れて、かぐや姫に見す。かぐや姫の、皮衣を見て、いはく、「麗しき皮なめり。わきてまことの皮ならむとも知らず」。竹取、答へていはく、「とまれかくまれ、まづ請じ入れ奉らむ。世の中に見えぬ皮衣のさまなれば、これをと思ひ給ひね。人ないたくわびさせ奉り給ひそ」と言ひて、呼び据ゑ奉れり。かく呼び据ゑて、この度は必ず婚はむと、嫗の心にも思ひをり。この翁は、かぐや姫のやもめなるを嘆かしければ、よき人に婚はせむと思ひはかれど、せちに「否」と言ふことなれば、え強ひねば、ことわりなり。

かぐや姫、翁にいはく、「この皮衣は、火に焼かむに、焼けずはこそ、まことならめと思ひて、人の言ふことにも負けめ。『世になき物なれば、それをまことと疑ひなく思はむ』とのたまふ。なほ、これを焼きて試みむ」と言ふ。翁、「それ、さも言はれたり」と言ひて、大臣に、「かくなむ申す」と言ふ。大臣、答へていはく、「この皮は、唐土にもなかりけるを、からうして求め尋ね得たるなり。なにの疑ひあらむ」。「さは申すとも、はや焼きて見給へ」と言へば、火の中にうちくべて焼かせ給ふに、めらめらと焼けぬ。「さればこそ。異物の皮なりけり」と言ふ。大臣、これを見給ひて、顔は草の葉の色にて居給へり。かぐや姫は、「あな、嬉し」と喜びてゐたり。かの詠み給ひける歌の返し、箱に入れて返す。

名残りなく燃ゆと知りせば皮衣思ひのほかに置きて見ましを

とぞありける。されば、帰りいましにけり。

世の人々、「阿部の大臣、火鼠の皮衣持ていまして、かぐや姫に住み給ふとな。ここにやいます」など問ふ。ある人のいはく、「皮は火にくべて焼きたりしかば、めらめらと焼けにしかば、かぐや姫、婚ひ給はず」と言ひければ、これを聞きてぞ、とげなきものをば、「あへなし」と言ひける。

竹取物語006)竜の頸の珠

大伴御行の大納言は、わが家にありとある人集めて、のたまはく、「竜の頸に五色の光ある珠あなり。それを取りて奉りたらむ人には、願はむことをかなへむ」とのたまふ。男ども、仰せのことを承りて申さく、「仰せのことは、いとも尊し。ただし、この珠、たはやすくえ取らじを。いはむや、竜の頸に、珠はいかが取らむ」と申しあへり。大納言のたまふ。「君の使といはむ者は、命を捨てても、おのが君の仰せ言をばかなへむとこそ思ふべけれ。この国になき、天竺?唐土の物に

もあらず。この国の海山より、竜は下り上るものなり。いかに思ひてか、汝ら、難きものと申すべき」。

男ども申すやう、「さらば、いかがはせむ。難きものなりとも、仰せ言に従ひて、求めにまからむ」と申すに、大納言、見笑ひて、「汝らが君の使と、名を流しつ。君の仰せ言をば、いかがは背くべき」とのたまひて、竜の頸の珠取りにとて、出だし立て給ふ。この人々の道の糧、食ひ物に、殿の内の絹?綿?銭など、あるかぎり取り出でて、添へて遣はす。「この人々ども帰るまで、斎ひをして、われはをらむ。この珠取り得では、家に帰り来な」とのたまはせけり。

おのおの仰せ承りてまかりぬ。「『竜の頸の珠取り得ずは、帰り来な』とのたまへば、いづちもいづちも、足の向きたらむ方へ往なむず」「かかるすき事をし給ふこと」とそしりあへり。賜はせたる物、おのおの分けつつ取る。あるいはおのが家に籠り居、あるいはおのが行かまほしき所へ往ぬ。「親?君と申すとも、かくつきなきことを仰せ給ふこと」と、事ゆかぬものゆゑ、大納言をそしりあひたり。「かぐや姫据ゑむには、例やうには見にくし」とのたまひて、麗しき屋を作りたまひて、漆を塗り、蒔絵して壁し給ひて、屋の上には糸を染めて色々葺かせて、内々のしつらひには、言ふべくもあらぬ綾織物に絵を描きて、間ごと貼りたり。もとの妻どもは、かぐや姫を必ず婚はむ設けして、ひとり明かし暮らし給ふ。

遣はしし人は、夜昼待ち給ふに、年越ゆるまで音もせず。心もとながりて、いと忍びて、ただ舎人二人、召継として、やつれ給ひて、難波の辺におはしまして、問ひ給ふことは、「大伴の大納言の人や、船に乗りて、竜殺して、そが頸の珠取れるとや聞く」と問はするに、船人、答へていはく、「あやしき言かな」と笑ひて、「さるわざする船もなし」と答ふるに、をぢなき事する船人にもあるかな。え知らで、かく言ふと思して、「わが弓の力は、竜あらば、ふと射殺して、頸の珠は取りてむ。遅く来る奴ばらを待たじ」とのたまひて、船に乗りて、海ごとに歩き給ふに、いと遠くて、筑紫の方の海に漕ぎ出で給ひぬ。

いかがしけむ。疾き風吹きて、世界暗がりて、船を吹きもて歩く。いづれの方とも知らず、船を海中にまかり入りぬべく吹き廻して、浪は船に打ちかけつつ巻き入れ、雷は落ちかかるやうにひらめきかかるに、大納言は惑ひて、「まだかかるわびしき目見ず。いかならむとするぞ」とのたまふ。揖取、答へて申す。「ここら船に乗りてまかり歩くに、まだかかるわびしき目を見ず。御船海の底に入らずは、雷落ちかかりぬべし。もし幸ひに神の助けあらば、南海に吹かれおはしぬべし。うたてある主の御許に仕うまつりて、すずろなる死にをすべかめるかな」と、揖取泣く。

大納言、これを聞きてのたまはく、「船に乗りては、揖取の申すことをこそ、高き山と頼め。などかく頼もしげなく申すぞ」と、青反吐をつきてのたまふ。揖取、答へて申す。「神ならねば、何わざをか仕うまつらむ。風吹き浪激しけれども、雷さへ頂に落ちかかるやうなるは、竜を殺さむと求め給へば、あるなり。疾風も竜の吹かするなり。はや、神に祈り給へ」と言ふ。

「よき事なり」とて、「揖取の御神、聞こしめせ。をぢなく、心幼く、竜を殺さむと思ひけり。今より後は、毛の一筋をだに動かし奉らじ」と、寿詞を放ちて、立ち居、泣く泣く呼ばひ給ふこと、千度ばかり申し給ふけにやあらむ、やうやう雷鳴りやみぬ。少し光りて、風はなほ疾く吹く。揖取のいはく、「これは、竜のしわざにこそありけれ。この吹く風は、よき方の風なり。悪しき方の風にはあらず。よき方に面向きて吹くなり」と言へども、大納言は、これを聞き入れ給はず。

三、四日吹きて、吹き返し寄せたり。浜を見れば、播磨の明石の浜なりけり。大納言、南海の浜に吹き寄せられたるにやあらむと思ひて、息づき伏し給へり。船にある男ども、国に告げたれども、国の司まうでとぶらふにも、え起き上がり給はで、船底に伏し給へり。松原に御筵敷きて、おろし奉る。その時にぞ、南海にあらざりけりと思ひて、からうして起き上がり給へるを見れば、風いと重き人にて、腹いとふくれ、こなたかなたの目には、李を二つつけたるやうなり。これを見奉りてぞ、国の司もほほ笑みたる。

国に仰せ給ひて、手輿作らせ給ひて、によふによふ担はれて家に入り給ひぬるを、いかでか聞きけむ、つかはしし男ども参りて申すやう、「竜の頸の珠をえ取らざりしかばなむ、殿へもえ参らざりし。珠の取り難かりしことを知り給へればなむ、勘当あらじとて参りつる」と申す。大納言、起き居てのたまはく、「汝ら、よく持て来ずなりぬ。竜は鳴る雷の類にこそありけれ。それが珠を取らむとて、そこらの人々の害せられむとしけり。まして竜を捕へたらましかば、また事もなく、われは害せられなまし。よく捕へずなりにけり。かぐや姫てふ大盗人の奴が、人を殺さむとするなりけり。家のあたりだに、今は通らじ。男どももな歩きそ」とて、家に少し残りたりける物どもは、竜の珠を取らぬ者どもに賜びつ。

これを聞きて、離れ給ひしもとの上は、腹を切りて笑ひ給ふ。糸を葺かせ造りし屋は、鳶?烏の巣に、みな喰ひもて往にけり。世界の人の言ひけるは、「大伴の大納言は、竜の頸の珠や取りておはしたる」「否、さもあらず。御眼二つに、李のやうなる珠をぞ添へていましたる」と言ひければ、「あな、たべがた」と言ひけるよりぞ、世にあはぬことをば、「あなたへがた」とは言ひ始めける。

竹取物語007)燕の子安貝

中納言石上麻呂足の、家に使はるる男どものもとに、「燕の巣くひたらば告げよ」とのたまふを、承りて、「何の用にかあらむ」と申す。答へてのたまふやう、「燕の持たる子安貝を取らむ料なり」とのたまふ。男ども答へて申す。「燕をあまた殺して見るだにも、腹になき物なり。ただし、子産む時なむ、いかでか出だすらむ、はらかくる」と申す。「人だに見れば、失せぬ」と申す。また人の申すやう、「大炊寮の飯炊く屋の棟に、つくのあるごとに、燕は巣をくひ侍る。それに、まめならむ男どもを率てまかりて、あぐらを結ひ上げて窺はせむに、そこらの燕、子産まざらむやは。さてこそ取らしめ給はめ」と申す。中納言、喜び給ひて、「をかしき事にもあるかな。もっともえ知らざりけり。興あること申したり」とのたまひて、まめなる男ども二十人ばかり遣はして、麻柱に上げ据ゑられたり。殿より使隙なく賜はせて、「子安の貝、取りたるか」と問はせ給ふ。

燕も、人のあまた上りゐたるに怖ぢて巣にも上り来ず。かかる由の返事を申したれば、聞き給ひて、いかがすぺきと思しわづらふに、かの寮の官人、倉津麻呂と申す翁、申すやう、「子安貝取らむと思しめさば、たばかり申さむ」とて、御前に参りたれば、中納言、額を合はせて向ひ給へり。

倉津麻呂が申すやう、「この燕の子安貝は、悪しくたばかりて取らせ給ふなり。さては、え取らせ給はじ。麻柱におどろおどろしく二十人の人の上りて侍れば、あれて寄りまうで来ず。せさせ給ふべきやうは、この麻柱をこほちて、人みな退きて、まめならむ人一人を、荒籠に乗せ据ゑて、綱を構へて、鳥の子産まむ間に、綱を吊り上げさせて、ふと子安貝を取らせ給はむなむ、よかるべき」と申す。中納言のたまふやう、「いとよき事なり」とて、麻柱をこほち、人みな帰りまうで来

ぬ。

中納言、倉津麻呂にのたまはく、「燕は、いかなる時にか、子産むと知りて、人をば上ぐべき」とのたまふ。倉津麻呂申すやう、「燕、子産まむとする時は、尾を捧げて七度めぐりてなむ、産み落すめる。さて七度めぐらむ折、引き上げて、その折、子安貝は取らせ給へ」と申す。中納言、喜び給ひて、よろづの人にも知らせ給はで、みそかに寮にいまして、男どもの中にまじりて、夜を昼になして取らしめ給ふ。倉津麻呂かく申すを、いといたく喜びてのたまふ。「ここに使はるる人にもなきに、願ひをかなふることの嬉しさ」とのたまひて、御衣ぬぎてかづけ給うつ。「さらに、夜さり、この寮にまうで来」とのたまうて、遣はしつ。

日暮れぬれば、かの寮におはして見給ふに、まこと、燕巣作れり。倉津麻呂申すやう、尾浮けてめぐるに、荒籠に人を上せて、吊り上げさせて、燕の巣に手をさし入れさせて探るに、「物もなし」と申すに、中納言、「悪しく探ればなきなり」と腹立ちて、「誰ばかり覚えむに」とて、「われ、上りて探らむ」とのたまひて、籠に乗りて吊られ上りて、窺ひ給へるに、燕、尾を捧げていたくめぐるに合はせて、手を捧げて探り給ふに、手に平める物さはる時に、「われ、物にぎりたり。今はおろしてよ。翁、し得たり」とのたまひて、集まりて、とくおろさむとて、綱を引き過ぐして、綱絶ゆるすなはちに、八島の鼎の上に、のげざまに落ち給へり。人々あさましがりて、寄りて抱へ奉れり。御目は白眼にて伏し給へり。人々、水をすくひ入れ奉る。からうして生き出で給へるに、また鼎の上より、手取り足取りして、下げおろし奉る。からうして、「御心地はいかが思さるる」と問へば、息の下にて、「物は少し覚ゆれど、腰なむ動かれぬ。されど、子安貝をふと握り持たれば、嬉しく覚ゆるなり。まづ紙燭さして来。この貝、顔見む」と御頭もたげて、御手をひろげ給へるに、燕のまり置ける古糞を握り給へるなりけり。それを見給ひて、「あな、貝なのわざや」とのたまひけるよりぞ、思ふに違ふことをば、「甲斐なし」と言ひける。

貝にもあらずと見給ひけるに、御心地も違ひて、唐櫃の蓋の、入れられ給ふべくもあらず、御腰は折れにけり。中納言は、わらはげたるわざして止むことを、人に聞かせじとし給ひけれど、それを病にて、いと弱くなり給ひにけり。

貝をえ取らずなりにけるよりも、人の聞き笑はむことを、日にそへて思ひ給ひければ、ただに病み死ぬるよりも、人聞き恥づかしく覚え給ふなりけり。

これを、かぐや姫聞きて、とぶらひにやる歌、

年を経て浪立ち寄らぬ住の江の待つ甲斐なしと聞くはまことか

とあるを、読みて聞かす。いと弱き心に、頭もたげて、人に紙を持たせて、苦しき心地にからうして書き給ふ。

甲斐はかくありけるものをわびはてて死ぬる命をすくひやはせぬ

と書きはつる、絶え入り給ひぬ。これを聞きて、かぐや姫、少しあはれと思しけり。それよりなむ、少し嬉しきことをば、「甲斐あり」とは言ひける。

竹取物語008)御狩のみゆき

さて、かぐや姫、容貌の世に似ずめでたきことを、帝聞こしめして、内侍中臣房子にのたまふ。「多くの人の身をいたづらになして婚はざなるかぐや姫はいかばかりの女ぞと、まかりて、見て参れ」とのたまふ。房子、承りてまかれり。竹取の家に、かしこまりて請じ入れて会へり。嫗に、内侍のたまふ。「仰せ言に、かぐや姫の容貌、優におはすなり、よく見て参るべき由、のたまはせつるになむ、参

りつる」と言へば、「さらば、かく申し侍らむ」と言ひて入りぬ。

かぐや姫に、「はや、かの御使に対面し給へ」と言へば、かぐや姫、「よき容貌にもあらず。いかでか見ゆべき」と言へば、「うたてものたまふかな。帝の御使をば、いかでかおろかにせむ」と言へば、かぐや姫の答ふるやう、「帝の召してのたまはむこと、かしこしとも思はず」と言ひて、さらに見ゆべくもあらず。生める子のやうにあれど、いと心はづかしげに、おろそかなるやうに言ひければ、心のままにもえ責めず。

嫗、内侍のもとに還り出でて、「口惜しく、この幼き者は、強く侍る者にて、対面すまじき」と申す。内侍、「必ず見奉りて参れと仰せ言ありつるものを、見奉らでは、いかでか帰り参らむ。国王の仰せ言を、まさに世に住み給はむ人の、承り給はでありなむや。いはれぬ事なし給ひそ」と、言葉はづかしく言ひければ、これを聞きて、ましてかぐや姫聞くべくもあらず。「国王の仰せ言を背かば、はや殺し給ひてよかし」と言ふ。

この内侍、帰り参りて、この由を奏す。帝、聞こしめして、「多くの人殺してける心ぞかし」とのたまひて、止みにけれど、なほ思しおはしまして、この女のたばかりにや負けむと思して、仰せ給ふ。「汝が持ちて侍るかぐや姫奉れ。顔かたちよしと聞こしめして、御使賜びしかど、甲斐なく、見えずなりにけり。かくたいだいしくやは慣はすべき」と仰せらる。翁かしこまりて、御返事申すやう、「この女の童は、絶えて宮仕へ仕うまつるべくもあらずはんべるを、もてわづらひ侍り。さりとも、まかりて仰せ給はむ」と奏す。これを聞こしめして仰せ給ふ。「などか、翁のおほしたてたらむものを、心に任せざらむ。この女、もし奉りたるものならば、翁に爵を、などか賜はせざらむ」。

翁、喜びて、家に帰りて、かぐや姫に語らふやう、「かくなむ、帝の仰せ給へる。なほやは仕うまつり給はぬ」と言へば、かぐや姫、答へていはく、「もはら、さやうの宮仕へ、仕うまつらじと思ふを、強ひて仕うまつらせ給はば、消え失せなむず。御官爵仕うまつりて、死ぬばかりなり」。翁いらふるやう、「なし給ひそ。爵も、わが子を見奉らでは、何にかせむ。さはありとも、などか宮仕へをし給はざらむ。死に給ふべきやうやあるべき」と言ふ。「なほ虚言かと、仕うまつらせて死なずやあると見給へ。あまたの人の心ざしおろかならざりしを、空しくなしてしこそあれ。昨日今日、帝ののたまはむことにつかむ、人聞きやさし」と言へば、翁、答へていはく、「天下のことは、とありとも、かかりとも、御命の危さこそ、大きなる障りなれば、なほ仕うまつるまじきことを、参りて申さむ」とて、参りて申すやう、「仰せの事のかしこさに、かの童を参らせむとて仕うまつれば、『宮仕へに出だし立てば、死ぬべし』と申す。造麻呂が手に生ませたる子にてもあらず。昔、山にて見つけたる。かかれば、心ばせも世の人に似ず侍る」と奏せさす。帝、仰せ給はく、「造麻呂が家は、山もと近かなり。御狩の行幸し給はむやうにて、見てむや」とのたまはす。造麻呂が申すやう、「いとよき事なり。何か、心もなくて侍らむに、ふと行幸して御覧ぜむ。御覧ぜられなむ」と奏すれば、帝、にはかに日を定めて、御狩に出で給うて、かぐや姫の家に入り給うて見給ふに、光満ちて、けうらにて居たる人あり。これならむと思して、逃げて入る袖を捕へ給へば、面をふたぎてさぶらへど、初めよく御覧じつれば、類なくめでたく覚えさせ給ひて、「許さじとす」とて率ておはしまさむとするに、かぐや姫、答へて奏す。「おのが身は、この国に生まれて侍らばこそ使ひ給はめ、いと率ておはしまし難くや侍らむ」と奏す。帝、「などかさあらむ。なほ率ておはしまさむ」とて、御輿

を寄せ給ふに、このかぐや姫、きと影になりぬ。はかなく口惜しと思して、げにただ人にはあらざりけりと思して、「さらば、御供には率て行かじ。もとの御かたちとなり給ひね。それを見てだに帰りなむ」と仰せらるれば、かぐや姫、もとのかたちになりぬ。帝、なほめでたく思しめさるること、せきとめ難し。かく見せつる造麻呂を悦び給ふ。

さて、仕うまつる百官の人に饗いかめしう仕うまつる。帝、かぐや姫を留めて帰り給はむことを、飽かず口惜しく思しけれど、魂を留めたる心地してなむ、帰らせ給ひける。御輿に奉りて後に、かぐや姫に、

帰るさの行幸もの憂く思ほえて背きてとまるかぐや姫ゆゑ

御返事、

葎はふ下にも年は経ぬる身の何かは玉の台をも見む

これを、帝、御覧じて、いとど帰り給はむ空もなく思さる。御心は、さらに立ち帰るべくも思されざりけれど、さりとて、夜を明かし給ふべきにあらねば、帰らせ給ひぬ。

常に仕うまつる人を見給ふに、かぐや姫の傍に寄るべくだにあらざりけり。異人よりはけうらなりと思しける人の、かれに思し合はすれば、人にもあらず。かぐや姫のみ御心にかかりて、ただ独り住みし給ふ。よしなく御方々にも渡り給はず。かぐや姫の御もとにぞ、御文を書きて通はさせ給ふ。御返り、さすがに憎からず聞こえ交はし給ひて、おもしろく、木草につけても御歌を詠みてつかはす。

竹取物語009)天の羽衣

かやうにて、御心を互ひに慰め給ふほどに、三年ばかりありて、春の初めより、かぐや姫、月のおもしろう出でたるを見て、常よりも物思ひたるさまなり。ある人の、「月の顔見るは、忌むこと」と制しけれども、ともすれば、人間にも月を見ては、いみじく泣き給ふ。

七月十五日の月に出で居て、せちに物思へる気色なり。近く使はるる人々、竹取の翁に告げていはく、「かぐや姫、例も月をあはれがり給へども、このごろとなりては、ただ事にも侍らざめり。いみじく思し嘆くことあるべし。よくよく見奉らせ給へ」と言ふを聞きて、かぐや姫に言ふやう、「なんでふ心地すれば、かく物を思ひたるさまにて、月を見給ふぞ。うましき世に」と言ふ。かぐや姫、「見れば、世間心細くあはれに侍る。なでふ物をか嘆き侍るべき」と言ふ。

かぐや姫のある所に到りて見れば、なほ物思へる気色なり。これを見て、「あが仏、何事思ひ給ふぞ。思すらむこと、何事ぞ」と言へば、「思ふ事もなし。物なむ心細く覚ゆる」と言へば、翁、「月な見給ひそ。これを見給へば、物思す気色はあるぞ」と言へば、「いかで月を見ではあらむ」とて、なほ月出づれば、出で居つつ嘆き思へり。夕闇には、物を思はぬ気色なり。月の程になりぬれば、なほ時々はうち嘆き、泣きなどす。これを、使ふ者ども、「なほ物思すことあるべし」と、ささやけど、親をはじめて、何事とも知らず。

八月十五日ばかりの月に出で居て、かぐや姫、いといたく泣き給ふ。人目も、今はつつみ給はず泣き給ふ。これを見て、親どもも、「何事ぞ」と問ひ騒ぐ。かぐや姫、泣く泣く言ふ。「さきざきも申さむと思ひしかども、必ず心惑はし給はむものぞと思ひて、今まで過ごし侍りつるなり。さのみやはとて、うち出で侍りぬるぞ。おのが身は、この国の人にもあらず。月の都の人なり。それをなむ、昔の契ありけるによりなむ、この世界にはまうで来たりける。今は帰るべきになりにけ

れば、この月の十五日に、かの本の国より、迎へに人々まうで来むず。さらずまかりぬべければ、思し嘆かむが悲しきことを、この春より、思ひ嘆き侍るなり」と言ひて、いみじく泣くを、翁、「こは、なでふ事をのたまふぞ。竹の中より見つけ聞こえたりしかど、菜種の大きさおはせしを、わが丈立ち並ぶまで養ひ奉りたるわが子を、何人か迎へ聞こえむ。まさに許さむや」と言ひて、「われこそ死なめ」とて、泣きののしること、いと堪へ難げなり。

かぐや姫のいはく、「月の都の人にて、父母あり。片時の間とて、かの国よりまうで来しかども、かくこの国にはあまたの年を経ぬるになむありける。かの国の父母のことも覚えず。ここには、かく久しく遊び聞こえて、慣らひ奉れり。いみじからむ心地もせず。悲しくのみある。されど、おのが心ならずまかりなむとする」と言ひて、もろともにいみじう泣く。使はるる人も、年ごろ慣らひて、立ち別れなむことを、心ばへなどあてやかにうつくしかりつることを見慣らひて、恋しからむことの堪へ難く、湯水飲まれず、同じ心に嘆かしがりけり。

このことを、帝、聞こしめして、竹取が家に御使遣はさせ給ふ。御使に、竹取出で会ひて、泣くことかぎりなし。このことを嘆くに、髭も白く、腰もかがまり、目もただれにけり。翁、今年は五十ばかりなりけれども、物思ひには、片時になむ、老いになりにけると見ゆ。御使、仰せ言とて、翁にいはく、「『いと心苦しく物思ふなるは、まことにか』と仰せ給ふ」。竹取、泣く泣く申す、「この十五日になむ、月の都より、かぐや姫の迎へにまうで来なる。尊く問はせ給ふ。この十五日は、人々賜はりて、月の都の人まうで来ば捕へさせむ」と申す。

御使、帰り参りて、翁の有様申して、奏しつることども申すを、聞こしめして、のたまふ。「一目見給ひし御心にだに忘れ給はぬに、明け暮れ見慣れたるかぐや姫をやりて、いかが思ふべき」。

かの十五日、司々に仰せて、勅使、少将高野大国といふ人を指して、六衛の司あはせて二千人の人を、竹取が家に遣はす。家にまかりて、築地の上に千人、屋の上に千人、家の人々多かりけるに合はせて、空ける隙もなく守らす。この守る人々も、弓矢を帯してをり。屋の内には、女ども番にをりて守らす。

嫗、塗龍の内に、かぐや姫を抱かへてをり。翁も、塗龍の戸鎖して、戸□にをり。翁のいはく、「かばかり守る所に、天の人にも負けむや」と言ひて、屋の上にをる人々にいはく、「つゆも、物、空に翔らば、ふと射殺し給へ」。守る人々のいはく、「かばかりして守る所に、蝙蝠一つだにあらば、まづ射殺して、外に曝さむと思ひ侍る」と言ふ。翁、これを聞きて、頼もしがりをり。

これを聞きて、かぐや姫は、「鎖し籠めて、守り戦ふぺき下組みをしたりとも、あの国の人を、え戦はぬなり。弓矢して射られじ。かく鎖し籠めてありとも、かの国の人来ば、みな開きなむとす。合ひ戦はむとすとも、かの国の人来なば、猛き心つかふ人も、よもあらじ」。翁の言ふやう、「御迎へに来む人をば、長き爪して、眼を掴み潰さむ。さが髪を取りて、かなぐり落さむ。さが尻をかき出でて、ここらの公人に見せて、恥を見せむ」と腹立ちをる。

かぐや姫いはく、「声高になのたまひそ。屋の上にをる人どもの聞くに、いとまさなし。いますがりつる心ざしどもを思ひも知らで、まかりなむずることの、口惜しう侍りけり。長き契のなかりければ、程なくまかりぬべきなめりと思ひ、悲しく侍るなり。親たちの顧みを、いささかだに仕うまつらで、まからむ道もやすくもあるまじきに、日ごろも出で居て、今年ばかりの暇を申しつれど、さらに許されぬによりてなむ、かく思ひ嘆き侍る。御心をのみ惑はして去りなむことの、

悲しく堪へ難く侍るなり。かの都の人は、いとけうらに、老いをせずなむ。思ふこともなく侍るなり。さる所へまからむずるも、いみじく侍らず。老い衰へ給へるさまを見奉らざらむこそ、恋しからめ」と言ひて、翁、「胸痛きことなし給ひそ。麗しき姿したる使にも障らじ」と、妬みをり。

かかるほどに、宵うち過ぎて、子の時ばかりに、家のあたり、昼の明かさにも過ぎて光りたり。望月の明かさを十合はせたるばかりにて、ある人の毛の穴さへ見ゆるほどなり。大空より、人、雲に乗りて降り来て、土より五尺ばかり上がりたるほどに、立ち列ねたり。内外なる人の心ども、物におそはるるやうにて、合ひ戦はむ心もなかりけり。からうして思ひ起して、弓矢を取り立てむとすれども、手に力もなくなりて、萎えかかりたる中に、心さかしき者、念じて射むとすれども、外ざまへいきければ、荒れも戦はで、心地ただ痴れに痴れて、まもりあへり。立てる人どもは、装束のきよらなること、物にも似ず。飛ぶ車一つ具したり。羅蓋差したり。その中に王とおぼしき人、家に、「造麻呂、まうで来」と言ふに、猛く思ひつる造麻呂も、物に酔ひたる心地して、うつ伏しに伏せり。いはく、「汝、幼き人。いささかなる功徳を、翁つくりけるによりて、汝が助けにとて、片時の程とて下ししを、そこらの年ごろ、そこらの黄金賜ひて、身を変へたるがごとなりにたり。かぐや姫は、罪をつくり給へりければ、かく賤しきおのれがもとに、しばしおはしつるなり。罪の限り果てぬれば、かく迎ふるを、翁は泣き嘆く。能はぬことなり。はや返し奉れ」と言ふ。

翁、答へて申す。「かぐや姫を養ひ奉ること、二十余年になりぬ。『片時』とのたまふに、あやしくなり侍りぬ。また異所に、かぐや姫と申す人ぞおはしますらむ」と言ふ。「ここにおはするかぐや姫は、重き病をし給へば、え出でおはしますまじ」と申せば、その返事はなくて、屋の上に飛ぶ車を寄せて、「いざ、かぐや姫。穢き所に、いかでか久しくおはせむ」と言ふ。立て籠めたる所の戸、すなはち、ただ開きに開きぬ。格子どもも、人はなくして開きぬ。嫗抱きて居たるかぐや姫、外に出でぬ。え留むまじければ、たださし仰ぎて泣きをり。

竹取、心惑ひて泣き伏せる所に寄りて、かぐや姫言ふ。「ここにも、心にもあらでかくまかるに、昇らむをだに見送り給へ」と言へども、「何しに、悲しきに、見送り奉らむ。われを、いかにせよとて、捨てては昇り給ふぞ。具して率ておはせね」と、泣きて伏せれば、御心惑ひぬ。「文を書き置きてまからむ。恋しからむ折々、取り出でて見給へ」とて、うち泣きて書く言葉は、

この国に生まれぬるとならば、嘆かせ奉らぬ程まで侍らで過ぎ別れぬること、かへすがへす本意なくこそ覚え侍れ。脱ぎ置く衣を形見と見給へ。月の出でたらむ夜は、見おこせ給へ。見捨て奉りてまかる空よりも、落ちぬべき心地する。

天人の中に持たせたる箱あり。天の羽衣入れり。またあるは、不死の薬入れり。一人の天人言ふ、「壷なる御薬奉れ。穢き所の物聞こしめしたれば、御心地悪しからむものぞ」とて、持て寄りたれば、いささか嘗め給ひて、少し形見とて、脱ぎ置く衣に包まむとすれば、ある天人包ませず、御衣を取り出でて着せむとす。その時に、かぐや姫、「しばし持て」と言ふ。「衣着せつる人は、心異になるなりといふ。物一言、言ひ置くべき事ありけり」と言ひて、文書く。天人、遅しと、心もとながり給ふ。かぐや姫、「物知らぬことなのたまひそ」とて、いみじく静かに、朝廷に御文奉り給ふ。あわてぬさまなり。

かくあまたの人を賜ひて留めさせ給へど、許さぬ迎へまうで来て、取り率てまかりぬれば、口惜しく悲しきこと。宮仕へ仕うまつらずなりぬるも、かくわづら

はしき身にて侍れば、心得ず思しめされつらめども、心強く承らずなりにしこと。なめげなる者に思しめし留められぬるなむ、心にとまり侍りぬる。

とて、

今はとて天の羽衣着る折ぞ君をあはれと思ひ出でける

とて、壷の薬添へて、頭中将呼び寄せて奉らす。中将に、天人取りて伝ふ。中将取りつれば、ふと天の羽衣うち着せ奉りつれば、翁をいとほし、愛しと思しつることも失せぬ。この衣着つる人は、物思ひなくなりにければ、車に乗りて、百人ばかり天人具して、昇りぬ。

竹取物語010)富士の煙

その後、翁、嫗、血の涙を流して惑へど、甲斐なし。あの書き置きし文を読みて聞かせけれど、「何せむにか、命も惜しからむ。誰がためにか。何事も用もなし」とて、薬も食はず、やがて起きも上がらで、病み臥せり。

中将、人々引き具して帰り参りて、かぐや姫をえ戦ひとめずなりぬる、こまごまと奏す。薬の壷に御文添へて参らす。拡げて御覧じて、いとあはれがらせ給ひて、物もきこしめさず、御遊びなどもなかりけり。

大臣?上達部を召して、「いづれの山か天に近き」と問はせ給ふに、ある人奏す、「駿河の国にあるなる山なむ、この都も近く、天も近く侍る」と奏す。これを聞かせ給ひて、

逢ふことも涙に浮かぶわが身には死なぬ薬も何にかはせむ

かの奉る不死の薬に、また壷具して、御使に賜はす。勅使には、調石笠といふ人を召して、駿河の国にあなる山の頂に持てつくべき由、仰せ給ふ。嶺にてすべきやう教へさせ給ふ。御文、不死の薬の壷並べて、火をつけて燃やすべき由、仰せ給ふ。その由承りて、士どもあまた具して山へ登りけるよりなむ、その山を「富士の山」とは名づけける。その煙、いまだ雲の中へ立ち昇るとぞ、言ひ伝へたる。

《竹取物语》中的诗句:

不死灵药

逢ふこともなみだに浮かぶわが身には死なぬ药も何にかはせむ

不见之缘悲泪满衣襟不死灵药又何用

龙头之珠

わか弓(ゆみ)の力は龙あらばふと射杀して首の玉は取りてむ

此弓之力箭可射杀龙取其首级之玉珠

蓬莱玉枝

まことかと闻きて见つれば言の叶を饰れる玉の枝にぞありける

华丽之辞假几可乱真奈何玉枝非俗物

火鼠之裘

限りなき思ひに焼けぬ皮衣袂かはきてけふこそは着め

苦恋之火不能燃此裘今日逢君泪始干

なごりなく燃ゆと知りせば皮衣思ひの外衣置きて见ましを

华美之裘炽火了无痕徒有虚表枉用心

燕之子安贝

年を経て波立ち寄らぬ住の江のまつかひなしと闻くはまことか

此生之待燕子之安贝缥缈之说可是真

佛之玉钵

おく露の光をだにぞ宿さましをぐら山にて何もとねけむ

微露之光怎与月争辉大概取自小仓山

天之羽衣

满月之秋黄叶落罗裳恰逢与君离别时

(这句日语没有翻译的,但是竹取物语里面确实是9句而不是一般人知道的8句)今はとて天の羽衣着るをりぞ君をあはれと思ひいでける

归去之时羽衣轻着身慕君之思深无奈

竹取物语读后感

竹取物语读后感 本文是关于读后感的,仅供参考,如果觉得很不错,欢迎点评和分享。 竹取物语读后感(一) 《竹取物语》是日本物语小说的始祖,当我看着本书的时候,就像看一本童话书一样,很是有趣却又令人深思。 《竹取物语》记载是一对伐竹为生的老夫妇,万年不得一子一女,但是他们的勤劳工作却感到了上苍,于是上苍就把被贬的月之公主寄托在一棵竹子上。当老夫妇发现竹子中的公主时喜出望外,并且命名为辉夜姬。辉夜姬给老夫妇带来了幸运,以至于老夫妇万年得到很多财产,名震一方。而辉夜姬的美貌更是惊动了达官贵人,无数人来求婚,却都被拒绝了,只有5位自以为是的公子凭借自己的地位,硬是要娶辉夜姬。这时辉夜姬给出了五道难题来难倒他们,却又引来了皇上的追求。单辉夜姬在人间的时刻已经结束了,在她临返回月亮时留下了蓬莱之药——长生不死之药给养育自己的老夫妇和苦苦追求自己的皇上。但是老夫妇和皇上失去了辉夜姬,也不强求生命的永恒,便把药给烧毁了,从此辉夜姬的故事成为传说。 这本小说一波三折,先是老夫妇喜得其女,再是五公子的追求,后是皇帝的爱慕和辉夜姬的离去。其中老夫妇喜得辉夜姬是写天道轮回善有善报,五位公子是写出当时丑恶的阶级制度与辉夜姬的智慧,皇帝的爱慕是写爱情的专一和赞扬古代对爱情淳朴的追求。这本小说更重要的是体现了日本当时人们对美好的追求和对丑恶的厌恶,并且

能以文学形式所表达出来,对于后来着名的《源氏物语》打好基础,是对日本文学的一大贡献。 这本书奇幻的故事让我眼界大开,原来那么久远的历史里面也会有如此浪漫而奇幻的小说,怪不得日本动漫事业如此发达。古代文化与现代文化交织出的篇章,让人深思啊。 竹取物语读后感(二) 想到去读《竹取物语》,是受了犬夜叉剧场版《镜中梦幻城》的影响,觉得里面的这几首是大有深意。果不其然,每一句诗里都蕴藏了一个典故,等待在《竹取物语》里细细品味。《竹取物语》成书大约在十世纪初,号称是日本的物语鼻祖。融合了汉学,和歌以及佛典等诸多内容,为后世的物语文学,特别是《源氏物语》提供了很好的先例。对于日本的古典文学丰子恺先生的译本很好的保留了其中的古韵,特别是其中的一些诗歌,浑然天成。 《竹取物语》是围绕着一系列的求婚故事所展开的,对于美丽可爱的嫩竹的辉映姬,天下男子不论贫富贵贱都想方设法想要迎娶她。其中尤以石作皇子、车持皇子、右大臣阿部御主人、大纳言大伴御行、中纳言石上麻吕的求婚最为激烈。为了夺得辉映姬的芳心,分别要取回天竺如来佛的石钵、蓬莱的玉枝、唐土的火鼠裘、龙首的五色玉、燕子的子安贝等稀世珍宝,以表诚意。五人办法用尽,甚至采用欺骗手法,结果个个落空,下场悲惨。值得一提的是,在每一个故事中,悲哀的男主角都给世人留下了一个俚语,对日本的文化产生了深远的影响。当是时连皇帝都想娶辉映姬,甚至还亲自上门强行拉辉映姬入

《源氏物语》情似孤舟甫离岸,渐行渐远渐生疏

《源氏物语》情似孤舟甫离岸,渐行渐远渐生疏 作品简介作者:紫式部(日本)《源氏物语》是日本的一部古典文学名著,对于日本文学的发展产生过巨大的影响,被誉为日本古典文学的高峰,在日本开启了“物哀”的时代。作品的成书年代一般认为是在1001年至1008年间,因此可以说,《源氏物语》是世界上最早的长篇写实小说,小说描写了平安京时期日本的风貌,揭露人性,宫中的斗争,反映了当时妇女的无权地位和苦难生活。该书与《红楼梦》一样,所涉人物都是贵族。虽然所展示的场景是日本的贵族阶层,但对爱情生活的着墨点染却与《红楼梦》有异曲同工之妙,但却比《红楼梦》早了700多年,因此,被认为是日本的《红楼梦》。“源氏”是小说前半部男主人公的姓,“物语”意为“讲述”,是日本古典文学中的一种体裁,类似于我国唐代的“传奇”。较著名的还有《竹取物语》、《落洼物语》、《平家物语》、《伊势物语》等。《竹取物语》中辉夜姬的故事在日本更是妇孺皆知。经典语录1、山樱若是多情种,今岁应开墨色花。 2、情似孤舟甫离岸,渐行渐远渐生疏。 3、月华幽光羡登临,红尘悲怆我自知。 4、我在笑我自己的心我听从他的调遣。 5、心迹未予外人阅,花枝一束故人香。

6、相思到死有何益,生前欢会胜黄金。 7、不似明灯照,又非暗幕张。朦胧春月夜,美景世无双。 8、泪如清水寻常物,来途早断恐难逢。 9、哀此东篱菊,当年共护持。今秋花上露,只湿一人衣。一花一木,故人相植。一思一念,令人成痴。 10、“荣华之梦,我倒不怎么顶渴望,只希望从容享受这四季自然的美景:例如春花秋叶,变化的天色,等等。自古许多人都在争论春天的花木与秋天的野望,究竟孰胜?这真是难以骤下论断的事情。唐土之人似乎认为春花如锦,最是可取;而我朝歌咏则好像更重秋色动人呢。到底孰是孰非?其实,放眼眺望,佳景处处,令人目不暇给,花色鸟音如何评定优劣呢?只得于狭窄的垣内,尽量设法,使能体会四季变化,种植春天的花木啦,秋天的野草等,好让那些无人倾耳的草虫有所栖息之处,也好叫知音的人儿欣赏欣赏。” 11、恨事多有难忘处,奈何再会在歧路。 12、微风摇兮荻叶梢,霜随风信渐消散,思君怨君兮难解嘲。 13、目欲穷变世,心行止远末。人间频更替,无动是真情。 14、有一个阵雨初歇,诱人伤感的夜晚,中将将浅墨色的外褂和布裤换穿为浅色的衣裤来访源氏。他看来英姿焕发、令人羡慕。当时源氏正在西侧妻户边凭栏欣赏着霜冻的庭前花草。风飒飒地吹着,时雨阵阵,诱人禁不住也要泪簌簌。他那托着腮帮子喃喃自言"为雨为云今不知"的绝妙姿态,真

电影《辉夜姬物语》中辉夜姬形象的塑造

电影《辉夜姬物语》中辉夜姬形象的塑造 [摘要]电影《辉夜姬物语》对于日本最早的物语作品《竹取物语》的改编,不仅在于对于故事内容的改写,更是对于日本传统文艺美学的继承与发扬。影片从内在的故事内容到外在的艺术表现做到了极度的和谐统一。影片通过将原作故事的内容进行有机的梳理,根据影片的艺术表现需要做出了适当的删改,从叙事结构与美术表现上对辉夜姬的人物形象做出了全方位的塑造与展示――一个对于父母孝顺,热爱自然,热爱生活,尊敬生命,向往自由纯粹爱情的纯真少女形象跃然银幕之上。 [关键词]物语;《辉夜姬物语》;竹取物语;改编;美学 电影《辉夜姬物语》耗时8年制作完成,作为一部入围第87届奥斯卡金像奖最佳动画长片奖、第37届日本电影学院奖最佳动画奖以及吉卜力工作室创建以来的全片时长最 长的一部动画电影,承载了太多人的期待和太多的不可能。从策划选题创作之初,导演高?x勋就提高了制作的要求,为了实现最极致的艺术表现力,从分镜头手绘方式的选择,到配音演员的选择,再到配乐的创作,无不遵从了最高的标准。 对于导演高?x勋来说,制作这部电影不仅仅是对于市场需求的满足或者是出于商业电影利益的考量,而且是对于日

本传统文学作品的继承与改编后的再传播,是出于内心对于经典传统文学艺术的尊重与热爱,是本着对于日本传统文学、传统文化的宣传与影像化的文化遗产继承。所以在指导电影《我的邻居山田君》后时隔14年,高?x勋将目光落在了日 本传统文学经典《竹取物语》上,经过8年的改编与创作,最终实现了故事情节、绘画风格与电影音乐多种电影艺术语言高度统一的艺术品。 在对文本作品《竹取物语》进行影像化转换的时候,导演高?x勋根据主题的表达与艺术表现的需要而对故事内容 做出了相应的增加和删减的处理,在保留原作《竹取物语》基本叙事框架与故事内涵的同时,经过主题思想更加集中的改写,电影《辉夜姬物语》具备了更加丰富的叙事线索和主题元素,也具备了更加明确的叙事主题,经过谨慎的选择绘画风格与表现方式,将辉夜姬这一人物形象有血有肉情感丰沛地塑造出来,使电影的艺术表现力与艺术感染力远远超过了文学经典《竹取物语》本身,通过一个具体的人物形象使观众对辉夜姬的人物形象有了更直观更深刻的感知。 一、叙事结构下的辉夜姬形象 电影《辉夜姬物语》继承了文学作品《竹取物语》绝大部分的叙事框架与故事内容,但是对于故事内容的叙事重点有着不同的倾向性,适当增加了对于影片主题具有重要表现作用的故事内容,以一个全新的角度重新将《竹取物语》通

竹取物语1

品读《竹取物语》,学日语古典文法 《竹取物语》是日本最早的一部物语文学,作成于平安时代前期。故事讲述了伐竹老人竹取翁在竹心中所发现的一个小女婴——日后被称为「かぐや姫(辉夜姬)」的女子的传奇故事。 『竹取物語』品读便是以这部古典文学作品作为学习对象的节目,每期内容不多,大约两三句原文。不过,为了全面地理解日语古文的内涵,小编们将尽力做好围绕正文的注解工作,讲解当中的各种词汇与语法问题,让大家切实有所收获。 【竹取物語本文(一 本文(一))】 かぐや姫の生い立ち 今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば、さかきの造となむいひける。 【词语注释】 生い立ち(おいたち)[0]:童年时代、成长史。 今は昔:「今から見れば昔のこと」之意,物语文学常用的开篇语。 竹取の翁:「竹取」即伐竹之意。「翁(おきな)」是老翁、老人。这个伐竹老人被称作“竹取翁”。 あり[動ラ変]:有,存在。也表示人的存在,在首句中是「この世に存在する」「生きている」的意思。 野山(のやま)[1]:野山、山野。 まじる[2][動ラ四]:文中是「分け入る」之意,拨开丛杂进入林中。

よろづのこと:「よろづ」的汉字是「万」,指数量多。「よろづのこと」指的是各类竹工。 さかきの造(みやつこ[2]):竹取翁的名字。 【假名与读音】 日语古文中使用的是「歴史仮名遣い(历史假名拼写法)」,与基于现代口语的「現代仮名遣い(现代假名拼写法)」存在一定的差异,当中多数是由于古今音异导致的。不过只要掌握二者间有限的几条对应规则,便可顺利地阅读以历史假名书写的文章了,我们将在前几期节目中讲它们讲完。 先看正文中出现的几个问题: 「いふ」=「いう」」、「使ひ」=「使い 「使ひ」=「使い」」:?ハ行转呼。 1、「いふ」=「いう ◎历史假名中,词头之外的「は」「ひ」「ふ」「へ」「ほ」读作「ワ」「イ」「ウ」「エ」「オ」。用现代假名拼写法写作「わ」「い」「う」「え」「お」。 例如: かは→かわ(川) 会ひます→会います 使ふ→使う まへ→まえ(前) おほい→おおい(多い) ◎例外:1)现代假名拼写法中助词「は」和「へ」维持旧法原样。 2)复合词后部首音若为ハ行假名,读作「ハ」「ヒ」「フ」「ヘ」「ホ」。 如:月(つき)+日(ひ)=月日(ツキヒ)

日本文学史中文版

奈良时期(8世纪) 最早的文学典籍是《古事记》、《日本书纪》及《风土记》。前两部著作追记了日本国史,后一部则记载了日本各地自然状况、风土人情。两者均收录了丰富的神话传说和生动的古歌谣。稍后出现的汉诗集《怀风藻》标志着文人诗歌创作的肇始,而和歌集《万叶集》的编撰成功则代表着日本诗歌发展的第一个高峰。 平安时期(8~12世纪) 受中国唐代文化影响,大量汉诗文集相继问世,汉文学热持续一个世纪之久。敕撰诗集《古今和歌集》恢复了日本民族诗歌的地位。与此同时,散文创作硕果累累:《竹取物语》、《伊势物语》开辟了传奇物语和歌物语两条道路,《宇津保物语》开长篇物语的先河,这就为物语文学的集大成之作《源氏物语》的诞生奠定了基础。长篇写实小说《源氏物语》出自女作家紫式部之手。作者以沉郁、凄婉的笔调抒写了源氏苦乐掺半的一生及宫廷妇女不幸的命运,表达了作者人生无常的佛学观和以哀为极至的美学观。除紫式部外,许多女作家的作品都于此时脱颖而出,如《蜻蛉日记》、《和泉式部日记》、《更级日记》等。这些日记成为日本后世文学中私小说的滥觞。女性散文中较为引人注目的是清少纳言的随笔《枕草子》,作者观察之敏锐细腻,用笔之纤柔清丽,一直为后人所称道。此期散文创作的最后收获是佛教说话集《今昔物语》和历史物语《大镜物语》。这些物语一改王朝物语的纤弱文风,拓展了物语文学表现的范围。 镰仓室町时期(12~16世纪) 随着武士阶级登上历史舞台,贵族和歌文学走向衰落。1205年完成的《新古今和歌集》虽与《万叶集》、《古今和歌集》形成三足鼎立之势,但毕竟是强弩之末,取而代之的是连歌和俳谐的兴起。二条良基、山崎宗鉴等人确立了连歌、俳谐的文学地位。散文方面也出现了描写新兴武士生活的军记物语和抒发隐遁者之情的僧人随笔。军记物语中臻于成熟的经典之作是记述平、源两大武士集团兴衰始末的《平家物语》。小说刻画了平清盛等骁勇善战的武士英雄形象,再现了他们自信向上的精神风貌,客观上反映了贵族社会向武士社会转变的时代本质。僧人随笔中的传世之作是鸭长明的《方丈记》和吉田兼好的《徒然草》。两篇随笔各具特色,被誉为随笔文学的双璧。该时期诞生的能与狂言是日本戏剧史上辉煌的开端。“能”着重演唱、舞蹈表演,具有庄重典雅的正剧特点,“狂言”以幽默滑稽的科白为主,体现轻松诙谐的笑剧风格。世阿弥(1363~1443)在能乐的表演艺术和创作理论等方面作出了开拓性贡献。 江户时期(17~19世纪) 商业经济的发展带来了社会结构的变化,町人阶级(市民阶层)作为社会的主体逐渐成为文学作品的欣赏者。适应他们的审美要求松尾芭蕉在贞门、谈林俳谐的基础上,推出了世俗化的蕉风俳谐,井原西鹤铺写了町人的商业生活和享乐生活,丰富了浮世草子(风俗小说)的创作内容。近松门左卫门的净琉璃(木偶戏)更广泛地表现了社会下层人物的生离死别、喜怒哀乐。这种以俗为美的美学追求,导致轻文学(戏作文学)的产生,给后世文学带来一定的消极影响。 明治时期(1868~1911) 1868年明治维新是日本近代文学开始的标志。坪内逍遥(1859~1935)的小说理论著作《小说神髓》的发表,具有近代文学启蒙的性质。二叶亭四迷写出近代第一部现实主义小说《浮云》,森鸥外相继发表近代最早的浪漫主

藏族民间故事_斑竹姑娘_与日本故事_竹取物语_的类比性研究

藏族民间故事《斑竹姑娘》与 日本故事《竹取物语》的类比性研究 王 玲 [摘要]在藏族民间文学故事中,流传到日本的《斑竹姑娘》与日本故事《竹取物语》有明显的联系,可以从中看到中日两国文学和文化交流的历史渊源。笔者从两则故事的主要内容和结尾进行类比分析,指出中日两国民间文学故事均有各自民族的文化背景和审美观,都带有各自民族的文学以及文化特征,具有自己特定的时代性。 [关键词]藏族民间文学故事;《斑竹姑娘》;《竹取物语》;中日文化类比 中图分类号:I0-03 文献标识码:A 文章编号:1004—3926(2007)08—0182—04  作者简介:王玲,女,留日文学硕士,日语系主任,西南民族大学外国语学院副教授。四川成都 610041 藏族是一个想象力极为丰富的民族,在藏族的文学发展过程中,出现了数不清的各类故事,经过历代文人收集、整理和加工,成了民间故事和文学作品。 在藏族民间文学故事中,流传到日本的《斑竹姑娘》与日本故事《竹取物语》有明显的联系,可以从中看到中日两国文学和文化交流的历史渊源。 《斑竹姑娘》讲述了一个在金沙江岸以育竹为生的一对贫穷母子与一个从竹子中生出的姑娘的传奇故事。 这对贫穷母子特别喜爱竹,精心地培育着细小的麻竹。 有一天,土司命令砍掉全村所有的竹子,儿子悄悄地把细小的麻竹藏了起来,后来他在麻竹筒中发现了一个小婴儿,母子二人给她取名为竹姬,一起生活。竹姬长大后异常美丽,母亲想把竹姬嫁给自己的儿子,实际上,两人也已相爱。不久,拥有地位权势的土司、商人、官吏等人的儿子们纷纷前来向斑竹姑娘求婚,遭到姑娘的难题的考验,最后姑娘与贫穷家庭的儿子结为了夫妻。在《斑竹姑娘》中,女主人公竹姬从竹中化生以及土司儿子向姑娘求婚的部分,同日本民间故事《竹取物语》中女主人公辉夜姬从竹子中出生以及难题求婚部分十分相似。这一点,已被很多人指出。 20世纪70年代,《斑竹姑娘》传到日本,中国、日本的很多学者对两则故事的关系作了研究和考察。 例如,日本学者君岛久子、伊藤清司等人推测《竹取物语》是从藏族民间文学故事《斑竹姑娘》取材而来。冈村繁认为,唐末五代十国时期(约907—959年)在四川省流域广泛流传的《斑竹姑娘》被传到日本,在这个故事的原型上,增加了皇帝向姑娘(辉夜姬)求婚的内容,而成为《竹取物语》。 另外,芳贺繁子还认为第二次世界大战的前后,很多中国留学生把《竹取物语》带到了中国。[2](P1486-488;P1492-493) 关于《斑竹姑娘》和《竹取物语》的关系,有各种各样的说法。不过这不是本文论证的内容,笔者认为,围绕着两则故事的考察、类比却很有实际意义。这就是中日两国古代传奇文学精神文化的交流,是两则故事产生的重要因子。 日本古代散文文学,最早出现“物语”这个文学模式。所谓“物语”是将发生的事向人们细说的意思。从文学文体来说,也就是说话文体,它是将日本化了的文体与和歌并列使用而创造出来的,是日本最古的小说模式,也可以说是日本最古的民间文学故事。 物语文学最先分“传奇物语”与“歌物语”两类,传奇物语的代表作《竹取物语》是对民间流传的故事进行加工和创造,增大其虚构性,赋予浪漫的色彩,并加以艺术的润色,提炼成了比较完整的故事。[1] 《竹取物语》是日本平安前期的传奇物语。作

长篇神话故事:竹取物语_中国神话故事

长篇神话故事:竹取物语 竹取物语一、光华公主的诞生很久很久以前,有一名伐竹老翁,寄居深林,伐竹制成各种工具维生,他的名字叫做“赞歧造麻吕”。有一天,他在竹林中,发现一棵神竹,根部闪闪发光。他半信半疑地凑上前去,发现竹内瑞气千条,定睛一看,里面有一三寸小人端坐其内,面貌姣好。老翁说道:“我朝夕以竹维生,而你竟姑隐其中,分明是注定要给我当孩子的。”说完便把小女孩捧在掌心带回家,交给妻子抚养。再也没有比这孩子更天真可爱的了,因为她实在太小,便暂时放在竹笼里。伐竹老翁自从发现了这名小女孩之后,屡屡在砍竹时,发现竹节内藏有黄金。如此不久以后,他的生活便渐渐宽裕了,而这名小女孩也渐渐出落得亭亭玉立。才三个月的光景,已是少女模样。老婆婆给她梳上美丽的发髻,穿上整洁的衣裳,百般呵护,不让她出大门一步。这名女子有沉鱼落雁之姿,世间无人能比,由于她的亮丽,屋内阴暗的角落也变得光可鉴人。老翁愁闷时只要见着这孩子一眼,烦恼便烟消云散。怒不可遏时见了她顿时也怒气全消。老翁继续伐竹,也经常发现黄金,不久成了一名家财万贯的有钱人,孩子也长大成人,命名为“三室户(地名)斋部(姓)秋田(名)”,又名“清竹光华公主”纪念她的出身。为了庆祝她的弱冠之礼,大宴宾客三天三夜,笙歌妙舞不绝于耳,四方男子也都齐聚一堂。二、求亲世间男子不论贵贱贫富均想一亲芳泽,只要听说其它人也有此念头的莫不捶胸顿足。甚或有人干脆就近窥视,然而不管攀墙倚门均未能一睹庐山

真面目。有人夜不成眠,便在墙边挖一小洞偷看,这些人被后人称为“夜窥香”。他们在人迹罕见之处徘徊不去,可惜徒劳无功。至少和其家人打打招呼也好,对方也是相应不理。许多人就这样守在光华公主附近不肯离去,直到天明。有些不是真心求爱的公子哥儿,终于忍不住说道:“像这样无意义的等待真是无聊。”说完后便没有再来过了。其中当然也有坚持到底,真心真意的男士五人,从不间断地日夜守候。他们分别是石作皇子、车持皇子、右大臣阿倍、大纳言大伴御行及中纳言石上麻吕。这些人只要听到哪里姑娘稍有姿色便想缔造连理,听到光华公主如此风华绝代,更是茶不思、饭不想,终日在附近流连忘返,可是仍然没有任何进展。寄了情书石沉大海,写了情诗,也是有去无回。明知希望渺茫,却依旧风雨无阻日夜等候,无论是冱寒的风雪天亦或艳阳高帜的炎炎夏日,从未缺席过。有时候他们把老翁请出来央求他说:“小女嫁给我吧!”对他双手膜拜,一个个摩拳擦掌振振有词。老翁说:“这不是我亲生的孩子,我不能勉强她做任何事。”说完又过了数月,这些人回到家中,终日相思,求神拜佛,发愿祈福,依然死心,想“就算再不愿意,女大当嫁也是天经地义之事。”于是准备卷土重来,强烈表达自己爱慕之情。老翁看到这般光景便对光华公主说:“我宝贝的孩子呀,你虽不是凡俗之辈,好歹我也把你抚育成人,我的心情你应该了解,我的话你也好好听一次吧!”光华公主说:“父亲的话女儿何时违抗过呢?我不知道自己是什么来历,但我一直都把父亲当作亲生父亲一样看待。”老翁说:“这样我就放心了。”又说:“我今年都七十有余了,也不知道什么时候就驾鹤西归,世间

《竹取物语》日文版

1生い立ち 今は昔竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて、竹をとりつ、万の事につかひけり。名をば讃岐造麿となんいひける。その竹の中に、本光る竹ひとすぢありけり。怪しがりて寄りて见るに、筒の中ひかりたり。それを见れば、三寸ばかりなる人いと美しうて居たり。翁いふやう、「われ朝ごと夕ごとに见る、竹の中におはするにて知りぬ、子になり给ふべき人なめり。」とて、手にうち入れて家にもてきぬ。妻の妪にあづけて养はす。美しきこと限なし。いと幼ければ笼に入れて养ふ。竹取の翁この子を见つけて後に、竹をとるに、节をへだてよ毎に、金ある竹を见つくること重りぬ。かくて翁やう丰になりゆく。この儿养ふほどに、すくと大になりまさる。三月ばかりになる程に、よきほどなる人になりぬれば、髪上などさだして、髪上せさせ裳着もぎす。帐ちやうの内よりも出さず、いつきかしづき养ふほどに、この儿のかたち清けうらなること世になく、家の内は暗き处なく光满ちたり。翁心地あしく苦しき时も、この子を见れば苦しき事も止みぬ。腹だたしきことも慰みけり。翁竹をとること久しくなりぬ。势猛の者になりにけり。この子いと大になりぬれば、名をば三室戸斋部秋田を呼びてつけさす。秋田なよ竹のかぐや姫とつけつ。このほど三日うちあげ游ぶ。万の游をぞしける。男女をとこをうなきらはず呼び集へて、いとかしこくあそぶ。 2求婚と难题 世界の男をのこ、贵なるも贱しきも、「いかでこのかぐや姫を得て

しがな、见てしがな。」と、音に闻きめでて惑ふ。その傍あたりの垣にも家のとにも居をる人だに、容易たはやすく见るまじきものを、夜は安きいもねず、闇の夜に出でても穴を抉くじり、こかしこより覗き垣间见惑ひあへり。さる时よりなんよばひとはいひける。人の物ともせぬ处に惑ひありけども、何の効しるしあるべくも见えず。家の人どもに物をだに言はんとていひかくれども、こともせず。傍を离れぬ公达、夜を明し日を暮す人多かり。愚なる人は、「益やうなき歩行ありきはよしなかりけり。」とて、来ずなりにけり。その中に犹いひけるは、色好といはるかぎり五人、思ひ止む时なく夜昼来けり。その名?人は石作皇子、?人は车持くらもち皇子、?人は右大臣阿倍御主人みうし、?人は大纳言大伴御行、?人は中纳言石上いそかみ麿吕、たこの人々なりけり。世の中に多かる人をだに、少しもかたちよしと闻きては、见まほしうする人々なりければ、かぐや姫を见まほしうして、物も食はず思ひつ、かの家に行きてたたずみありきけれども、かひあるべくもあらず。文を书きてやれども、返事もせず、わび歌など书きて遣れども、かへしもせず。「かひなし。」と思へども、十?月しもつき十二月のふりこほり、六月の照りはたくにもさはらず来けり。この人々、或时は竹取を呼びいでて、「娘を我にたべ。」と伏し拜み、手を摩りの给へど、「己おのがなさぬ子なれば、心にも从はずなんある。」といひて、月日を过す。かればこの人々、家に归りて物を思ひ、祈祷いのりをし、愿をたて、思やめんとすれども止むべくもあらず。「さりとも遂に男合せざら

竹取物语原版

竹取物語 竹取物語001)かぐや姫の生ひ立ち 今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづの事につかひけり。名をば讃岐の造となむいひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて、寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうて居たり。翁いふやう、「われ朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて知りぬ。子になり給ふべき人なめり」とて、手にうち入れて、家へ持ちて来ぬ。妻の嫗にあづけて養はす。うつくしき事かぎりなし。いと幼ければ、籠に入れて養ふ。 竹取の翁、竹を取るに、この子を見つけて後に竹取るに、節を隔てて、よごとに、黄金ある竹を見つくること重なりぬ。かくて、翁やうやう豊かになりゆく。この児、養ふほどに、すくすくと大きになりまさる。三月ばかりになるほどに、よき程なる人になりぬれば、髪上げなどさうして、髪上げさせ、裳着す。帳の内よりも出ださず、いつき養ふ。この児の容貌のけうらなること世になく、屋の内は暗き所なく、光満ちたり。翁、心地あしく苦しき時も、この子を見れば、苦しき事もやみぬ。腹立たしきことも慰みけり。翁、竹を取ること久しくなりぬ。勢ひ猛の者になりにけり。この子いと大きになりぬれば、名を、御室戸斎部の秋田を呼びて、つけさす。秋田、なよ竹のかぐや姫とつけつ。このほど三日、うちあげ遊ぶ。よろづの遊びをぞしける。男はうけきらはず呼び集へて、いとかしこく遊ぶ。 竹取物語002)貴公子たちの求婚 世界の男、貴なるも賤しきも、いかでこのかぐや姫を得てしかな、見てしかなと、音に聞きめでて惑ふ。そのあたりの垣にも、家の門にも、をる人だにたはやすく見るまじきものを、夜は安き寝もねず、闇の夜に出でても、穴をくじり、垣間見、惑ひあへり。さる時よりなむ、「よばひ」とは言ひける。 人の物ともせぬ所に惑ひ歩けども、なにの験あるべくも見えず。家の人どもに物をだに言はむとて、言ひかくれども、事ともせず。あたりを離れぬ君達、夜を明かし、日を暮らす、多かり。おろかなる人は、「用なき歩きは、よしなかりけり」とて、来ずなりにけり。 その中に、なほ言ひけるは、色好みといはるるかぎり五人、思ひやむ時なく、夜昼来たりけり。その名ども、石作の皇子?庫持の皇子?右大臣阿部御主人?大納言大伴御行?中納言石上麻呂足、この人々なりけり。世の中に多かる人をだに、少しも容貌よしと聞きては、見まほしうする人どもなりければ、かぐや姫を見まほしうて、物も食はず思ひつつ、かの家に行きて、たたずみ歩きけれど、甲斐あるべくもあらず。文を書きてやれども、返事もせず。わび歌など書きておこすれども、甲斐なしと思へど、霜月?師走の降り凍り、水無月の照りはたたくにも、障らず来たり。 この人々、ある時は、竹取を呼び出でて、「娘を、われに賜べ」と、伏し拝み、手をすりのたまへど、「おのが生さぬ子なれば、心にも従はずなむある」と言ひて、月日過ぐす。かかれば、この人々、家に帰りて、物を思ひ、祈りをし、願を立つ。思ひやむべくもあらず。さりとも、つひに男婚はせざらむやはと思ひて、頼みを

竹取物语(选段)

『竹取物語』 今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば、讃岐の造となむいひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。翁言ふやう、「われ朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて、知りぬ。こになりたまふべき人なめり。」とて、手にうち入れて、家へ持ちて来ぬ。妻の嫗に預けて養はす。うつくしきこと限りなし。いと幼ければ、籠に入れて養ふ。竹取の翁、竹を取るに、この子を見つけて後に竹取るに、節を隔ててよごとに、黄金ある竹を見つくること重なりぬ。かくて、翁やうやう豊かになりゆく。この児、養ふほどに、すくすくと大きになりまさる。三月ばかりになるほどに、よきほどなる人になりぬれば、髪上げなどさうして、裳着す。 現代語訳 今では昔のこととなったが、竹取の翁という者がいた。野や山に分け入って、竹を取り竹を取りしてはいろいろなことに使っていた。名を讃岐の造といった。その(毎日取る)竹の中に、根元が光る竹が一本あった。不思議に思って近づいてみると、竹の筒の中が光っている。その筒を見ると、三寸(約9センチ)くらいの人が、たいそうかわいらしい様子で座っていた。翁が言うことには、「私が毎朝毎夕見る竹の中にいらっしゃることで、わかった。わたしの子になりなさるはずの人であるようだ。」といって、手の中に入れて、家へ持って帰った。妻であるおばあさんにあずけて養育させる。(その子の)かわいらしいことはこのうえない。たいそう幼いので、かごに入れて養う。竹取の翁は、竹を取るが、この子を見つけてその後に竹を取ると、竹の節と節の間の部分ごとに、黄金のはいっている竹を見つけることが何度もあった。こうして翁はだんだん裕福になっていく。この子は養育するうちに、どんどん大きくなっていく。三か月ぐらいになるうちに、りっぱな一人前の大きさの人になったので、髪上げの(成人の)儀式などをあれこれと手配して、髪を結いあげさせ、裳を着せる。 今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば、讃岐の造となむいひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。翁言ふやう、「われ朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて、知りぬ。こになりたまふべき人なめり。」とて、手にうち入れて、家へ持ちて来ぬ。妻の嫗に預けて養はす。うつくしきこと限りなし。いと幼ければ、籠に入れて養ふ。竹取の翁、竹を取るに、この子を見つけて後に竹取るに、節を隔ててよごとに、黄金ある竹を見つくること重なりぬ。かくて、翁やうやう豊かになりゆく。この児、養ふほどに、すくすくと大きになりまさる。三月ばかりになるほどに、よきほどなる人になりぬれば、髪上げなどさうして、裳着す。 1下線部の意味を書きなさい。 ①あやしがりて寄りて見るに、不思議に思って ②かくて、翁やうやう豊かになりゆく。こうしてだんだん ③髪上げなどさうして、裳着す。あれこれと手配して

于破灭中寻觅自我——《源氏物语》主题思想论(姚继中)

于破灭中寻觅自我 ———《源氏物语》主题思想论 姚继中 内容提要 本文以“于破灭中寻觅自我”为题探讨《源氏物语》的主题思想,意在发掘对该作品现有研究中的诸多未知,从这部巨著中人物的精神世界以及作者本人的精神世界中理出一条清晰的脉络,透过作品的表层、中介层,在深层次上探究《源氏物语》究竟要向读者诉说什么。 关键词 源氏物语 自我 表层 中介层 深层 关于《源氏物语》的主题思想,历来有种种不同见解。最初有人将《源氏物语》拟作天台六十卷,认为它是源于《庄子》的寓言,讲释的是“三智实在一心中得”的“一心三观”之理。也有人将它比作《春秋》,认为其中蕴含着劝善惩恶之说教,是司马迁笔法。在《源氏物语》研究的最初阶段,特别是日本中世时期,诸如此类的见解颇为盛行。 进入江户时代后,日本最著名的国文学家本居宣长提出了具有划时代意义的见解,认为《源氏物语》的主题思想就是“物哀”(“物哀”是一日语词,其词义比汉语的“感伤”要丰富,有感动、感慨、可怜之意,也含有壮美的成分。“物哀”是日本文学的传统审美观)。他在《〈源氏物语〉玉小栉》中指出:“在诸多物语之中,惟《源氏物语》最为优秀,可以说是无与伦比的。先前古物语的任何故事,都没有写得如此深深地渗入人心,任何的`物哀'都没有如此纤细、深沉……惟有这部物语,`物哀'之情特别深邃,是倾尽心力写就的。”《源氏物语》通篇写的是苦闷、忧愁、悲哀,也就是一切不能如意的事,这不正是“物哀”的最好体现吗?尽管本居宣长过分强调了“物哀”一词中“哀”的比重,但他从“物语”文学的内涵这一角度去认识《源氏物语》的主题思想,使他的见解自有高于前人之处。 明治时期,藤冈作太郎把第二回《帚木》中的“雨夜品评”即品评各种品性的女性看作《源氏物语》的主题,认为《源氏物语》的主题思想并不深奥,其“本意其实就是妇人评论”。① 真正对《源氏物语》的主题思想展开全方位的深入细致研究是在进入昭和时代(1925年)之后。昭和26(1951)年,池田 · 119 ·

我所喜爱的日语文章--读《竹取物语》,学古典文法

我所喜爱的日语文章--读《竹取物语》,学古典文法その中に、なほ言ひけるは、色好みと言はるる限り五人、思ひやむ時なく夜昼来ける。その名ども、石作(いしつくり)の皇子?庫持(くらもち)の皇子?右大臣阿部のみむらじ?大納言大伴(おおとも)の御行(みゆき)?中納言石上(いそのかみ)のまろたり、この人々なりけり。 【現代仮名遣い】 そのなかに、なおいいけるは、いろごろみといわるるかぎりごにん、おもいやむときなくよるひるきける。そのなども、いしつくりのみこ?くらもちのみこ?うだいじんあべのみむらじ?だいなごんおおとものみゆき?ちゅうなごんいそのかみのまろたり、このひとびとなりけり。 【现代日语译文】 その中で、依然として言葉をかけ続けたのは、「色好み」で有名な者だけ5人が、かくや姫に寄せる思いを断ち切ることができなくて、夜となく昼となく訪ねてきました。その5人の名前は、石作皇子、車持皇子、右大臣阿部御主人、大納言大伴御行、中納言石上のまろたり、という人々でした。 引自栄光への架け橋 【参考汉译】 於其中,仍有直言相來者,世評倜儻之五人,不捨思慕,晝夜皆來。其名曰——石作皇子、車持皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御

行、中納言石上麿足,是也。 引自私译竹取物语 【词语注释】 色好み(いろごのみ[3]):情事を好むこと。特に古典文学で、恋愛の情趣を理解すること。/好色。特别地,在古典文学中指能解恋爱之风情。文中是后者的意思。 思ひ止む(おもひやむ)[動マ四]:思いとどまる。あきらめる。/断念,放弃。 夜昼(よるひる[1]):昼夜。 皇子(みこ[1]):天皇の子供を敬っていう語。/天皇后代的尊称。右大臣(うだいじん[2]):律令制の太政官で、左大臣の次に位し、政務を統轄した官。/律命制中的太政官之一,统管政务,地位仅次于左大臣。 大納言(だいなごん[3]):律令制で、左右大臣に次ぎ太政官の次官にあたった役職。/律令制官职,位居左右大臣之后,相当于太政官次官。中納言(ちゅうなごん[3]):律令制で、太政官の次官。大納言に次ぐもので、職掌は大納言とほぼ同じ。/律令制中的太政官次官,位置次于大纳言,职权与大纳言大抵相同。 【文法解釈】 一、「なほ言ひけるは」「色好みと言はるる限り」 连体形的体言用法

相关主题
文本预览
相关文档 最新文档