中日同形异义语
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中日同形异义词的分类
中日同形异义词主要可以分为以下几类:
1.意义完全相同的词:这类词在中日两国语言中具有完全相同的
含义和用法,例如“月”在中文和日语中都表示月亮。
2.意义部分相同的词:这类词在中日两国语言中具有相似的含
义,但并不完全相同。
例如,“娘”在中文中表示“女儿”,而在日语中则表示“少女、女孩”。
3.意义完全不同的词:这类词在中日两国语言中具有完全不同的
含义和用法,例如“手纸”在中文中表示“书信”,而在日语中则表示“卫生纸”。
4.音译外来词:这类词是从其他语言(通常是英语等西方语言)
音译而来的,例如“巧克力”在中文和日语中都是音译自英语“chocolate”。
需要注意的是,中日同形异义词的分类并不是绝对的,有时一个词在不同语境下可能会有不同的含义,因此需要根据具体语境进行判断。
同时,对于这些词的使用也需要根据具体语境和对象进行选择,避免引起误解或产生歧义。
一、概述中日两国有着悠久的历史和深厚的文化底蕴,其中成语作为语言和文化的重要载体在两国都有着重要的地位。
然而,由于历史文化和语言的差异,中日两国的成语中常出现同形异义的情况,这些同形异义成语在理解和运用上往往会给学习者带来困扰。
对中日同形异义四字成语进行对比研究,有助于增进对两国语言和文化的理解,帮助学习者更好地掌握成语的使用。
二、同形异义四字成语的共同特点1. 源于历史文化的共通性2. 受到语言结构的影响3. 在语境和使用方式上存在共通性和差异性三、中日同形异义四字成语的实例对比1. 以“一字千金”为例- 中文成语:“一字千金”通常用来形容一句话的价值很高,具有深刻的智慧和内涵。
- 日文成语:“一字千金”则通常用来形容写作或书法的每个字都具有非常高的价值和意义。
2. 以“闭月羞花”为例- 中文成语:“闭月羞花”用来形容女子的美貌,表示美丽动人。
- 日文成语:“閉月羞花”同样用来形容女子的美貌,但在使用上略有差异。
四、同形异义四字成语对照分析1. 深入探究成语的历史渊源和文化内涵- 中日两国的历史文化背景不同,导致同形异义成语在两国的使用和理解上存在差异。
2. 分析语言结构和逻辑语义- 中日两国语言的结构和逻辑语义有所不同,也影响到同形异义成语的使用方式和解释。
3. 探讨同形异义成语的语境和实际运用- 针对同形异义成语在实际语境中的运用和差异,进行深入分析和讨论,帮助学习者更好地掌握成语的使用技巧。
五、结论同形异义四字成语在中日两国都有着重要的地位,其充分展现了两国语言和文化的丰富多彩。
通过对中日同形异义四字成语的对比研究,不仅可以增进对两国语言和文化的理解,也能帮助学习者更好地掌握和运用成语。
这也为中日两国在语言和文化交流方面提供了更多的参考和借鉴。
希望未来可以进一步深化对中日同形异义四字成语的研究,并在两国之间的语言和文化交流中发挥积极的作用。
六、同形异义四字成语的历史渊源和文化内涵同形异义四字成语的存在不仅是语言现象,更是历史文化的体现。
中日同形异义词形容词中日同形异义词是指在汉语和日语中具有相同形态(即写法相同或非常相似),但意义不同的词汇。
这些词汇在两种语言中的使用场景和含义可能完全不同,因此容易引起误解。
以下是一些形容词的中日同形异义词的例子:1.大:在汉语中,“大”通常表示尺寸、规模、程度等方面的较大。
而在日语中,“大”除了表示尺寸、规模、程度等方面的较大外,还可以用来表示尊敬、敬称等。
例如,“大家”(dàjiā)在日语中表示“各位”,而不仅仅是“大的家”。
2.小:在汉语中,“小”通常表示尺寸、规模、程度等方面的较小。
而在日语中,“小”除了表示尺寸、规模、程度等方面的较小外,还可以用来表示年轻、幼稚等。
例如,“小鬼”(xiǎoguǐ)在日语中表示“小孩子”或“年轻人”,而不仅仅是“小的鬼”。
3.高:在汉语中,“高”通常表示高度、地位、水平等方面的较高。
而在日语中,“高”除了表示高度、地位、水平等方面的较高外,还可以用来表示价格、成本等较高。
例如,“高価”(taka-ka)在日语中表示“高价”,而不仅仅是“高的价”。
4.低:在汉语中,“低”通常表示高度、地位、水平等方面的较低。
而在日语中,“低”除了表示高度、地位、水平等方面的较低外,还可以用来表示价格、成本等较低。
例如,“低価”(hi-ka)在日语中表示“低价”,而不仅仅是“低的价”。
5.新:在汉语中,“新”通常表示时间上的较近、事物上的更新等。
而在日语中,“新”除了表示时间上的较近、事物上的更新等外,还可以用来表示新鲜、不熟悉等。
例如,“新”(arai-shii)在日语中表示“新鲜的”或“不熟悉的”,而不仅仅是“新的”。
中日同形异义词例子
中日两种语言都存在很多同形异义词,这些词汇对于学习语言的
人来说往往会造成困扰和误解,因为它们经常被用来描述不同的事物。
拿“银行”来说吧,这个词在中文和日文中都是同一个写法,但
是在两种语言中所表示的含义却有所不同。
在中文中,“银行”通常
指代一家金融机构,提供各种银行业务,比如存款、取款、贷款等等。
而在日语中,“銀行”则除了具有和中文中相同的含义之外,还可以
指代一个建筑或者一个地点。
比如说,在日本你可以听到这样的说法:“銀行の前で待っています”(我在银行前等你)。
还有一个常见的同形异义词是“罐头”。
在中文中,“罐头”通
常是指装在罐子里的食品,比如菜、鱼和肉等等。
但是在日语中,
“缶詰”这个词可以用来形容任何一种包装在罐子或者盒子里的食品,甚至是罐头饮料和饮料瓶。
如果你在日本的超市里看到有“缶詰ビール”(罐装啤酒)这样的东西,别误以为是啤酒罐头了。
此外,还有一些同形异义词在不同的语言中所表示的含义却完全
不同。
比如说,“休闲”这个词在中文中通常指代一种生活方式,意
味着放松和自在。
而在日语中,“休閑”这个词则主要用来形容一些
休闲设施和娱乐活动,比如游乐场、温泉和度假村等等。
综上所述,同形异义词的问题在学习语言的过程中难免会遇到。
在遇到这种情况时,我们需要仔细阅读整个句子和上下文,了解它所
处的语境,从而准确理解其含义。
当然,在旅游和交流中,也需要特别留心,避免因词义的差异而造成不必要的误解。
中日同形异义成语一、介绍中日两国语言虽然源自不同的语系,但由于历史原因和文化交流的影响,中日之间存在许多同形异义的成语。
这些成语在表面上看起来相同,但实际意义和用法却存在差异。
本文将就中日同形异义成语进行详细分析和比较,从而帮助读者更好地理解和使用这些成语。
二、相同成语不同意义2.1 国士无双(日本)vs. 国士無双(中国)2.1.1 国士无双(日本)在日本,国士无双是一个褒义词,用来形容某人在某个领域非常杰出,独一无二,无人能及。
这个成语源于日本战国时期的茶道大师千利休。
他被称为“茶道国士”,意思是他在茶道方面的天赋和造诣超越了所有其他人,不可比拟。
2.1.2国士無双(中国)然而,在中国,国士无双具有贬义色彩。
它指的是一个人在某个领域过于独断独行,自视甚高,不听他人建议。
这个词往往带有傲慢和自大的意味。
2.2 四面楚歌(中国)vs. 四面楚歌(日本)2.2.1 四面楚歌(中国)在中国,四面楚歌是形容一个人身陷困境,四面受敌的情况。
这个成语源于中国战国时期的楚国。
当时楚国被其他国家围困,无法自拔,形势非常危险。
2.2.2 四面楚歌(日本)然而,在日本,四面楚歌的意义与中国有所不同。
它指的是一个人受到大家的排挤和孤立,处于社交困境中。
这个词常常用来形容一个人在工作场所或社交圈中处境困难,没有朋友和支持者。
三、不同成语相同意义3.1 杯弓蛇影(中国)vs. 杯矢蛇蝎(日本)3.1.1 杯弓蛇影(中国)在中国,杯弓蛇影是形容一个人过于敏感和多疑,对于周围的事物和人有过度的怀疑和猜疑。
成语的意思来源于一个人在喝酒时,光线昏暗,导致杯中的弓影看起来像蛇一样。
3.1.2杯矢蛇蝎(日本)而在日本,杯矢蛇蝎与中国的杯弓蛇影有着相同的意义。
它形容一个人过分敏感,对于周围的事物和人过度猜疑和怀疑。
成语的来源是“杯”代表喝酒,而“矢”、“蛇”和“蝎”分别代表箭、蛇和蝎子,这三者在日本传统文化中被认为带来厄运和危险。
3.2 轮流做官(中国)vs. 輪番進軍(日本)3.2.1 轮流做官(中国)在中国,轮流做官指的是官员按一定的轮次和顺序担任特定的职务。
中日同形异义成语指的是在中文和日语中,存在形式相同但意义和用法不同的成语。
这些成语在中日两国的交流中,很容易引起误解。
例如,“画龙点睛”在中文中表示“点睛之笔,使事物生动有趣”,而在日语中则表示“多余的举动,适得其反”。
这种差异源于中日两国文化背景的不同,以及语言表达方式的差异。
再比如“走马观花”这个成语,在中文中表示“粗略地观察事物”,而在日语中则表示“观光,游览”。
以上例子仅供参考,建议查阅专业书籍或者咨询专业人士,获取更全面准确的信息。
中日同形异义词举例一、词汇意义不同1.家族:在中文中,“家族”通常指的是一个具有血缘关系的团体,而在日语中,“家族”则更偏向于指一个家庭,包括父母和子女等。
2.怪我:在中文中,“怪我”通常表示“怪我不好”的意思,而在日语中,“怪我”则表示“受伤”的意思。
二、词性不同1.汽车:在中文中,“汽车”是名词,而在日语中,“汽车”是动词,表示驾驶汽车的意思。
三、表达方式不同1.丈夫:在中文中,“丈夫”是指已婚男子的配偶,而在日语中,“丈夫”则表示结实、健壮的意思。
2.障子:在中文中,“障子”通常表示屏障、障碍物的意思,而在日语中,“障子”则表示推拉门、滑动门的意思。
四、文化背景不同1.茶道:在中文中,“茶道”是指一种以茶为主题的文化活动,而在日语中,“茶道”则是一种修身养性的仪式活动。
2.切手:在中文中,“切手”通常表示割破手的意思,而在日语中,“切手”则表示邮票的意思。
五、语言习惯不同1.病院:在中文中,“病院”通常是指医院的意思,而在日语中,“病院”则是指诊所以及小型医疗机构的意思。
2.风邪:在中文中,“风邪”通常表示感冒的意思,而在日语中,“风邪”则表示伤风、感冒的意思。
六、历史背景不同1.武士:在中文中,“武士”通常是指日本的武士阶层,而在日语中,“武士”则表示武艺高强的人。
2.浪人:在中文中,“浪人”通常是指流浪者或者无业游民的意思,而在日语中,“浪人”则表示没有考上武家的科举考试的人。
七、使用频率不同1.学生:在中文中,“学生”是常用的词汇之一,使用频率较高,而在日语中,“学生”的使用频率相对较低。
2.先生:在中文中,“先生”通常用来称呼老师或者有学问的人,而在日语中,“先生”则用来称呼医生或者律师等职业的人。
八、社会现象不同1.美容院:在中文中,“美容院”通常是指提供美容服务的机构,而在日语中,“美容院”则是指提供美发服务的机构。
2.株主权者:在中文中,“株主权者”通常是指公司的股东和高管人员,而在日语中,“株主权者”则是指公司的所有者和管理者。
中日同形異義語についての分析周娜娜目次要旨キーワードはじめに中日同形異義語の比較基準決定Ⅰ. 語義についての分析Ⅰ.1 語義の虚実Ⅰ.2 ニュアンスの違いⅠ.3 語義の範囲Ⅰ.4 語義の相違Ⅱ. 用法についての分析Ⅱ.1 組み合わせの違いⅡ.2 使い方の違いⅡ.3 言語習慣の違いⅢ品詞についての分析Ⅳ色彩についての分析Ⅳ.1 文体の違いⅣ.2 褒貶色彩の違いⅣ.3 語感の強弱の違いⅣ.4 男女用語の違い終わりに参考文献要旨日本の漢字は中国から伝わったものであるから、当然中国語との繋がりが深い、しかし、そのつながりの深さは中国人が日本語を学習するのに便利さをもたらすと同時に、不便さも生じさせている。
そこで、中日両国の漢字を対比することによって、そうした言語学習の上での便利さ、不便さを確認したい。
中国語を母語として日本語を学習する人を対象に、中日同形語の意味及び用法上の微妙な差異を整理すると、まず、語義、用法、品詞と色彩の四つの面に要約でき、それはさらにいくつかのポイントに細分できる。
この視点から中日両国語の同形異義語を比較し、中国人の日本語学習者に同形異義語を正しく使ってもらいたい。
その理解をいっそう深めたら、効率よく、日本語らしい日本語、違和感のない日本語が習得できるようになる。
キーワード:語義、、組み合わせ、文体、語感、男女用語はじめに中国人、日本語学習者が常に、自分の持っている中国語の漢字知識に基づいて、日本語の漢語語彙を理解しようとし、使おうとしているが、中日両国の漢字の中に字体が同じでも、意味が多少異なっているか,或いは全然違いと言う漢字も少なくない。
例えば、「中国人は映画館で喧嘩する」という意味を、日本人は「中国人は映画館で言い争いをする」と思う。
また、「娘」という字を、中国人は「お母さん」という意味に勘違いする。
ある中国の留学生は初めて、日本へ行ったとき、町で「男湯」「女湯」と書かれた建物絵を見つけた。
彼は、日本ではお湯を飲むのに男性と女性と分けられているかと思って、「じゃ、今度は女性のお湯を味わってみよう」と笑い話がある。
こうしたケースは、同じ漢字を使い両国間であることから起こった混乱である。
このような実態は実は両国間の言葉の学習やコミュニケーションに多大の不便さをもたらしている。
このような問題を解決するために、今まで王承云という学者は「同形異義語における中国語と日本語の対照研究―中国語教育の視点から」(人文科教育研究251998年pp.143-152)という作品の中で中国語と日本語の比較基準を次のように決めた。
a.完全に意味の違う場合b.同じ意味を持つが,中国語にはほかの意味がある場合C.同じ意味を持つが,日本語にはほかの意味がある場合d.同じ意味を持つが,それぞれにほかの意味がある場合そのほかに蔡利妮も「小议日汉同形异义词」 (湖南城市学院外语系,湖南益阳413049 第26卷第4期2005年7月湖南城市学院学报)という作品の中で以上のように四つに分けている焦丽珍(忻州师范学院学报第21卷第6期 2005年12月)という雑誌の中で「日本語の漢字に関する一考察」という作品の中で“中日そういっている、中日両国間の同形意義の漢字は、大体2種類に分けられる。
一つは意味が全然違うもの、例えば、「娘、勉強、我慢、怪我」など。
もう一種類は同じような意味を持つが、また違う意味を持つもので、次のように分けられる。
(1)中国で一種の意味しか持たないが、日本で二種以上の意味を持つもの。
「試験、助手、大家」(2)日本で一種の意味しか持たないが、中国で二種以上の意味を持つもの「腐食、出口」など”と書いているそのような分け方は確かに中国人が日本語の学習にある程度役に立ったけど、問題は完全に解決されたとはまだ言えない。
例えば、“科学研究上的重大成果终于诞生了。
"という中国語を日本語に訳すとき、たくさんの人は“化学研究上の重大な成果がついに誕生した”と翻訳する。
“遗传学将给工业、医学以及农业的发展带来深刻的影响。
”という言葉を“遺伝学は工業、医学および農業の発展に深刻な影響を及ばすことになる”という日本語に訳すのも普通だ、以上の二つの例文はただ意味によっての分け方で考えれば、間違っていないと思う、しかし、実は間違っている、なぜなら、“重大、深刻”は同じ漢字の中国語と比べると、意味は同じだが、褒貶色彩は全然違い。
このような問題を起こさないように、西安外国語学院の楊暁鐘と曹珺紅は「中日同形漢語についてー中日「同形同義漢語」についての比較―」の文章で次のように四つ分けている。
Ⅰ. 語義Ⅰ.1 語義の虚実Ⅰ.2 ニュアンスの違いⅠ.3 語義の範囲Ⅰ.4 語義の相違Ⅱ.用法Ⅱ.1 組み合わせⅡ.2 使い方Ⅱ.3 言語習慣Ⅲ品詞Ⅳ色彩Ⅳ.1 文体の違いⅣ.2 褒貶色彩の違いⅣ.3 語感の強弱の違いこのわけ方で中日同形異義語に見られる千差万別な言語現象をすべて統括できるとは思わないが、かなりの部分を統括でき、上のただ意味でのわけ方よりいいと思う、きっと日本語の学習にもっと大きな役を立つ。
以下、いくつかの部分に分けて、日常生活の中に中日漢語の誤用を犯いやすい例を比べながら、典型的な例文の説明などを通して、このわけ方のメリットを検討してゆきたい。
本文Ⅰ語義Ⅰ.1語義の虚実の違い抽象的な事柄に使われるものを「虚」とし、具象的な事柄に使われるものを「実」というように、言葉を分けて考える。
次の例を挙げて説明をする例①〔把握/把握〕把握:⑴にぎりしめること。
手中におさめること。
⑵しっかりと理解すること。
ただ“⑴にぎりしめること。
手中におさめること。
”という意味は中国語の“把握”と同じだが、中国語の“把握”には、物事に対する自信という意味もある。
以前の分け方によって、把握は“d.同じ意味を持つが,それぞれにほかの意味がある場合”に属される、しかし、実は日常生活では日本語の“⑴にぎりしめること。
手中におさめること。
”という意味の“把握”と中国語の同じ意味の“把握”とは語義の虚実が違い。
•司机把握着方向盘/運転手はハンドルを握っている。
•把握一切机会/あらゆる機会をとらえる。
•这件工作 , 我可以试试 , 可没把握/この仕事は私がやってみてもよいが , あまり自信はない。
•把握事情的本質/事の本質を把握する。
·実態を把握する∕掌握实情中国語の“把握”は抽象的にも、具象的にも使えるが、日本語の「把握」は抽象的な事柄にしか使われない。
Ⅰ.2ニュアンスの違い広い意味では、中日同形異議語はどれもニュアンスが違うといえるかもしれないが、ここでは、特に意味的に微妙にニュアンスが違っていて、しかも、ほかの項目に入れがたいものを取り上げて考えることにした。
例②〔高度/高度〕中国語の“高度”は“高度重视”“高度警戒”“高度赞扬”“高度集中”“高度紧张”などのように、よく連用修飾語として感情、心情に関する語を修飾して、その程度が高いことを言う。
これに対して、日本語の“高度”は(たとえ「に」をつけても)連用修飾語として感情、心情に関する語を修飾することはないし、また、「高度」のなかにすでに高い水準、高いレベルというニュアンスが含まれていて、「高度な会話」、「高度な話術」「高度な演技」「高度な技術」「高度な知識」「高度な問題」などということができる。
つまり、日本語と違って、中国語の“高度”には物事の「高いレベル」という意味合いがなく、どちらかというと人間のある心理状態の「程度が強い」のを形容するのに使われるのである。
以下にニュアンスの違い誤用を挙げて説明する○(縁談についての話)她要求太高了。
/彼女は要求が高すぎます。
→彼女は理想が高すぎます。
○(来客に対して)有什么要求请告诉我们。
/何かご要求がおありでしたら、どうぞおっしゃってください。
→何かご要望がおありでしたら、どうぞおっしゃってください。
○(学習問題)困难吗?/勉強に何か困難がありますか。
→勉強に何か困ってることがありますか。
Ⅰ.3語義の範囲の違いたとえば“爱情”「愛情」という同形語についてみると、日本語では、「母校への愛情」とか「仕事に愛情を持つ」というような言い方をするが、中国語では、“对母校的爱情”“对工作持有爱情”というと、どうも滑稽に聞こえ、中国語らしくない。
なぜかというと、中国語の“爱情”はさまざまな「愛情」の中でも、特に異性間の「愛情」だけを指しているからである、だから、“母校”や、“工作”などには使えないわけだ。
これは「広義」と「狭義」のちがいで、語義の範囲が違うのである。
このように、日中同形語のあいだで。
語義の範囲が違うものはかなりある。
例⑤〔新鮮/新鲜〕日中両国語では、語義の範囲が違い、意味が重なる部分と重ならない部分がある。
意味が重なる部分としては、魚や肉、野菜、果物など。
食品が新しさ、鮮度を保っていることを表す場合と、空気などがフレッシュでうまいことを示す場合である。
たとえば、“新鲜水果”(新鮮な果物)“新鲜蔬菜”(新鮮な野菜)“新鲜鱼”(新鮮な魚)“新鲜鸡蛋”(新鮮なたまご)“新鲜空气”(新鮮な空気)というように、同じように使われる。
日中両国語で意味が重ならない部分はつぎの通りである。
中国語の“新鲜”には、珍しいという意味があり、“这已经不是什么新鲜事了”(こういうことはもう何も珍しいことではない)“电视机在我们村已经不是什么新鲜东西了”(テレビは、わが村ではもう珍しいものではなくなった)“大家都去看新鲜”(珍しいので、みんな見にきた)“尝新鲜”(珍しいもの、高価なものを食べる/初物を食べる)というように使われるが、日本語の新鮮にはそういう意味や使い方がない。
逆に日本語の「新鮮」は抽象的な物事、特に「作品」や「感覚」「認識」などと結合して、「この作品には新鮮味がある」「この画には新鮮さが欠けている」「新鮮な感覚」「新鮮な喜び」「新鮮な魅力」「新鮮な発想」というように、新しくて生き生きしているさまを表すことができるが、中国語では、このような比喩的な使い方がない?。
例⑥〔明朗/明朗〕「明るい」という原義では日中両国語では一致しているが、意味範囲がそれぞれ違う。
中国語の“明朗”は“明朗的月光”“明朗的光”“明朗的天空”“明朗的教室というように、光が十分で明るいという意味に使われるが、日本語の「明朗」には、そういう意味と使い方がない、また、中国語の“明朗”にはただ単に光線が十分で明るいというだけでなく、そのことが好ましいというニュアンスを持っている。
しかし、日本語の「明朗」は上述の中国語の“明朗”と違って、「明朗な月の光」「明朗な光線」、「明朗な空」、「明朗な教室」などとは絶対言わない、そのかわり、性格が明るく朗らかだということ、気持ち、性格が明るくて楽しげだという意味の「明るい」には、日本語で「明朗」がよく使われる。