日本人の美意识
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《日本的八个审美意识》读书笔记简介:《日本的八个审美意识》是建筑名家黑川雅之的日本审美文化集,是探究中日同源的审美意识,解读日本文化的精神底色,深刻凝炼东方美学,理解东西方差异不可不读的经典之作。
面对扑面而来的近代西方思想和美学理论,作者立足东方美学价值观,以“微、并、气、间、秘、素、假、破”八个汉字为切入点,从建筑、设计、能乐、绘画、器物、服饰、文学、社会文化、人与自然的关系等方面,深刻挖掘深受中国传统审美观念影响的日本审美意识。
审美意识是日本文化的精神底色,理解了审美意识,就理解了日本文化背后的隐秘逻辑,及其在现代美学功能意义上的合理性。
关键词:审美意识、美学、设计、日本文化内容亮点:1.秩序感与谐和共生有什么联系?2.如何用留白来驱动观众的想象?3.为什么日本之美的根基在于尊重自然?本期推荐书籍:书名:《日本的八个审美意识》作者:[日] 黑川雅之出版社:河北美术出版社说起日本的艺术设计风格,很多人的固有印象应该都是:简约。
不论是无印良品还是优衣库,走的都是简洁风。
但这个简约还真不简单,其背后深刻的内涵与历史传承,正是这本书试图说明与澄清的,也帮助我们从另一个角度,了解日本的国民性。
黑川雅之,作为日本知名的建筑与工业设计师,被称为日本唯一的艺术学博士,成功地将东西方审美理念融为一体。
他虽然接受了西方的建筑学教育,但最迷恋的仍然是日本传统文化中蕴含的美学思想。
他坚信日本本身的美感更具感染力,他也希望在日本快速西化的今天,日本独特的审美意识能够受到重视。
而日本的审美价值观,是原始情感被推演、转化为智慧意识的美学总结,其核心在于日本人对自然的无比敬畏,对秩序的无比迷恋。
黑川雅之将日本的审美意识概括为八个字:微、并、气、间、秘、素、假、破。
通过这八个字为切入点我们可以挖掘到深受中国传统审美观念影响的日本审美意识以及东西方文化差异。
今天,我们就为大家解读黑川雅之的这本书《日本的八个审美意识》,从三个方面来详细解读日本人的八个审美意识,以及这其中反映的文化内涵,透过此书,我们能洞悉日本那些精致的产品简约设计背后的文化基因和日本人的国民性。
日本文化中的“不完美”美学意识□孙玉婷李美花/文在日本文化中,存在着许多因其独特的民族性和社会性而产生的特有的审美意识。
日本文化中有“余白”之美、“悲剧”之美、“間”之美等审美意识。
这三种审美蕴含在日本文化对于不完美的美学的追求之中。
日本水户学开山鼻祖德川光圀曾留下一句警世之言:「九分は足らず十分はこぼると知るべし」。
这句话的意思是:“如果认为(一件事)做到九分还不够,想要追求十分满,(水)就会溢出来。
人有欲望是没有办法的,但无止境地追求是很危险的。
”日本哲学家贝原益轩在其著作《大和俗训》中也引用儒家名言这样说:“即使人有七情,也应(让行为)受到礼义的约束。
这就是古人所说的‘发乎情止乎礼’。
”由此可见,由于受到中国的儒家文化的影响,日本文化中同样存在着对不圆满事物的追求。
这种追求在日本传统文化中表现得尤为明显,是一种追求“不完美”的美学意识[1]。
本文的目的,旨在通过对日本传统艺术中所表现的“余白”之美、日本传说中所表现的“悲剧”之美和日本对话中所表现的“間”之美这三个部分的研究,运用实例分析,帮助读者透彻理解其内涵,从而对日本文化中“不完美”的美学意识有更深入的了解。
1“余白”之美日语词典『デジタル大辞泉』将“余白”解释为“在写有字和画等的版面上,什么也没写,留白的部分”。
实际上,在日本传统艺术中经常能够发现“余白”这一艺术表现形式。
不过,这里的“余白”并非毫无意义。
相反,“余白”根据不同的艺术创作,是一种具有不同意义和特色的日式审美。
1.1 绘画艺术中的“余白”江户时代,日本绘画史上两大著名流派之一,土佐派的画师土佐光起在《本朝画法大传》这本绘画著作中这样说道:「白紙も模様のうちなれば心にてふさぐべし(白纸上如果没有花纹,就用心去填补)」。
这句话解释了为什么在许多日本画中,许多画只有其主体事物,而没有对于环境和周边事物的描绘。
而在中国美学理念中亦有“疏可走马,密不透风”的说法。
意思是(在书法和绘画中)疏空处可以在那里纵马奔腾,密集的地方就连风也吹不进来。
日本人の美意識
日本の「美の壺」を見て後、日本人の独特の美意識を知ています。
日本人の美意識は常に自然との一体感と仏教の考えが流れている。
中国の文化の影響で、自分の文化が作り上げました。
「わび」と「さび」は代表的な美意識だった。
「わび」は茶道の中で生まれたの美意識です。
人間にとって、豊かと静かな心があるのは必要だと言われている。
「さび」は俳句の世界に言われた美意識で、静かな孤高の心境です。
しかも、日本人は「小さな美」が大好きです。
例えば、幕の内弁当や、盆栽や、枯山水や、いろいろなことがあります。
幕の内弁当は小さな俵形に握って胡麻をかけた飯と卵焼き・かまぼこ・焼き魚・漬物などのおかずを詰め合わせた弁当です。
様々なおかずが少し飾りよく入っているものですが、全体として調和して、「小さな美」が含みます。
そしては盆栽です。
盆栽は植木鉢に小型の木などを植え、その趣を観賞するもの。
大自然の美しさを小さな陶器に凝縮するの楽しむは、「小さなもの」に美しさを見出す日本人が分かっている。
最後は枯山水です。
枯山水は石・砂子などにより山水の表現する庭園様式です。
北宋画、特に破墨山水などの影響を受け、完成された。
盆栽を似て、自然の美しさが庭園で表現するものだ。
こんな「小さな美」という美意識は、今日本社会で色々な品物を体現できるそうだ。
総じて言えば、日本人の美意識はとても特別です。
多分の趣向は私たちが理解できない雅趣でしょう。
日本人的美意识:日本人的美意识研究开始于明治时期,美学引入日本之后,就有西周的《美妙学说》在西方与日本审美特质的比较中阐释日本及东方美学的特质,强调东方的绘画和书法的审美价值。
西周第一次倡导将书法作为审美对象来进行研究。
以后的费诺罗莎、冈仓天心、大西祝、高山林次郎、岛村瀧太郎、大塚保治、大西克礼、植田寿藏、九鬼周造都对日本的审美意识作出了独到才阐释。
费诺罗莎从日本的古美术入手,在《美术真说》中分析日本美术中蕴含的审美意识;冈仓天心的《茶之书》从日本茶道的种类、茶具、茶室、艺术鉴赏等方面,阐释茶道中的审美意识;大西克礼《东洋的艺术精神》、《幽玄与あわれ》《风雅论——“寂”的研究》从审美范畴的角度,认为日本的审美意识着眼于自然,着眼于“诗”的艺术,关注歌舞伎、音乐、园林、茶道、花道等具体的艺术样式,以体悟其中的美感。
植田寿藏的《日本的美的逻辑》则从法隆寺的百济观音、干漆十一面观音、中宫寺的弥勒菩萨、不动明王、禅的笔画等方面,飞鸟时代的艺术创作,分析日本艺术的审美意识与中国文化之间的关系,从中凸显日本的特质。
九鬼周造的《いきの構造》分析日本特有的“いき”(粹)的结构,将诗、语言、浮世绘、歌舞伎、净琉璃、图案设计—染整等作为研究的对象,强调““いき”(粹)的民族审美意识与色彩。
九鬼周造是海德格尔和柏格森的学生,在审美意识的研究方面深受大师的影响。
竹内敏雄、今道友信、佐佐木健一、神林恒道、西村清和、小田部胤久、多田倒太郎等都从不同视角、不同的艺术形式来研究日本的审美意识。
主要的成果有竹内敏雄的《美学》;今道友信的《讲座美学》(五卷本)、《美的相位与艺术》;佐佐木健一的《近代日本的美学与艺术研究》;《神林恒道的《美学事始》、《京都的美学家》;西村清和的《现代艺术哲学》、《语词与形象》;滨下昌宏的《作为主体的美学:近代日本美学研究》以及小田部胤久的大西克礼、和辻哲郎、柳宗悦、鼓常良美学思想的研究等等。
今道友信等人在《美学》第四卷《艺术诸相》中解析音乐、诗学、修辞、演剧、舞蹈、造型艺术(绘画、雕刻)、建筑、电影、设计等具体艺术样式,阐释审美意识的仪式性、层重性、民族性以及其中的创造之美与形而上学审美意识内涵。
广角视野 w id e angle日本人的美意识――物哀李 娜(西安工业大学 710032)【摘 要】日本人的美意识中“物哀”是极其重要且经常被提及的。
本文通过分析“物哀”美意识产生与发展直到被明确提出的过程,阐述了“物哀”的具体含义与在日本文学、文化、生活各方面的表现,论述了“物哀”对日本人的精神世界的巨大影响。
【关键词】日本人;美意识;物哀;精神世界日本人の美意識――物の哀れ日本人の美意識には「物の哀れ」がある。
「物の哀れ」というのは、人生の機微やはかなさなどに触れた時に感ずる、しみじみとした情趣。
日本の音楽が単調な 、舞踊が緩やかな動作、寺院が素朴な様子、画が派手な色彩を避ける……どうしてこうなったのかといえば、これらは全部日本人の「物の哀れ」の美意識からなるのである。
「物の哀れ」は長い期間をかけて、「哀れ」から発展したのである。
奈良時代、平安時代初期、神、民族、国家共同体を追求する中の「誠」意識から「哀れ」が出た。
古代神話、歴史伝説、歌謡などの口承文学からまず「誠」意識が現れ、それを基づいて、「哀れ」という美意識が芽生えた。
「あはれ」は最も「あ」と「はれ」と二つの感嘆語の組み合わせとして、人々が労働、戦闘、信仰、性欲などの衝動で発した喜び或いは悲しみの言葉で、ある本能的な感慨である。
文化がまだ混沌していた時代には、他の文学の表現法がまだ現れていないから、このような感嘆語は「歌」として古代の原始歌謡に現れたのである。
「あはれ」は日本漢字で表現すると、「哀」になる。
字を見ると、哀愁の意味を読み取れる。
正倉院の古書には万葉仮名で書いた例がある。
「春佐米乃 阿波礼」。
これは春雨を見て「哀れ」な気分になって、ある繊細で哀愁な感情の表現である。
「哀れ」は哀愁だけでなく、歓喜の意味にも使われている。
『古語拾遺』には天照大神が現れたとき、空が晴れ渡って、神々が喜び合って、踊りながら、こんな歌を歌った。
「哀 阿那 于茂志吕(あはれ あな おもしろ)」。
日本人の美意識の底には常に自然との一体感と、仏教の諸行無常の考え方が流れている。
しかし、時代の雰囲気によって、、表現される美意識は異なる。
「もののあわれ」日本人が中国文化の影響を消化し、独自の文化、精神を創り上げたのは平安時代とされている。
この時代は「仏教が滅び、暗黒の世界になる」という「末法の世」に当たるとされていたため、支配的だった美意識は「もののあわれ」である。
あらゆる物事の中に、はかなさを見て、心に感動を生じる様子をいい、「源氏物語」を始めとする文学の世界のもそれは色濃く反映されていた。
「わび」と「さび」戦国のヨガ終わり、心の落ち着きを取り戻した時代に、力を得た町人が持った美意識である。
「わび」は茶道の中で生まれた美意識で、おごらず質素な中に、豊かさと静かな大ろを潜めたものである。
千利休を始め茶道の宗匠たちは、一輪の野の花や日常雑器の中に美を見出した。
「サビ」は松尾芭蕉を中心とした俳句の世界で言われた美意識で、静かな孤高の心境を言う、「わび」も「サビ」禅の悟りの境地をバックボーウンに持っている「いき」江戸時代に町人が創り上げた美意識で、気の聞いてセンスの良いことを言う。
「いき」には「貼り·仇·垢抜け」の3条件があるとされ、針とは自分お考えを貫く心、仇は下品いならないコケットリー、垢抜けは人生の表裏に通した軽妙は言える。
幕の内弁当の美意識こうした伝統的な美意識を近代文明と調和させ、現代に花咲かせたものを「幕の内弁当の美意識」といったのが、栄久庵憲司である。
幕の内弁当には、ご飯と煮物焼き物漬物など様々なおかずが少しずつ彩りよく入っている。
一つ一つの素材はごくありふれらものであるが、それらが全体としては長波のトレたびとして、狭い弁当はこの中に美しくきっちり納まっている。
「わび」「さび」そして「いき」の精神に立ち、見た目の美しさ、味という機能でも優れている。
この幕の内弁当の美意識は、世界の市場で人気のあるコンパクトにパッケージされ、デザインも優れたかて電気製品オートバイ自動車アドの製品に生かされ、さらには日本がリードしている大規模回路の極微小の世界の根底にも存在していると言ってよい。
日本人の美意識美意識(びいしき)とは、人が美しいと感じる心の働き。
美しいと感じる対象は個体差が大きく、時代、地域、社会、集団、環境などによっても大きく異なる。
例えば、整然と並ぶものに美を感じるものもいれば、ランダムに並ぶさまに美を感じるものもいる。
左右対称を美しいと感じるものもいれば非対称に美を見出すものもいる。
無調を心地よいと感じるか否かなども美意識に関連している場合がある。
近代以前の日本には、西洋のような一貫した形での思索の集大成としての「美学」は無い。
西欧では華美な装飾や対称の美しさを核とした人工の美をその美意識の中心においているが、日本人の美意識はむしろ自然と対立せず、寺社、庭園に見るように、自然に溶け込むこと、朽ちては再生するプロセスそのものへの馴染み、死をも敵対するものとしては捉えず、侘(わび)、寂(さび),(いき),(無常)に見るように朽ち果てゆくものへの素朴な同調などが基調になっている。
わび侘(わび、侘びとも)とは、動詞「わぶ」の名詞形で、その意味は、形容詞「わびしい」から容易に理解されるように「立派な状態に対する劣った状態」となる。
転じては「粗末な様子」、あるいは「簡素な様子」を意味している。
もっと端的にいえば「貧しい様子」「貧乏」ということになろうか。
本来は良い概念ではなかったが、禅宗の影響などもあってこれが積極的に評価され、美意識の中にとりこまれていった。
茶の湯では「侘」の中に単に粗末であるというだけでなく質的に(美的に)優れたものであることを求めるようになったのである。
この時期、侘びは茶の湯の代名詞としてまだ認知されていない。
ただし宗二は「侘び数寄」を評価しているから、侘び茶人が茶に親しむ境地も評価され、やがて茶の湯の精神を支える支柱として「侘び」は静かに醸成されていったのである。
侘は茶の湯の中で理論化されたが、「わび茶」という言葉が出来るのも江戸時代である。
江戸時代に多くの茶書によって茶道の根本美意識と位置付けられるようになり、侘を「正直につつしみおごらぬ様」と規定する『紹鴎侘びの文』や、「清浄無垢の仏世界」とする『南方録』などの偽書も生み出された。
さび寂(さび、寂びとも)は動詞「さぶ」の名詞形で、本来は時間の経過によって劣化した様子(経年変化)を意味している。
転じて漢字の「寂」が当てられ、人がいなくなって静かな状態を表すようになった。
同様に金属の表面に現れた「さび」には、漢字の「錆」が当てられている。
英語ではpatina(緑青)の美が類似のものとして挙げられ、緑青などが醸し出す雰囲気についてもpatinaと表現される。
本来は良い概念ではなかったが、『徒然草』などには古くなった冊子を味わい深いと見る記述があり、この頃には古びた様子に美を見出す意識が生まれていたことが確認される。
室町時代には特に俳諧の世界で重要視されるようになり、能楽などにも取り入れられて理論化されてゆく。
さらに松尾芭蕉以降の俳句では中心的な美意識となるが、松尾本人が寂について直接語ったり記した記録は非常に少ないとされる。
俳諧での寂とは、特に、古いもの、老人などに共通する特徴のことで、寺田寅彦によれば、古いものの内側からにじみ出てくるような、外装などに関係しない美しさのことだという。
具体的な例で挙げられるのは、コケの生えた石がある。
誰も動かさない石は、日本の風土の中では表面にコケが生え、緑色になる。
日本人はこれを、石の内部から出てくるものに見立てた。
このように古びた様子に美を見出す態度であるため、骨董趣味と関連が深い。
たとえば、イギリスなどの骨董(アンティーク)とは、異なる点もあるものの、共通する面もあるといえる。
寂はより自然そのものの作用に重点がある一方で、西洋の骨董では歴史面に重点があると考えら.いきいきとは、江戸における美意識(美的観念)のひとつであった。
江戸時代後期に、江戸深川の芸者についていったのがはじまりとされる。
身なりや振る舞いが洗練されていて、格好よいと感じられること。
また、人情に通じていること、遊び方を知っていることなどの意味も含む。
反対語は野暮である。
「いき」には、単純美への志向などの日本の美的観念と共通部分もある。
また、これまで海外では「いき」が日本の美学の代表のように捉えられていることもある。
だが、無常などの宗教観念と関連する[わび],[寂び]は難解とされ、日本人でも説明するのは簡単ではない。
また、現在の日本人の日常生活からは、[わび],[寂び]はむしろ遠のきつつあるともいえる。
これに比較して、「いき」は「さっぱり」「すっきり」などという形容が当てはまるように、より親しみやすく、意味は拡大されているが、現在でも広く日常的に使われる。
九鬼周造『「いき」の構造』(1930)では、「いき」という江戸特有の美意識が初めて哲学的に考察された。
九鬼周造は『「いき」の構造』において、いきを「他の言語に全く同義の語句が見られない」ことから日本独自の美意識として位置付けた。
同書中で九鬼周造はいきには必ず異性に対する「媚態」が根本にあり、異性間の緊張がつねに存在している状態がいきの構成要素である「つやっぽさ」や「色気」を作り出すとしている。
また別の面として、いきの要諦には江戸の人々の道徳的理想が色濃く反映されており、それは「いき」のうちの「意気地」に集約される。
いわゆるやせ我慢と反骨精神にそれが表れており、「宵越しの金を持たぬ」と言う気風と誇りが「いき」であるとされた。
九鬼周造はその著書において端的に「理想主義の生んだ『意気地』によって媚態が霊化されていることが『いき』の特色である。
」と述べている。
無常この「無常」を説明するのに、「刹那無常」(念念無常)と「相続無常」の二つの説明の仕方がある。
刹那無常とは、現象は一刹那一瞬に生滅すると言う姿を指し、相続無常とは、人が死んだり、草木が枯れたり、水が蒸発したりするような生滅の過程の姿を見る場合を指して言うと、説明されている。
この無常については、「諸行無常」として三法印?四法印の筆頭に上げられて、仏教の根本的な考え方であるとされている。
なお大乗仏教では、世間の衆生が「常」であると見るのを、まず否定し「無常であるとしてから、仏や涅槃こそ真実の「常住」であると説いた。
これを常楽我浄と言うが、これについては大乗の大般涅槃経に詳しい。
「祇園精舎の鐘の声」で始まる軍記物語『平家物語』、吉田兼好の随筆『徒然草』、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」で始まる鴨長明の『方丈記』など、仏教的無常観を抜きに日本の中世文学を語ることはできない。
単に「花」と言えばサクラのことであり、今なお日本人が桜を愛してやまないのは、そこに常なき様、すなわち無常を感じるからとされる。
「永遠なるもの」を追求し、そこに美を感じ取る西洋人の姿勢に対し、日本人の多くは移ろいゆくものにこそ美を感じる傾向を根強く持っているとされる。
「無常」「無常観」は、中世以来長い間培ってきた日本人の美意識の特徴の一つと言ってよかろう。
もののあわれ万物物事中から知ての無常だったが、心に感动を引用して、「源氏物語」を代表する文学作品が浓厚な物を反映した色をしていた古くから存在しており、また茶道や日本建築、伝統工芸品などを通して、さまざまな形で実践されてきた。
粋は江戸時代後期の文化文政期の町人の間に生まれた美意識である。
建築において、コンクリート打ち放しを美しいと感じるか否かなどは、近年問いかけられたテーマである。
世阿弥が「秘すれば花」と表現したが、日本人には全体的調和を重んじ自己主張を抑制し隠蔽することによって却って受け手の想像力を刺激し、日本人特有の奥深い表現を成しえるといった側面があるように、その国特有の文化、生活、歴史観などに大きく左右される部分が多い。
あるいは、住んでいる環境?自然から受ける影響も大きいと考えられる。
自然と対峙するか、自然と調和するかによって美意識は大きく異なる。
例えば:日本に居住している建物に茶室はたぐいの最も伝统的なスタイルの特徴のある住宅タイプです。
それを追求する一種の趣向にあっさりして、静寂で製作された伝統の禅の精神である。
ここでは、おぼろの画面と、薄暗いの床の間十分の調整を経て、寂しくな陰翳は永久不変の静かな沈殿物やに包まれがありますから、そこにはこの浮世ながら、またはものではありませんしている。
また、歌論、能楽論、画論などの個別の分野での業績はあるものの、孤立した天才の偉業という色彩が濃く、一枚岩の美学ではない。
これらの美意識は、自然と密接に関連しているが、西洋美学は、近代以前はもっぱら「人間」を中心に据えた「芸術」のために発展した。
そのため、日本の美意識は、西洋美学の視点からは、十分に記述説明することができない。
近代以前の日本の事物について、「芸術」という視点を持つ美学から論じると、学問的文脈を無視した議論となり、慎重を期すべきである。
歴史的に見ると、日本神話の天の岩戸の挿話は、民族の危機が歌舞(うたまい)の芸術によって救われたという意味であり、日本民族の歴史に占める比重の大きさを示唆する。
ここにおける理想的人間は「明(あか)き浄(きよ)き直(なお)きこころ」(宣命)という内面の曇りの無いことに結晶し、罪はみそぎと祓いとによって水の果て、風の果てに消散されるとする宗教的呪術的心情には美と清さとがなんらかの形において一致するという美学的思考が胎生している。
日本において美学的思考が初めて意識的に理論化されたのは、古今和歌集』「仮名序」においてである。
紀貫之は「仮名序」で、和歌は純粋な心の結実であるとした(「やまと歌はひとつ心を種としてよろずの言の葉とぞなれりける」。
そして和歌は天地開闢の時から出来したと述べ、和歌に結集する芸術は、「生きとし生けるもの」の生の表現がヒトにおいてその精華を開花させたものであるとした。
そのころ歌風は、「たけ」、「長高様」(崇高あるいは壮美)、「をかし」(趣向の面白さに由来する美)など、美的カテゴリーの細分化がおこなわれ、「和歌十体」として体系化された。
藤原定家によって重んじられた幽玄様、右心体の趣を禅的思想で深めた正徹は、「いかなる事を幽玄体と申すべきやらむこれぞ幽玄体とてさだかに詞にも心にも思ふ斗りいふべきにはあらぬ也」と、名状しがたい悟入の境地と芸術の奥義とが照応していることを指摘した(『正徹物語』)。
ここから芸道の精神が生まれ、演劇論としては、能の世阿弥の『花鏡』の「動十分心動七分身」(心を十分に動かして身を七分目に動かせ)という余情演技、「せぬが所が面白き」という「為手(して)の秘する所」を中心とする能の幽玄論の「かたちなき姿」を尊重する秘伝につながる。