罪恶的三角贸易.ppt
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三角貿易-1イギリス→インド:綿製品 インド→中国:アヘン 中国→イギリス:茶という貿易関係です。
もともとは、重商主義と言うのは、国家の力はその保有する正貨(当時は概ね銀、銀貨)で決まるものであり、それをより多く獲得するというための、保護貿易主義でした。
その効率をよくするための植民地獲得だったわけです。
ところが清との関係では、イギリスは清に輸出すべき有力な物産が無く、一方中国産の茶はイギリスにとっては必須と言ってよい輸入品でした。
このイギリス側の一方的な輸入超過が続くことは、イギリスからの正貨の流出を起こすものでしたので、麻薬であるあゆえにヨーロッパでは合法的に生産できないアヘンをインドで生産し、これを中国に輸出したわけです。
その交易でインドに集まる中国の正貨は、綿織物のイギリスからインドへの輸出を通じてイギリスに回収される仕組みでした。
つまりインドを触媒として、茶貿易によるイギリスの輸入超過を、アヘン貿易による輸出超過に転換するための貿易であったわけです。
三角貿易-2三角貿易とは三角貿易は、二国間で行われていた貿易のどちらかが長期的に赤字状態が続いた場合、それを是正するために第三国を取り入れることで行われる貿易のことです。
イギリスの対中貿易イギリスの東インド会社は18世紀後半に、対中貿易をほぼ独占し、莫大な利益をあげていました。
ところが、1780年代からイギリスで紅茶を飲む習慣が爆発的に広まり、国民的飲料になっていきます。
この時代以降、イギリスは中国から多くの茶葉を輸入する必要が生まれ、購入の対価であるイギリス国内の銀が、急速に中国国内に流入するようになりました。
イギリスは、中国との二国間貿易で、大幅な赤字貿易をせざるを得ない状況になったのです。
産業革命とインド一方、イギリスでは18世紀以降、産業革命という大きな転換点を迎えます。
様々な技術革新により、社会構造が劇的に変化しました。
この産業革命は、安価な機械製綿織物の大量生産を可能にし、インドに大量の機械製綿織物が流入しました。