作文 私と日本语
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日本語作文お誕生日私の誕生日は4月23日です。
今年の誕生日で私は30歳になりました。
私はその日、友達と一緒に誕生日バーティーをする支度をしました。
まず、カフェをかりきりました。
そしてそこをきれいにかざりました。
バースデーケーキにろうそくを21本たてました。
それから私が好きな紺色のワンバースをきました。
5時からバーティーを始めました。
友達が沢山来てくれました。
そしてみんな私に「おめでとう!」と言ってくれました。
私がケーキに立ててあるろうそくの火を消す時,シャンベンの栓をぬいてくれました。
そして,人形や香水や絵など,いろいろなブレゼントをくれました。
それから歌をういながらビールを飲んだりスケーキを食べたり,ゲームをしたりして過ごしました。
自己紹介私は中国から来た「僕の夢」です。
今島根にある寮に住んでいます。
外国人は私一人です。
ですから,はじめの頃は言葉や食事のことなどでとても苦労しました。
お風呂に入る時も恥ずかしくて嫌でした。
でも,今はもうすっかり寮の生活にも慣れて,みんなと仲良くなりました。
私は料理が得意なので,休みの日は,寮の友達にご馳走します。
すると,みんなとても喜んでくれます。
私は好奇心が強くいろいろなことを体験してみたいと,いつも思っています。
それで,以前から興味のあった日本へ来たのです。
今熱中していることは生花です。
次は,お茶をやってみたいと思っています。
日本へ来る前は,病気に勤めていました。
日本語の勉強が終わって帰国したら,日本語や日本で学んだ事をどんどん仕事に生かしたいと思っています。
私は住んでいる部屋日本は土地の値段が非常に高い。
そのため,家を建てるにも部屋を借りるにも,かなり費用がかかる。
私が今住んでいる部屋も,私の国と比べると,かなり高い。
6畳の部屋に2畳くらいの台所トイレが付いて3万円である。
風呂付きの部屋が欲しかったが。
高すぎて借りることができなかった。
今でも少し残念に思っているが,仕方がない。
商务日语毕业生自我介绍2篇商务日语毕业生自我介绍1我叫__,今年20岁,是一个大学生。
私、__ともします。
今年は20歳の大学生です。
我喜欢蓝色。
我性格活泼开朗。
青色が好きで、性格が明るいと思います。
平时喜欢听音乐,唱歌。
在空余的时候也会看小说。
普通、音楽を聴き、歌を歌って、暇のとき、小说を読むこともあるんです。
我学习日语1年了。
もう一年日本语を勉强しているんです。
我很喜欢日语也很喜欢日本漫画。
日本语が大好きで、日本の漫画にも趣味をもっています。
希望有一天我能看懂日语的漫画。
我会继续努力学习日语的。
ある日漫画を読めるため、それからもしっかり日本语を勉强していくつもりなんです。
我喜欢蓝色。
私は青色が好きです。
我性格活泼开朗。
私の性格は明るいです。
平时喜欢听音乐,唱歌。
平日音楽を闻くこと、歌を歌うことが好きです在空余的时候也会看小说。
暇の时は小说も読みます。
我学习日语1年了。
私は1年日本语を勉强しました。
我很喜欢日语也很喜欢日本漫画。
私は日本语と日本の漫画が大好きです。
希望有一天我能看懂日语的漫画。
ある日私が日本语の漫画が読めることを望みます。
我会继续努力学习日语的。
私はこれからずつ日本语を勉强していきます。
我叫__,今年20岁,是一个大学生。
__と申します。
今年は20歳で、大学生です。
我喜欢蓝色。
我性格活泼开朗。
青色が好きで、明るい性格です。
平时喜欢听音乐,唱歌。
在空余的时候也会看小说。
普通、音楽と歌などが好きです。
暇のとき、小说をも読みます。
我学习日语1年了。
もう日本语を一年间ほど勉强しています。
我很喜欢日语也很喜欢日本漫画。
日本语が大好きで、日本の漫画にも大変趣味をもっています。
希望有一天我能看懂日语的漫画。
我会继续努力学习日语的。
日本语の漫画が読める日を望んでいます。
続いて日本语の勉强にがんばるつもりでいます。
说明:1.上述各句子中的主语“我”,在日语的日常口语中通常是被省略的。
2.“喜欢听音乐、唱歌。
私と日本語
初級中学の時代から、日本のアニメに惚れています。
大学入学試験に不合格にしてしまいました。
その時、大学に行かなくって、仕事をしようと考えました。
いろいろと迷ったあげく、やはり大学生になることにしました。
それから、大学に入って、ビジネス日本語学科の学生になりました。
最初、日本語に興味がありました。
でも、日本語はとても難しくて、興味がどんどん消えました。
一緒に勉強している同級生は日本語がぺらぺらでした。
そして、去年、私は日本語能力試験が不合格にしてしまいました。
他の人の大部分は合格しました。
恥ずかしいですね。
その時、先生は「今から卒業まで、数ヶ月の時間がある、静かに頑張って、まだ間に合う」と励ましました。
それから、私は頑張ってぜひ日本語が上手に話せるようになりたいと思うようになりました。
そして、自分の目標に日本語の勉強を始めました。
今は日本語を勉強すればするほど好きになりました。
日本語のレベルは以前より少し上達したと思います。
でも、今の私は浅すぎます。
まだまだ理想には遠いです。
これからも、もっともっと勉強しなくてだめだと思います。
将来、通訳として働けるように日本に行けるチャンスがあったら、ぜひ日本の桜と紅葉を見てみたいです。
夢が叶うかどうか、分かりませんが、きっと叶うと信じて、これからも勉強に励みたいと思います。
ここにいる皆さんも自分の夢が叶うように一緒に頑張りましょう。
10 私の尊敬する人私が尊敬する人、それは妻だ。
尊敬すると言うよりも、すごいと思っている。
何がすごいかと言えば、稼ぎの悪い日本語教師の私と息子の生活を、文句も言わずに、20年以上も支え続けてくれてきたし、精神障害者の社回複帰を助ける作業所の所長としてもがんばっていることだ。
仕事と家庭と、僕が逆の立場だったとしたら、とてもやれなかったと思う。
また妻は息子や私のことを先に考え、自分のことはいつも後回しにする息子や私の服を買ってきても、自分の物はほとんど買わない。
確かに、「あなたは好きなことばっかりして、大変なことは全部私に押し付けている」と、不満を爆発させることもある。
そんなときは火山の噴火が収まるのを待つのが一番だ。
そんな妻が最近こんなことを言った。
「あなたは私が死ぬまで面等を見てから、死ぬなきゃだめよ。
私に恩返ししてくれなきゃね」私が尊敬する人は松下幸之助です。
幸之助は9歳で大阪に丁稚奉公に出され、22歳で会社を興し、世界の松下電器を創り上げた人です。
幸之助は、後に「私が丁稚時代に学んだことは、お客への『おおきに』という気持ちだった」と述べていますが、このお客様第一の姿勢を一生崩しませんでした。
また日本型経営の生みの親であり、社員を大切にし、不況でも社員を首にせず、自ら工場に泊り込んで、汗にまみれながら働き、危機を乗り切ったような人です。
幸之助は、「経営の神さま」と言われるほどの人ですから、とても学び尽くせません。
しかし、来年60歳を迎える私が、今も励まされ続けているのは、幸之助の次の言葉なのです。
「青春とは心の若さである。
信念と希望に溢れ、勇気に満ちて、日に新たな活動を続けるなら、青春は永遠にその人のものである」1.~ず(に)◆兄は朝ごはんも食べずに会社に出かけた。
◆私を助けてくれたその男性は、名前も告げず、立ち去った。
◆勉強もせずに遊んでばかりいると、今年も浪人するよ。
2.~てくれる◆先生は、私の悩みを聞いてくれました。
私の梦かつて、ナポレオンが「将军になる考えがない兵士はいい兵士じゃない」と言いました。
そのとおり、梦がない人生は人生ではありません。
子供の时から、亲や先生や友达などいろいろな人が「あなたの梦はなんですが」と闻きました。
理の当然で、人々がさめざまの梦想を持っています。
私も梦がたくさんあります。
小学生制になった时、クラス担任はとても优しくて、若い女性でした。
みんなだいすきでした。
彼女は数学を教えてくださったので、私は一生悬命顽张りました。
长い时间を使って、ひとつの难问に回答した後の気持ちはとても高扬していました。
心から数学の教师にならたいと思いました。
両亲も喜んで応援してくれました。
12歳、中学校に入りました。
その顷田舎の家の近くで伝统的な芝居がはやっていました.祖母も好きで、周末一绪に见に行きました。
そして、私はだんだん、その芝居に梦中になりました。
时々、真似たり、一人で歌ったりしました。
何时でも。
何処でも、音楽が闻こえると、特别な感铭がありました。
いつの间にか、俳优になりたいという考えが出てきました。
私は音痴ですから、両亲に知らせると、「白昼梦を见るじゃないよ」と言われました。
今思えば、当时は思春期だったからなのか、悲しいことに自分の考えに固执しました。
时间がはやくたちました。
瞬く间にもう大学生になりました。
今、専门が日本语の私はまた一つの梦があります。
その梦とは外资企业に勤めることです。
通訳でも翻訳でもいい出です。
そうすると「将来はなにをする?数学を教える?それに俳优になる?あゆいわ日本语に関して仕事をやる?」といろいろな问题が思い出されました。
あれこれと思いを巡らすと、难しいですね。
答えはなかなか出てきませんでした。
ところが、そんな梦がたくさんあるので、生活が面白い、目标に向かってまい进する力が强いです。
梦は多ければ多いほど実现する机会も増えると思います。
一つの梦が破れても、また别の梦を追うチャンスがあるからです。
日语作文范文 18 篇1.「私が住んでいる部屋」日本は土地の値段が非常に高い。
そのため、家を建てるにも部屋を借りるにも、かなり费用がかかる。
私がいま住んでいる部屋も、私の国と比べると、かなり高い。
6 畳の部屋に 2 畳くらいの台所トイレが付いて 3 万円である。
风吕付きの部屋がほしかったが、高すぎて借りることができなかった。
今でも少し残念に思っているが、しかたがない。
风吕は近くの銭汤で我慢している。
だが、私の部屋は二阶の南向きで日当たりがよく、また、向かいは公园なので、环境はとてもいい。
地下鉄の駅は歩いて 10 分位である。
学校にも 40 分位で行けるので、だいたい満足している。
2.「私の国の季节」日本では 1 年は 3 か月ずつ四つの季节に分かれています。
1 年を通じて気候は温暖で暑さ寒さもあまりきびしくありません。
山脉【さんみゃく】が本州を縦【じゅう】に走っているので太平洋侧(表日本)と日本海侧(裏日本)では気候の差が大きいです。
表日本では、夏はむし暑く、冬は湿気が少なくて晴天が多いです。
裏日本では冬は雪がたくさん降ります。
いわゆる雪国では雪が 4 ~5 メートルもつもることがあるそうです。
北海道を除く各地は 6 月上旬【じょうじゅん】から 7 月中旬【ちゅうじゅん】にかけて高温.多湿のシーズンになります。
8 月から10 月にかけては日本列岛【れっとう】の南西部は台风の影响を受けることが少なくありません。
京都のような盆地【ぼんち】では降雨量は少ないですが、気温の上下【うえした】差が大きく、夏は暑く冬は寒いです。
日本の大部分の地方で最もよい季节は春と秋です。
桜の美しい 4 月や绿の美しい 5 月は海外の観光客も多く、また 10 月顷の红叶も魅力的【みりょくてき】です。
3.「アルバイト」「アルバイト」はもともとドイツ语で「仕事」という意味であるが、日本では 40 年ほど前から、学生の副业の意味として使われるようになった。
作文(中日对照)小学生だったとき、私は作文が好きなほうだったが、あまり上手ではなかった。
自分の書いた文章に自信が持てなかった。
それは一つには、日本語の規範(きはん)があいまいで、少なくとも一筋縄では捉えられぬものだと、子供心にも直感的に感じられたからである。
実際に、句読点のつけ方一つにしても、人によってまちまちで、どうつけるのが正しいのか、いつも迷っていた記憶がある?句読点は、各個人に固有のリズムや読み下し方によって異なる物であり、異なっていて構わないのだと悟るようになったのは、英語というものを知って、基本的な文構造が客観的に分り、この客観的な理解から、主語の省略や主述転倒等が自由自在に行われている日本語の文章を半無意識に書いていたそれまでの態度が完全に意識化され、普通的な文構造の基本を踏まえた上で敢えて日本語特有な一種曖昧で無礙(なげ)な文章をいくらか書けるようになってからのことだった?このように、私が日本語の文章を書くのに“抵抗”を感じないようになったのは、中学に入って英語を学び、その基本を一応マスターしてからのことだったわけだが、何事によらず、自分を知るには他人を知らねばならぬという原理がここでも働いていたのである。
自国語をよく知るには外国語を知る必要がある、ということなのだが、はっきりした規範や統一原理がつかめないと行動できず、気質的にも本能的、感情的であるよりは知的であった私の場合には、この原理がことさら強く作用していたのであろう?従って、このことは、特に私の場合に当てはまることで、他の人にはそのままでは当てはまらない事かもしれないが、あるいは程度は誰にも適用できる事だと私は思っている。
日本語しか知らない人の文章と、外国語を一カ国語でもよく知っている人の日本文とでは、特に文章の論理的なまとめ方という点で、一目瞭然の違いがあることは誰でもお気づきであろう。
单词注释1、捉えられぬ/不能把握,领会不了2、リズム/节奏3、一筋縄/用普通的办法,不动脑筋4、無礙/若无其事的,漫不经心的5、マスター/掌握,理解6、ことさら/特别,尤其7、はまる/正合适,正好嵌入8、一目瞭然(いちもくりょうぜん)/一目了然译文作文小学时,我非常喜欢写作文,但是怎么也写不好。
名前:胡佳君番号:2008212539私と日本語の縁のこと「なぜ日本語の専攻を選んだの?君、以前日本のことについて趣味はぜんぜんないでしょう?」って、私はいつもそのような質問を友達に聞かれます。
よく考えて見ると、高校を卒業して大学と専門を選ぶときに、もともと経済だけ選びました、でもその専門には実は二つの専門が含まれました。
大学に入って、専攻を学びはじめは苦しかった、平仮名と片仮名は発音が難しくて、書き方もおかしく思えました。
ときどき、単語を見ると、例えば「つむ」という単語で、私はぜったい五十音図を前の「か」から暗記してから、この「つむ」の発音ができました。
そのとき、「日本語の仮名が難しいなあ、わたし、ちゃんと覚えられない」と思って、ときどき「どうして私はいったい何のために日本語を学んだの?」なんてことで、考え込んでしまうこともあります。
ある日,聴解の授業で王先生は「時の流れに身を任せ」という日本語の歌を私たちに聞かされて,そのときあることを思いました。
あれは高校三年生のとき、卒業する前に、いい友達は私に「ねえ、《我只在乎你》はほんとにいい歌ですよ、ちゃんと聞いてください」と言いました、わたしは「うん」と答えて、きっとよ、わたしのために」。
わたし、いつもよくお覚えていたが、でも卒業後、そのことを忘れてしまいました。
あの日ははじめてこの歌を聞いて、日本語のですが、リズムは中国のと同じく、感動しました。
そのとき、「これは縁のおかげですか、日本語を学んで、この歌を思い出す、それは、彼女の希望ですか」と思わず考えました。
そのあと、私も彼女とその歌を好きな人と友達になっています。
日本語もだんだん好きになってきました。
今年の初雪を見ると、中島美嘉さんの「雪の華」を思い出して、中国語の《飘雪》と同じ、リズムの歌です。
よく考えて見ると、中国と日本の歌の中には、同じリズムで違う言語で歌ったのはいろいろあります。
今まで、いつもわたしはなぜ日本語を学ぶかについて考える時に、若しかしたら高校時代の友達のおかげで、それで、同じ趣味を持つ人々と友達になれるだろうっと考えます。
求200字日语作文:我和日语
私は日本语を専攻に勉强していますがその理由を简単に说明させ
ていただきます。
中国と日本は一衣帯水の隣邦として、古くから交流を始めました。
最初のころは、日本からの遣隋使、遣唐使が来まして、中国文化や中国の生活习惯などを勉强していました。
それらの文化や习惯などが日本に伝わって、日本文化や日本人の生活习惯には大きい影响を与えました。
日本もそれによって大きく変化し、进歩しました。
时代がかわって、今の日本は中国より、技术的に言えば先进していると思います。
ですから、私は日本语を勉强して、日本の技术を身につけたいと思っています。
そればかりではなく、中日友好にも微力ながらも、私の力を添えたいと思っています。
中文意思:我选择了学习日语,请允许我简单介绍一下我学习日语的原因。
中国和日本是一衣带水的邻邦,自古以来就有友好的交流历史。
最初的时候,日本的遣隋使、遣唐使来到中国,学习中国文化和习惯,然后将学到的这些东西传到了日本。
给日本文化、日本人的生活习惯等带来了深远的影响。
日本也因此而发生很大变化,取得很大进步。
但是随着时代的变迁,当今的日本在技术上远比中国先进。
我想通过学习日语,逐渐掌握日本技术。
同时,为中日友好出一份力!
1。
私と日本上海から二時間半ぐらい経て、飛行機は成田空港に着陸しました。
機内から出て、目に入ってくる案内看板や到着便の情報を知らせる電子ディスプレーなどがみな漢字で表示していました。
周りをさっと見回すと、自分と同じような肌の色を持っている人たちばかりでした。
どうも外国へ来たような実感がなかったこの親しい国――日本に、私はまた来ました。
初めて日本に来たのは2004年の9月でした。
その時は勤めていた中国の日系会社の研修生として名古屋にある本社に派遣されたのです。
仕事の合間に、日本人の友達に名古屋城を案内してもらいました。
遊びのつもりで行きましたが、見学しているうちに、日本の歴史にところどころに中国の姿が見えることに気がつきました。
日本の対して自分の認識や知識がまだまだ浅いことを痛感しながら、私は「もっと日本のことを知りたい」と心の中でつぶやきました。
今年の2月に、大学院の入試に受かった間もなく、偶然のチャンスで私は日本科学協会の招聘で日本知識クイズ大会訪日団の一員として再びの来日を実現させました。
2年余前の社会人気分とちょっと違って、もっと新鮮な目で日本を見てみました。
沖縄の青々とした海、京都の至るところに漂っている歴史的な匂い、東京の国際的大都市のにぎやかさ。
私にとっては何れも新鮮で感動的でした。
が、一番私の胸を強く打ったのはその時東京の街を案内してくれた日本の大学生たちでした。
みんなは明るくて、中国のことについても何でも興味深いです。
そして、その一人が話した言葉はまだはっきりと私の記憶に残っています。
「私は日本の素晴らしさを中国人に知らせたい、また中国の素晴らしさを共有したい」と。
彼女の素直に輝いている目を見て、私の心にふと光を与えたような気がします。
私の友達には、日本語を勉強することに対してなかなか理解してくれない人がいます。
「日本って国、どこがいい?日本語勉強するなんて、愛国心捨てたんじゃないか。