日本语作文文例
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日语口语作文万能模板范文英文回答:Introduction:Japanese is a beautiful and complex language, and speaking it fluently can be a great asset. However, learning to speak Japanese well takes time and effort. For those who are just starting out, it can be helpful to have a few templates to help them get started.Body:One of the most basic Japanese conversation templates is the "self-introduction." This template can be used to introduce yourself to someone new, or to practice speaking Japanese with a friend.Self-Introduction Template:Hajimemashite. Watashi wa [あなたの名前] desu. (Nice to meet you. My name is [your name].)。
[あなたの出身地] kara kimashita. (I come from [your hometown].)。
[あなたの職業] desu. (I am a [your profession].)。
Yoroshiku onegai shimasu. (Please take care of me.)。
Here is an example of how to use this template:English: Nice to meet you. My name is John Smith. I come from New York. I am a teacher. Please take care of me.Japanese: Hajimemashite. Watashi wa John Smith desu. New York kara kimashita. Sensei desu. Yoroshiku onegai shimasu.Another common conversation template is the "thank you" template. This template can be used to express your gratitude to someone for something they have done for you.Thank You Template:Arigatou gozaimasu. (Thank you.)。
日语作文1.大学の (だいがくのせいかつ)李さんは毎朝、六時に起きます。
朝、よく運動場へ行きます。
運動場でバスケットボールやラジオ体操などをします。
それから日本語の朗読をします。
李さん毎朝、七時半ごろ学生の食堂で朝ご飯を食べます。
朝ご飯は、うどんや肉まんじゅうを食べます。
彼はあまりパンを食べません。
そして、七時四十分ごろ自転車で教室へ行きます。
李さんは毎晩、七時から九時半まで勉強します。
十時ごろ寮へ帰ります。
大学から寮まで十分ぐらいかかります。
十時半ごろ寝ます。
大学のはとても忙しいです。
しかし、たいへん楽しいです。
译文:大学小李每天早上六点钟起床。
早上一般到运动场去。
在运动场打篮球或者做体操,然后朗读。
小李每天早上七点半左右在学生食堂吃早饭。
早饭吃乌冬面、肉包子。
他基本上不吃面包,然后,七点四十分左右骑自行车去教室。
小李每天晚上从七点到九点半学习。
十点左右回宿舍。
从学校到宿舍大概要花十分钟。
十点半左右睡觉。
大学的非常忙,但是,非常快乐。
単語:(せいかつ){名}〇每朝(まいあさ)①(名)天天早晨起きます(おきます)②(自動詞一)起床よく①(副)常常;专门好地運動場(うんどうじょう)(名) 0 运动场バスケットボール(名)⑥篮球ラジオ体操(名)④广播体操する(他サ)0 做,干.办それから 0 (接) 然后,第二…語(ご)(接尾) …语朗読(ろうどく)0。
2私の家族私の父は、○○○○という繊維関係の会社で、販売部長をしています。
今年57歳ですから、まもなく退職です。
父は毎朝私たちよりも早く会社に出かけ、家に帰るのも夜遅くなることが多いです。
母はそんな父の健康を心配していますが、父は「退職したら、のんびりするよ」と笑うだけです。
父は会社では責任感が強くて、恐い部長だと言われているそうです。
しかし、家庭ではともやさしい父で、子供のころ、休みの日にはよく私を公園地に連れて行ってくれました。
しかし、この数年、父の仕事が忙しく、いっしょに外出する機会も少なくなりました。
私はそれが少しさびしいです。
私は今年の10月に大学を卒業します。
これまで、私たちのために一生懸命働いてくれた父に心から感謝しています。
これからは、両親にも恩返したいと思っています。
ですから、父には体に気をつけて、ぜひ長生きしてほしいと思います。
私の母は主婦です。
しかし、私が生まれるまでは、父と同じ会社に勤めていました。
母の話によると、二人は恋愛結婚で、母は父の真面目な性格が好きで結婚したそうです。
母はいつも一番早く起きて、朝ご飯の支度をします。
そして、父には毎日、お弁当を作って上げます。
私が小さいころは、母は生まれたばかりの妹を抱えて、家事や育児できっと大変だったと思います。
それなのに、今まで母の口から不満の言葉一つ聞いたことがありません。
私はそんな母のことが大好きです。
しかし、中学校のころは何度も母と口げんかをしました。
それは、母から「しっかり勉強して、いい大学にいかないと、いい仕事に就けないわよ」と、毎日のように口うるさく言われたからです。
私も反抗期だったのだと思いますが、そんなときの母は大嫌いでした。
今、母の髪の毛には白いものがまだ目立ち始めましたが、そんな母の後姿を見る度に、「ありがとう」と心の中で言っています。
1.(~によると/~では)~どうだ◆木村さんのお父さんは大学の教授だそうです。
日语优秀作文鉴赏朝顔の魅力どこからみても何のへんてつもない小さな黒い朝顔の種。
しかしこの種こそ私の宝物なのです。
この宝物がやがて芽を出し成長していくと見事な花を咲かせます。
その花が朝日にあたりダイヤモンドのように輝くのです。
しばし夏の暑さを忘れ、自然と笑顔がこぼれ心にゆとりを持たせてくれるのです。
今年も五月のはじめに種をまき、今ではつるも出て小さなつぼみもいくつかついています。
どんな色の花を咲かせてくれるのか、今から楽しみに育ててます。
その朝顔との出会いは小学校一年生のときでした。
先生から育てるうえで、いくつか話しがありました。
その中で、「毎日声をかけると、朝顔も喜んで、大きくなるよ。
」と言われたのが特に心に残り、「今日も暑かったね。
」などと話しかけながら水やりをしました。
成長していく過程が楽しみで毎日見に行きました。
そして、見事にピンクの花を咲かせたときには、何とも言えない喜びと嬉しさで感動したのを覚えています。
夏休みには家に持ち帰り、毎日何個、花が咲くのかを観察しました。
やがて秋には何十個も種が取れました。
それからというもの、私は家で採れた種を翌年まき、育ててまた次の年へと続け、もう六年が経ちました。
毎年たくさんの種が取れるので、友達や近所の人、親せきにも配ったりしました。
この六年間をふり返ると朝顔も濃いピンクの花から、うすいピンクやうす紫へと花の色も少しずつ変化してきました。
私自身も朝顔を通していろいろな経験をしました。
二年生のときには、一鉢に一粒か二粒ぐらいまくのが朝顔がよく育つのに、「たくさんまけば、花もたくさん咲くかもしれない。
」と思い、一鉢に五、六粒まきました。
結果は予想とはずれ、あまり成長せず花も小さく勢いがありませんでした。
「よくばったらいけないなぁ。
」とつくづく思ったものです。
四年生のときには、私が朝起きて見るといつも、咲いています。
「朝顔は、いったい何時頃から咲きはじめるのだろうか。
私は大学院生で、后1年で卒业します。
今は梦を実现するための知识の吸収に専念しています。
勉强することは大変ですけれども、授业を通して色々な知识、専门を理解することや先生とのつながり、友达とのつながりができることが学びの大事な意味だと思います。
大学は、自分の兴味あることを追求できる场だと思います。
これからの出会いを大切にし、感谢の心を忘れることなく、谦虚に、そして人を想い、なにより自分を大切にし、様々なことを経験していきたいと思っています。
大学で习った知识を活用して、自分の目标を达成できるように顽张って行きたいと思います。
実は卒业してからの生活はどうなるかについて、ちょっとはっきりしていない状态もあります。
今まで18年间学生时代でしたが、これからいよいよ社会人になりますが、憧れもあるし、心配ももちろんあります。
学生时代は本当に悩みのない时代でしたが、社会に入って、経験の浅い青年で、これからきっと色々なトラブルがあるのではないかと心配しています。
でも、今まで毎日宿舎~教室~食堂~図书馆~宿舎の缲り返している暮らしはやっと终わらせ、これから社会人の一员として、独自で色々な出来事に直面して、色々な人と付き合って、チャレンジできることも楽しみです。
まだまだ学ばなければならないことがたくさんありますが、社会の大讲堂で、色々な知识、また能力を身に付けて、梦に向かって着実に前进して行きたいと思います。
なんと言っても楽しめそうです。
后一年间ですが、もう少し充実な大学生活を楽しみながら、将来のことを企画しなければなりません。
私は将来の生活に大きな期待をしています。
自分の幸运も祈っています。
わたしたちの生活と情报情报は、私たちの生活に深く関わり、様々な影响を与えている。
コンピュータ等の情报机器が社会の様々な分野に入り込み、日常生活にも大きな変化を齎している。
私たちは、さまざまな手段を通して、情报を得ることができ、生活の向上・充実に役立てている。
15今までで一番がんばったこと私が一番がんばったのは、小学校二年生のときから高校の二年のときまで、ずっと続けた新聞配達だ。
10年間、僕は一日も休まなかった。
僕の家はお父さんがいなくて貧しかったので、お母さんを助けるために新聞配達をした。
朝刊はいいのだが、夕刊配達のときは学校の友達と会うので、それがとても恥ずかしかった。
でも、そんなことにもだんだん慣れてきた。
新聞配達で一番嫌なのは雨の日だ。
新聞を濡らしてはいけないので、大変だ。
一番辛いのは冬の寒い日だ。
自転車のハンドルを握っている手が、まるで氷のように冷たくなり、動かなくなる。
一番うれしかったのは、中学三年生のとき、新聞少年として市長に表彰されたことだ。
今振り返ってみると、新聞配達をした10年間が、僕の自身になっているのだと思う。
少しぐらいことがあっても、負けない強さを作ってくれたと思う。
時間の流れは早い。
日本に来て、もう2年になった。
思えば、今までの人生で一番がんばったのが、この二年間だったように思う。
ずっと両親の下で育ってきた僕は、日本に来てはじめて一人暮らしを始めた。
炊事洗濯や掃除も、全部自分でしなかればならない。
アルバイトもしなければならない。
しかし、これは僕だけでなく、他の留学生も同じ境遇だ。
僕の初めてアルバイトは洗い場だった。
腰は痛くなるし、店長にうるさく言われるし、何度もやめようと思った。
だが、周りの留学生もがんばっているじゃないか。
僕は「負けないぞ」と自分に言い聞かせた。
アパートに帰って、疲れた身体に鞭打って机に向かった。
しかし、気がつくと、いつも寝てしまっている。
大学受験が近づくに連れて、焦りの気持ちも強くなった。
幸い大学に合格できた。
未来がどんな風景なのかわからないが、「一歩歩けば、一歩先が見える」(魯迅)と言う言葉を胸に、これからもがんばっていこうと思う。
(留学生Yのスピーチ原稿より)1.~てはいけない◆焦ってはいけません。
作文范例16篇問題1あなたは、外国の人があなたの国の母語で語りかけてきたとき、文法や言葉遣いが間違っていたら直してあげますか。
それとも失礼になると考えて言わないでおきますか。
解答直してあげる私は間違っていたら直してあげる。
なぜなら、言葉の誤用の中には、相手の誤解を生んだり心を傷つけるような言い回しがあり、その不用意な一言のせいでコミュニケーションに障害が生じるとしたら、本人にとっても不幸だと思うからだ。
例えば、日本語の「あなた」という言葉は目上の人に使うと失礼になるが、欧米の人たちは誰彼の区別なく「あなた」を使う。
それが初心者ならまだ許せるが、ぺらぺらしゃべる外国の人に「あなた」と言われたら、日本人は間違いなくむかっとするだろう。
それは母語と関係しているのであり、何の悪意もないのだが、言われた日本人はいい気持ちがしない。
こうした誤用は誰かが指摘してあげなければ、いつまでも直らない。
従って、異なる言語や文化を持った者同士のコミュニケーションが大切な時代には、自分が間違っていたら指摘してもらうし、相手が間違っていたら指摘してあげるといった率直さが美徳となると思う。
問題2ある外国の人は「日本人は『はい/いいえ』がはっきりしないから、理解しにくい。
日本人はもっとはっきり意思表示をするべきだ」と言います、あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。
解答賛成する私はこの意見に賛成である。
確かに日本人は「はい/いいえ」をはっきり言わない傾向がある。
それは相手の気持ちを傷つけないとする「和」の文化と言われるものだろうが、私たち外国人には賛成なのか反対なのか、好きなのか嫌いなのか、とても判断しにくい。
例えば、以心伝心とか、言葉を使わずに察しあう習慣は、日本社会のような同質性の高い同一民族社会では可能かもしれないが、私の国中国のように文化が異なり、言語が異なる多民族が暮らす社会ではほとんど不可能だと思う。
きちんと意思表示しなければ、コミュニケーションが成立しないのである。
私の梦かつて、ナポレオンが「将军になる考えがない兵士はいい兵士じゃない」と言いました。
そのとおり、梦がない人生は人生ではありません。
子供の时から、亲や先生や友达などいろいろな人が「あなたの梦はなんですが」と闻きました。
理の当然で、人々がさめざまの梦想を持っています。
私も梦がたくさんあります。
小学生制になった时、クラス担任はとても优しくて、若い女性でした。
みんなだいすきでした。
彼女は数学を教えてくださったので、私は一生悬命顽张りました。
长い时间を使って、ひとつの难问に回答した後の気持ちはとても高扬していました。
心から数学の教师にならたいと思いました。
両亲も喜んで応援してくれました。
12歳、中学校に入りました。
その顷田舎の家の近くで伝统的な芝居がはやっていました.祖母も好きで、周末一绪に见に行きました。
そして、私はだんだん、その芝居に梦中になりました。
时々、真似たり、一人で歌ったりしました。
何时でも。
何処でも、音楽が闻こえると、特别な感铭がありました。
いつの间にか、俳优になりたいという考えが出てきました。
私は音痴ですから、両亲に知らせると、「白昼梦を见るじゃないよ」と言われました。
今思えば、当时は思春期だったからなのか、悲しいことに自分の考えに固执しました。
时间がはやくたちました。
瞬く间にもう大学生になりました。
今、専门が日本语の私はまた一つの梦があります。
その梦とは外资企业に勤めることです。
通訳でも翻訳でもいい出です。
そうすると「将来はなにをする?数学を教える?それに俳优になる?あゆいわ日本语に関して仕事をやる?」といろいろな问题が思い出されました。
あれこれと思いを巡らすと、难しいですね。
答えはなかなか出てきませんでした。
ところが、そんな梦がたくさんあるので、生活が面白い、目标に向かってまい进する力が强いです。
梦は多ければ多いほど実现する机会も増えると思います。
一つの梦が破れても、また别の梦を追うチャンスがあるからです。
一年半前に私は人文大学に入学しました。
入学したばかりのころは、とまどうことが多くありました。
中学生や高校生の時は、先生が何でもやさしく丁寧に指導してくれましたが、大学では自分から積極的に勉強しなければ授業についていくことが難しいです。
課題の提出が多いので、モンゴル人の学生は授業の後、図書館へ行って調べごとをしたり、うちに帰って家事をすませたあとも宿題をするために夜遅くまで勉強しなければなりません。
日本やアメリカなどの大学では単位制で必修科目でも比較的自由に自分の好きな科目を履修できます。
しかし、モンゴルの大学ではそうではありません。
モンゴルの大学は小さいですし、特に私が学んでいる学科は人数が少ないですので、自分が好きな科目だけを履修することはできません。
大学が指定した授業を履修しなければなりません。
この点では他の国の大学より悪いと言えますが、同じ学年の同じ学科の学生が同じ授業を履修するわけですから、クラスメイトとの仲は深まります。
授業が始まる時間も終わる時間も同じです。
放課後に一緒に図書館へ行って勉強したり、大学に残って授業でわからなかったことをお互いに教えあったり、試験勉強をするためにクラスメイトのうちで徹夜で勉強したりといい影響もあるといえます。
大学の時間割の関係で、私達2年生は午後から授業が始まります。
朝起きて、大学へ行き図書館で授業の予習や課題をして、12時から2つか3つの授業を受けます。
放課後の過ごし方は学生によってさまざまです。
塾やコースで習い事をする人、スポーツのサークルに参加する学生もいます。
私は授業が終わった後にいつも英語のコースに通って勉強をしています。
日本語を学んでいる人はたくさんいます。
日本語がうまい人でも就職が見つからないことも多いです。
英語も日本語も両方よくわかる人はモンゴルではまだ少ないので、私は日本語も英語もできる通訳翻訳士を目指して頑張っているのです。
うちに帰ったら今度は家事です。
私の夢私の趣味はバスケットボールです。
これは健康にいいと思います。
时间があったら、よく友達と一绪にしています。
高校からバスケットボールをしました。
この何年か间バスケットボールを通じていろいろなものを习ってもらいました。
例えば、友達の大切さとチームワークの大切さを知りました。
人と人関系が悪いとチームワークが悪くなると思います。
そして、个人の能力よりチームワークがもっと大切だと思います。
バスケットボルではチームワークが悪いと绝対负けることだと思います。
そして、しごとでも同じです。
私の大好きなチームはロケッツです。
大きな理由として、一つはロケッツに姚明がいます。
それにこのチームのチームワークはとてもいいです。
一人ずつ间はお互いを协力します。
ですから试合がよくすばらしいです。
それで中国でたくさんの人はロケッツが大好きです。
私の友達私は積極的な性格ですから、友達がたくさんいます。
しかし一番仲が良いのは你来我网さんという友だちです。
彼女と初めて会ったのは、高校生になった時です。
你来我网さんは私は反対に、女らしく優しくて、すなおです。
私と同じ年ですが、いつも私の悩みを聞いてくれて、私には本当のお姉さんのような人です。
私が寂しい時や困ってにる時は、いつでも力になってくれました。
你来我网さんは、今、ゲザイナーになって有名な洋服の会社につとめ、毎日いそがしいようです。
私が日本へ来ているので会えませんが、暇があれば手紙を書き、電話も時時かけています。
これからもずっと仲良くしていきたいと思ってにます。
私の趣味私はいろいろな趣味があります。
その中で、大好きなのは旅行です。
小さい子供のときから、両亲に従って旅行に行きました。
いままで、广西,苏州,无锡,扬州,北京など、多くの所に行ったことがありました。
しかし、そのとき私には自然の美しさをたのしむのがわからない。
游びしかわららない。
だんだん成长してはじめて旅行は自然に楽しませるだけでなく机嫌によくさせることができると思われるようになりました。
それぞれの所に着いたら、その所の美味しい料理を食べるのが好きです。
湖南料理はちょっと辛いで、食欲があります。
北京ダックも美味しいです。
江南の食べ物はちょっと甘いです。
广西の果物は多くて、美味しいです今、一番行きたい所はチベットです。
そこの空気を呼吸したいです。
当地の文化を感じたいです。
また、日本の北海道に行きたいです。
映画の中でそこの风景を见って、美しくて静かです。
圧力があって、気持ちが悪いときまたはいい天気につけて、私はりょこうしたいです。
でも、今まだ学生だからお金がないで、将来は旅行のチャンスがあると期待しています。
私の一日大学生にたった私は時間が自由に使うことが多くなった。
でも、時間が大切なものだと思う。
時間を無駄使いしてはいけない。
日曜日抜き、毎日6時頃起きることにする。
それから、いろいろな準備をしてから、食堂へ行って朝ごはんを食べる。
後、湖の周りで朗読をしている。
午前中、授業がいっぱいあるので、教室で勉強している。
午後は授業がなっかたから、お昼を食べたあと、図書館で続き勉強して、大体3時間かかる。
終わったら、とても疲れったから、常に、友人と一緒にバスケットボールをする。
それはストレスの解消にいい方法だと思う。
夜になった、授業もない。
学校の周りに4つのスーパーがある。
私はこの中の一つでアルバイトをする。
時間は7:00から9:30まで、アルバイトが終わると、すぐ寮にかえてとても疲れったので、すぐ横になる。
これは私の一日でした。
私の一日先週の日曜日は休みで、私は友達と10時ごろ本屋さんに行きました。
本屋さんはデパートの隣にあります。
私はそこで韓国語の本を買い、友達はフランス語の本を買いました。
二時間後に友達と本屋さんから出て、コンビニからお弁当を買って、一緒に食べました。
友達はその後タクシーで家へ帰りました。
私は一人で博物館を見学して、三時半にバスで学校へ帰りました。
直接に学校の図書館に行って、新しく買った本を読みました。
図書館で李さんに会って、六時ごろ一緒に餃子を食べました。
餃子はとてもおいしかったです。
食べ終わって、李さんと映画館へ行き、ハリーポーターを観て、十時ごろ家に帰りました。
疲れましたので、すぐ寝ました。
今日はとてもいい一日でした。
私の趣味私の趣味は幅広く沢山あります。
趣味は旅行に行ったり、写真を撮影したり、カラオケをいったりすることが多いですです。
特に写真撮影が一番好きです。
写真撮影も亲の影响ですかね。
昔から美しい物や、ちょっと変わっている物が目に入ったらすぐにカメラを向けてしまいます。
もう、一种の病気ですね。
ちょっとやばいかもしれません。
土曜日と日曜日の休みの时间によくとります。
公园へよく行きます。
花と木をとります。
花はいろいろな色があります。
黄色い花と蜜蜂を一绪にとります。
とてもきれいです。
蜜蜂はとても立派です。
わたしは小さい时、写真をたくさんとりました。
最近、小さい时の写真をみつけました。
小さい子供の颜は、とてもかわいいです。
わたしはうれしそうな颜をしています。
小さい子供の写真を撮るのが好きです。
子供はとても活発です。
つい最近またお小遣を节约して新しいデジカメを买ったから、もう旅行に行きたくてたまりません。
景色がもっときれい写真が撮りたいです。
スポーツ相撲は日本の国技【こくぎ】です。
わたしは高校生の時、ドイツ初めて相撲を見ました。
テレビで見たのですが、力士【りきし】があまり大きいのでびっくりしました。
その時から、私は相撲が好きになって、友達と相撲の練習を始めました。
今、ドイツで、20人ぐらいの友達とすもうのクラブを作って、毎日練習をしています。
私の夢は、日本のアマチュア相撲大会で優勝することです。
今まで2回挑戦【ちょうせん】しました。
1回目は、1回戦で、負けましたが、2回目は3回戦まで勝ちました。
私は体が大きいので、一生懸命練習すれば、きっと強くなれると思います。
相撲は、何も道具を使わない、人間の力がぶつかる素晴らしいスポーツです。
私は相撲が、ドイツでももっと盛んなってほしいと思います。
大学生活高校の時、私は毎朝7時20分に家を出ることにしていました。
けれども、遅刻しそうになって走ったこともありました。
帰りは、友達と偶に寄り道をして、ケーキ屋さんや本屋さんへ行きました。
校則では禁止されていたので、何となくスリルがあって、ドキドキしたことを今でも懐かしく思い出します。
私は3年間ずっと合唱【がっしょう】部でした。
練習はつらくもあり、また楽しくもあまりました。
1年に1度の発表会の前は、練習で帰りがおそくなることがよくありました。
暗い道を、友達と駅へ向かう途中、悩みを相談し合ったり、10年後の自分たちについて、話したりしたりものです。
今から思えば、このおしゃべりが、毎日の生活の楽しみだったのかもしれません。
私が高校生活で得た一番大きなものは、友情だと思います。
私の家族私の家族は4人と1匹です。
両親と私、弟、それにゴンという名の犬です。
父は歴史家なので、セラリーマンのように毎日決まった時間に出勤しません。
父は話が苦手なので、母が客の相手をします。
高校へ行っている弟は将来外国で働きたがっています。
ゴンは今年10歳になります。
とてもいばっていて、父がいない時はゴンが父の椅子に座っています。
他の人が座ると、鼻にしわをよせて怒ります。
寂しがりやで留守番も嫌いです。
母や私が出かける支度を始めると、私たちの傍から決してはなれません。
留守番をしなければいけないと分かると、私たちの靴を隠してしまいます。
ゴンの最後の手は仮病です。
ゴホゴホと咳きをしたり、びっこをひいたりすます。
家族はそれに時時騙されますお誕生日私の誕生日は4月23日です。
今年の誕生日で私は30歳になりました。
私はその日、友達といっしょに誕生日パーティーをする支度をしました。
まず、カフェをかりきりました。
そしてそこをきれいにかざりました。
バースデーケーキにろうそくを21本たてました。
それから私がすきなこん色のワンピースをきました。
5時からパーティーを始めました。
友達がたくさん来てくれました。
そしてみんな私に「おめでとう!」と言ってくれました。
私がケーキに立ててあるろうそくの火を消す時、シャンペンの栓【せん】をぬいてくれました。
そして、人形やこう水や絵など、いろいろなプレゼントをくれました。
それからうたを歌いながらビールを飲んだりスケーキを食べたり、ゲームをしたりして過ごしました。
自己紹介私は中国から来た「ぼくのゆめ」です。
今島根にある寮に住んでいます。
外国人は私一人です。
ですから、はじめのころは、言葉や食事のことなどでとても苦労【くろう】しました。
お風呂に入る時も恥ずかしくて嫌でした。
でも、今はもうすっかり寮の生活にも慣れて、みんなと仲良くなりました。
私は料理が得意なので、休みの日は、寮の友だちにごちそうします。
すると、みんなとてもよろこんでくれます。
私は好奇心が強くいろいろなことを体験してみたいと、いつも思っています。
それで、以前から趣味のあった日本へ来たのです。
今熱中していることは生け花です。
次は、お茶をやってみたいと思っています。
にほんへ来る前は、病院に勤めていました。
日本語の勉強が終わって帰国したら、日本語や日本で学んだことをどんどん仕事に生かしたいと思っています。