“舞姫”の研究——豊太郎の二つの心
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舞姫森鴎外石炭をば早(は)や積み果てつ。
中等室の卓(つくゑ)のほとりはいと静にて、熾熱燈(しねつとう)の光の晴れがましきも徒(いたづら)なり。
今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌(カルタ)仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余ゟ人(ひとり)のみなれば。
五年前(いつとせまへ)の事なりしが、平生(ひごろ)の望足りて、洋行の官命を蒙(かうむ)り、このセイゴンの港まで来(こ)し頃は、目に見るもの、耳に聞くもの、ゟつとして新(あらた)ならぬはなく、筆に任せて書き記(しる)しつる紀行文日ごとに幾千言をかなしけむ、当時の新聞に載せられて、世の人にもてはやされしかど、今日(けふ)になりておもへば、穉(をさな)き思想、身の程(ほど)知らぬ放言、さらぬも尋常(よのつね)の動植金石、さては風俗などをさへ珍しげにしるしゝを、心ある人はいかにか見けむ。
こたびは途に上りしとき、日記(にき)ものせむとて買ひし冊子(さつし)もまだ白紙のまゝなるは、独逸(ドイツ)にて物学びせし間(ま)に、ゟ種の「ニル、アドミラリイ」の気象をや養ひ得たりけむ、あらず、これには別に故あり。
げに東(ひんがし)に還(かへ)る今の我は、西に航せし昔の我ならず、学問こそ猶(なほ)心に飽き足らぬところも多かれ、浮世のうきふしをも知りたり、人の心の頼みがたきは言ふも更なり、われとわが心さへ変り易きをも悟り得たり。
きのふの是はけふの非なるわが瞬間の感触を、筆に写して誰(たれ)にか見せむ。
これや日記の成らぬ縁故なる、あらず、これには別に故あり。
嗚呼(あゝ)、ブリンヂイシイの港を出(い)でゝより、早や二十日(はつか)あまりを経ぬ。
世の常ならば生面(せいめん)の客にさへ交(まじはり)を結びて、旅の憂さを慰めあふが航海の習(ならひ)なるに、微恙(びやう)にことよせて房(へや)の裡(うち)にのみ籠(こも)りて、同行の人々にも物言ふことの少きは、人知らぬ恨に頭(かしら)のみ悩ましたればなり。
坊っちゃん夏目漱石一親譲おやゆずりの無鉄砲むてっぽうで小供の時から損ばかりしている。
小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰こしを抜ぬかした事がある。
なぜそんな無闇むやみをしたと聞く人があるかも知れぬ。
別段深い理由でもない。
新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談じょうだんに、いくら威張いばっても、そこから飛び降りる事は出来まい。
弱虫やーい。
と囃はやしたからである。
小使こづかいに負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼めをして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴やつがあるかと云いったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。
親類のものから西洋製のナイフを貰もらって奇麗きれいな刃はを日に翳かざして、友達ともだちに見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。
切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。
そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲こうをはすに切り込こんだ。
幸さいわいナイフが小さいのと、親指の骨が堅かたかったので、今だに親指は手に付いている。
しかし創痕きずあとは死ぬまで消えぬ。
庭を東へ二十歩に行き尽つくすと、南上がりにいささかばかりの菜園があって、真中まんなかに栗くりの木が一本立っている。
これは命より大事な栗だ。
実の熟する時分は起き抜けに背戸せどを出て落ちた奴を拾ってきて、学校で食う。
菜園の西側が山城屋やましろやという質屋の庭続きで、この質屋に勘太郎かんたろうという十三四の倅せがれが居た。
勘太郎は無論弱虫である。
弱虫の癖くせに四つ目垣を乗りこえて、栗を盗ぬすみにくる。
ある日の夕方折戸おりどの蔭かげに隠かくれて、とうとう勘太郎を捕つらまえてやった。
その時勘太郎は逃にげ路みちを失って、一生懸命いっしょうけんめいに飛びかかってきた。
向むこうは二つばかり年上である。
弱虫だが力は強い。
鉢はちの開いた頭を、こっちの胸へ宛あててぐいぐい押おした拍子ひょうしに、勘太郎の頭がすべって、おれの袷あわせの袖そでの中にはいった。
歌舞伎日本の伝統の文化芸術の中で、1度妓女の演技から上品な席の高尚な芸術になるので、非歌舞伎は数えていません。
今日、それはすでに400年を整える歴史に歩いたことがありました。
周作人は以前驚嘆:日本は中国の文化を模倣して、唐に宦官、宋を取らないで纏足をして、明8股を取らなかった、清はゕヘンを取りません。
更に日本の茶道、禅宗と歌舞伎を考えてみて、ちょうどこのように内容性質吸収して、日本の文化の独特性を構成したのです。
400年の長い歴史に歩いたことがあったことに知らなくなった後に、歌舞伎のこの種類の物寂しい歌舞は、さらに前へどのくらい歩きますか?今年、日本の歌舞伎の誕生400周年です。
日本の伝統の文化芸術の中で、1度妓女の演技から上品な席の高尚な芸術になるので、非歌舞伎は数えていません。
それはその独特な集歌、ダンス、演劇を上演することを全身の豪華で妖艶な風格にして、今まで400年歩いたしました。
このために、日本各地は多種の祝賀活動を催して、これは日本の国粋の古い伝統芸術の代表を再現しました。
日本の芸術文化会は、松竹和共同通信社を振興会東京で"歌舞伎の4百年の展"を催して、内容を展示して歌舞伎の誕生から、近代的な文学と歴史の資料まであるだけではなく、また歌舞伎の名優の中村富士郎に出席して公演して、歌舞伎の役者の現場の扮装の出演、専門家が服装の道具などを解説するように招待して、年上な者の観衆は非常に多いだけではなくて、とても多くて若い観衆もすべてやまないことに感嘆します。
早稲田大学で演劇を上演する博物館のなかで、展覧期間の10ヶ月の江戸を催しましたが、明治の歌舞伎の展覧会、歌舞伎の形成、完成、熟していて古典化の全過程を展示して、歌舞伎の名俳優と論説家の講座はほとんど空席がありません。
日本の郵政の人民公社は、額面80円の歌舞伎は誕生400周年の記念切手を発行して、その中は1枚創始者の阿国のイメージで、つやがある美術館の収集の"阿国の歌舞伎が屏風"を出しますに取ります。
Pr oject X 挑戦者たちリヒテルが愛した執念のピアノ楽器の王と呼ばれる。
モーツアルト、ベートベン、ショパン。
数多の天才がピアノを愛し、名曲を生んだ。
36年前、ピアノ作りに日本の男たちが挑んだ。
そして、百年に一人の天才との息詰まる日々が始まった。
今世界一の音を目指したロマンティックで熾烈な戦いのドラマが幕を開ける。
国井雅比谷「『Project X 挑戦者たち』です。
今夜からの新しいパートナーをご紹介します。
膳場貴子アナウンサーです。
よろしく。
」膳場貴子「よろしくお願いします。
膳場貴子です。
よろしくお願いします。
『Project X」いろんな人生歩んでこられた方の生の言葉が聞けるって言うんで、すごく楽しみしてます。
」国井雅比谷「私の年齢の半分の若さですね。
」膳場貴子「はい。
」国井雅比谷「フレッシュで新鮮な質問が出るでしょう。
よろしくお願いします。
」膳場貴子「よろしくお願いします。
さて、今夜はこちら34年前に世界中あっといわせたグランドピアノの開発プロジェクトです。
」国井雅比谷「このピアノって言うのはその声音学で楽器の王様って言うわけですね。
グランドピアノは王様の中の王様ですよね。
」膳場貴子「うん、その王様ですので、ピアノ作りの本場ヨーロッパでは、このグランドピアノを作るのに、メーカーが各社一身を掛けて作るわけですね。
一つ一つ手作り、まさにこれ自体が芸術品というようなものなんです。
」国井雅比谷「そのヨーロッパの芸術品に日本の男たちが挑戦します。
」膳場貴子「はい。
音をめぐる本当にロマンチックな物語です。
」昭和20年静岡県浜松市は一面焼け野原だった。
その瓦礫の中で、工場の再建に汗を流す男たちがいた。
戦地や疎開先から戻ってきた楽器メーカー「ヤマハ」の職人たちだった。
作り始めたのはグランドピアノ。
いつか音楽が必要な日が来る。
そう信じて、懸命にピアノに向き合った。
昭和25年日比谷公会堂、出来上がったばかりのピアノ発表会を開くことになった。
作品评析解析《舞姬》中的悲剧人物——太田丰太郎陆 然《舞姬》是与森鸥外留学经历密切相关的一部作品,小说以主人公回忆手记的形式、高雅的文体描述了日本人与“外国人”之间的爱情故事,一度震惊了当时的日本文坛。
本文从“仕途的欲求和爱情追求的对立”“太田丰太郎与艾丽丝爱情观的对立”“个性解放和封建制束缚的对立”三个矛盾点来进行论述,剖析了男主人公悲剧形成的原因。
一、仕途的欲求和爱情追求的对立自幼勤于学业,以第一名的成绩毕业于东大医学部,立志兴旺家业而去留学德国的太田丰太郎,对仕途有着强烈的欲求。
从他作为明治时代的青年知识分子这一背景考察,“立身出世”作为日本近代主流价值观,也是他的价值观和人生观之一。
小说开篇写道:“我自幼受到严格的家庭教育,因此,即便在父亲过世之后,我在学业上也从未退步。
”小说中段也几度提到“学业的荒废”,且丰太郎最后的选择也是切断和艾丽丝的情爱,因此可以看出他对仕途是极度看重的。
另一方面,作为追求自我觉醒的明治青年,丰太郎对艾丽丝的爱恋也是浓郁真诚的,从初遇时“不知为何,这回眸一望,令木讷的我感到有一种电光石火般的震撼渗透心底”的一见钟情,“向来胆小怕事”的主人公看到不幸的舞女却不禁上前询问关爱,到后来丰太郎遭遇免职时对艾丽丝“爱意迅速浓烈起来,终至难舍难分的地步”,直至最后都在纠结是否回国,可以看出他是十分想抓住这一爱情的,但“如果不攀上这层关系便永无归国之日,永无恢复名誉的机会”。
因此,面对仕途和爱情的对立,丰太郎痛苦万分,内心不得解脱,此为造成他悲剧结果的原因之一。
二、太田丰太郎与艾丽丝爱情观的对立从一开始,太田丰太郎即与艾丽丝表现出了不同的爱情观。
起初,丰太郎是因对美丽少女的不幸境遇产生爱怜同情之心,且两人的交往“远比旁人想象的清白”,而两人感情发生质变源于丰太郎突然而来的免职。
此时丰太郎已因极度痛苦失去冷静,艾丽丝的陪伴与安慰无疑给了其精神力量和东失西补的心理平衡,形成了一种寄托。
舞姫(現代語)森鷗外石炭は積み終わったようだ。
二等室の机のあたりはひっそりと静まりかえっているのだが、アーク灯だけは無意味に光を放ち続けていた。
今宵は毎夜ここに集まるトランプ仲間も皆、ホテルに泊まっている。
船に残っているのは私だけだ。
5年前、かねてからの望みがかない、洋行の官命を授かり、このサイゴン(ベトナムの都市)に来たときは、見るもの聞くものひとつとして新しくないものはなく、筆に任せて書きつづった紀行文は膨大な量にのぼった。
当時の新聞にも掲載され、世間ではもてはやされたが、今になって思えば、未熟な思想、身の程を知らない発言、さらには一般的な動植物や風俗などをさも珍しげに記していたその文を、見識のある人はどう思っただろうか。
今回の帰郷の旅では日記をしようと思って買った冊子はまだ白紙のままである。
それはドイツで物を学んでいた間に一種のニル・アドミラリー(「nil-admirari(ラテン)」何事にも感動しないこと)の精神に至ったからであろうか。
いや違う。
それには別に理由がある。
東へと帰る今の私は、西へと旅立つ昔の私とは違う。
学問はいまだに飽きたらぬ所は多いが世の中の浮き節というものを知った。
他人の心は頼りにならないことはいうまでなく、自分の心でさえ変わりやすいということを知った。
昨日では正しいと思ったことが今日では間違いであるという瞬間を、筆に記して誰かに見せられようか。
これがいまだ日記に手の伸びない理由である。
違う。
それには他の理由があるのである。
ああ、イタリアの港、ブリンジーシー「Brindisi」を出発してから早くも20日を過ぎた。
普通ならば初対面の客に対しても親交を結び旅の疲れを慰め合うのが航海中の習いであるのだが、軽い病気といって部屋にこもっている。
同行の人々と口をきくことの少ないのは、人の知らぬ恨みに頭を悩ましているからである。
この恨みは初めて一片の雲のように私の心をかすめて、スイスの山を私に見せず、イタリアの遺跡をも心には届かなかった。
「舞姫」現代語訳石炭はもう積み終わったようだ。
二等船室のテーブルのあたりはとても静かで、アーク灯の明かりが煌々と輝いているのも、妙にむなしい。
今夜は、毎晩ここに集まるトランプ仲間もホテルに泊まっていて、船に残っているのは僕一人だけ。
五年前のこと、長年の念願叶って、ヨーロッパ派遣の命令を受け、このベトナム・サイゴンの港まで来た頃は、目に見るもの、耳に聞くものすべてが新しいものばかりで、思いつくまま書きとめた紀行文を、毎日腐るほど書き綴った。
それは当時の新聞に掲載され、世間の人から誉めそやされたけれど、今思うとそれは幼稚な思想、身の程知らずの無責任な発言だった。
でなければ、ありふれた動物や植物や金属や鉱石についてのこと、風俗などまでもをさも珍しそうに書いただけで、ものの分かった人が読めば、どんな風に思ったことか。
この度、帰国の途についた時、日記を書こうと思って買ったノートもまだ白紙のままなのだけれど、それは、ドイツで学んでいたうちに、ある種の「覚めたものの見方・感じ方」が身に付いたからかも知れない。
いや、本当は違う……。
実は、これには他にわけがある。
実際、日本に戻る今の僕は、西に向かった昔の僕ではない。
学んだことについてはまだまだ不満なところも多いけれど、この世のつらさも思い知った。
人の心があてにならないことも。
僕自身の心だって変わりやすいということもよくわかった。
昨日そうだと思っていたことが、今日は違うと思っている自分の瞬間瞬間のその感触を、文章にしていったい誰に見せようと言うのか。
これが日記の書けないその理由だ。
いや、違う……。
本当はこれには別のわけがある。
思えば、イタリアはブリンディジの港を出てから、もう二十日以上が経つ。
普通なら初対面の相手にも接触して、旅の憂さを慰め合うというのが航海の習いというものだろう。
でも、病気にかこつけて船室の中にこもってばかりで同行の人々とほとんど話すことがないのは、「他人のあずかり知らない恨み」に頭を悩ましているからだ。
黄泉から久生十蘭-------------------------------------------------------【テキスト中に現れる記号について】《》:ルビ(例)魚返《おがえり》[#]:入力者注主に外字の説明や、傍点の位置の指定(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)(例)2[#「2」はローマ数字、1-13-22]-------------------------------------------------------[#5字下げ]一[#「一」は中見出し]「九時二十分……」新橋のホームで、魚返《おがえり》光太郎が腕時計を見ながらつぶやいた。
きょうはいそがしい日だった。
十時にセザンヌの「静物」を見にくる客が二組。
十一時には……夫人が名匠ルシアン・グレエヴの首飾《ペンダント》のコレクトを持ってくることになっている。
午後二時には……家の家具の売立。
四時には……。
詩も音楽もわかり、美術雑誌から美術批評の寄稿を依頼されたりする光太郎のような一流の仲買人《アジヤン》にとっては、戦争が勝てば勝ったように、負ければまた負けたように、商談と商機にことを欠くことはない。
こんどの欧州最後の引揚げには光太郎はうまくやった。
みな危険な金剛石を買い漁って、益もない物換えにうき身をやつしているとき、光太郎はモネ、ルノアール、ルッソオ、フラゴナール、三つのフェルメールの作品を含むすばらしいコレクションを糶《せ》りおとし、持っていた金を安全に始末してしまった。
仲介業者の先見と機才は、倦怠と夢想から湧きでる詩人の霊感によく似ていて、この仕事に憑かれると抜け目なく立ち廻ることだけが人生の味になり、それ以外のことはすべて色の褪せた花としか見えなくなる。
光太郎がホームに立ってきょうの仕事の味利きをしていると、鸚鵡の冠毛のように白髪をそそけさせた六十歳ばかりの西洋人が、西口の階段からせかせかとあがってきた。
森欧外《舞姬》丰太郎的心理纠葛分析【摘要】《舞姬》中的丰太郎受到家庭背景、社会压力和个人经历的影响,导致心理纠葛的产生。
家庭的矛盾和冲突使他缺乏安全感,社会的期望让他感到压力重重,个人经历也影响了他的情感和性格。
这些因素共同导致了他心理的困扰和纠葛,表现在他的行为和心理状态中。
丰太郎需要学会应对心理困境,可以通过寻求帮助、接受治疗和调整心态来逐渐解决内心的纠结。
了解他的心理纠葛不仅可以帮助我们理解他的行为,还可以为我们提供处理类似困境的建议。
通过分析丰太郎的心理纠葛,我们可以更好地理解人类复杂的心理世界,为个人成长和发展提供指导和支持。
【关键词】舞姬、丰太郎、心理纠葛、家庭背景、社会压力、个人经历、心理困境、心理状态、建议、行为、影响、多方面因素、理解、应对、结论、分析、文章、关键词。
1. 引言1.1 介绍《舞姬》丰太郎的心理纠葛《舞姬》是一部描写日本战后时期的经典文学作品,主要讲述了丰太郎这一角色在复杂的家庭背景、社会压力和个人经历下所经历的心理纠葛。
丰太郎是一个身世复杂、内心矛盾的人物,他的心理纠葛主要表现在对自我认知、情感矛盾和处境困难上。
在家庭背景方面,丰太郎面临着家族传统和个人发展的矛盾。
他是一个出生在艺妓家庭的孩子,受到家族的期望和社会的偏见影响,导致内心的挣扎和迷茫。
社会压力方面,丰太郎身处一个封闭传统的社会环境中,对性别角色和家族责任的束缚让他陷入困境。
个人经历方面,丰太郎经历了爱情的痛苦、亲情的失落和自我认知的挣扎,这些经历使他内心充满了矛盾和不安。
丰太郎的心理纠葛不仅表现在他的情感和行为上,还对他的生活和未来造成了深远的影响。
他在面对困境时,既有逃避现实的倾向,又有对抗命运的勇气,展现出矛盾而丰富的个性。
通过深入分析丰太郎的心理纠葛,我们可以更好地理解他的行为和心理状态,为处理类似困境提供借鉴和启示。
2. 正文2.1 家庭背景对丰太郎心理的影响丰太郎的家庭背景对其心理有着重要的影响。
【近代自我的觉醒】自我的觉醒森鸥外是日本近代著名的小说家、剧作家、评论家、翻译家,在日本近代文学史上与夏目漱石并称为两大文豪,其创作活动和文艺思想对日本近代文学产生了极其深远的影响。
代表作有《舞》、《雁》、《高濑舟》等。
其中,《舞姬》既是森鸥外的处女作,也是日本浪漫主义文学的先驱之作。
小说《舞》主要讲述了一个受过良好教育的青年太田丰太郎满载国家与家庭寄予的希望远赴德国留学,在留学期间,接触到西方自由的空气,而后开始自我觉醒,对自我产生疑问,对日本的官僚体制产生怀疑。
就在这一时期他与一位美少女爱丽丝不期而遇,并陷入热恋之中。
而后又在其自身人性的弱性和强大的天皇专制政权与封建势力的压制下,最终背叛了爱情,抛弃了责任,重回故土。
小说成功地塑造了主人公太田丰太郎这一人物形象,本文拟结合文本对该人物形象进行解析,以加深读者对人物形象内蕴的把握,从而更好地理解《舞姬》所折射的时代主题。
二自我觉醒的萌芽短篇小说由于篇幅的限制,其小说人物的塑造与刻画需要“小中见大”,人物形象的概括性和典型性往往显得更为重要。
《舞》中丰太郎这一人物形象深具代表性,堪称明治时期具有近代思想意识的知识青年的典范。
纵观整篇小说,不难发现《舞》在情节构造上巧妙地设定了两个背景国家:日本和德国。
一个是繁华开放的世界,另一个则是封建闭塞的世界。
丰太郎就在这样两个世界中徘徊,他的思想的变化就是在这样的环境中遭遇碰撞。
“我从小时候起,就受过严格的家庭教育,因此,虽然早年丧父,却从未荒废过学业,不论是在旧乡学就读时,还是到东京后在预备学校走读,或者是进了大学法学部之后,太田丰太郎的名字在班级总是名列前茅的。
那时,想依靠独子过活的母亲的心,想必也得到了慰藉。
我十九岁时获得了学士称号,别人都说这是建立大学以来还不曾有过的荣誉,接着任职政府某部,把母亲从家乡接到京城里来,度过了三年多的欢乐时光。
”在单亲家庭中成长起来的丰太郎,能以优秀的成绩毕业于东京大学法学部,可以说是当时日本屈指可数的优秀青年。
作者: 邓娟娟
作者机构: 中山大学外国语学院
出版物刊名: 群文天地
页码: 44-45页
主题词: 双重性格 《舞姬》 主人公 《泡沫记》 合作者 明治时代 封建道德 自我觉醒
摘要:森欧外是日本明治时代的两大文豪之一,其留德三步曲《舞姬》、《泡沫记》、《信使》中,作为处女作的《舞姬》是自传性色彩最强的作品,在一定程度上可以说丰太郎是作者的自画像。
在作者的笔下丰太郎是一个有着自我觉醒却又在封建道德面前妥协的具有双重性格的人,本文试图从探讨作者自身性格的二重性出发,并结合作者自身的经历来具体分析丰太郎性格的二重性。
“舞姫”の研究——豊太郎の二つの心
【摘要】第一次读翻译成中文的《舞姬》,是在大学的时候。
那时,被《舞姬》悲惨的爱情故事所吸引。
丰太郎为什么会抛弃爱丽丝?为什么他们两个得不到幸福?……带着很多疑问。
本论文,想解开我那时的疑问。
【关键词】留学;爱丽丝;立身出世
【要旨】私は大学にいる時、中国語で翻訳された「舞姫」を初めて読んだ。
その時、「舞姫」の悲しいラブストーリーに強く引かれた。
豊太郎はなぜエリスを棄てたのか、なぜ二人は幸せになれなかったのかなど、いろいろな疑問を持った。
本研究はなぜだろうという疑問を明らかにしたい。
【キーワード】留学;エリス;立身出世
1 はじめに
鷗外の留学土産の青春小説は、「舞姫」、「うたかたの記」、「文づかひ」の三つを数える。
このうち、今回の研究対象を「舞姫」としたい。
この作品は、鷗外の文壇への処女作である。
この作品は鷗外文学の起点となるため、広大な鷗外研究の中で最初から多くの研究者の関心を集め続けてきている。
2 豊太郎の二つの心が生まれる原因
豊太郎の二つの心が生まれる原因は、当時の社会、家族と自分自身三つの豊太郎の変わり易い性質があると思う。
本稿は家族と自分自身から、論じたい。
2.1 家族的背景から読み取れるもの
豊太郎は父を早く亡くし、母の手一つに育てられた。
一番の成績で大学を卒業した秀才太田豊太郎は、某省に出仕して、日本的家の重圧を背負い、母の願いのとおり「活きたる辞書」[1]になろうとした。
「我名を成さんも、我家を興さんも、今ぞと思ふ心の勇みたちて」とあるところに、豊太郎の心境がよく現れている。
ドイツに留学する前の豊太郎は、「まことの我」[1]についてなにも考えず、ただ家を興すために働いて生きている。
留学して三年が終わるまで、豊太郎は家のために頑張り続けている。
四年目に入ると、これまで寝ていた自我が目覚めた。
しかし、自由な生活を志しながら、国を背負っている責任も棄てることができない。
だから、ドイツにいる間、豊太郎は立身出世と自我の生との二つの心を同時に持っている。
母は「余を活きたる辞書」と願い、官長は「余を活きたる法律」としよう
とした太田豊太郎だが、免官され、唯一の肉親である母親も亡くなる。
「所動的、器械的の人物」のような生活が逃れることができる。
自我に目覚めた太田豊太郎は、「まことの我」として暮すことができることになる。
太田豊太郎は自分が思っているように、エリスといっしょに「まことの我」の生活を始めた。
エリスと一緒に暮らしている太田豊太郎は、「憂きがなかにも楽しき月日を送りぬ」というような生活をする。
これまで、暮らしていた「所動的、器械的の人物」のような生活と、いま「憂きがなかにも楽しき月日を送りぬ」という生活を比べると、太田豊太郎は後者のほうが自分にとって好ましい生活だと考える。
あるいは、エリスという人が存在していたから、太田豊太郎は、自我の目覚めも強くなったのかもしれない。
エリスがいなければ、太田豊太郎は、「まことの我」の生活ができなかったかもしれない。
ドイツ人としてのエリスも自我の目覚めのようなものを持っていたかもしれない。
だから、エリスは座頭と母親に反抗して、自分は願うような生活ができた。
最後、エリスは太田豊太郎に裏切られたが、太田豊太郎より自我の目覚めが強いこともけっして否定できないと思う。
豊太郎はドイツに留学して、大学の自由な雰囲気の中で、目覚め、エリスと出会って、豊太郎の目覚めは強くなって、「まことの我」の生活を始める。
しかし、太田豊太郎のように変わり易い性質の人に対して、その「まことの我」の生活は長く続かなかった。
友人相沢謙吉の忠告もあり、天方伯に従い、日本に帰ることを決心する。
帰国を決めたのち、太田豊太郎は「所動的、器械的の人物」の生活に戻っている。
だが、太田豊太郎は消えない恨みを持って帰国の旅を始めた。
太田豊太郎はエリスとの愛を棄てたこととあわせ、自分が「所動的、器械的の人物」の生活に戻っていることに苦しんでいる。
その恨みはきっと太田豊太郎の一生を通じて消えないだろう。
要するに、太田豊太郎の恨みは自分に対してのものだと思う。
もし、自分が立身出世の願望を断念できたら、「まことの我」の生活ができたであろう。
自己の立身出世の願望を断念できないから、自我の目覚めも根本的なものにならない。
エリスを棄てた時、表面的には、豊太郎は立身出世の心しか持っていないように見えるが、帰国の途中で豊太郎が悩み苦しんでいる。
「げに東に還る今の我は、西に航せし昔の我ならず」ここからみると、自我という心を人に見えないところ――心の奥深くに隠しているのではないか。
2.2 自分自身の中にあるもの
エリスと付き合う前の豊太郎は国家を代表する官長と家を代表する母のために、生きていた。
エリスと付き合っている時の豊太郎は、立身出世と自我の二つの心を同時に持っている。
このときの豊太郎は国家や家のために生きていると共に、自我の生活も順調に進んでいるので、豊太郎にとって一番幸せな
生活ができていた。
しかし、なぜ、最後に、エリスを棄て、友人相沢の誘いに従って、相沢のような政治権力に依存した外的行動に活路を見出したか。
その一つは、「われとわが心さへ變り易きをも悟り得たり」[2]と記述しているように、豊太郎の変わり易い性質によるところもある。
豊太郎は変わり易い性質の人であるから、ドイツに留学して、ドイツの大学の雰囲気に囲まれると、豊太郎は自由な思想の影響を受けて、これまでの自分に対する生き方を疑い、自我目覚めのコースを選ぼうと思う。
豊太郎は、受け身の生き方から自己を押し出す方向に変わった。
だが、上司に疎まれ、また偶然に助けた踊り子との交際を讒言されたことによって官を免じられた。
そのとき、思いがけなく、母からの手紙とその死を告げるもう一通の手紙を受け取る。
そして、激しく心が動揺する間に、踊り子エリスと結ばれる。
最も強い家からの束縛がたち切られることになって、豊太郎とエリスは離れ難い仲となった。
しかし、変わり易い性質を持っている豊太郎は相沢との再会で、帰国の勧めを拒みきれずに承諾する。
元々のコースに戻った。
豊太郎はエリスと将来どうしたいという決定的な意思を述べないまま、結局エリスとは別れる運命になってしまうのである。
運命が残酷に引き裂いたという言い訳をしているように見えるが、実は豊太郎の変わり易い性質が招いたことなのである。
これからみると豊太郎は二つの心、すなわち、立身出世と自我という二つの心を持っていることも見て取れる。
主人公豊太郎が意志薄弱である人だと感じられる。
(下转第111页)
(上接第97页)3 おわりに
本稿は豊太郎の二つの心が生まれる原因を考察した。
そして、豊太郎は国家や家庭だけでなく、なにより自分の心の中にある立身出世の願望を捨てられないことが分かった。
豊太郎の変わり易い性質の人だから、エリスを捨てるしかない。
今後、「舞姫」の漢文化影響の研究とする。
【参考文献】
[1]森鷗外.『森鷗外全集』第一巻[M].岩波書店,1986:26-35.
[2]長谷川泉.『森鷗外「舞姫」作品論集』[C].クレス出版社,2000:7-8.。