日语论文川端康成文学中的传统美
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从《雪国》来看川端康成文学的美意识什么动漫好看【摘要】《雪国》描绘了人物最真实的一面及其向往、追求梦幻世界的一系列故事,从中可看出日本美的意识。
作家川端康成用他敏锐的触觉对日本传统文学进行独特的理解,将日本平安朝“物哀”美表露无遗。
《雪国》中对空寂的追求和全文带有的概叹、惨恻、凄切与寂寥等都体现了日本传统文学的美。
在阅读《雪国》的过程中,我们能够感受到这种“物哀”精神美,让读者在阅读的过程中领略美的真谛,同时也体会到日本传统文学特有的震撼美。
【关键词】日本民族精神;川端康成;文学;《雪国》川端康成是日本当代著名作家,《雪国》是其第一部中篇小说,同时也是他最著名的代表作。
这部八万字的中篇小说,从1934年12月动笔创作到1948年12月,为期十四年完成定稿。
川端先生在这部小说中花了最长的时间,费了很大的精力,相信这就算在日本文学史上也是前所未有的。
《雪国》这部作品的核心就是对美的追求,引用他本人的话就是“风雅,就是发现存在的美,感受已经发现的美,创造有所感受的美”。
在这部文学作品中,川端康成运用了西方的叙事技巧来描绘东方古典美,能够敏锐地、独到地表达出当时日本人的内心世界。
本文将分析《雪国》中自然景物的描写,从而探究川端康成文学的美意识。
一、从虚幻景色描写中体会文学美对于虚幻景色,笔者印象最为深刻的就是文章中描写银河的篇幅。
大家可以会疑问,银河本来就是实物,为什么说它是虚幻的,在《雪国》中有这样的描绘:“浩瀚无垠的银河垂在眼前,它似乎要用其光溜溜的身体搂抱夜色朦胧的大地……星辰缀满了银河,透彻明亮,耀光点点,就连一点点光亮的云彩,也极像一粒粒银砂,一目了然。
”、“银河宛如一条大大的光带,让人觉得似乎浸泡其中一样,这时,岛村明显感觉到自己的身体在往上飞翔,飘飘忽忽,那感觉就像是屹立在天涯海角上。
尽管是一种凛冽的寂寥,同时也给人带来一种神奇的魅惑感”,此时此刻,依托之情表露无遗,岛村已经完全把自己沉溺在银河的美中,特别重要的一点是川端先生将银河进行了拟人化的描写,使得银河拥有了一种妩媚的感情。
浅谈川端康成《伊豆的舞女》的美学思想摘要:日本文学大师川端康成因《伊豆的舞女》成名并获得了诺贝尔文学奖,他是亚洲继泰戈尔之后第二位获此殊荣的作家,在世界文学史上占有重要地位。
文章从欣赏艺术美的角度,结合作者的写作背景和小说所体现的自然美、物衰美、人性美、女性美几个方面赏析其美学思想的价值意义。
【关键词】:《伊豆的舞女》美学思想自然美物衰美人性美女性美“山路变的弯弯曲曲,快到天城岭了。
这时,骤雨白亮亮的笼罩着茂密的杉林,从山麓向我迅猛的横扫过来”。
这是川端康成在小说之初为我们描述的伊豆雨景。
小说之初就给了我们一个“美”的臆想。
一个东京的学生,一个伊豆的舞女,在淅沥的雨中相遇。
他们的爱情从天城岭开始,到下田告别,纯洁的连手都没有牵过。
然而,这柏拉图式的爱情虽然跨越了阶层,却又摆脱不了现实,就像樱花一样,短暂而美丽。
呈现了一个唯美的爱情故事,也极好的体现了文学大师川端康成的美学思想。
全篇小说不到18000个字,可是却以精致而细巧的表现力,给了读者一个清新脱俗的画卷。
本文将结合川端康成的写作背景和小说所体现的“自然美、物衰美、人性美、女性美”这四美的思想来浅谈这部小说的美学思想。
一、素雅幽远的自然美自然美,是指各种自然事物呈现的美,它是社会性与自然性的统一。
它的社会性指自然美的根源在于实践,它的自然性指自然事物的某些属性和特征(如色彩、线条、形状声音等)是形成自然美的必要条件。
自然美包括日月星云、山水花鸟、草木鱼虫、园林四野等等,非常广阔多样。
自然美作为经验现象,是人们经常能够欣赏和感受的。
在《伊豆的舞女》中,川端康成把这个凄美的爱情故事展现在如画的背景上:俊秀的天城山、茂密的树林、清冽的甘泉、浓郁的秋色、袅袅的炊烟……而所有这些美丽的景色都与美好的情感交织在一起。
在告别的码头上,汽笛一声惊鸣,舞女熏子紧咬着嘴唇,舞动着白色手巾,向着远方,泪水夺眶而出。
此时“我”怅惘的情绪与恍惚流动的景物结为一体,悲和美就顺理成章的成为了这篇作品的审美基调。
文学评论·外国文学由川端康成作品之美看日式审美观——以《伊豆的舞女》为例任向欣 大连理工大学外国语学院摘 要:《伊豆的舞女》作为川端康成在早期的代表作品之一,除了凝聚了作者独特的文学艺术风格和性格特征之外,还蕴含着众多日本独特的美学意象和审美意识。
本文通过对川端康成《伊豆的舞女》中的日式特点与美的意象进行分析与列举,结合作者亲身经历与情况,探究川端康成作品中所蕴含的日本人的审美意识及其自身性格所赋予作品的独特感。
进而为理解日本作家作品以及日本文化提供思路与着眼点。
关键词:文学形象;传统美;日本文化;审美意识[中图分类号]:I106 [文献标识码]:A[文章编号]:1002-2139(2017)-15-092-02一、引言《伊豆的舞女》这部短篇小说极富有个人色彩。
且川端康成在这篇作品中所树立的写作风格在他的中后期作品也一直延续着。
因此本文选取这部作品进行研究分析。
笔者欲通过分析川端康成作品中的日式化特点及美学意象,挖掘其作品中蕴藏的日式美感。
通过分析日本人的审美意识,有助于我们今后对日本作家作品的把握和理解。
在搜集资料的过程中,笔者发现,对川端康成的研究资料数量多,基数大,其中确也不乏一些优质的分析和看法。
但是经过整理发现,大部分研究都是较为片面的。
例如:多集中于作者自身经历与作品关系,日本传统文化与作者的关系,又或是纯粹的文学作品赏析。
将民族性与作家经历和作品结合的数量并不多。
因此,本文首先将《伊豆的舞女》分为人性美,残缺美两个方面进行举例分析,总结出作品意象和创作特点。
之后通过探究与揭示作品中的日本民族个性和日本人的审美意识。
最终达到对这部作品的理解,对日本文化的了解。
二、作品中表现的美(一)人性美本篇作品中的人物虽都独具个性特点,但是每一个人尤其是女性形象都拥有美好的人性与内在。
1.女性形象描写的多样性小说中,作者描绘了好几位女性艺伎的人物形象。
有纯情可爱的薰子,有四十多岁的中年艺伎,还有两位二十多岁的年轻姑娘。
从《美丽与悲哀》看川端康成的日本传统美意识作者:唐文元来源:《赤峰学院学报·哲学社会科学版》 2018年第4期摘要:川端康成是诺贝尔文学奖得主,是世界文坛大师,也是典型的日式作家,其作品一直以日本传统的物哀美意识为主基调。
本论文将通过解读《美丽与悲哀》中所展现的唯美意识来探究川端康成作品的魅力所在。
关键词:川端康成;《美丽与悲哀》;美意识;悲哀;虚无中图分类号:I106文献标识码:A文章编号:1673-2596(2018)04-0104-03曾获得诺贝尔文学奖的日本作家川端康成的作品向来以唯美著称,他总是以简洁、淡雅而又极其细腻的文字描述着一个个纯美或凄凉的故事。
川端展现出来的美大多立足于日本传统美意识,以物哀为主,兼具风雅和幽玄。
物哀是日本人的一种独特的审美方式,它以悲哀为主,但是又包含着比悲哀更加广泛的元素,有同情、哀伤、悲叹、赞颂、怜惜等诸多情感。
川端康成的创作中大多是将这种情感寄托于他笔下所描绘的女性们,通过她们将自己的美意识展现于读者面前。
《美丽与悲哀》也是一部具有典型日本物哀美的作品,这种美主要体现在悲哀美和虚无美两个方面。
一、“美丽与悲哀”的故事《美丽与悲哀》发表于昭和36年(1961年),是川端康成先生后期的代表作之一。
全篇情节简单、线索清晰,主要描述了由多年前的一段不伦之恋而引发的故事。
故事从小说家大木年雄年末时前往京都听跨年钟声而展开,其实他此行还有着另外一个不可告人的目的,就是为见一下阔别多年的旧情人上野音子。
当年的少女音子与已有家室大木发生了不伦之恋,但他们的孩子出生未久便已夭亡,音子深受打击而神经错乱,在多次自杀未遂后,最终只得同相依为命的母亲一起搬去了京都。
分别后的大木却把这段经历写成小说《十六七岁的少女》,并获得成功。
时过境迁,20多年后,中年的上野音子在绘画方面已小有名气,并收了一名来自东京的美丽女弟子——坂见庆子。
庆子外表妖艳,性格奔放,来京都前就对音子有所景仰,几年来两人一直形影不离地幽居寺庙作画,也逐渐产生了一种微妙的感情。
论川端康成作品中的日本传统美作者:王婷来源:《山东工业技术》2013年第14期【摘要】川端康成作为日本首位诺贝尔文学奖获得者,在他的文学作品中有着西方现代文学的特色,然而更重要的是他能使其作品深深扎根于日本传统文化之中,并不断继承和发扬日本的传统之美。
【关键词】川端康成;风雅;好色0 前言1899年6月14日川端康成诞生于日本大阪府三岛郡丰川村,祖辈在当地颇有名望。
川端康成的父亲毕业于东京医科学校,但在川端康成出世翌年便患病去世。
3岁时川端康成的母亲去世,从此被祖父母带回大阪抚养,而他唯一的姐姐则被寄养在另一亲戚家。
8岁时祖母去世,12岁时寄养在别人家的姐姐去世,16岁时祖父去世,此后无依无靠的川端康成住进了学校宿舍。
坎坷的遭遇使川端康成的性格受到严重扭曲,但却由此催生川端康成的创作才华。
1920年川端康成考入东京大学英文系,后转入国文系。
大学毕业后,川端康成与横光利一等人创刊《文艺时代》,发起了新感觉派文学运动,并发表了新感觉派纲领性论文《新进作家的新倾向解说》。
《伊豆的舞女》的发表,展现了川端康成在创作手法上的突破,成为他的代表作之一。
随着日本军国主义对外侵略和扩张的逐步升级,日本法西斯政府建立了“战时新体制”,川端康成的写作也受到政府的干预,他这个时期的重要作品有《水晶幻想》,《抒情歌》,《禽兽》,《花的圆舞曲》,《母亲初恋》,《雪国》等等。
《雪国》的出现奠定了川端康成在日本文学史上不可动摇的地位,也成为他登峰造极的作品之一。
不知道究竟出于什么原因,1972年4月16日川端康成在公寓内含煤气管自杀,结束了自己酸甜苦辣五味杂陈的一生。
川端康成(1899-1972)是日本当代著名作家,也是日本第一位诺贝尔文学奖获得者。
独特的孤儿经历及复杂多变的时代使川端文学深深地扎根于日本的传统之中,同时他又是一战后遍布全世界的现代派艺术潮流中的弄潮儿,这些都造成了川端文学的复杂性和多重性。
1 川端康成作品中体现的日本传统之美1.1 “风雅”“风雅”作为日本传统的美学范畴之一,有着漫长的发展史,川端康成也感受到风雅文学的魅力,他曾经说过:“风雅,就是发现存在的美,感受已经发现的美,创造有所感受的美。
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因传统的衰亡感到哀伤和痛苦的川端康成构思了一部以京都为背景、反映日本的传统美的名作《古都》。
一日本现代作家川端康成一生创作出了大量的作品,营造了独特的文学世界,对日本的传统美的精细刻画及日本传统文学的继承,使其成为日本文坛上的一代大师,尤其是对日本传统美的描绘为他赢得了世界的称誉。
川端是一位积极的文学探索者和美的追求者,对日本正逐渐衰败的传统文化和传统精神的追寻,使他赢得了诺贝尔文学奖。
川端早年积极参加了新感觉派的文学活动,并且成为这一文学派别的理论旗手。
川端康成在创作了几篇新感觉的小说之后,意识到自己并没有新感觉的气质和才华,便把目光投向日本传统的文学,寻找新的文学支撑点。
同时,他还积极学习吸收西方文学创作手法,尤其是意识流以及弗洛伊德的精神分析法,创作出了大批优秀的文学作品。
二战后美国文化渗透和影响了日本的整个社会,这种渗透和影响加快了日本现代化过程中传统文化衰败的步伐,日本传统的精神文化濒临衰落的境地。
战后的京都早已染上了衰亡的色彩,传统京都的衰亡令川端感到哀伤和痛苦。
“日本的战败也加深了我的凄凉。
我感觉到自己已经死去了,自己的骨头被日本故乡的秋雨浸湿,被日本故乡的落叶淹没,我感受到了古人悲哀的叹息。
川端康成の作品から感じられた美意識 概 要 川端康成是日本著名的小说家。他于1986年,作为日本的文学家首次获得了诺贝尔文学奖。 川端康成著有《伊豆的舞女》、《雪国》、《古都》、《睡美人》等代表作。 从川端康成的作品中可以感受到日本的传统美和自然美、精神上的余情美以及女性美。我的论文就是在试着探索这些美的表现与根源。 我以川端康成的作品《雪国》》为代表,举出了我所感受到的美的例子,并且,就这些例子以自己的想法说明了作者是如何表现他的美意识的。 据说川端康成从中学时代就开始阅读《源氏物语》。而据说《源氏物语》的最大的特征就是表现出了日本传统文化中的“物哀”的精神。因此,我认为“物哀”的精神是川端康成的美意识的一个根源。 除此之外,川端康成认为佛典是世界中最博大精深的文学。由于佛教的禅的影响,川端康成的审美情趣似乎也与佛教的意识相联系。他的作品大多都反映出了佛教的虚无思想。因此,我认为佛教的禅的影响也是川端康成的美意识的一个根源。 关键词:川端康成、美意识、雪国、物哀、佛教 概 要 川端康成は日本の著名な小説家である。彼は1986年、日本の文学者として初めてのノーベル賞受賞した。 川端康成には『伊豆の踊り子』、『雪国』、『古都』、『眠れる美女』などの代表作がある。 川端康成の作品から日本の伝統美と自然美、精神上の余情美、女性美が感じられる。私の論文はそれらの美の表現とその根源を探る試みである。 わたしは川端康成の作品『雪国』、を代表として、感じられた美の例を出した。それに、それらの例について、作者はどのように彼の美意識を表現したのかを自分の考えで表した。 川端康成は中学時代から『源氏物語』を読み始めたという。それに、日本伝統文化の中の「物のあはれ」の精神が表に出されるのが『源氏物語』の最大的な特徴だという。だから、「物のあはれ」の精神が川端康成の美意識の一つの根源であると思う。 また、川端康成は仏典を世界中で一番内容の豊富で奥の深い文学であると考える。仏教の禅の影響で、川端康成の審美情趣も仏教の意識につながっていたようだ。彼の多くの作品に仏教の虚無の思想が表してきた。だから、仏教の禅の影響も川端康成の美意識の一つの根源だと思う。 キーワード:川端康成、美意識、『雪国』、物のあはれ、仏教 序論 川端康成(1899--1972)は1968年、『雪国』、『古都』、『千羽鶴』の3つの作品 で、アジアで第二、日本最初のノーベル文学賞受賞者となった。 川端康成の作品が虚無を基調としながら、、そこには日本の古代以来の文化脊髄--淡い悲しみが溶けあって、凝集している。川端康成は以前、自分の作品には表面から見れば何も見られないが、実はその中に日本の古代以来の悲しみが含まれていると語っている。 川端康成には美について深い研究がある。彼は綿密な観察力がある天オ的な作家である。彼はいつも字句を練っていて、できるだけ美しいものを追求していた。それは芸術品を作ることと同じようであった。彼の文章の描写は極めて細かい。それに彼の思想の表現は物語によるのではなく、淡い筆調によるのだ。それは中国の詩と同じような感じがしている。 川端康成の作品から日本の伝統美と自然美、精神上の余情美、女性美が感じられる。 私の論文はそれらの美の表現とその根源を探る試みである。
はじめに
川端康成(1899--1972)は1968年、『雪国』、『古都』、『千羽鶴』の3つの作品 で、アジアで第二、日本最初のノーベル文学賞受賞者となった。「日本人の心の精髄を、優れた感受性をもって表現するその变述の巧みさ」をたたえ、日本の伝統に即して、道徳的、倫理的、文化意識を表現し、西洋と日本との精神的な架橋としての役割を果たしたこと」注1を受賞理由として公表した。彼は東洋と西洋の文化を融合し、文学創作に大きな成功を収めた作家であり、日本の伝統美への追求と西洋の变述技巧をたくみに結びついて、はかなく暗い影を帯びた日本的变情美を描く作風を示し、日本の伝統美の世界を構築し、日本文学史ないし世界文学史に重要な位置を占める作家であるといえよう。それに、川端康成は、人の心の美しさや哀しみを柔らかな感受性と純粋な眼でみつめて描き日本の伝統に息づく美を追い続けた作家といわれる。川端康成の一生は百あまりの小説を完成したが、中篇・短編小説は長編小説より遥かに多いのである。作品は变情性に富み、人性の美を追求し、仏教思想及び虚無主義に深く影響されていた。その創作生涯において、各種の芸術の道を探索して、表現主義、ダダイズム、日本の伝統主義、それに、西洋の人文主義及び意識の流れは『源川端康成物語』以来に形成した「ものの哀れ」、「幽玄」などの日本文学の伝統的な美意識とあわせて、『雪国』、『古都』、『千羽鶴』などのような優秀な文学作品を作り上げた。川端康成の作品は単一から複雑までに、日本の伝統文学の「余情美」を磯にした作風を形成すると同時に、朦朧、内面的、感覚的な美の世界を構築したのである。 小論は川端康成のノーベル文学賞受賞作品『雪国』を通して、川端文学の根底にある日本美の伝統について、自然描写、女性描写、死生観という三つの面から自分の見解を述べてみようと思う。
第一章 自然描写に流れている日本の伝統美 第一節 自然美と人情美の統一 日本人の美意識の底には常に自然との一体感という考え方が流れている。人間が自然を対象としていない、向こう側に認識するものではなくて、自分がその中にいる、その中で生きている世界そのものであるという考え方である。川端康成の作品はよくきれいな自然景色を背景に、豊かな季節の移り変わりの中で、自然景色とストリートの推移、人物運命の変化と人物感情の変化とを巧みに結びつき、いわゆる天人合一である。川端康成は濃厚な感情を持ちながら、自然を理解し、「心」で自然を描くのである。自然と人物の合一を強調し、自然景色の描写を通して、人物の気持ちを反映し、表現したのである。彼は単に自然風景の美を十分に表現するだけでなく、この美しい自然風景に生活している人物の美も描き出し、自然美と人情美の統一を追求している。その細部において、感覚的描写の鋭さは、比類がない。例えば、『雪国』の冒頭に近い汽車の中の有名な場面であり、窓硝子に外の夕景色と主人公の向いに坐った少女の顔が、重なって見える。
鏡の底には夕景色は流れていて、つまり写るものと写す鏡とが、映画の二重写しのように動くのだった。しかも人物は透明のはななさで、風景は夕闇のおぼろな流れで、その二つが融けあいながらこの世ならぬ象徴の世界を描いていた。殊に娘の顔のただなかに野山のともし火がともった時には、島村はなんともいえぬ美しさに胸が颤へたほどだった。
この夕景色の鏡は、現実の全てをそのまま映し出す鏡ではない。夕景の列車の窓ガラスには、車中の人物やその他が写り、その窓ガラスの底には車外の風景、夕景色の現実が輝きを失って流れている。そして鏡の表には葉子の顔が透明なはかなさでうつっている。その葉子の眼に、野山のともしびが二重うつしとなってともったとき「娘の眼と火とが重なった瞬間、彼女の眼は夕闇の波間に浮かぶ妖しく美しい夜光虫であった」。この様に娘の眼と火が重なった瞬間、女の眼は美しい夜光虫に変貌するように、美の高調した瞬間を適確に捉えるのが夕景色の鏡である。島村という夕景色の鏡つまり島村の眼が捉えるのは、鋭い感覚に適確にとらえられた美の高調した瞬間である。その鋭い感覚にふれたきらきらしたもののみを反射してみせる。この「雪国」の世界は島村の眼を通じて展開され、そこにある世界は感覚的に頂点のみ捉えられた存在であり、その底辺はことさらにとらえられていない。夕景色の鏡において、島村はその鏡に近く身をおいて、それに写る葉子の眼の夜光虫に変貌する美の高調した瞬間を見、そして「島村はなんともいえぬ美しさに胸が顫へたほどだった」。読者も亦島村という鏡に近く身をおいて、車中の夕景色の鏡同様に島村があざやかに捉え映し出すところの感覚的な美にふれるのである。
第二節 鋭敏な季節感と優雅な自然描写 日本列島の環境は日本民族の心理に影響を与え、日本人は季節の変換に鋭敏な感覚を持ち、自然景色の変化を繊細に観察する伝統が伝えてくる。このような民族心理は文学に反映すると、日本文学は古来四季の美の表現に重視し、自然美の表現に重視するような伝統を持っている。日本の伝統的な芸能は、いずれも季節感に支えられている部分が大きく、自然それ自体鑑賞の対象となるものが多くある。自然は人間の精神の観照対象となり、人間と自然との間に、純粋な、精神的な融合と交感があった場合、初めて、美意識が生じるわけである。 『雪国』は自然描写に大きな成功を収めた。川端康成は独特な感受性で雪国の季節変化の美を描き出し、ストリートは美しい自然の中に展開されている。島村が初めに雪国に来たのは「初夏のころで、雪崩の危険期が過ぎて、新緑の登山季節に入ったころだった。」二度目雪国に来たのは、初冬のころで、初雪が済んで、スキーの季節が到来する前であった。「国境の山々が見えて、その雪の輝きものどかであった」、「街道の村へ入ると、静かな雨滴のような音が聞こえていた」、「軒端の小さい氷柱が可愛く光っていた」注2。三度は、秋深いころから初冬のころで、「蛾が卵を産みつける季節」から冬の季節までで、「明るむように色鮮やか」な紅葉、「薄く雪をつけた杉林は、その杉一つ一つがくっきりと目立って、鋭く天を指しながら地の雪に立った。」注3季節の変化の代表物は明確に記述している。 『雪国』という小説では、自然の写生につとめたといわれている。 川端康成の作品における自然美は濃厚の東洋美を備えるだけでなく、作者独自の美意識も明確にされている。優雅は川端小説における東洋美の重要な部分である。川端康成はその作品で、常に優美で、純粋で、さっぱりしている色を取って、自然の美を飾りつく。自然の美を発見するため、川端康成は自然をみつめ、細かいところまで熱心に観察した。彼は鋭敏に景物の色の変化を捕まえ、自分なりの感受性で美を描き出されていた。川端康成小説には彼自分しかない特徴があり、自然描写に優れたことはその一つである。周知のとおり、川端康成は熱烈に、執着的に美を追求する作家である。川端康成は美を探索、表現するには、自然物を無視できず、自然物の美を無視できないと主張する。川端康成は幼い時から日本の古典に影響され、「ものの哀れ」などの美学思想に影響されたから、彼の文学創作、特に自然描写は無意識に日本の伝統美を流れていて、その自然観は日本の伝統的な美学思想と切っても切れないつながりが存在している。「物の哀れ」は川端康成の小説によく出てくる悲しさで、この感動的なふさぎ込んだ気持ち説明しにくいが、日本の「懐かしさ」の気持ちには悲しさも含まれているので、なにげなく苦くもありまた楽しくもある気分が川端康成の小説を読んでいる時引き出される。