小仓百人一首
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小倉百人一首001 秋田(あきのた)の假廬(かりほ)の庵(いほ)の苫(とま)を荒(あら)み我(わ)が衣手(ころもて)は露(つゆ)に濡(ぬ)れつつ秋日田圃間心穗假廬粗庵內苫蓆陋且荒吾人衣袖霑夜露濡濕不乾龍田秋天智天皇002 春過(はるす)ぎて夏來(なつき)にけらし白妙(しろたへ)の衣乾(ころもほ)すて(云)ふ天香具山(あまのかぐやま)佐保春已過今觀夏概既來兮白妙素織服晾曬乾衣披山間典雅天之香具山持統天皇003 足引(あしびき)の山鳥(やまどり)の尾(を)の垂尾(しだりのを) 長長(ながなが)し夜(よ)を獨(ひとり)かも寢(ね)む足引山險峻雉子山鳥尾醒目垂尾長綿延漫漫長夜映尾長孤眠獨寢恨夜長柿本人麻呂(柿本人麿)004 田子浦(たごのうら)に打出(うちいで)て見(み)れば白妙(しろたへ)の富士(ふじのたかね)に雪(ゆき)は降(ふ)りつつ駿河田子浦至此出步覽觀者白妙浩皚皚不死富士高嶺上白雪零落降紛紛山部赤人(山邊赤人)005 奧山(おくやま)に紅葉踏分(もみぢふみわ)け鳴鹿(なくしか)の聲聞(こゑき)く時(とき)ぞ秋(あき)は悲(かな)しき寂寥深山中腳踏紅葉獨步行不知自何方鳴鹿哀啼聲可聞秋日懷悲沁身心猿丸大夫006 鵲(かささぎ)の渡(わた)せる橋(はし)に置霜(おくしも)の白(しろ)きを見(み)れば夜(よ)ぞ更(ふ)けにける七夕喜相逢烏鵲成橋渡銀漢宮苑霜已降夜更鵲啼霜滿天鵲橋皓白映夜深中納言家持(大伴家持)007 天原(あまのはら) 振離(ふりさ)け見(み)れば春日(かすが)なる三笠山(みかさのやま)に出(いで)し月(つき)かも久方高天原翹首遙望思東天於此所眺月可與奈良春日間三笠山出皎月同安倍仲麿(安倍仲麻呂)008 我庵(わがいほ)は都(みやこ)の辰巳(たつみ) 然(しか)ぞ棲(す)む世(よ)を宇治山(うぢやま)と人(ひと)は云也(いふなり)入道屏山庵吾居位京辰巳方誠然棲此地宇治山悠閒自得豈信人稱其憂山喜撰法師009 花色(はなのいろ)は移(うつ)りにけりな徒(いたづら)に我身世(わがみよ)に經(ふ)る長雨(ながめ)せし間(ま)に花色雖多彩時節遞嬗本無常徒有空悲感此身形貌隨年老虛眺長雨摧花落小野小町010 是(これ)や此(こ)の行(ゆ)くも歸(かへ)るも別(わかれ)ては知(し)るも知(し)らぬも逢坂關(あふさかのせき)是耶此地矣往返絡繹常不絕別離踐遠行無論相識不相識俱在相會逢坂關蟬丸011 海原(わたのはら) 八十島驅(やそしまか)けて漕出(こぎい)でぬと人(ひと)には告(つ)げよ海人(あま)の釣舟(つりふね)綿津大海原航往八十千千島漕楫出滄海還請海人釣舟上白水郎兒告家人參議篁小野篁012 天風(あまつかぜ) 雲(くも)の通路(かよひぢ) 吹閉(ふきと)ぢよ乙女(をとめ)の姿(すがた) 暫留(しばしとど)めむ蒼窮天風矣願阻天界凡世間相通天雲路吹閉雲路滯天女暫留妍姿在人世僧正遍昭良岑宗貞013 筑波嶺(つくばね)の峰(みね)より落(お)つる男女川(みなのかは) 戀(こひ)ぞ積(つもり)て淵(ふち)と成(な)りぬる常陸筑波嶺流自嶺上綿延落涓涓男女川日積月累納情戀匯作深潭永彌堅陽成院陽成天皇014 陸奧(みちのく)の信夫捩摺(しのぶもぢずり) 誰故(たれゆゑ)に亂初(みだれそ)めにし我(われ)なら無(な)くに陸奧信夫郡忍草捩摺因誰故紋染凌不整吾心初亂如紊麻究竟當為誰之過河原左大臣源融015 君(きみ)が為(ため) 春野(はるのの)に出(い)でて若菜摘(わかなつ)む我衣手(わがころもで)に雪(ゆき)は降(ふ)りつつ一心全為君罷身春野田原間俯拾摘若菜早春若菜生雪間袖上細雪紛紛降光孝天皇仁和帝016 立別(たちわか)れ因幡山(いなばのやま)の峯(みね)に生(お)ふる松(まつ)とし聞(き)かば今歸來(いまかへりこ)む送君別千里今立因幡稻羽山如其峰上松若知吾人苦待君還冀今朝歸來兮中納言行平在原行平017 千早振(ちはやぶ)る神世(かみよ)も聞(き)かず龍田川(たつたがは) 韓紅(からくれなゐ)に水絞(みづくく)るとは縱在千早振稜威神代未有聞秋日龍田河紅葉織水染韓紅奇景絢麗勝古今在原業平朝臣018 住江(すみのえ)の岸(きし)に寄(よ)る波(なみ) 夜(よる)さへや夢(ゆめ)の通路(かよひぢ) 人目避(ひとめよ)くらむ住吉住之江江邊波濤寄岸來猶如夜中寢夢間通路竊相晤汝避人目來相逢藤原敏行朝臣019 難波潟(なにはがた) 短(みじ)かき蘆(あし)の節間(ふしのま)も逢(あ)はで此世(このよ)を過(す)ぐしてよとや浪速難波潟難波蘆葦節間短人生促須臾豈稱未逢過此世何以心安不念君伊勢020 侘(わび)ぬれば今(いま)はた同(おな)じ難波(なには)なる身(み)を盡(つ)くしても逢(あ)はむとぞ思(おも)ふ事泄心緒亂吾暮君心仍無易難波澪標矣縱令身毀永不復仍願再與君相會元良親王021 今來(いまこ)むと言(い)ひし許(ばかり)に長月(ながつき)の有明月(ありあけのつき)を待出(まちいづ)つる哉(かな)君稱今將至豈知口諾無其實久月秋夜長吾人苦待不得逢下旬有明月已出素性法師良岑玄利022 吹(ふ)くからに秋(あき)の草木(くさき)の萎(しを)るれば宜山風(むべやまかぜ)を嵐(あらし)と云(い)ふらむ風吹野邊者秋日草木為所折搖曳狀荒亂殘摧傾倒甚將枯是以山風謂之嵐文屋康秀023 月見(つきみ)れば千千(ちぢ)に物(もの)こそ悲(かな)しけれ我身一(わがみひと)つの秋(あき)には有(あ)らねど舉頭望秋月千千萬物令吾悲何其物哀者雖秋非為吾一人吾身孑然獨愁愴大江千里024 此旅(このたび)は幣(ぬさ)も取合(とりあ)へず手向山(たむけやま) 紅葉(もみぢ)の錦(にしき) 神(かみ)の隨(まにま)に此旅行急促未得備妥獻御幣此是手向山當以紅葉零似錦奉神隨意納誠情菅家菅原道真025 名(な)にし負(お)はば逢坂山(あふさかやま)の真葛(さねかづら) 人(ひと)に知(し)られで來由(くるよし)もがな若不負此名逢坂山上真葛矣小寢繰彼葛如何不為人所知竊來相會全慕情三條右大臣藤原定方026 小倉山(をぐらやま) 峰(みね)の紅葉葉(もみぢば) 心有(こころあ)らば今一度(いまひとたび)の行幸待(みゆきま)たなむ嵯峨小倉山峰上楓葉盡火紅紅葉若有心還妄且暫勿凋零更待吾君再幸臨貞信公藤原忠平027 甕原(みかのはら) 分(わ)きて流(なが)るる泉川(いづみがは) 何時見(いつみ)きとてか戀(こひ)しかるらむ三香瓶甕原水分泉湧流而下木津川泉河究竟何時曾見君令吾戀慕至於今中納言兼輔藤原兼輔028 山里(やまさと)は冬(ふゆ)ぞ寂(さび)しさ增(ま)さりける人目(ひとめ)も草(くさ)も枯(か)れぬと思(おも)へば獨居深山里時值冬日倍寂寥沒落冷清者人目離兮草木枯方寸滿溢死寂情源宗于朝臣029 心當(こころあ)てに折(を)らばや折(を)らむ初霜(はつしも)の置(お)き惑(まど)はせる白菊花(しらぎくのはな)心量計其辰何時當枝菊花折孰知初霜降一面置白惑吾人白菊花兮可怜矣凡河內躬恒030 有明(ありあけ)の由緣無(つれな)く見(み)えし別(わかれ)より曉許(あかつきばか)り憂物(うきもの)は無(な)し晨曦有明月徒留空中迎朝曉伊人甚無情相別不予再相會以故憂莫勝曉許壬生忠岑031 朝(あさ)ぼらけ有明(ありあけ)の月(つき)と見(み)る迄(まで)に吉野(よしの)の里(さと)に降(ふ)れる白雪(しらゆき)朝辰仄將明薄明之際月掛天雪降吉野里還誤有明月曜地方圓一望盡白皙坂上是則032 山川(やまがは)に風(かぜ)の架(か)けたる柵(しがらみ)は流(なが)れも飽(あ)へぬ紅葉(もみぢ)なりけり山間細清川秋風架柵阻其流細觀其柵者留滯難移不得流紅葉積水為溪柵春道列樹033 久方(ひさかた)の光長閑(ひかりのど)けき春日(はるのひ)に靜心無(しづこころな)く花(はな)の散(ち)るらむ朝陽懸虛空閑日高照暖世間此時雖春日櫻花俄遷心無靜愁帶哀思散儚華紀友則034 誰(たれ)をかも知(し)る人(ひと)に為(せ)む高砂(たかさご)の松(まつ)も昔(むかし)の友(とも)なら無(な)くに吾當以孰人交好相知為故友高砂松久常然彼為松不為人何以作友常相伴藤原興風035 人(ひと)はいさ心(こころ)も知(し)らず故里(ふるさと)は花(はな)ぞ昔(むかし)の香(か)に匂(にほ)ひける人心每浮動變化無常不知衷今日訪故地不知人心依舊否惟有花香猶往昔紀貫之036 夏夜(なつのよ)は未(ま)だ宵(よひ)ながら明(あ)けぬるを雲(くも)の何處(いづこ)に月宿(つきやど)るらむ夏夜也苦短方覺夜至夜已盡東方天將明明月無暇沉西天叢雲何處可蔽身清原深養父037 白露(しらつゆ)に風(かぜ)の吹(ふ)きしく秋野(あきのの)は貫(つらぬ)き留(と)めぬ玉(たま)ぞ散(ちり)ける瑩瑩白露者頻為風吹拂大氣寂寥秋野間猶絲無以貫繫止緒斷真珠散飛空文屋朝康038 忘(わす)らるる身(み)をば思(おも)はず誓(ちか)ひてし人命(ひとのいのち)の惜(を)しくも有哉(あるかな)不恨為君忘此身雖悲無所怨所惜為君命想君當年誓不渝今日背信命危哉右近039 淺茅生(あさぢふ)の小野篠原(をののしのはら) 忍(しの)ぶれど餘(あま)りて何(な)どか人(ひと)の戀(こひ)しき叢叢淺茅生小野篠原忍草生吾隱吾慕心不為人知至今日何以情溢戀不止參議等源等040 忍(しの)ぶれど色(いろ)に出(い)でにけり我戀(わがこひ)は物(もの)や思(おも)ふと人(いと)の問(と)ふ迄(まで)情不願人知雖隱卻仍現於色色現程如何雖隱既為人所察來問吾戀何惱哉平兼盛041 戀(こひ)す云(て)ふ我名(わがな)は未(ま)だき立(た)ちにけり人知(ひとし)れずこそ思初(おもひそめ)しか人云吾戀汝浮名已傳天下聞唯吾不識噂以為此情方萌芽竊思戀慕無人知壬生忠見042 契(ちぎり)きな互(かたみ)に袖(そで)を絞(しぼ)りつつ末(すゑ)の松山(まつやま) 波越(なみこ)さじとは嚮日契山盟互濕衣襟誓不渝揮淚絞袖乾駭浪無越末松山何以今日毀昔約清原元輔043 逢見(あひみ)ての後(のち)の心(こころ)に較(くら)ぶれば昔(むかし)は物(もの)を思(おも)はざりけり逢見相契後慕情更甚烈於前相較於今者往昔曩日所憂惱未能堪稱相思苦權中納言敦忠藤原敦忠044 逢事(あふこと)の絕(た)えてし無(な)くば中中(なかなか)に人(ひと)をも身(み)をも恨(うらみ)ざらまし今懟相思苦茍令自初無逢事反致心自得若使往日未相識於人於身不留恨中納言朝忠藤原朝忠045 哀(あはれ)とも云(い)ふべき人(ひと)は思(おも)ほえで身(み)の徒(いたづら)に成(なり)ぬべき哉(かな)今顧我身者可有孰人哀憐乎無人憐吾身縱令馬齒徒增長此亦枉然苟活哉謙德公藤原伊尹046 由良(ゆら)の門(と)を渡(わた)る舟人(ふなびと) 梶(かぢ)を絕(た)え行方(ゆくへ)も知(し)らぬ戀道哉(こひのみちかな)由良川海門渡子舟人失槳梶無術漂泛海吾人情路亦如是何去何從無所寄曾禰好忠047 八重葎(やへむぐら) 繁(しげ)れる宿(やど)の寂(さび)しきに人(ひと)こそ見(み)えね秋(あき)は來(き)にけり荒蕪雜草生八重葎茂家門間其景何其寂不見人影無人跡唯有秋來惨戚戚惠慶法師048 風(かぜ)を疾(いた)み岩打波(いはうつなみ)の己(おのれ)のみ碎(くだ)けて物(もの)を思(おも)ふ頃哉(ころかな)疾風速且勁拂揚巨浪拍岸岩汝固身如岩吾今思己如彼濤身碎心裂徒愴然源重之049 御垣守(みかきもり) 衛士(ゑじ)の炊火(たくひ)の夜(よる)は燃(も)え晝(ひる)は消(き)えつつ物(もの)をこそ思(おも)へ警固御垣守衛士炊火若吾情夜燃而晝滅吾人思火亦如是時燃時消屢煎熬大中臣能宣朝臣050 君(きみ)が為(ため) 惜(を)しからざりし命(いのち)さへ長(なが)くもがなと思(おもひ)ける哉(かな)若為與君會往日無顧不惜生然與君契後只願此命能長久廝守偕老至石爛051 斯(か)くとだにえやは伊吹(いぶき)の蓬草(さしもぐさ) さしも知(し)らじな燃(も)ゆる思火(おもひ)を雖思君如此藏於方寸不能言伊吹山蓬萌汝或不知我心思思火熾烈燃身心藤原實方朝臣052 明(あ)けぬれば暮(く)るる物(もの)とは知(し)りながら猶恨(なほうら)めしき朝(あさ)ぼらけ哉(かな)一旦天明後雖之日必終將暮猶恨不能止心怨春宵夜短促憾恨黎明散佳偶藤原道信朝臣053 嘆(なげき)つつ獨寢(ひとりぬ)る夜(よ)の明(あく)る間(ま)は如何(いか)に久(ひさ)しき物(もの)とかは知(し)る悲嘆復悲嘆獨守空閨孤寢夜問君誠可知夜長漫漫天難明待曉之間何苦久右大將道綱母054 忘(わす)れじの行末迄(ゆくすえまで)は難(かた)ければ今日(けふ)を限(かぎり)の命(いのち)ともがな君稱不忘卿誓情海枯盟石爛吾知世無常但願命隕在今宵得君愛擁死無憾儀同三司母高階貴子055 瀧音(たきのおと)は絕(た)えて久(ひさ)しく成(なり)ぬれど名(な)こそ流(なが)れて猶聞(なほきこ)えけれ瀧音絕已久昔日名瀧今水涸其形雖不再盛名流傳亙萬代至今猶聞無絕日大納言公任藤原公任056 在(あ)らざらむ此世(このよ)の外(ほか)の思出(おもひで)に今一度(いまひとたび)の逢事(あふこと)もがな此命在旦夕今思將來在他界願得追憶者只願吾身殞命前還緣再見君一面和泉式部057 巡逢(めぐりあ)ひて見(み)しや其(それ)とも判(わか)ぬ間(ま)に雲(くも)が隱(くれ)にし夜半(よは)の月哉(つきかな)邂逅巡相逢還未得細觀其形遁隱雲霧間一猶夜半月牙哉忽隱雲間難辨明紫式部058 有馬山(ありまやま) 豬名笹原(ゐなのささはら) 風吹(かぜふ)けばいで其(そ)よ人(ひと)を忘(わす)れやはする攝津有馬山豬名笹原風吹者草木為風拂嗚呼是矣其音者何得忘汝釋慕懷大貳三位藤原賢子059 休(やす)らはで寢(ね)な益物(ましもの)を小夜更(さよふ)けて傾(かたぶ)く迄(まで)の月(つき)を見(み)し哉(かな)早知君不臨不若率先入寢眠時至小夜更月傾西山天將曙望月終夜苛孤苦赤染衛門060 大江山(おほえやま) 生野(いくの)の道(みち)の遠(とほ)ければ未(ま)だ踏(ふ)みも見(み)ず天橋立(あまのはしだて)巍峨大江山生野道遠難以行母在山之端吾未得踏探母路未獲家書天橋立小式部內侍061 古(いにしへ)の奈良都(ならのみやこ)の八重櫻(やへさくら) 今日九重(けふここのへ)に匂(にほ)ひぬる哉(かな)曩古奈良都平城京中八重櫻故其昔盛日還願今日化九重綻放內裏絢繽紛伊勢大輔062 夜(よ)を籠(こ)めて鳥(とり)の空音(そらね)は計(はか)るとも世(よ)に逢坂(あふさか)の關(せき)は赦(ゆる)さじ夜暗天未明偽庭鳥鳴空音聞偽計假雞啼縱令得過函谷關豈赦輒越逢坂關清少納言063 今(いま)は唯(ただ) 思絕(おもひた)えなむとばかりを人傳(ひとづ)て成(な)らで言由(いふよし)もがな事既至如此縱今須與君絕情斷此相思者唯欲不願借人傳只願親述話事由左京大夫道雅藤原道雅064 朝(あさ)ぼらけ宇治川霧(うぢのかはぎり) 絕絕(たえだえ)に現渡(あらはれわた)る瀨瀨(せぜ)の網代木(あじろぎ)黎明早朝時宇治川霧漸見晴斷續且斷續漸而現出顯分明瀨瀨之間網代木權中納言定賴藤原定賴065 恨(うら)み侘(わび) 乾(ほ)さぬ袖(そで)だに有物(あるもの)を戀(こひ)に朽(く)ちなむ名(な)こそ惜(をし)けれ悲憤復悲憤至今既已無氣力濡袖永不乾吾名已因此戀朽惋惜難堪嘆狼藉相模066 諸共(もろとも)に悲(あは)れと思(おも)へ山櫻(やまざくら) 花(はな)より外(ほか)に知人(しるひと)も無(な)し諸共山櫻等當能悲憐感我哉除山櫻花外孰能知我解吾身孰能憐我悲吾遇前大僧正行尊067 春夜(はるのよ)の夢許(ゆめばかり)なる手枕(たまくら)に甲斐無(かひな)く立(た)たむ名(な)こそ惜(をし)けれ春夜夢無常好景虛幻易俄逝君願借手枕然其表麗卻無實只懼浮名徒立矣周防內侍平仲子068 心(こころ)にも在(あ)らで憂世(うきよ)に長(なが)らへば戀(こひ)しかるべき夜半(とは)の月哉(つきかな)不能如所願若致苟活憂世間莫得脫苦海今顧此世可戀者唯有夜半清月哉三條院三條天皇069 嵐吹(あらしふ)く三室山(みむろのやま)の紅葉葉(もみぢば)は龍田川(たつたのかは)の錦也(にしきなり)けり嵐吹三諸岳三室山上紅葉葉飄落龍田川川間紅葉朱似錦絢爛如畫映眼簾能因法師橘永愷070 寂(さび)しさに宿(やど)を立出(たちいで)て眺(なが)むれば何處(いづこ)も同(おな)じ秋夕暮(あきのゆふぐれ)獨居山庵間不耐寂寞出居步信步眺望者處處之景咸皆同誰彼時分秋夕暮良選法師071 夕去(ゆふさ)れば門田稻葉(かどたのいなば) 訪(おとづ)れて蘆丸屋(あしのまろや)に秋風(あきかぜ)ぞ吹(ふ)く夕暮黃昏刻門田稻葉聲作響一猶人來訪秋風吹拂蘆丸屋稻葉作響猶喚人大納言經信藤原經信072 音(おと)に聞(き)く高師濱(たかしのはま)の徒波(あだなみ)は掛(か)けじや袖(そで)の濡(ぬ)れもこそすれ浪搏音可聞著名難波高師濱君意勿掛心徒波莫擊濕吾袖還恐薄情君不實祐子內親王家紀伊073 高砂(たかさご)の尾上(をのへ)の櫻(さくら) 咲(さ)きにけり外山(とやま)の霞(かすみ) 立(た)たずも有(あ)らなむ高砂尾上峰頂上山櫻咲美哉今見此勝景還願外山霞莫起勿遮遠山艷櫻姿前權中納言匡房大江匡房074 憂(う)かりける人(ひと)を初瀨(はつせ)の山下(やまおろ)しよ激(はげ)しかれとは祈(いの)らぬ物(もの)を致憂復致惱薄情之人甚冷漠初瀨長谷山山下之嵐淒冷冽吾可曾祈漠如此源俊賴朝臣075 契置(ちぎりお)きし蓬艾(させも)が露(つゆ)を命(いのち)にて憐(あは)れ今年(ことし)の秋(あき)も行(い)ぬめり相諾曾相許吾命薄幸如朝露見蓬艾上露可惜今年秋又至方知此歲復背信藤原基俊076 海原(わたのはら) 漕出(こぎいで)て見(み)れば久方(ひさかた)の雲居(くもゐ)に紛(まが)ふ沖(おき)つ白波(しらなみ)綿津見海原漕出滄海一望者沖浪似皓雲海上遙空水天線誤作久方天雲居法性寺入道前關白太政大臣藤原忠通077 瀨(せ)を早(はや)み岩(いは)に塞(せ)かるる瀧川(たきがは)の割(わ)れても末(すゑ)に合(あ)はむとぞ思(おも)ふ其流疾且速川瀨遇岩遭阻絕瀧川割二分吾度彼川今雖離其末必將再相逢崇德院崇德天皇078 淡路島(あはぢしま) 通(かよ)ふ千鳥(ちどり)の鳴聲(なくこゑ)に幾夜寢覺(いくよねざ)めぬ須磨關守(すまのせきもり)近畿淡路島千鳥飛渡畫大空鳥鳴聲淒厲幾度令吾夜寢覺須磨關守甚難眠源兼昌079 秋風(あきかぜ)に棚引(たなび)く雲(くも)の絕間(たえま)より漏出(もれいづ)る月(つき)の影(かげ)の清(さや)けさ秋風曳雲長棚引綿延亙虛空雲間月光漏洩出月影誠皎潔月清朗朗今流泄左京大夫顯輔藤原顯輔080 長(なが)からむ心(こころ)も知(し)らず黑髮(くろかみ)の亂(みだれ)て今朝(けさ)は物(もの)をこそ思(おも)へ君心實如何不知可否亙長久黑髮長紊亂昨夜雲雨今朝別吾心若髮亂如麻待賢門院堀河081 郭公(ほととぎす) 鳴(な)きつる方(かた)を眺(なが)むれば唯有明(ただありあけ)の月(つき)ぞ殘(のこ)れる郭公不如歸今尋聞聲處眺去不見啼鳥蹤唯見有明天將曙殘月掛空懸太虛後德大寺左大臣藤原實定082 思侘(おもひわ)び然(さ)ても命(いのち)は有物(あるもの)を憂(う)きに耐(た)へぬは淚也(なみだなり)けり心惱徒嘆息此命今日雖仍在無非虛度矣憂愁難耐徒苟活熱淚盈眶涕泣下道因法師藤原敦賴083 世中(よのなか)よ道(みち)こそ無(な)けれ思入(おもひい)る山奥(やまのおく)にも鹿(しか)ぞ鳴(な)くなる悠悠此世間世間雖大無寄道身仍無容處深覺縱隱深山奧仍聞鳴鹿淒切聲皇太后宮大夫俊成藤原俊成084 長(なが)らへば復此頃(またこのころ)や偲(しの)ばれむ憂(う)しと見(み)し世(よ)ぞ今(いま)は戀(こひ)しき若得長壽者他日復憶此憂世可將念懷否往昔苦痛回首顧是否反致人戀惜藤原清輔朝臣085 夜(よ)も徹(すがら) 物思頃(ものおもふころ)は明(あ)けやらで閨(ねや)の隙(ひま)さへ由緣無(つれな)かりけり終夜悲不眠沉浸物思陷憂情夜長天不明豈知幽暗閨中隙亦感無情甚冷漠俊惠法師086 嘆(なげ)けとて月(つき)やは物(もの)を思(おも)はする託顏(かこちがほ)なる我淚(わがなみだかな)月云嘆息乎似令人作徒物思雖知非如此不覺託顏作慍色我淚涕下竊怨月西行法師佐藤義清087 村雨(むらさめ)の露(つゆ)も未(ま)だ乾(ひ)ぬ真木葉(まきのは)に霧立昇(きりたちのぼ)る秋夕暮(あきのゆふぐれ)村雨叢陣雨雨露未乾置木葉真木杉檜間霧氣冉冉昇瀰漫秋日蕭條夕暮時寂蓮法師藤原定長088 難波江(なにはえ)の蘆苅根(あしのかりね)の一節故(ひとよゆゑ) 澪標(みをつくし)てや戀渡(こひわた)るべき難波江蘆茂蘆葦苅根一節短假眠一夜故當顧澪標汎江海宜盡此生為戀慕皇嘉門院別當089 玉緒(たまのお)よ絕(た)えなば絕(た)えね長(なが)らへば忍(しの)ぶる事(こと)の弱(よわ)りもぞする珠絲玉緒者汝若將絕實當絕吾命亦如思若徒長生茍存世只畏難忍竊慕情式子內親王090 見(み)せばやな雄島海人(をじまのあま)の袖(そで)だにも濡(ぬ)れにぞ濡(ぬ)れし色(いろ)は變(かは)らず欲使君觀之雄島海人濡袖濕常濡色不變然吾衣袖血淚沾染作朱紅見斑斑殷富門院大輔091 蟋蟀(きりぎりす) 鳴(な)くや霜夜(しもよ)の狹蓆(さむしろ)に衣片敷(ころもかたし)き一人(ひとり)かも寢(ね)む秋節蟋蟀鳴霜夜孤眠窄蓆寒敷衣草蓆上不能成雙唯孤枕獨寢難眠甚悽悽後京極攝政前太政大臣藤原良經092 我袖(わがそで)は潮乾(しほひ)に見(み)えぬ沖石(おきのいし)の人(ひと)こそ知(し)らね乾(かわ)く間(ま)も無(な)し吾袖如沖石縱在潮退深不出沖石未嘗乾不為人知久浸潤濕袖未有俄乾時二條院讚岐093 世中(よのなか)は常(つね)にもがもな渚漕(なぎさこ)ぐ天小舟(あまのこぶね)の綱手悲(つなでかな)しも世事總無常若願何者能長久漕渚天小舟願彼綱手永不絕令人難忘甚愛憐鎌倉右大臣源實朝094 御吉野(みよしの)の山秋風(やまのあきかぜ) 小夜更(さよふ)けて舊里寒(ふるさとさむ)く衣打(ころもう)つ也(なり)大和御吉野吉野山秋風蕭瑟夜更吹故里冽氣更令舊里寒猶聞戶戶擣衣聲參議雅經藤原雅經095 おほけ無(な)く憂世(うきよ)の民(たみ)に覆(おほ)ふ哉(かな) 我(わ)が立杣(たつそま)に墨染袖(すみぞめのそで)吾身力不逮今在比叡杣山上身著墨染袖不知今借三寶力可否覆澤憂世民前大僧正慈円096 花誘(はなさそ)ふ嵐(あらし)の庭(には)の雪(ゆき)ならで降行(ふりゆ)く物(もの)は我身也(わがみなり)けり山嵐誘花至庭間落花紛似雪花零吾身者還憂己身日益衰年歲老去猶花落入道前太政大臣藤原公經097 來(こ)ぬ人(ひと)を松帆浦(まつほのうら)の夕凪(ゆふなぎ)に燒(き)くや藻鹽(もしほ)の身(み)も焦(こが)れつつ身居松帆浦江畔待人人不至黃昏夕凪間一猶海人燒藻鹽吾人心焚身亦焦權中納言定家藤原定家098 風(かぜ)そよぐ楢(なら)の小川(をがは)の夕暮(ゆふぐ)れは禊(みそぎ)ぞ夏(なつ)の徵也(しるしなり)ける風吹楢樹響賀茂御手洗川上晚夏初秋時唯有夕暮祓禊事稍留六月夏日徵從二位家隆藤原家隆099 人(ひと)も惜(を)し人(ひと)も恨(うら)めし味色無(あぢきな)く世(よ)を思故(おもふゆえ)に物思(ものおも)ふ身(み)は時惜憐他者時憎他人常反覆無奈俗世間我心不由陷物悲心亂如麻不自己後鳥羽院後鳥羽天皇100 百敷(ももしき)や古(ふる)き軒端(のきば)の偲(しの)ぶにも猶餘有(なほあまりあ)る昔也(むかしなり)けり百敷大宮闈今日忍草荒叢生偲懷古軒簷已是大昔歲有餘唯得永憶在心中順德院順德天皇。
文学评论·外国文学《小仓百人一首》中“月”意象的主题特征邵楠 大连外国语大学日本语学院作者简介:邵楠(1992-),女,汉族,黑龙江省双鸭山市人,大连外国语大学2015级日语语言文学专业在读硕士研究生,研究方向为日本文学。
[中图分类号]:I106 [文献标识码]:A[文章编号]:1002-2139(2018)-11-124-01《小仓百人一首》是日本镰仓时代歌人藤原定家的私撰和歌集。
其中收录了自奈良时代至镰仓时代的一百首和歌,按照时间顺序进行排列,从中可见和歌的发展史,“月”的意象随着时代的变迁,已经趋于成熟,《小仓百人一首》中咏月歌共计12首,歌人或借“月”表相思,或望“月”思乡,一轮明月寄托了歌人的万千感怀,本文将对《小仓百人一首》中“月”意象的主题特征进行探究。
一、离别相思之“月”爱情是和歌中永恒不变的主题,因此恋歌在歌集中占据着中心地位,歌集中与“月”相关联的恋歌分别收录自《古今和歌集》、《后拾遗和歌集》、《千载和歌集》,从和歌创作的时代来看,恋歌与当时实行的“访妻婚”有着密切关联,在这些以哀伤为主旋律的和歌中,“月”常常被用作哀伤的载体,如:今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を待ち出でつるかな(二十一首 恋 素性法师)和歌通过“有明之月”来描写女子等待恋人直到天明的悲愁,女子彻夜等待恋人直至天明,“有明之月”暗示等待时间之久,同时,那一弯纤细、冷寂的月亮引发了与作者哀伤的心情产生了强烈的共鸣。
有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし(三十首 恋 任生忠岑)和歌中“有明之月”是指拂晓时出现的月亮,所以在实行“访妻婚”婚姻形态的和歌创作时代,“有明之月”的出现往往意味着恋人离别时刻的来临,因此,在歌人看来,那一弯挂在天空的弯月常常引起恋人的幽怨和哀伤。
嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな(八十六首 恋 西行法师)在这首和歌中,作者将恋人比作月亮,将月亮与恋人的面影结合在一起,见月怀人,不禁双目垂泪,将“月”拟人化、对象化,通过“月”将作者歌人的浪漫幻想和哀伤情绪表现出来。
小倉百人一首(汉字标假名)1 秋あきの田たの かりほおの庵いおの苫とまをあらみ わが衣ころもでは 露つゆにぬれつつ 2 春はるすぎて 夏なつ来きにけらし白妙しろたえの 衣ころもほすてふちょう 天あまの香か具ぐ山やま3 あしびきの 山鳥やまどりの尾おの しだり尾おの長ながながし夜よを ひとりかも寝ねむん4 田子たごの浦うらに うち出いでて見みれば 白妙しろたえの富士ふじの高たか嶺ねに 雪ゆきは降ふりつつ5 奥山おくやまに 紅葉もみじふみわけ 鳴なく鹿しかの声こえきく時ときぞ 秋あきはかなしき6 かささぎの わたせる橋はしに おく霜しもの白しろきを見みれば 夜よぞふけにける7 天あまの原はら ふりさけ見みれば 春日かすがなる三み笠かさの山やまに 出いでし月つきかも8 わが庵いおは 都みやこのたつみ しかぞすむ世よをうぢじ山やまと 人ひとはいふゆうなり9 花はなの色いろは うつりにけりな いたづらにわが身み世よにふる ながめせしまに10 これやこの 行ゆくも帰かえるも 別わかれては知しるも知しらぬも 遭坂おうさかの関せき11 わたの原はら 八や十そ島しまかけて こぎ出いでぬと人ひとには告つげよ あまのつり舟ぶね12 天あまつ風かぜ 雲くもの通かよひい路じ 吹ふき閉とぢじよをおとめの姿すがた しばしとどめむん13 筑つく波ば嶺ねの 峰みねより落おつる みなの川がわ恋こいぞつもりて 淵ふちとなりぬる14 陸奥みちのくの しのぶもぢじずり たれゆゑえに乱みだれそめにし われならなくに15 君きみがため 春はるの野のに出いでて 若わか菜なつむわが衣ころも手でに 雪ゆきはふりつつ16 立たち別わかれ いなばの山やまの 峰みねに生おふうるまつとし聞きかば 今いま帰かえり来こむん17 ちはやぶる 神かみ代よも聞きかず 竜たつ田た川がわからくれなゐいに 水みずくくるとは18 住すみの江えの 岸きしによる波なみ よるさへえや夢ゆめの通かよひい路じ 人ひと目めよくらむん19 難なに波わ潟がた 短みじかき蘆あしの ふしの間まも遭あはわでこの世よを すぐしてよとや20 わびぬれば 今いまはたおなじ 難なに波わなるみをつくしても 遭あはわむんとぞ思おもふう21 今いま来こむんと いひいしばかりに 長月ながつきの有明ありあけの月つきを 待まち出いでつるかな22 吹ふくからに 秋あきの草くさ木きの しをおるればむべ山風やまかぜを あらしといふうらむん23 月つき見みれば ちぢにものこそ 悲かなしけれわが身みひとつの 秋あきにはあらねど24 このたびは 幣ぬさもとりあへえず 手た向むけ山やま紅葉もみじの錦にしき 神かみのまにまに25 名なにし負おはわば 逢坂山おうさかやまの さねかづずら人ひとに知しられで くるよしもがな26 小こ倉くら山やま 峰みねのもみぢじ葉ば 心こころあらば今いまひとたびの みゆき待またなむん27 みかの原はら わきて流ながるる いづずみ川がわいつ見みきとてか 恋こいしかるらむん28 山里やまざとは 冬ふゆぞ寂さびしさ まさりける人ひと目めも草くさも かれぬと思おもへえば29 心こころあてに 折おらばや折おらむ 初霜はつしもの置おきまどはわせつ 白菊しらぎくの花はな30 有明ありあけの つれなく見みえし 別わかれより暁あかつきばかり 憂うきものはなし31 朝あさぼらけ 有明ありあけの月つきと 見みるまでに吉よし野のの里さとに 降ふれる白雪しらゆき32 山川やまがわに 風かぜのかけたる しがらみは流ながれもあへぬ 紅葉もみじなりけり33 ひさかたの 光ひかりのどけき 春はるの日ひにしづず心ごころなく 花はなの散ちるらむん34 たれをかも 知しる人ひとにせむん 高砂たかさごの松まつも昔むかしの 友ともならなくに35 人ひとはいさ 心こころも知しらず ふるさとは花はなぞ昔むかしの 香かににほひおいける36 夏なつの夜よは まだ宵よいながら 明あけぬるを雲くものいづずこに 月宿つきやどるらむん37 白露しらつゆに 風かぜの吹ふきしく 秋あきの野のはつらぬきとめぬ 玉たまぞ散ちりける38 忘わすらるる 身みをば思おもはわず ちかひいてし人ひとの命いのちの 惜おしくもあるかな39 浅あさ茅じ生うの 小野おのの篠原しのはらしのぶれどあまりてなどか 人ひとの恋こいしき40 しのぶれど 色いろに出いでにけり わが恋こいはものや思おもふうと 人ひとの問とふうまで41 恋こいすてふちょう わが名なはまだき 立たちにけり人ひと知しれずこそ 思おもひいそめしか42 契ちぎりきな かたみに袖そでを しぼりつつ末すえの松山まつやま 波なみ越こさじとは43 逢あひい見みての のちの心こころに くらぶれば昔みかしはものを 思おもはわざりけり44 逢あふうことの 絶たえてしなくは なかなかに人ひとをも身みをも 恨うらみざらまし45 あはわれとも いふうべき人ひとは 思おもほおえで身みのいたづずらに なりぬべきかな50 君きみがため 惜おしからざりし 命いのちさへえ長ながくもがなと 思おもひいけるかな51 かくとだに えやはいぶきの さしも草ぐささしも知しらじな 燃もゆる思おもひいを52 明あけぬれば 暮くるるものとは 知しりながらなほお恨うらめしき 朝あさぼらけかな53 嘆なげきつつ ひとり寝ねる夜よの 明あくる間まはいかに久ひさしき ものとかは知しる54 忘わすれじの 行ゆく末すえまでは かたければ今日きょうをかぎりの 命いのちともがな55 滝たきの音おとは 絶たええて久ひさしく なりぬれど名なこそ流ながれて なほお聞きこえけれ56 あらざらむん この世よのほかの 思おもひい出でに今いまひとたびの 逢あふうこともがな57 めぐり逢あひいて 見みしやそれとも わかぬ間まに雲隠くもがくれにし 夜半よわの月つきかな58 有あり馬ま山やま 猪名いなの笹原ささはら 風かぜ吹ふけばいでそよ人ひとを 忘わすれやはする59 やすらはわで 寝ねなましものを さ夜よふけてかたぶくまでの 月つきを見みしかな60 大おお江え山やま いく野のの道みちの 遠とおければまだふみも見みず 天あまの橋立はしだて61 いにしへえの 奈良ならの都みやこの 八や重え桜ざくらけふきょう九ここの重えに にほひおいぬるかな62 夜よをこめて 鳥とりのそら音ねは はかるともよに逢坂おうさかの 関せきは許ゆるさじ63 今いまはただ 思おもひい絶たえなむんとばかりを人ひとづてならで いふうよしもがな64 朝あさぼらけ 宇治うじの川霧かわぎりたえだえにあらはわれわたる 瀬々せぜの網あ代じろ木ぎ65 恨うらみわび ほさぬ袖そでだに あるものを恋こいに朽くちなむん 名なこそ惜おしけれ66 もろともに あはわれと思おもへえ 山やま桜ざくら花はなよりほかに 知しる人ひともなし67 春はるの夜よの 夢ゆめばかりなる 手た枕まくらにかひなく立たたむん 名なこそ惜おしけれ68 心こころにも あらで憂うき世よに ながらへえば恋こいしかるべき 夜半よわの月つきかな69 嵐あらし吹ふく 三み室むろの山やまの もみぢじ葉ばは竜たつ田たの川かわの 錦にしきなりけり70 寂さびしさに 宿やどを立たち出いでて ながむればいづずこも同おなじ 秋あきの夕ゆう暮ぐれ71 夕ゆうされば 門かど田たの稲いな葉ば おとづずれて蘆あしのまろやに 秋風あきかぜぞ吹ふく72 音おとに聞きく 高たか師しの浜はまの あだ波なみはかけじや袖そでの ぬれもこそすれ73 高砂たかさごの 尾おの上えの桜さくら 咲さきにけり外と山やまの霞かすみ 立たたずもあらなむん74 憂うかりける 人ひとを初はつ瀬せの 山やまおろしよ激はげしかれとは 祈いのらぬものを75 契ちぎりおきし させもが露つゆを 命いのちにてあはわれ今こ年としの 秋あきもいぬめり76 わたの原はら 漕こぎ出いでてみれば ひさかたの雲くも居いにまがふう 沖おきつ白波しらなみ77 瀬せをはやみ 岩いわにせかるる 滝川たきがわのわれても末すえに あはわむんとぞ思おもふう78 淡あわ路じ島しま 通かよふう千ち鳥どりの 鳴なく声こえに幾いく夜よ寝ねざめぬ 須磨すまの関守せきもり79 秋風あきかぜに たなびく雲くもの 絶たえ間まよりもれ出いづずる月つきの 影かげのさやけさ80 長ながからむん 心こころも知しらず 黒髪くろかみの乱みだれて今朝けさは ものをこそ思おもへえ81 ほととぎす 鳴なきつる方かたを ながむればただ有明ありあけの 月つきぞ残のこれる82 思おもひいわび さても命いのちは あるものを憂うきにたへえぬは 涙なみだなりけり83 世よの中なかよ 道みちこそなけれ 思おもひい入いり山やまの奥おくにも 鹿しかぞ鳴なくなる84 ながらへえば またこのごろや しのばれむん憂うしと見みし世よぞ 今いまは恋こいしき85 夜よもすがら もの思おもふうころは 明あけやらぬ閨ねやのひまさへえつれなかりけり86 嘆なげけとて 月つきやはものを 思おもはわするかこち顔がおなる わが涙なみだかな87 村雨むらさめの 露つゆもまだひぬ まきの葉はに霧きり立たちのぼる 秋あきの夕ゆう暮ぐれ88 難なに波わ江えの 蘆あしのかりねの ひとよゆゑえみをつくしてや 恋こひいわたるべき89 玉たまの緒およ 絶たえなば絶たえね ながらへえば忍しのぶることの 弱よわりもぞする90 見みせばやな 雄お島じまのあまの 袖そでだにもぬれにぞぬれし 色いろはかはわらず91 きりぎりす 鳴なくや霜しも夜よの さむしろに衣ころもかたしき ひとりかも寝ねむん92 わが袖そでは 潮しお干ひにみえぬ 沖おきの石いしの人ひとこそ知しらね かわく間まもなし93 世よの中なかは 常つねにもがもな 渚なぎさこぐあまの小お舟ぶねの 綱つな手でかなしも94 み吉よし野のの 山やまの秋風あきかぜ さ夜よふけてふるさと寒さむく 衣ころも打うつなり95 おほおけなく 憂うき世よの民たみに おほふおうかなわが立たつ杣そまに 墨すみ染ぞめの袖そで96 花はなさそふう 嵐あらしの庭にわの 雪ゆきならでふりゆくものは わが身みなりけり97 来こぬ人ひとを まつほの浦うらの 夕ゆうなぎに焼やくや藻も塩しおの 身みもこがれつつ98 風かぜそよぐ ならの小お川がわの 夕ゆう暮ぐれはみそぎぞ夏なつの しるしなりける99 人ひともをおし 人ひとも恨うらめし あぢじきなく世よを思おもふうゆゑえに もの思おもふう身みは100ももしきや 古ふるき軒のき端ばの しのぶにもなほおあまりある 昔むかしなりけり。
小仓百人一首中日对照诗文解析指南车轻;
(比喻指引事物的客观的方法)
人迹稀。
(指在这片土地上几乎看不到人的踪影)
牆头草色新;
(墙头的青草看上去特别新鲜)
红杏垂丝尘。
(红杏枝头那细长的枝条上有着充斥空气中落叶细尘)
萧萧黄莺催;
(清晨寂寥寥寒风中有着黄莺报岁的声音)
静听杜鹃啼。
(可以用耳静静地聆听着杜鹃欢快的鸣叫声)
三十六祁里;
(这里面一共有三十六个祁令)
九泉当中垂。
(九泉在里面,这里是最低处)
野苑迟日暮;
(野苑里的夕阳正在西斜)
独把闲愁分。
(独自静享闲愁,把心中的难受把握在自己的心里)
江边石块上;
(在江边的石头上)
何计出江湖。
(想着该如何能出走江湖之间的梦乡?)
日暮西山空;
(夕阳已落,但西山间仍是寂静)
天心觉月昏。
(因为月也依旧是朦胧的,所以整个天地显得晦暗)。
论汉译本《小仓百人一首》的中国古典诗风王米娜【摘要】在日本古典文学中,和歌占据着重要地位.日本和歌诗风清新,意境简隽优美.若将日本和歌与中国唐诗宋词相比较的话,可以看出日本和歌既有唐诗的意境,也有宋词清丽的文风.《小仓百人一首》是和歌的精粹,善于用具有简洁意象的平淡语言表现出细微的视觉、听觉等微观空间.刘德润先生的译文巧妙使用了中国古诗中的常见词汇,将其翻译为五言四句的古体诗形式,给具体的客观物象赋予了浓浓的诗意,并将日本和歌与中国诗歌之美有效融合在了一起.译文赋予其中国古典诗风,更易使读者达到符合原作的审美体验.【期刊名称】《郑州航空工业管理学院学报(社会科学版)》【年(卷),期】2015(034)005【总页数】4页(P145-148)【关键词】日本古典文学;和歌;小仓百人一首;诗歌翻译【作者】王米娜【作者单位】四川旅游学院,四川成都610100【正文语种】中文【中图分类】I313《小仓百人一首》是日本广为流传的和歌诗集,汇集了100位和歌作家的作品,从7世纪到13世纪,时间跨度600余年。
日本民族极少经历内乱,因此,文学作品也极少描写战争,和歌中所咏唱的大多是男女相思之情、四季交替之美,与中国古诗题材有一定不同。
然而,就诗歌技巧与风格而言,日本和歌与汉诗有诸多相通之处,如和歌与汉诗相同,采用“赋比兴”的表现手法,善于借助自然风物来表达个人情绪。
《小仓百人一首》中恋歌居多,共43首,其次为描写四季景色的作品。
隋唐时期,中日两国往来密切,汉唐诗风对日本和歌也有深远影响。
刘德润先生将《小仓百人一首》以五言四句的唐诗形式译出,使日本和歌与中国古典诗风融为一体。
本文选取了部分译诗,通过分析译文中的意象词语探讨译文所蕴含的中国古典诗风。
诗歌将作者的所见所思所闻以生动的文字形式表达出来,具有丰富的艺术美感。
意象是诗歌艺术的美学概念。
关于意象的定义,古今中外都有相应的阐述。
黑格尔认为:“诗人必须把他的意象(腹稿)体现于文字而且用语言表达出来。
清凉作品——小仓百人一首汉诗翻译全集1、秋の田のかりほの庵の苫を荒みわが衣手は露に濡れつつあきのたのかりほのいほのとまをあらみわがころもてはつゆにぬれつつ(1)秋の田の:「秋の」中的「の」是格助词,表示所属,相当于「のうちの」。
「田の」「の」则表示所在,相当于「にある」。
「秋の田の」意即「秋のうちの田にある」。
(2)かりほ:「かりほ」是挂词(谐音双关),可以理解为「刈り穂」,也可以理解为「仮庵(かりほ)」是「仮庵(かりいほ)」的省略读法,指在秋天为了方便收割稻谷而在田边搭建的临时茅屋(草庵)。
「ほ」是历史假名,相当于口语的「お」。
因此「かりほ」应读为「かりお」,「いほ」应读为「いお」。
(3)苫を荒み:『体言+間投助詞「を」+形容詞詞幹+接尾詞「み」』是文语惯用型,表示原因和理由。
相当于口语的「…が…ので」、「…が…のために」。
「苫を荒み」意即「苫(の編み目)が粗いので」。
(4)わが衣手は:「わ」即「我」,第一人称代词。
「が」表示所有,相当于「の」。
「衣手」意为衣袖。
「は」是提示助词,用法与口语相同。
(5)露に濡れつつ:「濡れ」是「濡る」(ラ下二)的连用形。
「つつ」是接续助词,接动词、助动词连用形后表示动作或状态继续进行,意为不断。
「つつ」在此用于句末,表示感叹的心情。
译为:秋收稻岸宿,过夜搭茅屋。
露浸湿衣袖,原来苫太疏。
哈哈有点打油的五绝有点白2、春過ぎて夏きにけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山はるすぎてなつきにけらししろたへのころもほすてふあまのかぐやま——持统天皇(1)春過ぎて:「春」是主语,下面省略了主格助词「が」。
「過ぎて」是「過ぐ」(ガ上二)的连用形。
「春すぎて」意即「春が過ぎて(それから…)」。
(2)夏きにけらし:「き」是カ变动词「来」的连用形。
「にけ」是「にける」的简缩。
「にける」是连语,由完了助动词「ぬ」的连用形「に」+过去回想助动词「けり」的连体形「ける」组成。
「にける」意即「てしまった」。
2014.12《小仓百人一首》是日本最广为流传的和歌集,是镰仓时代歌人藤原定家汇集了从大和时代到平安直至镰仓时期的一百位歌人的一百首和歌,因此被命名为百人一首。
之所以冠以“小仓”二字,是因为定家最初是将和歌手书在京都小仓山山庄隔扇的色纸上的。
《小仓百人一首》收录和歌仅有百首,但其在日本的普及面之广,影响度之深,是其他古典文学作品无法比拟的。
因此,尽管《小仓百人一首》篇幅短小,仍得以在日本文学史上占有一席之地。
这除了要归功于《小仓百人一首》自身所具有的艺术魅力之外,还要归功于这一百首和歌被制成了纸牌。
一百首和歌以“玩纸牌”的形式在日本民间广为流传。
特别是作为新年的游戏,一直受到大家的欢迎,代代传诵,家喻户晓。
千百年来对日本民族的生活情趣和审美意识的形成产生了深远的影响。
它无形中成了日本人民启蒙教育的老师,许多日本人就是从玩纸牌开始识字的。
如今歌牌游戏的规模更加宏大,日本几乎每年都要举行全国性的小学校际歌牌咏唱大会。
《小仓百人一首》可谓是日本文化的精髓。
一百首和歌中融入了当时的时代背景和恋爱故事等。
可以说这一百位歌人的地位举足轻重,了解了他们就可以追寻到从大和时代至镰仓时期日本六百多年的历史和文学史。
目前我国国内学者对一百首和歌的研究可谓汗牛充栋,但针对一百位作家进行分类研究的尚不多见。
所以本文想从一百首和歌的作者的生活态度、时代背景以及人际关系等来对其进行分类解读。
第一类:才女(5人)紫式部(57)1、大弐三位(58)、赤染卫门(59)、伊势大辅(61)和清少纳言(62)。
紫式部年幼的时候,就已经能看懂古汉语等作品,有才女之称。
和她一样这一类歌人都是平安王朝鼎盛时期的知识女性、在成为皇后的藤原氏女儿身边做过女官。
藤原氏女儿当中最为有名的争斗是一条天皇中宫的定子和彰子。
彰子身边的女官们可谓是花团锦簇,这五位才女当中曾任中宫彰子女官的有紫式部、大弐三位、赤染卫门、伊势大辅。
而做过定子身边侍从女官的只有清少纳言一人。
2016年11月韶关学院学报·社会科学Journal of Shaoguan University·Social ScienceNov.2016和歌是日本独特的诗歌形式,充分表达了日本人的内心活动与精神世界,其中诸如“物哀”、“幽玄”、“余情”等美学理念对日本各个时代的文学产生了深远的影响。
本居宣长提出“物哀”是一种带有优美、纤细、沉静、伤感色彩的文学理念[1],他强调以物语与和歌俳句为代表的日本文学的创作宗旨就是“物哀”[2]。
日本学者九松潜一认为“物哀”中最突出的特质是哀愁[3]。
进入中世时代后,日本文人努力继承和模仿王朝贵族文化,崇尚优美、含蓄、朦胧、幽雅、缥缈、“余情面影”等审美趣味和美学理念[4]。
藤原俊成首次将“幽玄”作为优秀和歌的评语多次使用,藤原定家将其父藤原俊成的“幽玄”美学理念进一步发展为“有心”的美意识[5],认为和歌应该以优美情调为基础,强调“余情”美,追求余情余韵的象征性表达。
诸多和歌集中最广为流传,家喻户晓的是藤原定家编撰的《小仓百人一首》,其中“恋歌”占了43首。
43首恋歌,43段爱情故事,其中无不流淌着悲愁哀切的古典美的旋律,字里行间,飘逸着平安王朝的优雅与纤细,蕴含着深深的物哀情绪[6]46。
从中我们不但可以从艺术上欣赏“恋歌”缠绵悱恻和凄艳哀婉的情调,也可以窥探日本古代妇女在婚姻上的被动无奈和情感上的痛楚哀伤,有助于我们了解日本古代的婚姻制度和妇女的社会地位。
访妻婚是流行于1000多年前日本历史上的招婿婚,盛行于大和时代并延续到平安时代。
“访妻”即指男女双方结婚后并不同居,而是各居母家,过婚姻生活则通过男到女家造访来实现,或短期居住、或暮合朝离,因此称之为“访妻婚”[7]。
初期的“访妻婚”,大多数男女还能在两心相悦的前提下结合在一起。
虽然这时也存在以政治为目的的联姻手段和一夫多妻的婚姻形态,但夫妻之间尚不存在支配与隶属关系,女子是婚姻的主体,带有浓厚的母系制家庭的色彩。
小仓百人一首中译文小仓百人一首是一部日本古典文学作品,收录了100首歌词,每首都以古代的和歌形式呈现。
这些歌词涵盖了各种主题,如爱情、自然、友谊、人生等,通过简洁而深刻的词句表达了人们对于生活的感悟和情感。
小仓百人一首的中译文精美而生动,将原作的内涵传递到了中文读者中。
以下是其中的一些例子:1. “春风吹来,让花朵绽放;思念升腾,如樱花烟火。
”这首诗表达了对春季的热切期待和对远方亲人的思念之情。
2. “巍峨的山峰,似乎触摸天空的边缘;明亮的月光,照耀着幽静的湖泊。
”这首诗描绘了大自然的宏伟壮丽和宁静美丽。
3. “无论风雨如何,友情永不散去;岁月变迁,心灵仍相依。
”这首诗表达了对友谊坚固不变的珍视和对时光的感慨。
小仓百人一首的翻译不仅在表达上舒适流畅,同时也使中文读者能够领略到原作中蕴含的深厚情感和哲思。
通过阅读这些诗歌,我们可以更好地理解和感悟生活的真谛。
这部作品不仅仅是一本文学作品,更是一部具有指导意义的读物。
它教导我们向往自然的美丽,传递友情的温暖,感受爱情的深刻,思考人生的意义。
同时,小仓百人一首也是一本带有文化传承作用的书。
通过阅读这些古老的歌词,我们可以了解日本古代文化的独特之处,体味他们对自然和人性的理解和欣赏。
正因为小仓百人一首具有如此丰富而广泛的意义,它一直受到读者的喜爱和推崇。
不仅在日本,它也在全球范围内被翻译和传播,成为世界文化遗产的一部分。
无论是从美学角度,还是文化传承的角度,小仓百人一首都是一部珍贵而有价值的作品。
通过读它,我们可以收获知识和情感上的满足,丰富我们的人生体验。
它告诉我们,诗歌不仅是一种艺术形式,更是一种生活的真实写照,它的力量足以引发我们内心的共鸣和启迪。
<小倉百人一首>
藤原定家ふじわらのていか:鎌倉前期の歌人。
京極中納言などとよばれた。
新古今集
(共撰)・新勅撰集ちょくせんしゅうを撰。
歌風は絢爛けんらん・巧緻こうちで、新古今調の代表。
家集
「拾遺愚草」のほか歌論書「近代秀歌」「毎月抄」「詠歌之大概」など。
源氏物語げんじものがたり・古今集こきんしゅう・土佐日記とさにっきなどの古典校勘の業に従い、日記に「明月記めいげつき」がある。
書風は、後世、定家流と呼ばれ、江戸の茶人に珍重ちんちょうされた。
小倉百人一首おぐらひゃくにんいっしゅ: 宇都宮蓮生うつのみやれんしょう(宇都宮頼綱よりつな)が京都嵯峨さが野の
に建築した別荘、小倉山荘の襖色紙の装飾の為に、蓮生より色紙の依頼を受けた鎌倉時代の歌人藤原定家が、上代の天智てんじ天皇てんのうから、鎌倉かまくら
時代の順徳天皇まで、百人の歌人の優れた和歌を年代順に一首ずつ百首選んだものが小倉百人一首の原型と言われている。
男性79人(僧侶15人)、女性21人(天皇1人、内親王1人、女房(今で言う執事兼家政婦)17人、母2人)の歌が入っている。
成立当時まだ百人一首に一定の呼び名はなく、「小倉山荘色紙和歌」や「嵯峨山荘色紙和歌」などと称された。
なお、現在「小倉百人一首」と呼ばれるのは、定家がこれを編纂した地が小倉山であったと伝えられているためである。
いずれも『古今集』『新古今集』などの勅撰和歌集から選ばれている。
歌道の入門書として読み継がれた。
江戸時代に入り、木版画の技術が普及すると、絵入りの歌がるたの形態で広く庶民に広まった。
より人々が楽しめる遊戯として普及した。
関連書に、やはり藤原定家の撰に成る
『百人秀歌』があり、『百人秀歌』と『百人一首』との主な相違点は「後鳥羽院・順徳院の歌が無く、代わりに一条院皇后宮・権中納言国信・権中納言長方の3名が入っている」「源俊頼朝臣の歌が『うかりける』でなく別の歌である」2点である。
現在、この『百人秀歌』は『百人一首』の原撰本(プロトタイプ)と考えられている。
原文抄録(一)
秋の田の かりほの庵いほ②の 苫とま③をあらみ
わが衣手ころもで④は 露つゆにぬれ⑤つつ⑥
天智天皇てんじてんのう①
翻訳:(秋来田野上,且宿陋茅庵。
夜半湿衣袖,滴滴冷露沾。
)
語彙と文法
① 天智天皇:七世紀中頃の天皇。
舒明じょめい天皇の第2皇子。
名は天命開
別(あめみことひらかすわけ)、また葛城かずらき・中大兄なかのおおえ。
中臣鎌足なかとみのかまたりと図はかって蘇我氏そがしを滅ほろぼし、ついで皇太子こうたいしとして大化改新を断行。
661年、母斉明天皇の没後ぼつご、称制。
667年近江国おうみのくに滋賀の大津宮おおつのみやに遷り、翌年即位。
庚午年籍こうごねんじゃくを作り、近江令を制定して内政を整えた。
② かりほの庵:粗末な番小屋ばんごや、草庵そうあん。
「かりほ」は「仮庵」と「刈り穂」の
掛詞かけことば。
③ 苫:菅すげ、茅かやなどを薦こも(粗く織ってむしろ)のように編んで作ったもの。
「苫をあらみ」:「(名詞)を(形容詞語幹)み」は原因を表す文型。
「・・・・・・が・・・・・・ので」に等しい。
ここでは「苫が粗いので」という意味。
④衣手:袖そで
⑤ぬれ:「濡れ」と書く。
自ラ下二段動詞「濡る」の連用形。
濡れる。
⑥つつ:接続助詞。
動作の反復と持続を表す。
現代語訳
秋の田のほとりにある仮小屋の屋根を葺いてある苫の編み方が粗いので、私の袖は苫屋根のすきまから漏れ落ちる夜露にぬれるばかりである。
翻訳:金黄的原野已是深秋,茅草棚何等粗陋。
拂晓前,露冷风凉,
一滴滴沾湿了我的衣袖。
鑑賞:据说,此歌是天智天皇为体恤农民的辛苦所作。
当时的天皇已经明确地认识到,农业是立国之本。
又有人认为,当时天皇作这一类“悯农诗”与咒术有关,有祈祷五谷丰登之意。
“秋天的田野一片金黄,收割水稻的季节即将来临。
田边搭起了看守庄稼的茅草庵。
为的是防止野猪和野鹿等动物的毁坏庄稼。
那粗陋的棚顶怎能挡住黎明前降下的露水呢?你看,天将破晓,露水从草庵顶上的缝隙中滴下来,我的衣衫已被冷露浸透。
”
原文抄録(二)
めぐり逢あひて② 見みしやそれとも③ わかぬ④間まに
雲隠くもがくれにし 夜半よは⑤の月つき
かな
紫式部むらさきしきぶ①
翻訳:(相逢江海上,难辨旧君容。
夜半云中月,匆匆无踪影)
語彙と文法
① 紫式部(970―1014):平安中期の女房。
「越前守」藤原為時ふじわらのためときの娘。
藤原宣孝ふじわらののぶたかに嫁したが、まもなく死別。
のち上東門院(一条天皇の中宮ちゅうぐう彰子)に仕え、その間、道長ほか殿上人から重んじられた。
中古三十六歌仙の一。
著作は「源氏物語」のほか、「紫式部日記」「紫式部集」など。
② めぐり逢ひて:長い間逢わなかった人に、偶然に出会うこと。
③ 見しやそれとも:見たのがそれ(月)であったかどうかも。
④ わかぬ:「わか」(他カ四段動詞「わく」の未然形)+「ぬ」(打消の助
動詞「ず」の連体形)。
⑤ 夜半:真夜中。
現代語訳
たまたま出会って、見たのが月であったかどうかもわからないうちに、雲に隠れてしまった真夜中の月であることよ。
むかし親しかった人と
偶然めぐりあったが、あわただしく帰ってしまった人であることよ。
翻訳:悲喜交加意外相逢,你脸上已难寻昔日的面影。
转眼间又该各奔东西了,就像这夜半云中的月儿,只留下依依别情。
鑑賞:「めぐり逢ひて」与「雲隠れ」都是「月」的「縁語」。
紫式部的这首歌的格调感伤惆怅。
有一年旧历7月10日,初秋的夜晚,作者偶然在路上遇见了童年时代的女友,不胜欣喜。
人在旅途的她们停下车来,交谈了一阵,却又不得不各奔东西,令人感到无限的惆怅。
你就像匆匆隐入云层的月亮一样,从你的脸上,依稀还能找到昔日的影子,那童年时代的回忆都一起涌上心头。