私の见た日本と世界

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私の見た日本と世界
日本は明治時代から現代まで非常に経済を発達して来た。どうやって発展し
て来たか。経済を発展する経験は到底は何だか。これは難しい問題であるので、
ここでちょっと述べたいだ。
第一、日本と欧米諸国積極的に交流することは経済発展に役に立ったと思う。
閉鎖政策していた時代の日本経済は大体200年ぐらい進んでいなかった。閉
鎖政策をやめて世界に開放してから日本経済がだんだん進んで行った。最初は
欧米諸国と通商して日本民族経済にあまり良くない影響を与えたが経済を発
展するきっかけとして明治政府が経済改革を決定した。すなわち、日本は欧米
諸国と最初の通商がなかったら、日本社会の改革もできない。欧米諸国と経済
面の交流は日本経済発展の必要な条件ではないだろうか。改革していた時、欧
米諸国のような先進な知識システムを作って、欧米諸国の先進な知識が勉強で
きた。
日本は欧米諸国の発達していた経済と国家実力の強さに非常に興味を持っ
ていた。1871年12月に明治政府の岩倉遣外使節は欧米諸国に訪問しに行
った。大蔵省と外務省と文部省などを含めて51名の使節団は欧米諸国を全面
的に考察して欧米諸国の工場を見学して先進的な生産方式を体験した。この訪
問は日本が欧米諸国の先進な知識を勉強することに大切な意味があった。まず、
日本は政治体制面のほしい物を探した。それはドイツの立憲君主制であった。
次、日本の使節団は日本と欧米諸国の教育と価値観の違いを見つけた。それか
ら、使節団はイギリスの先進な工業生産技術と工場制度を勉強した。日本が先
進な生産技術を導入して現代工場を作るために様々な経験を積んだ。岩倉遣外
使節の欧米訪問は世界先進な知識システムと交流の始めとは言えないだろう
か。
欧米諸国と貿易は明治政府の一つの重要な政策であった。欧米と貿易したか
ら、海外市場を開拓して日本国内の工業を発展する需要範囲を広げた。もっと
重要なのは日本が輸入政策を選んで工業生産する機器がほとんどイギリスか
ら導入して来た最先進的な設備であった。たとえば、1883年、個人が投資
して作った大阪紡績工場で使用していた機械はすべてイギリスから導入して
来た設備だった。そして、イギリス工場生産経験を使って成功した。世界第二
次戦争前、日本の新しい工業技術がほとんど輸入を依頼して主は一般設備に集
中していた。たとえば、蒸気機関と紡績機械などであった。
人材交流も日本と欧米交流の重要な面であった。たとえば、明治政府は欧米
諸国に大量な留学生を派遣した。留学生は最先進な技術と管理経験を持って帰
国した。日本社会知識の増加に力を入れた。
第二、日本国民の良い素養基礎が欧米の新しい科学知識を勉強することに良
いと思う。アメリカと違い、日本は発展する初期に良い素養がある移民を持っ
ていなかった。貧乏な生活状態でほとんどの国民が現代科学教育を受けていな
かった。しかし、江戸時代からほとんどの日本国民が私塾教育を受けた。18
68年、日本の私塾は13000軒になり、学生の数は837000名になっ
ていた。私塾教育が発達していたから、日本国民は基本的な文化基礎と物事を
理解する能力を持って明治時代の新しい教育を受けられる。
明治時代、統治者は現代教育制度を作ることを政策として確立した。187
2年日本政府は義務教育を実行し、そして、1886年の新たな学校条例と1
889年の《帝国憲法》と1890年の《帝国教育公告》に基ついて、国内実
際な状況によって、教育制度を改善していた。1892年から、職業教育を実
行していた。実は、明治時代に作った教育システムは欧米諸国の科学教育を日
本の人材教育計画の中に移って来た。大量な日本経済発展に貢献した現代企業
経営者を育てた。
20世紀になった後、日本教育もっと速く発展して来た。小学校の入学率が
90%以上になり、中学校教育も基本的に普及した。大学教育を受けた人数も
多くなった。日本国民の平均教育を受ける年間から見て日本国民素養もう世界
一のレベルになった。第二次世界戦争後、日本政府まず子供の教育に力を入れ
て大量な資源を使って教育を支持していた。日本で教育は基本的な要求として
政府と国民に重視られて良い教育伝統と雰囲気になって来た。大量な人材を育
て日本国民の基本素養を高め、日本経済を発展する初期から世界先進なレベル
になる重要な原因である。
第三、日本の社会制度が社会知識成長に役に立ったと思う。日本の法律が知
識システムを守って社会知識の増長に役に立った。日本の中央政権を作った後、
維新のたくさんの政策は日本全国で実行ができたから、資本主義経済作る条件
があった。また、中央政権は全国の資源を集中してから政府の経済発展に支援
ができた。
1889年、明治憲法を成立した。これは日本の伝統政治思想と欧米現代政
治原則の融合で、総理と内閣と議会などの現代政体形式を確立し、日本近代に
法で統治する基礎を確立した。そして、機構設置に国民参政の発展機会を与え
た。憲法を代表として、様々な法律が国民教育を守って、積極的に欧米諸国と
交流していた。
次、日本の非正式制度の作用も大切だった。日本の社会道徳と文化は国民の
経済行為を規範していたから、経済主体が社会目標を実現する時に行動政策が
決定できる。日本の経済発展を保証していた。
日本国民が国家状態の認識と欧米発達していた国に興味を持っていたから
日本経済と欧米諸国の交流を保証していた。日本は閉鎖政策をやめて世界に開
放してから、海外の欧米諸国に向かって全社会が欧米文化を勉強する雰囲気に
なって来た。勝手に外来文明を排除していなかった。日本は欧米諸国の先進な
知識の強大な力が分かった後、正しく自分の国の状況を認識して全体の国民が
欧米先進な知識を勉強したくて日本の弱い状況を変わりたかった。
もう一つの社会価値観も重要だった。これは日本社会の団体精神である。こ
の団体精神があったから、日本国民が自動的に自身素養を高めていた。明治維
新が日本国民に愛国思想を教えて、そして、経済生活のなかで使って働く企業
に忠実になったから、社会の団体意識になった。日本の団体精神は個人努力に
基ついて個人価値の実現も強調している。ただ、企業に貢献を標準として個人
価値を評価していた。日本の企業ほとんど従業員の終身制を実行していたから、
この企業制度で従業員の貢献を真実的に考察できる。従業員の昇進基準として
採用していた。
そうだったから、日本企業の中で機会主義行為がなかった。企業団体に認め
てから、個人の努力を促進していた。新しい知識を身に着けてから企業の発展
を促進できることと個人の昇進機会がもらえることが分かったから、日本国民
が積極的に教育を受けて欧米から伝わって来た新しい知識を勉強し、個人素養
を高めていた。
正式制度でもいいし、非正式制度でもいいし、日本の社会法律制度などは積
極的に新しい知識を身につけることを目標として、教育システムの確立と日本
社会知識の増長を保証して来た。
以上の三つの話は大体日本明治維新から経済を発展した様々な状況を含め
ている。昔の優秀な経済経験を利用して今の時代の状況に合わせて人間経済社
会を発展することは一番重要だと思う。

参考文献:
1 三和良一:近現代日本史要覧 東京大学出版会 2010,4