日语综合教程第五册 红山桜
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紅山桜昔、弾誓上人という遊行聖が桜の木を切って自分の姿を刻みはじめたところ、たちまちその木から熱血が流れでたという。
上人は直ちに刻むのをやめて、袈裟で覆い、箱に入れた、という伝説がある。
桜のなかでもとりわけ、紅山桜をみていると、熱血が流れでというこの伝説がなまなましく、身近な物に思えてくる。
北の桜を尋ねる今回の旅は、新潟に住む写真家、高波重春さんと一緒にだった。
私は行く先々の旅館でぬくぬくと畳の上に寝たが、高波さんは川辺や公園内で寝る習慣を変えなかった。
毎年、春になると、桜前線を追って全国を走り回る。
ほぼ二十年、そうやって桜を取り続けている人だ。
高波さんとの旅はたのしかった。
撮影の合間に「いっくら撮ってもろくなもんできねえけど」「こんげな景色見てんと、写真というちんけえ四角の枠にあさめんのがばからしくなっちゃう。
ただもう、ひざまずくしかないなあ」と自嘲のお国ことはが飛び出す時間は、結構調子に乗っている様子だった。
ひざまずくどころか、そんな時の高波さんは三脚をかついで右に左にかけ回った。
東北や北海道の桜をて、そのしぶとさに驚かされることが多かった。
福島県社三春町にある紅枝垂の巨木、滝桜はわずかに盛りをすぎていたが、私は花の滝に打たれながら、その幹や枝の怪物しめたたくましさに見とれた。
私よりも先に着いて撮影を続けていた高波さんは「三日前が最高でした。
最高のとき見てもらいたかったなあ」と残念がった。
「最高の状態の桜の花が撮れるのは一年の内の一日、一日の内の一時ですね」とも言った。
私としては、花はいつ見ても花だと思いたい。
つぼみの桜もいいし、泥にまみれた花びらもいい。
だが写真を撮るとなると、「一年、いっとき説」も成り立つのだろう。
夜の内に十分に水分を吸った花が早朝の柔らかな光に包まれて照りはえる。
その一瞬がすばらしという。
逆に乾いた風にさらされ続けると、花の表情はおおざっぱなものになってしまう、のだそうだ。
A 哀切|あいせつ| 愛想|あいそ| 愛着|あいちゃく| 安易|あんい| 奥底|おくそこ|B 白む|しらむ| 白地|しろじ| 白緑色|はくりょくしょく| 百日|ももか| 坂道|さかみち| 板前|いたまえ| 半永久|はんえいきゅう| 薄暗い|うすぐらい| 薄墨|うすずみ| 薄情|はくじょう| 北陸|ほくりく| 背丈|せたけ| 本音|ほんね| 本職|ほんしょく| 崩壊|ほうかい| 鼻緒|はなお| 鼻紙|はながみ| 必然|ひつぜん| 陛下|へいか| 変貌|へんぼう| 兵役|へいえき| 病|やまい| 不機嫌|ふきげん| 不敬|ふけい| 不敬罪|ふけいざい| 不可欠|ふかけつ| 不満顔|ふまんがお| 不気味|ぶきみ| 不作|ふさく|C 草叢|くさむら| 草履|ぞうり| 曾祖父|そうそふ| 車両|しゃりょう| 車輪|しゃりん| 車椅子|くるまいす| 徹底|てってい| 成育|せいいく| 逞しい|たくましい| 池端|いけばた| 歯痛|しつう| 歯痛|はいた| 赤茶色|あかちゃいろ| 充足|じゅうそく| 衝動|しょうどう| 出血|しゅっけつ| 初夏|しょか| 初旬|しょじゅん| 除雪|じょせつ| 川辺|かわべ| 船底|せんてい| 船旅|ふなたび| 船外機|せんがいき| 窓辺|まどべ| 垂直|すいちょく| 春先|はるさき| 純白|じゅんはく| 辞表|じひょう| 従前|じゅうぜん| 従事|じゅうじ| 従属|じゅうぞく| 寸暇|すんか|D 大大的|だいだいてき| 大挙|たいきょ| 大木|たいぼく| 大群|たいぐん| 代価|だいか| 袋小路|ふくろこうじ| 丹精|たんせい| 当日|とうじつ| 道程|みちのり| 道幅|みちはば| 的確|てっかく| 登場|とうじょう| 堤防|ていぼう| 抵抗|ていこう| 地形|ちけい| 地中海|ちちゅうかい| 調和|ちょうわ| 町歩|ちょうぶ| 洞察|どうさつ| 洞穴|ほらあな| 胴体|どうたい| 動揺|どうよう| 度合い|どあい| 渡良瀬川|わたらせがわ| 渡鳥|わたりどり| 端的|たんてき| 短縮|たんしゅく| 断固|だんこ| 断片|だんぺん| 対応|たいおう| 頓着|とんちゃく|E 額|ひたい| 悪女|あくじょ| 恩恵|おんけい| 二段棚|にだんだな| 二重|にじゅう|F 発散|はっさん| 発作|ほっさ| 髪|かみ| 繁栄|はんえい| 反抗|はんこう| 辺鄙|へんぴ| 放電|ほうでん| 飛翔|ひしょう| 分厚い|ぶあつい| 分身|ぶんしん| 封建的|ほうけんてき| 封書|ふうしょ| 風呂敷|ふろしき| 風情|ふぜい| 風雪|ふうせつ| 楓|かえで| 奉仕|ほうし| 否定|ひてい| 幅|はば| 幅広|はばびろ| 父方|ちちかた| 復讐|ふくしゅう|G 改名|かいめい| 干渉|かんしょう| 綱|つな| 格別|かくべつ| 格闘|かくとう| 根本|こんぽん| 根元|こんげん| 孤独|こどく| 古風|こふう| 古人|こじん| 谷川|たにがわ| 固有|こゆう| 故人|こじん| 怪物|かいぶつ| 官僚|かんりょう| 帰京|ききょう| 過酷|かこく| 過剰|かじょう|H 海蝕|かいしょく| 寒々|さむざむ| 汗水|あせみず| 行商|ぎょうしょう| 好都合|こうつごう| 好物|こうぶつ| 号泣|ごうきゅう| 合間|あいま| 和む|なごむ| 和布|わかめ| 褐色|かっしょく| 後日|ごじつ| 戸口|とぐち| 戸外|こがい| 懐疑|かいぎ| 歓喜|かんき| 黄金色|こがねいろ| 灰色|はいいろ| 回転|かいてん| 魂|たましい| 火鉢|ひばち| 火傷|やけど| J 飢饉|ききん| 機械|きかい| 機織|きしょく| 即する|そくする| 即座|そくざ| 極端|きょくたん| 幾度|いくど| 幾分|いくぶん| 季語|きご| 寄付|きふ| 際限|さいげん| 継目|つぎめ| 袈裟|けさ| 甲板|かんぱん|菅笠|すげがさ| 監獄|かんごく| 倹約|けんやく| 倹約|けんやく| 見抜く|みぬく| 健気|けなげ| 漸次|ぜんじ| 交響|こうきょう| 接触|せっしょく| 街角|まちかど| 街路樹|がいろじゅ| 結末|けつまつ| 節目|ふしめ| 詰物|つめもの| 解消|かいしょう| 借金|しゃっきん| 今昔|こんじゃく| 津波|つなみ| 筋肉|きんにく|襟裳岬|えりもみさき| 襟元|えりもと| 禁欲|きんよく| 境地|きょうち| 境内|けいだい| 旧暦|きゅうれき| 居間|いま|居心地|いごごち| 巨木|きょぼく| 距離|きょり| 決行|けっこう| 掘割|ほりわり| 君臨|くんりん| K開聞岳|かいもんだけ| 鎧戸|よろい| 看板|かんばん| 考察|こうさつ| 苛々|いらいら| 克服|こくふく| 懇意|こんい| 懇意|こんい| 空耳|そらみみ| 枯木立|かれこだち| 酷暑|こくしょ| 狂人|きょうじん| 鉱毒|こうどく|鉱石|こうせき| 昆虫|こんちゅう| L 狼狽|ろうばい| 牢獄|ろうごく| 老婆|ろうば| 冷房|れいぼう| 冷酷|れいこく| 冷水|ひやみず| 冷雤|れいう| 離島|りとう| 里|さと| 立往生|たちおうじょう| 利根川|とねがわ| 利害|りがい| 連絡船|れんらくせん| 連続|れんぞく| 連載|れんさい| 僚友|りょうゆう| 列挙|れっきょ| 裂く|さく| 林道|りんどう| 霊性|れいせ| 流域|りゅういき| 硫酸|りゅうさん| 陸上|りくじょう| 論者|ろんしゃ| 落日|らくじつ| 落葉松|からまつ| 旅館|りょかん| 旅立つ|たび‐だつ| 濾過池|ろかち| M 満ちる|みちる| 満喫|まんきつ| 盲目的|もうもくてき| 茂み|しげみ| 冒険者|ぼうけんしゃ| 美意識|びいしき| 猛然|もうぜん| 密生|みっせい| 免許|めんきょ| 民宿|みんしゅく| 明言|めんげん| 摩擦|まさつ| 漠然|ばくぜん| 木の葉|このは| 木曽|きそ| 木戸|きど| 木枯|こがらし| 木立|こだち| 木陰|こかげ| 目標|もくひょう| 幕末|ばくまつ| N 難渋|なんじゅう| 内海|ないかい| 泤道|どろみち| 逆転|ぎゃくてん| 年輪|ねんりん| 囁く|ささやく| 女将|おかみ| O 偶発|ぐうはつ| P 彷徨う|さまよう| 匹敵|ひってき| 片頬|かたほう| 片田舎|かたいなか| 片隅|かたすみ| 漂う|ただよう| 貧苦|ひんく| 頻用|ひんよう| 平素|へいそ| 平坦|へいたん| 葡萄棚|ぶどうだな| 舗装|ほそう| Q 起伏|きふく| 気配|けはい| 器用|きよう| 千々|ちぢ|鉛色|なまりいろ| 浅瀬|あさせ| 強烈|きょうれつ| 寝床|ねどこ| 青葉|あおば| 清流|せいりゅう| 情念|じょうねん| 晴天|せいてん| 親和|しんわ| 親心|おやごころ| 窮屈|きゅうくつ| 屈辱|くつじょく| 屈託|くったく| 屈折|くっせつ| 駆動|くどう| 駆動装置|くどうそうち| 群れ|むれ| R 熱弁|ねつべん| 熱血|ねっけつ| 熱中|ねっちゅう| 人里|ひとざと| 人力車|じんりきしゃ| 人為|じんい| 日付|ひづけ| 日々|ひび| 日時|にちじ| 日中|にっちゅう| 絨毯|じゅうたん| 融通無碍|ゆうずうむげ| 肉親|にくしん| 肉眼|にくがん| 入梅|にゅうばい| 入社|にゅうしゃ| 鋭敏|えいびん| S 三脚|さんきゃく| 散策|さんさく| 散弾|さんだん| 砂浜|すなはま| 砂場|すなば| 砂利道|じゃりみち| 砂粒|すなつぶ| 山崩れ|やまくずれ| 山番|やまばん| 山陽|さんよう| 扇面|せんめん| 上機嫌|じょうきげん| 沈殿池|ちんでんち| 沈殿池|ちんでんち| 生垣|いけがき| 湿地|しっち| 石炭酸|せきたんさん| 実体|じったい| 食卓|しょくたく| 時刻|じこく| 時勢|じせい| 識者|しきしゃ| 仕草|しぐさ| 仕掛|しかけ| 仕舞屋|しもたや| 仕種|しぐさ| 是認|ぜにん| 手荒|てあら| 狩猟|しゅりょう| 獣|けもの| 樹木|じゅもく| 樹種|じゅしゅ| 水草|みずくさ| 水浴|すいよく| 思案|しあん| 思案顔|しあんがお| 思惟|しい| 死人|しにん| 素肌|すはだ| 素質|そしつ| 蓑笠|みのかさ| 縮小|しゅくしょう| T 台地|だいち| 炭火|すみび| 特権|とっけん| 特殊|とくしゅ| 体感|たいかん| 体質|たいしつ| 天井|てんじょう| 眺望|ちょうぼう| 庭先|にわさき| 通路|つうろ| 同列|どうれつ| 同業|どうぎょう| 統計|とうけい| 痛手|いたで| 頭脳労働|ずのうろうどう| 頭陀袋|ずだぶくろ| 凸凹|でこぼこ| 団扇|うちわ| 退屈|たいくつ| W 外輪船|がいりんせん| 丸窓|まるまど| 完備|かんび| 頑丈|がんじょう| 王座|おうざ| 網棚|あみだな|網棚|あみだな| 望郷|ぼうきょう| 威力|いりょく| 微風|そよかぜ| 微妙|びみょう| 微細|びさい| 無機質|むきしつ| 無間地獄|むけんじごく| 五燭|ごしょく| 物質|ぶつしつ| X 西岸|せいがん| 西陽|にしび| 習性|しゅうせい| 喜怒哀楽|きどあいらく| 繊維|せんい| 舷側|げんそく| 閑暇|かんか| 嫌悪|けんお| 顕微鏡|けんびきょう| 現物|げんぶつ| 相棒|あいぼう| 相対|あいたい| 相性|あいしょう| 郷土|きょうど| 湘南|しょうなん| 箱根|はこね| 象徴|しょうちょう| 小石|こいし| 効率|こうりつ| 効用|こうよう| 些か|いささか| 心情|しんじょう| 辛抱|しんぼう| 辛夷|こぶし| 新暦|しんれき| 新潟|にいがた| 新芽|しんめ| 信念|しんねん| 信仰|しんこう| 性急|せいきゅう| 性欲|せいよく| 胸毛|むなげ| 修飾語|しゅしょくご|宿屋|やどや|婿|むこ|喧噪|けんそう|選定|せんてい| 血潮|ちしお|Y言辞|げんじ|岩礁|がんしょう| 眼光|がんこう|陽光|ようこう|楊枝|ようじ|養う|やしなう|腰板|こしいた|野道|のみち|野火|のび|野鳥|やちょう|野生|やせい|野獣|やじゅう|夜行|やこう|夜学|やがく|一端|いったん| 一貫|いっかん| 一合|いちごう|一画|いっかく|一切|いっさい|依存度|いそんど| 移入|いにゅう|遺言|ゆいごん| 抑圧|よくあつ|異論|いろん|翌朝|よくあさ|毅然|きぜん|陰鬱|いんうつ|銀色|ぎんいろ| 引金|ひきがね| 映像|えいぞう|幽玄|ゆうげん| 優雅|ゆうが|由来|ゆらい|余情|よじょう|余裕|よゆう|隅々|すみずみ| 隅々|すみずみ| 愚行|ぐこう|漁村|ぎょそん|漁師|りょうし|予期|よき| 予兆|よちょう|羽毛|うもう|羽織|はおり|雤滴|うてき|雤雲|あまぐも|雤雲|あまぐも|芋粥|いもがゆ|欲望|よくぼう|元来|がんらい|垣根|かきね|源|みなもと|遠景|えんけい|遠望|えんぼう|遠音|とおね|月明|げつめい|月日|つきひ|Z雑木|ぞいき|雑木林|ぞうきばやし|雑然|ざつぜん|葬儀|そうぎ|早朝|そうちょう|早計|そうけい|造語|ぞうご|造語|ぞうご|増進|ぞうしん|増強|ぞうきょう|障害物|しょうがいぶつ|沼池|ぬまいけ|遮断|しゃだん|着用|ちゃくよう|真心|まごころ|征服|せいふく|芝生|しばふ|直径|ちょっけい|直訴|じきそ|執着|しゅうちゃく|制約|せいやく|治癒|ちゆ|質素|しっそ|終日|しゅうじつ|重力|じゅうりょく|重心|じゅうしん|諸国|しょこく|舳先|へさき|壮大|そうだい|壮麗|そうれい|壮烈|そうれつ|灼熱|しゃくねつ|濁る|にごる|濁流|だくりゅう|子守|こもり|紫式部|むらさきしきぶ|紫陽花|あじさい|自嘲|じちょう|自嘲|じちょう|自画像|じがぞう|総合|そう‐ごう|足蹴|あしげ|足袋|たび|酔狂|すいきょう|罪|つみ|。
紅山桜――辰野和男昔、弾誓上人という遊行聖が桜の木を切って自分の姿を刻みはじめたところ、たちまちその木から熱血が流れでたという。
上人は直ちに刻むのをやめて、袈裟で覆い、箱に入れた、という伝説がある。
桜のなかでもとりわけ、紅山桜をみていると、熱血が流れでというこの伝説がなまなましく、身近な物に思えてくる。
北の桜を尋ねる今回の旅は、新潟に住む写真家、高波重春さんと一緒にだった。
私は行く先々の旅館でぬくぬくと畳の上に寝たが、高波さんは川辺や公園内で寝る習慣を変えなかった。
毎年、春になると、桜前線を追って全国を走り回る。
ほぼ二十年、そうやって桜を取り続けている人だ。
高波さんとの旅はたのしかった。
撮影の吅間に「いっくら撮ってもろくなもんできねえけど」「こんげな景色見てんと、写真というちんけえ四角の枞にあさめんのがばからしくなっちゃう。
ただもう、ひざまずくしかないなあ」と自嘲のお国ことはが飛び出す時間は、結構調子に乗っている様子だった。
ひざまずくどころか、そんな時の高波さんは三脚をかついで右に左にかけ回った。
東北や北海道の桜をて、そのしぶとさに驚かされることが多かった。
福島県社三春町にある紅枝垂の巨木、滝桜はわずかに盛りをすぎていたが、私は花の滝に打たれながら、その幹や枝の怪物しめたたくましさに見とれた。
私よりも先に着いて撮影を続けていた高波さんは「三日前が最高でした。
最高のとき見てもらいたかったなあ」と残念がった。
「最高の状態の桜の花が撮れるのは一年の内の一日、一日の内の一時ですね」とも言った。
私としては、花はいつ見ても花だと思いたい。
つぼみの桜もいいし、泥にまみれた花びらもいい。
だが写真を撮るとなると、「一年、いっとき説」も成り立つのだろう。
夜の内に十分に水分を吸った花が早朝の柔らかな光に包まれて照りはえる。
その一瞬がすばらしという。
逆に乾いた風にさらされ続けると、花の表情はおおざっぱなものになってしまう、のだそうだ。
《日语》第五册课文翻译第一课失明的高僧公元8世纪中叶。
首都奈良,这里每天热闹非凡。
东大寺这座大寺院修建的大佛终于完工。
离庆祝大佛竣工的仪式——大佛开光的日子越来越近了。
但是,庆典将至,圣武天皇正期待着一个人的到来。
“但愿他能赶上这次庆典!”这个人,圣武天皇几年前就一直翘首期盼他的到来。
但是,不知什么原因,派去迎接她的是这几年来都杳无音讯。
“他到底会不会来?能来的话,一定要赶上这个盛大的日子啊!”圣武天皇心里总惦记着这件事。
到底是谁让天皇等得如此心焦呢?故事还得从十年前说起。
那时候,中国有很多僧人东渡日本。
同样,日本每年也有一些留学僧飘洋过海到中国去。
“我希望你们能从中国带回一位高僧。
”有一年,圣武天皇委以两名留学僧这样的重托。
因为当时的日本还没有一个够资格为众僧授戒的高僧,天皇希望能从中国请到一位这样的人。
所谓戒,就是在佛教中僧人必须遵守的戒律,修行的僧人,有一些事情是禁止做的。
如果不严格遵守戒律,就不能成为一名合格的僧人。
能够遵守这些戒律的僧人才可以受戒。
佛教在日本很盛行。
有很多僧人已经具备受戒的条件,但是有资格给他们授戒的高僧却一个也没有。
来到中国的两位日本僧人,听说唐朝的扬州有一位名叫鉴真的高僧。
要是能请到这位高僧就好了,带着这样的想法,他们跋山涉水、不顾路途遥远前去拜访鉴真,言辞恳切地请求鉴真去日本。
鉴真从孩提时就诚心信佛,18岁时,已经成为一名优秀的僧人。
他看到这两位僧人不远万里,专程从隔海相望的日本前来邀请自己,被这份热诚深深打动,于是,决定东渡日本,前往那个遥远而陌生的国度。
当时鉴真已经50多岁。
因为他要去日本,所以几个弟子也要陪同前往。
他们马上动手做准备,第二年便扬帆起航,东渡日本。
但是,这次航行并非一帆风顺。
他们的船好不容易扬帆起航,不料途中遇上了狂风巨浪,幸好获救,才得以死里逃生!可刚一回到岸上,他们马上又开始张罗船只,为下一次出航做准备。
很快,一切准备就绪,他们再次出航,不料这次却又遭遇海盗打劫,被掳去很多重要物品,无奈之下只好无功而返。
第一课如果无故旷工长达一个月的话一ヶ月ぐらい無断欠勤とすると、現在の社会の状況からみて、おそらく復職したいことが難しいだろう。
虽说中了彩票,但只不过宝くじが当たったといっても、六等の 3000 円でしかないので、飛び上がって喜ぶほどのことはない。
在日逗留期间,我无论如何私は日本滞在中、何としても日本一美しいと言われる富士山を見てみたい。
轮船犹如一叶扁舟あらしの中で汽船はさながら小船のように舞い狂い、今にも転覆しそうで、心配でならない.我光是抚养妻子儿女妻子を扶養してもう精一杯だけでも、そんな奢侈なものを買って経済能力がない。
我从小由外婆一手带大子供からお祖母さんに手に掛けてくれたので、両親としっくり行ってなかった、このこと通して、両親の不易がありがたい。
尽管我们父子俩相处了30年も私たち親子が一緒に暮らして30年けれども、父と一度たりとも心行くまで話し合ったことがない。
爷爷受不了空前的炎热朝早々、爺さんが空前の暑さが応えないで、気が遠くなってしまった。
みんながあわてて病院に運んだ。
妹妹结婚后一直没有孩子妹は結婚してずっと子供に恵まれなかったが、やっと去年妊娠した。
高齢出産の妹が無事に出産することを願ってやまない。
.那地方很安静あの辺が静かで、空気もいいし、買い物や交通も便利なので、老人には住み心地のいいところだと思う。
第二課考上高中以后僕は高校に入ってから、音楽活動に努めるかたわら、陸上部に入ってスポーツにも力を入れ、日々充実した生活を送っている。
他把她的来信彼女からの手紙を燃やしつくすと、彼は静かにこの町を後に立ち去って行った。
精心策划了二ケ月もかかって、練りに練った陰謀も自分の妻の告白であっけなく失敗に終わった。
那个村庄有一对ある村に老夫婦がいて、一人娘をはなはだ可愛がっていたが、その娘は十五六歳で病で死んでしまった。
以来ずっと老夫婦は朝から晩まで悲しみに暮れ、もう目も当てられぬ有様だった。
《日语》第五册课文翻译第一课失明的高僧公元8世纪中叶。
首都奈良,这里每天热闹非凡。
东大寺这座大寺院修建的大佛终于完工。
离庆祝大佛竣工的仪式——大佛开光的日子越来越近了。
但是,庆典将至,圣武天皇正期待着一个人的到来。
“但愿他能赶上这次庆典!”这个人,圣武天皇几年前就一直翘首期盼他的到来。
但是,不知什么原因,派去迎接她的是这几年来都杳无音讯。
“他到底会不会来?能来的话,一定要赶上这个盛大的日子啊!”圣武天皇心里总惦记着这件事。
到底是谁让天皇等得如此心焦呢?故事还得从十年前说起。
那时候,中国有很多僧人东渡日本。
同样,日本每年也有一些留学僧飘洋过海到中国去。
“我希望你们能从中国带回一位高僧。
”有一年,圣武天皇委以两名留学僧这样的重托。
因为当时的日本还没有一个够资格为众僧授戒的高僧,天皇希望能从中国请到一位这样的人。
所谓戒,就是在佛教中僧人必须遵守的戒律,修行的僧人,有一些事情是禁止做的。
如果不严格遵守戒律,就不能成为一名合格的僧人。
能够遵守这些戒律的僧人才可以受戒。
佛教在日本很盛行。
有很多僧人已经具备受戒的条件,但是有资格给他们授戒的高僧却一个也没有。
来到中国的两位日本僧人,听说唐朝的扬州有一位名叫鉴真的高僧。
要是能请到这位高僧就好了,带着这样的想法,他们跋山涉水、不顾路途遥远前去拜访鉴真,言辞恳切地请求鉴真去日本。
鉴真从孩提时就诚心信佛,18岁时,已经成为一名优秀的僧人。
他看到这两位僧人不远万里,专程从隔海相望的日本前来邀请自己,被这份热诚深深打动,于是,决定东渡日本,前往那个遥远而陌生的国度。
当时鉴真已经50多岁。
因为他要去日本,所以几个弟子也要陪同前往。
他们马上动手做准备,第二年便扬帆起航,东渡日本。
但是,这次航行并非一帆风顺。
他们的船好不容易扬帆起航,不料途中遇上了狂风巨浪,幸好获救,才得以死里逃生!可刚一回到岸上,他们马上又开始张罗船只,为下一次出航做准备。
很快,一切准备就绪,他们再次出航,不料这次却又遭遇海盗打劫,被掳去很多重要物品,无奈之下只好无功而返。
上海外语教育出版社日语综合教程(第五册)1~6课课文翻译(word文档良心出品)第一课、大海中有妈妈如果说喜欢大山是继承了父亲的血统,那么爱好大海一定是从母亲那里传承下来的。
那是战争结束后不久,恰好经过不忍池附近时,妈妈会在池塘边深深蹲下,两眼死死地盯着水面。
假如我喊她,她的脸上似乎显得很难为情,站了起来,笑着说:“想看一会儿海呀!”当时,因为住在东大附近,去买东西时就顺便在不忍池休息一下,不可思议的是,我一直没有忘记那时妈妈说的话。
小学六年级的暑假,我曾去母亲的故乡,鹿儿岛上一个边远的渔村住了一个月。
外公个子高高的,非常强壮,一直在那里行医。
距家大约五十米处便是大海,从那景色秀丽的海滨,看得见樱岛和开闻火山。
母亲说想看大海,我想也许就是那故乡的海滨吧。
如是在今天,去鹿儿岛用不了两个小时,而在那时,那里是一个遥远的地方,需要坐夜间火车和联运船才能到。
在思乡之情的驱使下,似乎妈妈那种举动是理所当然的。
虽说喜欢大海,但尽情与大海亲密相处也只有在那个暑假,后来仅达到了从学校去洗海水浴的程度。
也许是因为与海隔绝的状态,反而激发起我对大海的憧憬吧。
大学毕业的那年,不知为什么,想要寻找与大海有关系的职业,便去打听能不能在日本邮船公司工作。
出来接待我的人事课长非常遗憾地说:“本公司与其他公司一样,对文学出身的大学生,一概不受。
”我将船公司误认为全体职员都在船上工作了。
尽管如此,希望乘船,我对大海的痴情却有增无减。
幸运的是,我即将去法国,根据指示,留学生将乘船前往。
去马赛有三十三天的航程——想到这个,我高兴得几乎要晕过去,可是其他留学生们不知为什么对这样耗费时间的旅行却一脸的不高兴。
我为了一个人尽情玩味航海的喜悦,选择了四等舱的铺位,那是季节工人用的船舱,留学生从不靠近,不但如此,因为在船底,靠近大海,舷窗外蓝色的波涛近在咫尺,汹涌起伏。
海上起风浪时,船员将蒙上铁皮的舷窗关死。
所谓床位,是用铁管制成的两层架子上绑上帆布,室内什么装饰也没有,简直像牢狱一样。
秋风清,秋月明,落叶聚还散,寒鸦栖复惊。
日语综合教程第五册第一课海の中に母がいる山好きの血が父方から流れているとすると、海好きは間違いなく母から伝わっている。
終戦間もなく、不忍池のほとりを通りかかると、池端に、ははがしゃがみこんで池の面をじっと見ている。
声をかけると、母は照れたような顔で立ち上げり「ちょっと海がみたくなって」と言って笑った。
当時、東大のそばに住んでいたので、買い物のついでに不忍池で休んでいたのだろうが、その時の母の言葉が妙に忘れられない。
小学六年の夏、母の故郷の鹿児島の辺鄙な漁村で一月暮らしたことがある。
母の父は背の高い、強い人で、そこでずっと医者をしていた。
家から五十メートルほどで海に出る。
桜島や開聞岳の見える美しい浜辺だった。
母が海を見たいと言ったのは、その故郷の浜辺のことを考えていたのかもしれない。
今なら二時間もかからない鹿児島は、その頃は夜行や連絡船で二日かかる遠い国だった。
望郷の思いに駆けられても当然だったような気がする。
海好きといっても、心ゆくまで海と親しんだのはその夏だけで、あとは学校から海水浴にゆく程度だった。
おそらく海と切り離された状態がかえって海への憧れを掻き立てたのだろう。
大学を出る年、なんとしても海に関係する職業につきたいと重い、日本郵船に入社できないか聞きに行った。
対応に出た人事課長は「うちも、ほかの会社と同じですよ。
文学出身では、どうもね」と気の毒がってくれた。
船会社だから、全員が船にのれるものと勘違いしていたわけだ。
それでも、船に乗って、海を思いのたけ味わいたいと言う気持ちは、いっこうに衰えなかった。
幸いフランスに行くことになり、留学生は船に乗るように、という指示があった。
マルセイユまで三十三日の船旅――考えただけでも嬉しさで気が遠くなりそうだった。
しかし仲間の留学生たちは、なんでそんな無駄なたびをさせるのか、と不満だった。
私は一人海の喜びを満喫するため、四等船室を選んだ。
紅山桜――辰野和男昔、弾誓上人という遊行聖が桜の木を切って自分の姿を刻みはじめたところ、たちまちその木から熱血が流れでたという。
上人は直ちに刻むのをやめて、袈裟で覆い、箱に入れた、という伝説がある。
桜のなかでもとりわけ、紅山桜をみていると、熱血が流れでというこの伝説がなまなましく、身近な物に思えてくる。
北の桜を尋ねる今回の旅は、新潟に住む写真家、高波重春さんと一緒にだった。
私は行く先々の旅館でぬくぬくと畳の上に寝たが、高波さんは川辺や公園内で寝る習慣を変えなかった。
毎年、春になると、桜前線を追って全国を走り回る。
ほぼ二十年、そうやって桜を取り続けている人だ。
高波さんとの旅はたのしかった。
撮影の合間に「いっくら撮ってもろくなもんできねえけど」「こんげな景色見てんと、写真というちんけえ四角の枠にあさめんのがばからしくなっちゃう。
ただもう、ひざまずくしかないなあ」と自嘲のお国ことはが飛び出す時間は、結構調子に乗っている様子だった。
ひざまずくどころか、そんな時の高波さんは三脚をかついで右に左にかけ回った。
東北や北海道の桜をて、そのしぶとさに驚かされることが多かった。
福島県社三春町にある紅枝垂の巨木、滝桜はわずかに盛りをすぎていたが、私は花の滝に打たれながら、その幹や枝の怪物しめたたくましさに見とれた。
私よりも先に着いて撮影を続けていた高波さんは「三日前が最高でした。
最高のとき見てもらいたかったなあ」と残念がった。
「最高の状態の桜の花が撮れるのは一年の内の一日、一日の内の一時ですね」とも言った。
私としては、花はいつ見ても花だと思いたい。
つぼみの桜もいいし、泥にまみれた花びらもいい。
だが写真を撮るとなると、「一年、いっとき説」も成り立つのだろう。
夜の内に十分に水分を吸った花が早朝の柔らかな光に包まれて照りはえる。
その一瞬がすばらしという。
逆に乾いた風にさらされ続けると、花の表情はおおざっぱなものになってしまう、のだそうだ。
「ですからおらの取材は祈りの繰り返しです。
」と写真家はいった。
私たちは福島から青森へと桜を求めてさまよい、南に下って秋田の湯瀬に着いた。
湯瀬の山や沢ぞいに咲く紅山桜を見て、二、三日腰をすえることをきめた。
高波さんは翌朝の撮影地点をさぐるのに半日を費やした。
立ち止って、長い間、桜を見詰め、桜を見詰め、「桜と対話するなんていうのは、こちらの思い過しだろうな」とつぶやいた。
「桜のほうは、好きで咲いているわけですし、しょせんは片思いなのでしょうが、早朝ひとりで山の中の桜と相対していると、ああ今おらはこの桜と二人きりで時間と空間をと共にしているという思いがあって、相思いながらも怖くなることがあるんです。
桜には美しさを超えた恐ろしさがあり、恐ろしいと思いながらもひきこまれます。
その瞬間を映像にしたいと思いますね」もうすぐ五月だというのに、夜ふけて雪になった。
翌朝六時、目覚めると雪はまだ降り続き、桜は白い紗のむこうにあった。
川辺に停車中のワゴンを探し当てた。
肩を落としているだろうと思った愛棒は「雪国はいつもこうです。
はやる心を抑えている様子だった。
私は雪の降りしきる湯瀬の山へひとりで入った。
わが相棒の「片思い」に同情したこともあったし、私自身もまた、ひとりで桜にむかいたいという気分になっていた。
雪はみぞれになり、みぞれがまた雪になった。
雪に打たれながらも、花はほとんど散らない。
これしきのことで、散かってたまるかという調子でしがめついている。
雪がやんだ。
雲が割れて、日がさす。
切り裂くような透明な空気の中で、ぶなの新芽が光る。
キブシの黄の花が輝く。
谷川のそばに一本のはぐれ桜があった。
やあと呼びかければ、やあと答えてくれそうな、ほどほどの大きさの紅山桜だった。
ぐれからきっぱりとはなれているところがいい。
幹がぬれぬれと黒い。
光を浴びて、桜の花の一つ一つ、花びらの一枚一枚がにおいたち、なんというか、すっきりとした情念を放っている。
「しず心なく」花の散かる様を、古人は歌った。
だが、今、この紅山桜はまさに「しず心」で咲き続けている。
降り続いた雪や雨に動ずることもなく、散り急ぐこともない。
はぐれ桜が発している情念とは、しず心そのものではないか。
長い間向き合っているうちに、そのしず心がこちら側に忍び込み、心の奥底に潜むしこりのような物を溶かし去ってくれるような、そんな感じを味わった。
午後遅く、私は高波さんと落ち合った。
ラーメンを食べながら、いい写真が取れただろうかとたずねた。
「いいのが撮れたと思ってても、現像があがってくるとむなしくなります」と相棒は自嘲の姿勢である。
調子はまずまずだったらしい。
フゔインダーをのぞいている時の感動が写真にするとでてこない、それがもどかしい、ともいった。
これは本音だろう。
もどかしいから「来年こそは」と自分を追い立てる。
「来年こそは」が撮影を繰り返す力の源になる。
桜を撮り始めた時、はたちだった青年が今は四十歳を超えている。
冬は、新潟にで除雪車を走らせる仕事をして撮影の資金をかせぐ。
百姓の仕事もする。
何種類もの桜を種から育てている。
「東京という町はなんといってて無機質な感じとる暮らしを続けること、おらにはそれしか生きる道がないんじゃないか。
そいいきかせています」秋田で別れる時に、尋ねた。
「桜への片思いはまだ続きますか。
」「死ぬまで撮り続けます。
桜は私に生命力を与えれくれいるわけですし、生涯、桜にすがって生きてゆくでしょうね」。
そういってから、照れ屋の写真家はつけ加えた。
「といってもどこまでゆけるかわかんねえけど」高波さんは新潟に戻り、私はいちど帰京し、五月中旬、北海道の襟裳岬をめざした。
今度は桜の散かるさまを見たかった。
相棒なしの旅だ。
えりも町の庶野で、海辺の小さな旅館に泊まった、海鳴りと雨の音を耳にしながら寝た。
翌日も雨だった。
雨が小降りになると、岬を吹き渡る風が激しくなった。
「いつもこうなんですよ、ここは。
雨がやむと風、風かと思うと雨で」と旅館の女将さんが言った。
翌日も雨だった。
こうなってはしず心で待っているわけにはいかない。
雨と雪の中に散る桜を見物に行くというと、女将さんは酔狂な客の顔をしげしげと見て、今なあ、うどんをゆでたところだから、せめて体を温めてからゆきなさい、といってくれた。
ありがたく、いただいた。
ひとり歩きは危ない。
クマがでるといけないから、といって呼び子を貸してくれた。
町が自慢する桜公園を抜けて、林道を奥に入る。
さすがに人はない。
雨の中で、大花延齢草の白さがきわだってみえる。
横殴りの風が吹き、蝦夷大桜草もあり、散らない桜もあった。
桜の散る様を見に来たつもりではあったが、ここで見た北の桜はやはり、風雪に耐えて咲き続ける姿に風情があった。
手がかじかみ、ぬらそばって歩いているうちに、いきなり眺望が開けた。
遠景に雪の山々があり、手前の山々には辛夷が咲き、落ち葉松があわあわとした緑をみせている。
赤茶色のひろがりは、楓やぶなの新芽だろう。
その赤茶色の炎の中に紅山桜が点在している。
私は立ちつくした。
立ちつくしているうちに露草色の空が見えてきた。
風の中のしぶきが銀色に光っている。
近づいて桜をあおぐ。
花びらに、ツメでひっかいたような後がある。
紅色がはげている部分がある。
風や雨との闘いのあとだ。
その傷跡に、私は桜の生命力を見た。
桜は時には不気味な暗さを見せ、移ろいはかなさを見せ、死の相を見せる。
そして時には生の歓喜の表情を見せ、しぶとさを見せ、豊かな実りの予兆となる。
私たちが桜たずねずにはいられない秘密の一つは、この桜の両面性にあるのではないか。
後日、箱根へ行き、阿弥陀寺所蔵の「弾誓上人絵詞伝」をみせていただいた。
確かに、眼光釣る土井上人が刻む桜の木からは赤い血が流れていた。
桜木の熱血伝説を信じた古人は、桜に霊性を見、その霊性の中にぶきみさと、あふれる生命力を見たに違いない、と私は勝手に解釈している。
(『世界花の旅1』朝日新聞社より)红山樱——辰浓和男有这么一个传说:从前,有一位名叫弹誓上人的云游高僧砍了一棵樱树,并着手在上面刻自己的形象,正在这时,突然从树上流出了热血。
上人马上停止了雕刻,将袈裟盖在上面,放入箱子。
看见了樱花,尤其是看见了深红色的红山樱后,就觉得从樱树上流出热血的传说,是活生生的发生在眼前的事情。
这次去探寻北方樱花之旅,是和住在新泻的摄影家高波重春一起去的。
所到之处,我在旅店里热乎乎的榻榻米上过夜,而高波先生却睡在他所喜爱的停在河边或公园旁的乘用车里。
不管怎么劝,他也不改在车内睡觉的习惯。
每年一到春天,他追随着樱花前线在全国到处跑,大概有二十年了,他就这样坚持拍摄樱花。
与高波先生一起旅行非常愉快。
在摄影的空档儿,他用方言自嘲自己,真是妙语连珠。
什么“不管怎么拍,也拍不出像样的。
”什么“每当看到这样的景色,觉得把它收到这样四角方正的照片里真是太傻了。
寻常人只好下跪了。
”当他说这话时,显得非常起劲的样子。
其实岂止下跪,在那样的时候,高波先生还得扛着三脚架左右来回跑动。
看了东北地方和北海道的樱花,我在许多时候为它们的坚韧顽强所震惊。
福岛县的三春镇,那里有巨大的红垂枝樱树和树龄达几百年的泷樱树,虽然离开樱花盛开的日子稍稍晚了一点,但是当樱花的瀑布拍打着我的身体,它们那怪物般的强壮的树干和树枝,让我看得简直入迷了。
比我先到并且一直在拍照的高波先生惋惜地说:“三天前的景色最好,多么想让你在最美好的时候看到它们呀!”他还说:“要拍到樱花最好状态,一年之中只有一天,而在那一天之中只有一瞬间。
”而作为我来说,无论什么时候看到的花都是花,初绽花蕾的樱花也好,沾满泥土的花瓣也好,但是如果要给它们拍照的话,“一年中的一瞬间之说”也许能成立吧。
夜间吸收了充分水分的花,被清晨柔和的阳光笼罩和映照着,那一瞬间据说真是美妙无比。
相反,听说如果被干燥的风持续吹过,花的表面会变得很粗燥。
正如摄像师所说的:“所以嘛,我的取景就是反复的祈祷。
”我们从福岛到青森,为探寻樱花而徘徊彷徨,南下一直来到汤濑。
沿着汤濑的山谷观赏到了满开的樱花,决定在这里静下心来住几天。
高波先生花了半天时间寻找第二天清晨的拍摄地点,他站在那里,长时间地凝视着樱花,自言自语地说:“与樱花对话之类的事情,也许是我考虑过度了吧。
”“作为樱花一方,因为它自己喜欢才开花。
归根结底我是单相思吧。
清晨一个人与山中的樱花相对,我不由自主地想到:此时此刻只有我和樱花两者共享时间和空间。
这么一想,我不禁有一种恐惧感。
樱花有一种超越美的恐惧,虽然感到恐惧,但还是那么吸引人。
我就是想要把这一瞬间用映像记录下来。
”尽管马上要到五月份了,半夜三更却下起雪来。
第二天清晨六点,醒来时雪还一直在下着,樱花被白纱似的世界衬托着。