日本語概説講義
授業形式:講義+宿題発表
授業対象:学部生
テキスト:日本語の歴史(沖森卓也)日本語史要説(渡辺実)日本語の実態(李晨)
通時的共時的
第一講(2コマ)
1.日本語概説ガイダンス
2.日本語の歴史(国語学の流れ)
3.日本語の現状(日本語学研究PPT)
国語学と日本語学
国語学と日本語学は、日本語を対象とする同学の双生児である。国語学は時間的軸に沿って上古から現代にいたる言語の歴史的変遷の追究に力点がおかれてきた。『古事記』をはじめとする文献資料の考証に基づき、国学の伝統をふまえて、各時代の語法の解明に意を注ぎながら、日本語そのものに集約して研究が続けられてきた。
山田孝雄、松下大三郎、橋本進吉、時枝誠記のような国語学者は、独自の文法理論を打ち立て、これによって国文法の分析を試みている。そこで、たとえば、「陳述」とは何かをめぐって、各自の文法論が競合し、語の分類や名称について論議が繰り返された。
国語学では、方言研究を含め、現在の日本語の掘り下げも盛んである。とくに、アクセントの調査と分析に著しい進展を見せている。
国語教育は古典文法という形で、古文解釈の手段を提供するとともに、生徒に国語国文の素養を注ぎこむことに努力を重ねてきた。
これに対し、日本語学は共時的に現代日本語の文法を記述し、その用法を説明することにより、文法構造を探り出すことを主眼としている。(『言語学入門』小泉保)
日本語学と言語学
言語学はすべての言語が共有する普遍性を求めるとともに、特定の言語の特徴を取り出し、その個別言語としての性格も明らかにしようとしている。
日本語学と日本語教育
日本語教育は日本語学に依存して日本語学によって究明された文法内容を言語獲得の理論にのっとって、語学教育にどのように利用するかを考案する部門である。
日本語学は理論物理学とするならば、日本語教育は応用物理学にたとえられる。
演習1仮名文字?語彙?音声?文法(活用変化?音便など)
演習2(発表討論)
日本語史組(国語学)
日本語現状組(日本語学)
資料:
森浩一の日本の古代DVD全12巻
日本語概説(渡辺実)
日本語の特質(金田一春彦)
日語概説(皮細更)
アドレス:
Yahoo!百科事典トップ>言語?民族>日本語>日本語一般
http://100.yahoo.co.jp/category/%E8%A8%80%E8%AA%9E%E3%83%BB%E6%B0%91%E6%97%8F/%E6 %97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%88%A C/
日本語- Wikipedia
https://www.doczj.com/doc/0215373078.html,/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E
第二講(4コマ)
日本語の歴史
原初日本語の形成(2コマ)
日本語の起源→アルタイ諸語
縄文文化弥生文化
旧石器時代- 縄文時代- 弥生時代- 古墳時代- 飛鳥時代- 奈良時代- 平安時代- 鎌倉時代- 南北朝時代- 室町時代- 戦国時代- 安土桃山時代- 江戸時代- 明治時代- 大正時代- 昭和時代- 平成時代
飛鳥時代(592-710) 奈良時代(710-784) 平安時代(784-1184) 鎌倉時代(1190-1334) 南北朝?室町時代(1334-1573) 安土桃山時代(1573-1596) 江戸時代(1597-1868)
古代日本語の成立(2コマ)
万葉仮名(日本語史資料)
借用字と仮名→平仮名片仮名上代特殊仮名遣い歴史仮名遣い(四つがな)
母音「甲類乙類」8母音→5母音母音調和母音交替
大和言葉(語彙)と借用語
いろは歌
いろは‐うた【以呂波歌】『広辞苑』より
手習歌の一つ。音の異なる仮名47文字の歌から成る。「色は匂へど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ有為??の奥山今日越えて浅き夢見じ酔ひもせず」。涅槃???経第十四聖行品の偈??「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」の意を和訳したものという。弘法大師の作と信じられていたが、実はその死後、平安中期の作。色葉歌。金光明最勝王経音義のいろは歌
文献上の初出である『金光明最勝王経音義』は金光明最勝王経についての音義である。音義とは経典での字義や発音を解説するもので、いろは歌は音訓の読みとして使われる仮名の一覧として使われている。ここでの仮名は万葉仮名であり、7字区切りで、大きく書かれた1字に小さく書かれた同音の文字1つか2つが添えられている。
以呂波耳本へ止
千利奴流乎和加
餘多連曽津祢那
良牟有為能於久
耶万計不己衣天
阿佐伎喩女美之
恵比毛勢須
ひらがなでの表記
いろはにほへとちりぬるを
わかよたれそつねならむ
うゐのおくやまけふこえて
あさきゆめみしゑひもせす
歌謡の読み方
色は匂へど散りぬるを
我が世誰ぞ常ならん
有為の奥山今日越えて
浅き夢見じ酔ひもせず
読み方(現代仮名遣いで)
いろはにおえどちりぬるを
わがよたれそつねならん
ういのおくやまきょうこえて
あさきゆめみじえいもせず
意味
花は咲いても散ってしまう。
そんな世の中にずっと同じ姿で存在し続けるものなんてありえない。
「人生」という険しい山道を今日もまた1つ越えて
はかない夢は見たくないものだ、酔いもせずに。
解説
○色は匂へど散りぬるを
昔の人は花が咲くことを「色が匂ふ」と表現していました。だから、この文章は「花が咲いても散ってしまうのに」という意味です。
○我が世誰そ常ならむ
「我が世」は「私の住む世界」ですから、「この世の中に」という意味。「誰そ」は「何が~だろうか」という、疑問を表現する言葉。「常」はここでは「永遠に同じ姿のまま」という意味ですから、「誰そ常ならむ」は直訳すると「誰が永遠に同じ姿のままなのですか」という意味です。でも現代でも、「1億円もする宝石なんて誰が買うんだ?」というと、誰が買うのか知りたいのではなく、「1億円もする宝石なんて買う人はいないだろう」という、強い否定と同じ意味を表わしますよね。それと同じで、「誰そ常ならむ」は、「永遠に同じ姿で居続けるものなんていないよ」と言っているのです。
○有為の奥山今日越えて
「有為」自体は「形あるものと形のないもの」、つまり「愛や憎しみといった形のないものまで含めてこの世に存在するすべてのもの」という意味ですが、「有為の奥山」というと、そんないろいろなものが渦巻く人生を比喩する言葉になります。「そんな険しい人生を、今日もまた1つ越えて」ぐらいの意味です。
○浅き夢見じ酔ひもせず
「浅き夢」は、眠りの浅い時に見る夢のことですが、そのぐらいあっという間に消えてしまう願望のことも指すようです。
「浅き夢見じ」の「じ」は「~したくない」という意味なので、文章全体では酔ってもいないのに、そんなはかない夢は見たくないということです。
第三講(2コマ)
歴史仮名遣い
よつ‐がな四つ仮名(ジ?ズとヂ?ヅ)
現代語(共通語)
無声音:シ?チ,ス?ツ(摩擦音と破擦音が音韻的に対立)
有声音:ジ=ヂ,ズ=ヅ(対立なし)
「四つ仮名の混同」
元禄時代までにほぼ全国に広がる
室町時代中期:[za ?i zu ze zo] ?[da di du de do] (摩擦音と破裂音の対立)
室町時代後期:[di, du] ?[?i, ?u] (破裂音の破擦音化)
江戸時代初期:[?i, zu] ?[?i, ?u] (摩擦音の破擦音化)
しじみ?ちぢみ?すずみ?つづみ―『蜆縮涼鼓集』(1695, 元禄8年)
「四つ仮名弁」:九州(鹿児島,宮崎,大分など),高知県,奈良県南部,山梨県奈良田など
「三つ仮名弁」:大分県(ジ=ヂ,ズ?ヅ)
「二つ仮名弁」:東京方言(ジ=ヂ,ズ=ヅ)
「一つ仮名弁」:東北方言,出雲方言(ジ=ヂ=ズ=ヅ) [dz?] ~[dz]
【四つ仮名】デジタル大辞泉の解説
「じ」「ず」「ぢ」「づ」の四つの仮名、およびこの仮名で表される音。古くは、「じ」「ず」は摩擦音の[?i][zu]、「ぢ」「づ」は破裂音の[di][du]で、「じ」「ず」「ぢ」「づ」はそれぞれ異なる音で発音され区別されていた。それが室町末期になると、「ぢ」「づ」が破擦音の[d?i][dzu]となったため、次第に「じ」「ず」との混乱が起こるようになり、17世紀末頃までには、中央語でも「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」の区別がなくなり、現代と同様となった。発音の区別の消失とともに、仮名遣いの上での問題となった。
日本語の音素拍(ノート12p-
日本語の歴史と時代区分(ノート16p-
日本で一般にとられている時代区分方法
(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅴ)
上代上代1)奈良時代とそれ以前
古代
古代中古中古2)平安時代
中世前期中世前期3)院政?4)鎌倉時代
中世5)(南北朝時代)
中世後期中世後期6)室町時代
近代近世前期7)江戸時代前期
近世
近代近世後期8)江戸時代後期
現代現代9)明治以降
1)奈良時代-奈良に平城京のあった時代。7代の天皇、70余年間を言う(710-784)。
2)平安時代-桓武天皇の平安遷都から鎌倉幕府の成立までの約400年間。政権の中心が京都の平安京にあった時代(794-1183)。
3)院政期-上皇が院政を行った時代。白河?鳥羽院政期、後白河?後鳥羽院政期、後高倉?後宇多院政期の3
期に大別(1086-1324)。
4)鎌倉時代-源頼朝が鎌倉に幕府を開いてから、1333年に北條高時が滅亡するまでの約150年間(1183-1333)。5)なお、南北朝時代-1336年に後醍醐天皇が大和の国吉野に入ってから92年に亀山天皇が京都に帰るまでの57年間、南朝と北朝が対立、抗争した時期(1336-1392)。
6)室町時代-足利氏が政権をにぎり、京都の室町に幕府を開いてから第15代将軍義昭が織田信長に追われるまでの約180年間(1392-1573)。
7)江戸時代前期(18世紀前半まで)。江戸時代は、徳川家康が1600年に関が原の戦いで勝利をおさめ、1603年江戸に幕府を開いてから徳川慶喜の大政奉還にいたる約260年間をいう(1603-1867)。しかし、上方語の影響の強かった18世紀前半までを徳川時代前期とする。
8)江戸時代後期-江戸が政治の中心地となり、18世紀後半には、ことばも上方とは違った要素を多くそなえ江戸独自の発展を示すようになった。この頃から江戸時代後期と区別して呼ばれている。
第四講(2コマ)
平安時代中期から鎌倉?室町時代をへて江戸時代前期にいたる長い間に、動詞の活用タイプが9種類(古代日本語)から動詞5種類、形容詞1種類(近代日本語)になった。この大きな要因は、平安時代中期から連体終止がさかんに用いられるようになったからである。その用法としては、
名詞句構成水の流るるを見て
連体修飾(連体法)流るる水の下
係り結び(終止法)清げなる水ぞ流るる
連体終止(終止法)枕の下を水の流るる
★動詞の活用の種類は9種類あります。
四段活用???「咲く?降る?行く」など多数
上一段活用???「見る?似る?干る」など十数語
上二段活用???「恋ふ?恨む?老ゆ?生く」など約70語
下一段活用???「蹴る」だけ
下二段活用???「憂ふ?隠る?尋ぬ?見ゆ」など多数
カ行変格活用???「来」だけ
サ行変格活用???「す」だけ
ナ行変格活用???「死ぬ?往ぬ」の2語
ラ行変格活用???「あり?をり?はべり?いまそがり」の4語
平安時代中期~末期の音変化としては音便がある。
イ音便ツキタチ(月立)→ツイタチ(1日)拍の子音脱落
カキテ(書きて)→カイテ〃
ウ音便ハヤク(早く)→ハヤウ〃
促音便タチテ(立ちて)→タッテ拍の母音脱落
撥音便ヨミテ(読みて)→ヨンデ〃
音便https://www.doczj.com/doc/0215373078.html,/Language_1/lang114.onbin.html(日本語と日本文化)
日本語の表現を絶えず変化させている原動力として「音便」という作用がある。今日の口語を、昔の日本語と比較すると、形容詞や動詞などの活用に著しい相違を認めるので
あるが、これらはほとんど音便作用の結果なのである。卑近な例で言えば、かつての「小さき」は「ちいさい」となり、さらに「ちっちゃい」というふうに変化している。また、「ござります」は「ございます」となり、「ござんす」という表現まで生むに至った。このような変化は、名詞においても見られる。(たとえば「朔日」は「つきたき」から「ついたち」へと)
橋本進吉博士によれば、日本語において音便が盛んになるのは平安時代である。ようやく民衆に浸透しつつあった漢語の影響もあって、この時期、拗音や促音といったものも生まれた。いづれも、日本語のあり方を大きく変化させていくのであるが、音便については、それ以前の時代から、日本語に作用していたものと思われている。
たとえば、「なり」、「たり」←奈良時代の「にあり」、「とあり」であったものが、音便によって変化したと考えられるのである。
平安時代に、「築地=ツキヂ」が「ツイヂ」に変わる「い音便」、
「弟=オトヒト」が「オトウト」に変わる「う音便」、
「願ひて」が「ネガッテ」に変わる「促音便」、
「いかに」が?イカン?に変わる「ん=撥音便」
「い音便」は、主に「か」行、「が」行の動詞や形容詞において生じた。「咲きて」が「さいて」、「急ぎて」が「いそいで」、「美しき」が「うつくしい」等である。この類の言葉は日本語には多くあったので、日常の言語にはもっとも大きな影響を及ぼしたと考えられる。
「う音便」は、主に「は」行の音において起こった。名詞の「オトウト」のような例のほか、「匂ひて」が「にほうて」になった類である。しかし、それらのほとんどは長続きせず、やがて促音便や撥音便へと再変化するようになった。
なお、「う音便」には?懐かしく?を「なつかしう」のように、「く」から「う」に転じる例もある。これは東京言葉には、今ではあまり聞かれなくなったが、西日本においては頻度高く使われているようである。また、「あるらむ」や「行かん」のような言葉は、「あろう」、「いこう」と転じて、今日でも広く用いられている。
「促音便」は、「た」行の音(発ちて→たって)、「ら」行の音(欲りす→ほっす)において起こったほか、「う音便」がさらに変化してできた例もある。(願ひて→ねがうて→ねがって)前二者に比べれば、遅れて生じた現象である。
「撥音便」はやや複雑な様相を呈している。まず、「な」行の音については、「死にし子」が「しんじ子」という具合に自然と音便が起きた。また、促音便と同様、「う音便」から再変化した者がある、(読みて→ようで→よんで)。このほか、推量の助動詞「あんめり」や「涙=なんだ」のように、表記上は「あめり」や「なだ」と「ん」の文字を省いている例がある。これは、「ん」が音としては一人前の者として認知されなかった時代
の名残なのであろう。「ん」の文字が使われる以前には、文字そのものを省いて表記するか、あるいは代わりに「う」の文字をあてたことも考えられ、「う音便」と「撥音便」の関係はいまひとつ明らかでない。
第五講(2コマ)
古代から近代への変化
中世日本語は中古日本語からの9種類の動詞の活用を全て継承している。原則カ行の例を表記する(後述の形容詞においても同様)。
<文語文法>動詞の活用表
二段活用の一段化
下二段活用?上二段活用の連体形?已然形において、-uru?-ureの語尾が-eru?-ere、-iru?-ireの形になってそれぞれ下一段、上一段と同じような活用形になる史的変化のことを二段活用の一段化という。たぶる(taburu)>たべる(taberu)
すぐる(suguru)>すぎる(sugiru)
平安末期や鎌倉時代には既に例が見られるが、まだ一般的ではなく、室町時代、江戸時代を経てゆっくりと一般化していった。
仮定形
已然形は仮定形へと発展を遂げていく已然形は既に起こっていることを述べる場合(確定条件)に用いられたがこの用法は徐々に衰え、いまだ起きていないことについて述べる仮定条件として使われるようになった。現代日本語の仮定形においてはもはや仮定条件のみが存在し、確定条件は使用されていない。確定条件は「ところ」「ほどに」「あひだ」などの語法で表すようになった。
いぜん-けい0【▼
文語の用言?助動詞の活用形の一。六活用形のうち、第五番目に置かれる。係り結びで「こそ」の結びとなり、「ば」「ど」「ども」などの助詞を伴って、順接?逆接の確定条件を表す。口語では、その用法のちがいから仮定
形とよばれる。
命令形
命令形は古来、接尾辞なし、あるいは接尾辞「-よ」をつけて用いられた。中世日本語においては下二段?カ変?サ変活用の動詞に接尾辞「-い」が用いられるようになった。
?呉れ+い(くれい)
?来+い(こい)
?為+い(せい)
ロドリゲスは『日本大文典』で、「見よ→見ろ」のように、「-よ」が「-ろ」により代用されることもあると指摘している。8世紀の古代日本語、なかでも東日本の方言では古くこのような「-ろ」命令形が用いられていたが、現代日本語においてはもはやこれが標準となっている。
連体形終止
連体形で文を終止することは、上代日本語にも中古日本語にも会話文を中心に見られるが、室町時代にはほぼ一般化した。中古までの連体形終止には余情?余韻が感じられたが、中世に一般化すると終止形終止の機能と変わりのないものになった。
連体形終止余情
名詞句構成水の流るるを見て
連体修飾(連体法)流るる水の下
係り結び(終止法)清げなる水ぞ流るる
連体終止(終止法)枕の下を水の流るる
現代語(渡辺実「日本語史要説」)P99
女性
ずいぶんお口がお上手ですこと。
どこへいらっしゃるの?
いえね、今日はクラス会ですのよ。
男性
もしもし、Aさんのお宅ですか。こちらはBですが。
古代日本語→中世を経て→近代日本語
旧ラ変→新ラ変
旧ナ変→新ナ変
旧上二段→新上二段
この変化は平安中期から始め、末期に盛んになり、鎌倉?室町の過度期を経て江戸初期に終結していた見なされている。
第六講(2コマ)
係り結びの消滅
連体形で文末を結ぶ「ぞ?なむ?や?か」の係結びは、連体形終止の一般化と共に意義を失い、形式も混乱していった。已然形で結ぶ「こそ」の係結びも、逆接の接続助詞を伴ったものが増えてきたが、連体形係結びに比べて後代まで残った。現代にも「-こそすれ」「-こそあれ」の形が化石的に残っている。係り結びとは
動詞の上に付いて、その文に意味をもたせるものです。ここで取り上げるものは『ぞ?なむ?や?か?こそ』の5つなのですが、文意の強調や疑問の意味を持たせたりすることが出来ます。こんな風に使います。
文
花咲く+ぞ→強調:花ぞ咲け花は咲く(強い)
水流る+なむ→強調:水なむ流るる水は流れる(強い)
朝起く+や→疑問:朝や起くる朝は起きるのか
花咲く+か疑問:花咲くか花は咲くのか
夜明く+こそ→強調:夜こそ明くれ夜は明ける(強い)
かたちはこんな風なのですが、係助詞「ぞ、なむ、や、か、こそ」が前に付くことによって、後ろの動詞の形が変わっていますね。これが結びと言って、係助詞のそれぞれについて動詞の結びが決まっているのです。以下のような分類になっています。
「ぞ、なむ、や、か」は連体形で結び、「こそ」だけ已然形で結びます。それぞれについて見ていきます。
「ぞ、なむ」
結びは連体形で、強調の意を表します。
「ぞ」の方が「なむ」よりもやや強く、「なむ」は柔らかい表現として会話や手紙文などによく使われたそうです。
われ「ぞ」(まされる)私こそ勝っている
(あやしき)こと「ぞ」あやしいことだ
「や、か」
結びは連体形、疑問、反語の意味です。反語と言うのは、「花は咲くのか」と言いながら、「花は咲かない」という意味になる、という用法のことですが、古文の場合はこの区別が文脈からでしか出来ないので、少し難しいかもしれません。
聞き(給う)「や」聞いてくださるのか
いづこに「か」花咲くどこに花が咲くのか
「こそ」
これだけ結びは已然形。意味は強調です。
強調の意味は、「ぞ、なむ」よりも強くなります。
時「こそ」(過ぐれ)時は過ぎるのだ
第七講(4コマ)
日本語の特徴
敬語表現
中世から近世にかけては、社会的身分、性、階層、年齢などによることばの違いがもっともはげしかった。なかでも貴族?武士?町人?農民は、それぞれ別の言葉を話していた。敬語も多様をきわめた。これについては、スィロミャートニコフの「近世日本語の進化」に詳しく述べられている。
なかでも武士のことばは一番特色があった。「いかが」(=どう)、「さよう」(=そう)、動詞としては「いたす」(=する)、「参る」(=行く、来る)など独特のものであった。これらは現代では丁寧体とみなされるものであるが、武士はいつもこうしたことばを使っていた。
しかし、江戸時代にもっともさかんに使われていた多様な敬語も、封建制度の崩壊とともに次第に単純化し、現代では、敬語のほとんど100%が対者敬語で絶対敬語は用いられなくなっている。
日本語の多様性(位相語)
日本語では、地域?職業?男女?年齢?階級によって、また書き言葉と話し言葉とでは言葉の使い方(語法)に違いがある。そうした違いのあらわれた語を位相語という。
シ?ロミャートニコフも『近世日本語の進化』という彼の著作でこの問題に次のように触れている。
「『上代日本語』という私の著作に有益な批評を行ってくださったのは、著名な日本語学者の馬淵和夫である。かれの指摘によると、私も含めた、日本人でない日本語学者は、位相つまり、性別や年齢、日本語を話している社会的状況によるところの言語の違いというものを十分に考慮に入れていないというのである[150,5頁]。この著作では、私は、誰が、誰に、どのような状況でなんらかの文を語っているということをできるかぎり頻繁
に指摘するように努めた…」。
そこで、金田一春彦氏の『日本語、新版(上)』を参考に、そうした日本語の多様性について触れてみる。
相手による言葉の使い分け
たとえば、上述の本には、「そのようなことはしない方がよいのではないか」といった意味のことを、上京してきた九州出身の人が、電話で、故郷の弟に言うときには、「ソギャンコトワシェンホ-ガヨカタイ」と言う。ところが同じ人が、自分の上役には、「サヨウナコトワオヒカエナスッテハイカガデショウカ」とことばを使い分ける、と日本人の語学の天才?ぶりを紹介している。
さまざまな人の役を演じなければならない俳優はとても苦労する。「いつ江戸へ来たか」と言うのに、次のようにさまざまな言い方をしなければならないからだ。
「いつ江戸へおいでなされました」-武家も使うが、主として町家。
「いつ江戸へお越しでございました」-武家、町家の女性。
「いつ江戸へ御座った」-父親が息子に言う場合。
「いつ江戸へ御座らしゃった」-母親の場合。
「いつ江戸へ参られた」-武士。
「いつ江戸へ来やしゃんした」-遊女。
「いつ江戸へござんした」―遊女のうちでも位のある太夫。
「いつ江戸へきなさんした」-芸者。
「いつ江戸へござりました」-僧侶。医者。
「いつ江戸へおいでなさえました」-職人。
「いつ江戸へござらっしゃりました」-飯焚。(『言語生活』1960.4)
階層による違い
日本語で階層による言語の違いがはげしかったのは、中世から近世で、貴族?武士?僧侶?町人?農民は、それぞれ別のことばをしゃべっていた。
なかでも武士のことばはもっとも特色があり、江戸時代に至っても、文語体を交えていた。語彙としては、「いかが」(=どう)、「さよう」(=そう)、「このたび」(=今度)とか、漢語の「今日」、「所望」、「持参」があり、動詞としては、「致す」(=する)、「参る」(=行く?来る)、「申す」(=言う)、「存ずる」(=思う?知る)、「ござる」(=ある)などがある。さらに、接頭語としては、「相」(例、相済まぬ)、「罷り」(罷りならぬ)を使っていた。
これらは、荘重語とよばれるもので、現在では、丁寧体の文に用いられる語とされている。当時、武士たちは、「さよう申さるるは、いかが致された?」というような、今日では尊敬をあらわす言葉とみなされる文を、普通体の文として使っていた。
仏教のことば
坊さんの唱える「般若心経」や「無量寿経」などのおきょうは、一般の人には、その意味がよく分からないが、仏教界で話されている言葉も独特のものである。たとえば、普通「サイケン」(再建)というところを、「サイコン」(寺院の再建)、「ジンチョウ」(=朝)、「ニチモツ」(=日没)、「ゴヤ」(=夜中すぎ)と言い、「利益」はリエキではなく、リヤクと読む。また、「女性」をジョセイではなくニョショウと読み、「殺生」をセッショウと読む。「オショウ」(和尚)も、宗派によっては「ワジョウ」と読み、その読み方にちがいがあり、仏教用語は、一種独特のものである。
男女による言葉の違い
古代には、男女によることばの違いは、あまりなかった。『源氏物語』でも男女による言葉の違いは、あまり見られない。大野晋氏によれば、『万葉集』では、男性が「言うな」というところを女性は、「な言ひそ」と言っている程度である。違いがはっきりしだしたのは、鎌倉時代で、男性が「候」をサウラウと言い、女性はサブラウと言った。今の代表的な女性の言い方、「―だわ」、「―てよ」は明治時代にはじまったものである。ただ、1945年の日本の敗戦まで、書き言葉は、男女の間でおおきく違っていた。たとえば、男性は、戦前、会社に「私は風邪のため、5月15日に会社を休ませていただきます。つきましては、その旨ご通知申し上げます」といった趣旨の欠勤届をだすのに漢字をいっぱい使っていた(私儀、五月十五日風邪之為欠勤仕候間、此段御届候也)*。これにたいして、女性の方は、漢字をできるだけ少なくし、行書体のかなを使っていたが、明治以後は、このような差も、すくなくなり、現在では、男女の差は、殆ど見られない。
それでも日本人には、男女の性別の違いによる言葉遣いの違いがわかる。それは、作家にとってとても便利である。だれが言った、だれが言った、といちいち書かなくてすむからである。佐藤愛子の『坊主のかんざし』のなかに、男と愛人の次のような対話が出てくる。さて、みなさんには、この10行のせりふのどれが男のことばで、どれが女のことばかお分かりでしょうか。
「あなた、あなたならどうする?」
「どうするって何がだね?」
「もしも、あなたの坊やが殺されたとしたら、やっぱり世間体を真先に考える?」
「バカなことを言うももんじゃないよ」
「そんな心配したことないの?」
「何の心配だ?」
「あたしが嫉妬に狂ってカーッとなるかもしれないって思ったことないの?」
「そんなこと思うわけないじゃないか。嫉妬に狂うとしたら、女房のほうだろう?ぼくがどんなに君を愛しているか、わかりきっていることじゃないか」
「ホントかしら。じゃあ、ミンクのコート買って」
日本語の丁寧体
日本語には、このほかに、官庁用語、文語体と口語体の違いなどがあるが、日本語独特のものとしては、丁寧体という文体の区別がある。
日本語には、口語の文体として、ダ体?デス体?デアル体?デアリマス体?デゴザイマス体と、五つのものがある。このうち、ダ体とデアル体は普通体で、デス体とデアリマス体は、丁寧体である。そしてゴザイマスは荘重体と呼ばれている。文語体では、ナリ体は普通体で、ソウロウ体は丁寧体であった。
この口語の丁寧体は、日本人の言語生活を多少とも複雑にしていることはいなめない。しかし、日本人はこの丁寧体のおかげで、助かっている面もある。というのは、日本語の動詞?形容詞の終止形と連体形は、同じ形であるため、「行く」とか「来る」という動詞が出てくると、一瞬、終止形か連体形か迷ってしまうが、「-マス」[接辞(接尾辞)]が接合されると、文の終止であることが分かる。この「-マス」は「-シマス」(動詞終止形)からきていて、それ自体が、終止形で、文の終止(концовка)を示す役目をするからである。
5.オノマトペ(擬態語、擬声語、擬音語)
オノマトペ。今度は、日本語の特殊性の一つとして、擬態語、擬声語、擬音語をとりあげることにする。もともと日本語は、とても素朴で自然的な言語である。色も橙色、朱色、空色、桃色などすべて自然物の色に
由来している。赤も「明るい」からきており、青と藍は、おなじ語源の語である。このように日本語は、自然の具体的な事物にそくした言語であり、また感覚的な情緒的な言語でもある。
日本語にオノマトペが豊かなのは、日本語がとても具体的な事物にそくした言語であり、感覚的で情緒的な言語であることと無関係ではない。
オノマトぺとは、擬音語、擬声語, giongo, giseigo‘Ономатопея –звукоподражание’のことであり、日本語では、さらに擬態語が加わる。擬音語, Giongoは、実際の音をまねて言葉としてあらわした語である。たとえば、小川が「サラサラ」と流れる、雨が「ザアザア」降っている、といった表現にみられる。擬声語, Giseigo も動物や人間の声をまねてことばとしてあらわした語である。たとえば、犬が「ワンワン」とほえているとか、ヒヨコが「ピヨピヨ」ないている、雲雀の「ピーチクピーチク」さえずる声がきこえる、子供たちが「キャキャ」言ってさわいでいる、といった表現にみられる語である。
実際の音をまねて表現するという点では、擬音語, giongoも擬声語, giseigoもかわりがない。しかし、これとは別に、聴覚以外の、視覚や触覚などによる感覚印象をあらわした語が擬態語, gitaigoである。たとえば、かれは「ニヤニヤ」笑っているとか、老人が「フラフラ」歩いている、船は「ユラユラ」揺れていた、太陽が「サンサン」と輝き、月が「コウコウ」と光をはなっていた、彼女は、「ガタガタ」ふるえだした、と言った表現にみられる語も擬態語である。
他方、窓は「ガタガタ」, gatagata音をたてていたという場合の「ガタガタ」の方は、聴覚によるもので、擬音語といえる。
さらに、動作者の心理状態をあらわしている擬態語としては、「見る」の場合には、チラット見る、ジッと見る、ジロジロ見る、シゲシゲと見る、と言う表現があり、「歩く」の場合には、テクテク歩く、スタスタ歩く、ブラブラ歩く、ヨチヨチ歩く、トボトボ歩く、シャナリシャナリ歩くと言う表現も見られる。
小川がサラサラ‘murmur’流れていたり、犬がワンワン‘bow-bow’とないている、というのは、欧米の言語にもあるが、日本語のオノマトペ‘ономатопея’は、この程度のものではない。とても豊かである。月はコウコウと輝くし、太陽はサンサンと照り、星はキラキラまばたく。彼の額からタラーと冷や汗がにじみでてくる。暑いのか、彼女はベットリ汗をかいている。雨はザーザー降るかと思えば、シトシトふるし、雪はシンシンと降っていたが、今はやんで、あたりはシーンと静まりかえっている、といったふうに例をあげるときりがない。
日本のマンガ雑誌には、オノマトペがあふれている。たとえば、ムム、タラー、タジタジ、グシャ、パシャ、ドシャ、グサッ、など感覚的な語で埋め尽くされている。オノマトペ以外の語が使われていないマンガも多々見られる。
何故日本語にはオノマトペが、これほどまでに多いのか。それはそもそもの日本語、たとえば、やまとことばは、具体的な自然の事物をあらわす語が多いのに、漢語が入ってきて、抽象的な表現が多くなった。それにたいする反発といえなくもない。それだけにオノマトペは、日本人にぴったりのことばといえるだろう。
しかし、このオノマトペのために、ラフカデイオ?ハーン*をはじめとして外国人が、日本語で書いた随筆や小説を外国語に翻訳するのに頭をなやましてきたこともたしかである。
*ラフカデイオ?ハーンlafcadio Hearn(1850~1904)、日本名、小泉八雲。
日本に関する英文の印象記?随筆?物語などを発表した。
日本人は、戦争中に焼夷弾が落ちていく音をシュルルと表現し、爆発音をズガーン?ズガーン、あるいはドカーンと書きあらわしていた。日本語では、このようなオノマトペは、いくらでも自由につくりだすことができる。たとえば、俳人の荻原井泉水は、「富士登山」という文章のなかで、日の出近くの東の空が赤くなり始めた様子を「カンガリ」と形容していた。かれはこれを「ホンノリ」よりは明るく、しかし「コンガリ」とちがって熱くない様子を表したものだと説明している。
このようにオノマトペは、じつにこまかい配慮のもとでつくられていて、おなじ「ころがる音」を形容する場合でもいろいろな言い方をすることができる。たとえば、
「コロコロ」-ころがり続けること。
「コロリ」-1回ころがって止まる様子。
「コロッ」-ころがりかける様子。
「コロリコロリ」-ころがっては止まり、ころがってはとまる様子。
「コロンコロン」-はずみをつけてころがっていく様子。
「コロリンコ」-1回ころがってはずみをもって止まり、あとは動きそうにもない様子。
このように、擬態語はつくるのが自由であるが、とてもきめ細かい配慮のもとでつくられていることも重要な特徴である。
*擬声語?擬音語?擬態語例とその意味
(阿刀田稔子?星野和子『擬音語擬態語、使い方辞典第2版』、創拓社、1995年参照)
音感覚。どのような音が人間にどのような印象を与えるのかについてイスペルセン*が「言語」のなかで次のように述べている。
*Otto Jespersen(1860~1943)デンマークの言語学者?英語学者
[i]およびその系統の母音は、明るさを、そして[u]は暗さを表すのに用いられる傾向がある。たとえば、英語のgleam, glimmer, glitter は、明るさを表し、gloomは、暗さをあらわす。また母音[i]は、小さい、弱いものをあらわすのに適している。たとえば、英語のlittle,フランス語のpetitなど。また、英語のgl- は光を表す。たとえば、gleam 。これは私の考えであるが、ロシア語のлу-なども、光に関係のある語に用いられる。たとえば。луна, луг, люминисцентная лампаなどである。
ところで、日本人は、母音にどのような感じをもっているのだろうか。仏文学者の氏は、日本語の母音を比較して次のように述べている。
[ア]は、高く、大きく、
[イ]は、細く、鋭く、
[ウ]は、暗く、鈍く、
[エ]は、明るく、平たく、
[オ]は、円くて重い。
実際に[i]をもった拍ではじまる語は、量の小さいものをあらわし(chiisai-小さい、chikai-近い、hikui-ひくい、mijikai-短い)、[o]や[a]をもった拍ではじまる語は、量の大きなものをあらわす(ookii-大きい、to-i-遠い、takai-高い、nagai-長い)語が目立つ。
ところで、子音には、どのような感じがするのだろうか。「k」をともなう語は、乾いた感じ、[s]をともなう語は、快い、時には、湿った感じ、[t]をともなう語は、強く、男性的な感じ、(n)をともなう語は、粘る感じ、[h]をともなう語は、軽く、抵抗感のない感じ、[m]をともなう語は、まるく、女性的な感じ、[y]をともなう語は、柔らかく、弱い感じ、(w)をともなう語は、もろく、こわれやすい感じがするそうである。
ところで、日本語の子音からうける感じで重要なのは、清音と濁音からうける感じの違いである。清音の方は、小さく、きれいで、速い感じがする。ころころ:korokoroと言うと、ハスの葉の上を水玉がころがっていくときの形容となる。ところが、ごろごろ:gorogoroと言うと、大きく、遅く、荒い感じがする。たとえば、力士が土俵の上でころがる感じである。きらきら:kirakiraと言うと、星や宝石の輝きをあらわすが、ぎらぎら:giragira と言うと、マムシの目玉が光っているときの形容になる。しかも、濁音ではじまる語は、どぶ:dobu、びり:biri、ごみ:gomi、げた:getaなど汚らしい語感のものが多いようである。
このように日本語の母音や子音の音から受ける感じは、もちろん、オノマトペにも反映しているものと思われる。
参考文献:『NHK日本語なるほど塾』、2004年8月号
『日本語』新版(上)、金田一春彦著、岩波新書