中国概况(日语)
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天津概况天津市是中央四大直辖市之一、中国北方最大的沿海开放城市、中国历史文化名城、中国首批优秀旅游城市,2006年国务院将天津城市定位为“国际港口城市、北方经济中心和生态城市”。
天津地处华北平原东北部,东临渤海,北依燕山,西北与首都北京毗邻,相距仅120公里,全市总面积11919.7平方公里,共辖16个区县。
其中包括:滨海新区、和平区、河西区、河东区、河北区、南开区、红桥区、西青区、津南区、东丽区、北辰区、宝坻区、武清区、宁河县、蓟县和静海县。
截至2012年底,全市常住人口1413万人。
天津位于海河流域下游,地处海河、南运河和北运河的交汇处,子牙河、大清河、永定河等也流经天津入海,有“九河下梢”和“渤海明珠”之称,区域内海岸线153公里,海岸线距市中心仅50公里。
平原约占总面积的94%,仅少部分山地和丘陵,地势由西北山区向东南渐低,呈簸箕形向海河干流和渤海倾斜。
隋朝统一中国后,开通了贯穿中国南北的大运河。
运河与海河在“三会海口”(天津历史记载中最早的地名)交汇,使天津兼有河运、海运的双重便利。
到了明朝,三岔河口成为南北水路运输的重要枢纽,呈现“一夕潮来集万船”的景象。
燕王朱棣1400年率兵由直沽渡河南下夺取皇位,称帝后为纪念“靖难之役”的胜利将直沽赐名“天津”,意为“天子渡口”,天津由此得名。
1860年之后,在不断遭受外强侵入的背景下,九国租界,华洋杂处,中西碰撞,彼此相异的中西文化,却在天津这座都市奇迹般地交融相生。
租界内的教堂、洋行、商家、现代的城市管理、西方的生活方式,直接影响着近代天津的文化走向。
在近代中国北方,天津以其独特的地理位置和历史背景,得领世界风气之先。
19世纪80年代前后,由李鸿章等人倡导,为中国开辟了现代化之路的“洋务运动”与“实业救国”的巨大浪潮,都以天津为起点与中心,再经发展扩及全国。
就在这一时期,天津相继诞生了一批“中国之最”:我国最早自己修造的最长的铁路——津唐铁路、全国最老的车站之一——老龙头火车站、中国最早的开启式铁桥——金华桥、我国第一套邮票——大龙邮票、中国最早的电报局——津沪电报总局、中国报龄最长的报纸——《大公报》、中国最早的机器铸币厂——天津机器局铸钱局,以及中国第一台自制蒸汽机车、第一条有轨电车,国内最早的电报业、电话通讯业、公交系统等。
重慶概況重慶は中国西南部にある。
中国の版図は雄の鶏の形によく似ているが、重慶はその鶏の腹の方に位置している。
重慶は歴史の古い町である。
史料により、2万年の旧石器時代からもう人類がここに生活していたことが判明できる。
紀元前十一世紀の西周時代、この町は既に「巴の国」の首都となっていた。
「巴の国」の名は四川を流れている長江の支流、嘉陵江が巴の紋の如く曲がりくねっているので名づけられたのだという。
秦の始皇帝が天下統一以後、ここに「巴郡」を設け、漢代になって「江洲」と改められた。
また嘉陵江畔に位置しているので、嘉陵江の別称「渝水」の名に因んで隋代には「渝洲」とも呼ばれた。
北宋時代になってまた「恭洲」と改名された。
1189年1月、趙淳という人が恭洲の王に封じられたが、すぐ2月に帝位に就けた。
これは二つの大喜びで、喜びが重なるという意味から「重慶」と名づけた。
重慶の名は今日までずっと使われてきた。
近代に入ると有名な中日戦争のため、重慶はその戦争の裏の舞台となった。
中国大陸の西南地方に当たる重慶は古来の僻地の故、さすがの日本軍も容易に攻められないだろうと考慮し、国民党が南京にあった政府を一挙に重慶に移してきた。
1938年から重慶は戦時の首都となった。
市区の範囲が広げられ、人口もどんどん増えてきた。
重慶は第二次世界大戦の有名な都市になった。
新中国成立後、重慶は工商業とも繁栄している大都市で、中国西南地方の水陸交通要点と内陸対外貿易の港で、長江上流の経済の中心地となった。
1994年12月、世界第一を誇る水利プロジェクトー長江三峡水利発電工事が正式に起工した。
これにより、中国西南部における最大の工業都市、長江上流の経済中心地重慶は、新たな使命を担うことになった。
すなわち重慶市から宜昌市まで延々600キロメートルに及ぶ長江三峡ダム区域の当たる重慶は当地区の経済発展をリードするという歴史的な重任を負っているのである。
重慶市は1997年3月に中央直轄市になったのは、これが重要な原因からであろう。
大連概況大連市は中国の遼東半島の南端位置し、東は黄海は迫り、西には渤海を望み、後ろには中国東北地方の内陸部を背負っています。
土地面積は12500平方キロ、人口は590万人。
海岸線の長さは1906キロです。
大連は港湾都市です。
大連港はすでに160個国と地域との間に航路を開通し、年間取扱量は1.1億トンに達し、中国東北地域の国際運輸中枢と国際物流センターとして機能しております。
年間輸出入額は東北地方の70%を占めています。
大連の交通は非常に便利です。
大連ハルピン間はすでに全線電化されています。
大連瀋陽間の高速道路、今対向8車線への拡張工事が行われており、大連丹東高速、大連黒竜江省高速などとともに、近代的道路交通網が四方八方に広がっております。
大連都市部に渋滞がなく総延長46.5キロの都市電車システムもすでに運営を開始しています。
週水子国際飛行場は86の国内海上路線が開通しており、北京との間には毎日30便ありまが往復しており、日本との間では毎週50便ほど行き来しており、香港―韓国行きフライトも毎日あります。
大連の通信産業も発達しており、情報通信のインフラ及び施設は中国においてトップレベルに達してます。
大連市のブロードバンドネットワークが全面開通され、中国東北地域の最大の国際処理センターとなっております。
大連市は中国の重要な工業基地でもあります。
石油化学工業、造船工業、ディーゼル機関車、冷凍設備、精密ベアリング、電子通信産業などは中国の工業体系の中で重要な位置を占めています。
大連市のハイテク産業は、スピーディー名発展を見せており、5年間連続25%の成長を維持してきました。
GE、エリクソン、SKはすでに会社の中国地区での本部を大連においています。
大連市は中国唯一のソフトウェアー国際化モデル都市として国に認められました。
大連ハイテク産業園区にはIBM、デルコンピューター、アクセンチュアー、CSKなど200社あまりのソフトウェアー企業が進出しており、ソフトウェアー産業の出荷額は年間5 0%の成長率で伸びています。