何 今 く ま た 辟 芝 强 よ つ にに かま に だ 林 を 易 居ば …
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腐っても鯛 (瘦死的骆驼比马大)楔くさびを以って楔を抜く(以毒攻毒)麻の中の蓬よもぎ(蓬生麻中不扶自直)雀の千声、鶴の一声(愚者千声,不如智者一声)擂鉢すりばちに灸を据える(对牛弹琴)旅の恥は掻き捨て(出门在外,见怪不怪)恥をかいても気に留めず平気なこと。
毛けを吹ふいて疵きずを求もとむ(吹毛求疵)足ることを知る人は常に楽しい(知足者常乐)水母くらげの風向かい(明知山有虎,偏向虎山行)(クラゲが風上に向かって進もうとしてもできないところから)敵対してもむだなことのたとえくらげに刺されるくらげみたいな人**水母の骨吐いた唾つばは呑めぬ(覆水难收 说出去的话,泼出去的水)吐いた唾は呑む(出尔反尔)唾液(だえき)腹だつなら親を思い出すが薬(犯错时想起父母是最好的良药)腹立てるより義理立てる(发火不如讲道理)虎の威を借る狐(狐假虎威)虎の尾を踏む(极其危险)虎も毛を振るう(虎也有发威的时候)鼻糞で鯛を釣る(抛砖引玉)鼻くそをほじる耳の穴・あな人形も衣裳;山の猿も衣裳(人靠衣裳马靠鞍)「馬子にも―」「花嫁―」「舞台―」千里の野に虎を放つ(放虎归山)早いが勝ち(捷足先登)世間には鬼は無し(世上还是好人多)箸も棒にもかからぬ(毫无办法)百病より貧の苦しみ(百病苦,贫穷更苦)知った道に迷う(阴沟里翻船)たとえ豆腐汁とうふじるは捨てるところがない(情同手足)猫は三年飼って三日で恩を忘れる、犬は三日飼えば三年恩を忘れないいい後は悪い(事情都是一分为二)蕪かぶから棒(突如其来)流れに棹さお(一帆风顺)鱧はもも一期、海老も一期(贫富都要了却一生)人の人生は貴賎賢愚の別があっても、たいてい同じであるというたとえ密かに諌いさめて、公に褒めよ(私下里批评,大家面前表扬)知恵は万代ばんだいの宝(智慧是传家宝)爪が長い(贪得无厌)虎の口をのがる(虎口脱险)綱つな渡わたりより世渡よわたり(走钢丝难,生活更难)好きこそ、物の上手なれ(有兴趣才能擅长)我が面白の人泣かせ(把自己的快乐建立在别人的痛苦上)我が上の星は見えぬ(谁也无法预知自己的命运)上手の手から水が漏れる(智者千虑必有一失)上手の猫は爪を隠す(真人不露相)臭いもの、身知らず(自己闻不见自己臭 自己看不到自己的缺点)「自分のにおいには気づかないように、欠点はなかなか自覚できないというたとえ」 臭(くさ)い物に蠅(はえ)がたかる 臭いものに蠅が集まるように、悪い者どうしは寄り集まるものであるというたとえ 臭(くさ)い物に蓋(ふた)をする悪事や醜聞などを、他に漏れないように一時しのぎに隠そうとするたとえ金は物言う·金が力なり(钱说了算)病やまいと命いのちは別物べつもの(看起来健康的人容易猝死)鼻欠はなかけにも笑窪えくぼ(情人眼里出西施) 「鼻が欠け落ちていること。
ラットが死んだ老鼠死掉了作詞:P.I.N.A.作曲:P.I.N.A.編曲:P.I.N.A.唄:初音ミク假名翻譯:野生のCraig花(はな)の香(かお)りも手伝(てつだ)ってhana no kaori mo tetsudatte市(まち)に加速(かそく)する灰色(はいいろ)の目machi ni kasoku suru haiiro no me眠(ねむ)れないのと偽(いつわ)ってnemure naino to itsuwatte虚(うつろ)を覗(のぞ)き込(こ)むブリキの目(め)utsuro wo nozoki komu buriki no meアイラインをキツく挿(さ)してairain wo kitsuku sashiteティアドロップで隠(かく)し立(た)てteiadoroppu de kakushi tate今日(きょう)の演目(プログラム)も楽(たの)しんでkyou no puroguramu mo tanoshinde タネを割(わ)らぬよう目(め)を瞑(つむ)ってtane wo waranuyou me wo tsumutteニューストップの記事(きじ)を読(よ)んだnyu^sutoppu no kiji wo yonda鬼(おに)の仕業(しわざ)だと抜(ぬ)かしていたoni no shiwaza dato nukashiteita利害(りかい)関係(かんけい)でブチ抜(ぬ)いたrigaikankei de buchi nuita束(つかん)の間(ま)のパンチラインtsukanoma no panchirain曖昧(あいまい)なスピーカー矛盾点(むじゅんてん)は無(な)いか?aimai na supi^ka^ mujunten wa naika ?感情(かんじょう)伝(つた)いに燃(も)え上(あ)がった後(あと)の灰(はい)は誰(だれ)が埋(う)めてくれるんだ?kanjou tsutai ni moe agatta ato no hai wa dare ga umete kurerunda ? アクター担(かつ)いだ古典(ごてん)芝居(しばい)じゃないかakuta^ katsuida koten shibai janaika初版(しょはん)引(ひ)っ繰(ぐ)り返(かぇ)してみたら鼠(ラット)が死(し)んでいたshohan higguri kaeshite mitara ratto ga shindeitaタイムラインは好調(こうちょう)だtaimurain wa kouchou daこの情報量(じょうほうりょう)は格別(かくべつ)だkono jouhouryou wa kakubetsu da流行病(はやりやまい)を呼(よ)び込(こ)んだhayariyamai wo yobi konda抑鬱(よくうつ)に乗(じょ)じ手(て)を汚(よご)したyokuutsu ni jouji te wo yogoshitaかくて我(われ)らは潤(うるおう)ったkakute warera wa uruoutta嘘(うそ)をジャンクフードで飲(の)み込んだuso wo jankufu^do de nomi kondaはて、神(かみ)は死(し)んだかとhate , kami wa shindaka to懸念(けねん)する声(こぇ)もとうに止(やん)んだkenen suru koe mo touni yanda自暴自棄(じぼうじき)のラガーフリークjiboujiki no raga^furi^ku生(う)まれ損(そこ)ないのピンチマニアumare sokonai no pinchimania呼吸困難(こきゅこんなん)のフックアッパーkokyuukonnan no fukkuappa^ダダ漏(も)れのパイプラインdada more no paipurain完全(かんぜん)な操作(そうさ)一般道(いっぱんどう)はゲットー行(い)きだkanzen na sousa ippandou wa getto^ iki daハンドルは左右(さゆう)どちらにあるのか考慮(こうりょ)してくれよスーパードライバーhandoru wa sayuu dochira ni aru noka kouryoshite kureyosu^pa^doraiba^安息(あんそく)に座(ざ)した一般論(いっぱんろん)じゃないかansoku ni zashita ippanron janaika一時停止(いちじていし)を無視(むし)した先(さき)では鼠(ラット)が死(し)んでいたichijiteishi wo mushishita saki dewa ratto ga shindeita曖昧(あいまい)なスピーカー矛盾点(むじゅんてん)は無(な)いか?aimai na supi^ka^ mujunten wa naika ?感情(かんじょう)伝(つた)いに燃(も)え上(あ)がった後(あと)の灰(はい)は誰(だれ)が埋(う)めてくれるんだ?kanjou tsutai ni moe agatta ato no hai wa dare ga umete kurerunda ?何度(なんど)繰(く)り返(かぇ)した古典(こてん)芝居(しばい)じゃないかnando kuri kaeshita koten shibai janaika思考停止(しこうていしい)に与(くみ)した先(さき)では鼠(ラット)が死(し)んでいたshikouteishi ni kumishita saki dewa ratto ga shindeita変動(へんどう)への応答(おうとう)hendou eno outou夢(ゆめ)を壊(こわ)してはいけないのでyume wo kowashite wa ikenaino de君(きみ)の仕業(しわざ)だと言(い)ってやったkimi no shiwaza dato itte yatta曖昧(あいまい)なスピーカー矛盾点(むじゅんてん)は無(な)いか?aimai na supi^ka^ mujunten wa naika ?感情(かんじょう)伝(つた)いに燃(も)え上(あ)がった後(あと)の灰(はい)は誰(だれ)が埋(う)めてくれるんだ?kanjou tsutai ni moe agatta ato no hai wa dare ga umete kurerunda ?アクター担いだ古典(こてん)芝居(しばい)じゃないかakuta^ katsuida koten shibai janaika初版(しょはん)引(ひ)っ繰(ぐ)り返(かぇ)してみたら鼠(ラット)が死(し)んでいたshohan higguri kaeshite mitara ratto ga shindeita漫然(まんぜん)な自由(じゆう)か?思慮(しりょ)ある不自由(ふじゆう)か?manzen na jiyuu ka ? shiryo aru fujiyuu ka ?「趣味(しゅみ)のよさというものは物事(ものごと)を強調(きょちょう)しないことにある」のか?「shumi no yosa toiu mono wa monogoto wo kyouchou shinai koto niaru」noka ?肝心(かんじん)なとこは皆(みな)一枚(いちまい)奥(おく)にあるのさkanjin na toko wa mina ichimai oku ni aru nosa疑(うたか)うことを放棄(ほうき)した民主主義者(デモクラット)が死(し)んでいたutagau koto wo houkishita demokuratto ga shindeita空(そら)は寒気(さむけ)立(た)っていたsora wa samuke tatteita。
ばかり1.连体形+ばかりで只是,仅仅是忙しいばかりで、お金はちっとも儲からない。
2.名詞/た/形容词连体形+ばかりか不仅而且八百屋では野菜ばかりか、また果物も買っています。
3.たばかりに 要是不做就好了郵便局が休みだったばかりに、その日に小包が出せなかった。
ほか1.はほかでもなく、だ。
不是别的,正是ずっと求めていたものはほかでもなく、これだ。
2.のほかはない 除此之外再没有私は休みの日のほかはスポーツしない。
3.ほかない/ほか仕方がない/ほかしようがない 入学試験も目の前になった。
ここまで来たら、一生懸命頑張るほか仕方がない。
ほど1.名詞/连体形+ほど 简直,都到了……程度,甚至达到祭りが終わった、残されたゴミは山ほど溜まっています。
彼女は贅沢と言っていいほどの毎日を送っています。
この商品はおもしろいほどよく売れる。
言葉では表せないほど美しさだ。
彼女を辛いほど愛している。
その国の経済の発展ぶりは奇跡とも言えるほどだ。
2.ほど はいない 没有比什么什么更うちのクラスでは佐久間さんほど頭のいい人はいません。
3.(という)ほどではない/ほどでもない/ほどのことではない/程のものではない 还没有达到什么程度,不至于 そんなに謝るほどのことでもないから、気にしないでください。
確かに立派そうな別荘だが、三億円も出すほどのものではない。
彼女に会いたいが、会わないではいられないという程でもない。
4.越来越 丈夫なら、丈夫なほどいい=丈夫なほどいい。
古いものなら、古いものほどいい=古いものほどいい。
古ければ、古いほどいい=古いほどいい。
古くなれば、古くなるほどいい=古くなるほどいい。
まで1.甚至连 本が数すう冊さつ出しゅっ版ぱんされたし、子供も生まれた。
その上、宝くじにまで当たった。
2.までになった/までに育った/までに成長した 达到了理想的状态日本のロボット研究は世界で進んでいる方ですが、広く利用されるまでには実用化していない。
秋风清,秋月明,落叶聚还散,寒鸦栖复惊。
を信じよ、しかしその百倍も自らを信じよ。
——手塚治虫相信别人,更要一百倍地相信自己。
人生はいつもいつも第一志望ばかりを歩けるものではありません。
そして、必ずしも、第一志望の道を歩くことだけが、自分にとって最良と言えないことだってあるのです。
——渡辺和子人并不总能按第一志愿行走。
而且,第一志愿并不一定是自己的最佳路线。
人間が人間として生きていくのに一番大切なのは、頭の良し悪しではなく、心の良し悪しだ。
——中村天風人作为人存在时,最重要的不是头脑的好坏,而是心地的好坏。
人間っていうのは、いい時にはみんないい人なんだよ。
最悪の状態の時にその人の本質が問われるんだ。
——前原滋子人,在境况好时都是好人,在境况恶劣时才能考验人的本质。
人間の優劣は、他者との比較で決めるものではなく、自分自身の中で決定されるもの。
——伊東浩司人的优劣,不是通过和他人比较获得的,而是由自身决定的。
多数に追随すれば必ず自分を見失う。
孤独を恐れず、したいことを続けるしかない。
——安藤忠雄追随多数必然迷失自己。
只能不怕孤独,继续自己想做的。
世の中に失敗というものはない。
チャレンジしているうちは失敗はない。
あきらめた時が失敗である。
——稲盛和夫世上没有所谓的失败。
挑战时没有失败,放弃时才是失败。
持てる力を一点に集中させれば、必ず穴があく。
——鬼塚喜八郎集中力量攻一点,必能开洞。
真剣にやると、知恵が出る。
中途半端にやると、愚痴が出る。
いい加減にやると、言い訳しか出てこない。
——大脇唯眞认真做,出智慧;半途而废,出抱怨;马虎做,只出借口。
人生に夢があるのではなく、夢が人生をつくるのです。
——宇津木妙子不是人生中有梦想;是梦想造就了人生。
成功している人はみな、途中であまり道を変えていない。
いろんな困難があっても志を失わず、最後までやり遂げた人が概して成功している。
——松下幸之助成功者很少中途改变方向。
不管遇到什么困难,坚持到最后的人多能成功。
思立おもひたつたを吉日きちにちに
荻おぎ生ふ徂そ徠らいは一代だいの名儒めいじゆである。
﹁梅うめが香かや隣となりは荻おぎ生ふ宗そう右う衛ゑ門もん﹂と其き角かくがうた
つ
た彼かれの塾じゆくも、堕だ落らくの極きよくに達たつした当たう時じでは、至いたつて尠すくないかはりに、やれ歌舞かぶ
よ音曲おん
きよくよと、寄席よせや芝しば居いには人波ひとなみ打うつて流ながれ込こむ。
従したがつて弟子でしとても一向かう勉べん強き
やうはせぬ。
すると或ある弟子でしが一つ先生せんせいを皮ひ肉にくつた。
﹁先生せんせい、歌舞かぶ
音曲おん
きよくの寄席よせや
芝しば居いには、沢山たくさん人ひとが集あつまりますが、此この塾じゆくには、何故なぜ人ひとが来こないのでせう﹂。
﹁ナ
ニ、そりや腐くさつたものには、蝿はへが集あつまるものぢや﹂と、徂そ徠らい傲然がうぜん厲れい語ご。
弟子でしは辟易へきえきして仕舞しまつたとある。
何なにもひるむことはない。
人ひとは人ひと、吾われは吾われ、思立おもひたつたを吉日きちにちに、勇いさましく求道きうだうの旅たび路ぢに立たてよかし。
林はやし
羅ら山ざんの学友がくいうで菅すが得庵とくあんと云いふ人ひとが、或年あるとしの大おほ節せつ季きに羅ら山ざんに向むかつて﹁自じ分ぶんは
まだ﹃通鑑綱目つうかんかうもく﹄を読よんだことがないが、君きみは読よまれたか﹂と問とうた。
羅ら山ざんが﹁疾と
くに読よんだ﹂と答こたへたので、得庵とくあんは﹁それでは明春みやう
しゆんから講かう義ぎを聞きかせてくれないか﹂と頼たのんだ処ところ﹁君きみが果はたして聴ききたいのならば、何なにも明春みやう
しゆんからでなくとも今いまから始はじめやうではないか﹂と、大晦日おほみ
そかから直すぐに講かう義ぎを始はじめたさうである。
何なにによらず思立おもひたつたが吉日きちにち。
苟か
りそめにも道みちを求もとめんとする已上いじやうは、何なには措おいて
も即刻そくこく
着手ちや
くしゆすべきである。
仏法ぶつぽふには明日あすと云いふことはない、何なんでも取急とりいそいで法ほふは求もとめなくてはならぬ。
人生じ
んせい
の無常むじやう世せ相さうの転変てんぺんに驚おどろき起たちて、求道きうだうの旅たびに進すゝまんとする人ひと、唯ただ熱ねつ
誠せいなれ、忠実ちうじつなれ、大勇猛心だい
ゆう
みやうしんを発はつ揮きするところあれ。
低ひくく我心わが
こゝろの実情じつ
じやうを眺ながめ
て、高たかく如来によらいの心情しん
じやうに接せつせよ。
そこに必かならず信仰しんかうの情熱じや
うねつは沸わき来きたるであらう。
﹁たとひ大だい千世せ界かいに、みてらん火ひをもすぎゆきて、仏ぶつのみなをきく人ひとは、な
がく不ふ退たいにかなふなり﹂。
燃もゆる火ひを分わけても法のりはきくべきに、雨風雪あめかぜゆきは物もののかづかは
或寺ある
てらの和尚をしやうさんが、他所よそから柳やなぎのおろし枝えだを貰もらつて来きて、之これを挿さし木きにしや
うと、小こ僧ぞうに云いひつけて垣かきの辺ほとりにさゝせ、さうして言いひ含ふくめて置おいた。
﹁子こ供ども
などが来きて抜ぬくかも知しれないから、よく守まもつてゐるがよい﹂。
小こ僧ぞうは其その日ひから竹縁たけえんに机つくえを出だして手習てならひをしつゝ、柳やなぎを見張みはつて居ゐた。
すると七日かばかりたつて、和尚をしやうは庭にはに下おりて、柳やなぎを見みまはりながら、﹁この柳やなぎは子こ供どもが抜ぬくだらうと思おもつて居ゐたのに、少すこしも抜ぬいてないのは、お前まへがよく番ばんをしてゐたからだ﹂
と褒ほめ、﹁それにしても、夜よるのうちに子こ供どもがはいつて来きて、引ひき抜ぬいたら咎とがめ
やうもなかつただらうに、よくも夜よるこなかつたものだのう﹂。
﹁左さ様やうでございます。
夜よるの間あひだに抜ぬき取とられたら、守まもつてゐた甲斐かひもないと思おもひましたから、何時いつも初夜よひが過すぎると引ひき抜ぬいて箱はこに納おさめて、夜よが明あけると直すぐ挿さすやうにしてゐました﹂。
小こ僧ぞう澄すまし込こんで云いふものだから、和尚をしやうも呆あきれ返かへつて﹁道だう理りで柳や
なぎが芽めを吹ふかぬ筈はずぢや﹂と大笑おほわらひに笑わらつたとや。
時と
き々く
゛思おもひ出だす位くらゐの事ことや、思出おもひだして太たい儀ぎながらお参まゐりする位くらゐでは、仲なか々く実功じつこう
はあがりかねる。
もう一つ本ほん気きになり真剣しんけんになつた処ところに、信仰しんかうの芽めは吹ふいて
来くる。
茲こゝに某ぼう誌しの一節せつを紹介せうかいする。
或ある老媼らうあう
病やまひに罹かゝりし時とき、行先ゆきさきが心配しんぱいになつて来きて、其その兄あにに之これを打うち明あけた。
兄あにが申まをすには﹃御ご和わ讃さん﹄には三千世せ界かいの火ひを過すぎ
行ゆきても法のりを聞きけとある。
数町すう
ちやう
隔へだゝつた処ところに法のりの御師匠おしし
やうがある。
起たつて歩あゆめなかつたならば、四つ這ばひになつて往いつて聞きいて来こいと叱しかりつけた。
老媼らうあうは兄あにの言いふ侭まゝに這ほうて行いつて聴聞ちや
うもんし、厚信こうしんな同行どう
ぎやうとなられた。
信しん
の得えられぬのは大だい事じが掛かゝらぬからである。
大だい事じのかゝらぬのは、自じ分ぶんの
危あ
やふいのが知しれぬからである。
讃岐さぬきの庄松しや
うまつに或人あるひとが﹁私わ
たくしは今いまから地ぢ獄ごくの絵ゑを
拝をがんで来くる﹂と申まをしたれば﹁あゝ参まゐつて御出おいで、善よく見みて来きなさい。
私わ
たくしに
は其それは要いらぬ事ことだがお前まへには要いる。
地ぢ獄ごくはお前まへの行いく処ところぢや、篤とくと気きをつけ
て見みてお出いで﹂と云いはれたさうである。
是これを思おもふ時とき、此これが為ための御本願ごほんぐわんと聞きく
時とき、唯たゞ
名号みや
うごう一つ御本願ごほんぐわん一つ御お助たすけ一つの外ほかはない。