日本语における主语の省略
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敬語の練習:問題()の中の言葉を敬語にして書きなさい。
「れる、られる」の形は使いません。
1.学生:先生、今朝の新聞をましたか。
(読む)先生:ええ、読みました。
2.社員A:XY社の社長は何時にますか。
(着く)社員B:11時にます。
(来る)社員A:11時ですね。
分かりました。
社員A:部長、部長もXY社の社長とますか。
(会う)部長:ええ、私もお話したいと思っています。
・・・・・・・・・・・・・・・社員A:XY社の社長はました。
(帰る)社長は「食事もおいしかった」とました。
(言う)3.学生:先生、その本は重いから、私がます。
(持つ)先生:ああ、ありがとう。
じゃあ、お願いします。
4.(日本語学校のパーティで)学生:先生、何をますか。
(食べる)先生のお好きなものを私がます。
(取る)先生:ありがとう。
じゃ、お寿司を少しお願いします。
学生:先生、夏休みに旅行にますか。
(行く)先生:ええ、田舎に帰ろうと思っています。
キムさんはどうしますか。
学生:わたしはアルバイトがありますので、東京にます。
(いる)でも、来月国から母がます。
(来る)5.(デパートのエレベーターの中で)A:お待たせいたしました。
ます。
(7階)レストラン、スポーツ用品、時計、めがねなどがございます。
レストランをご利用の方はこちらでくださいませ。
(降りる)日本語における敬語表現一般的には敬語を尊敬語・謙譲語・丁寧語の三つに分類する。
日本語学においてはさらに丁重語・美化語を立てた5分類が多く使われている。
文部科学大臣及び文化庁長官の諮問機関である文化審議会も、2007年に、尊敬語・謙譲語Ⅰ・謙譲語Ⅱ(丁重語)・丁寧語・美化語の5分類にするという敬語の指針を答申した。
敬語にはその性質上、話題中の人物を高めるもの(素材敬語)と話し手が対面している聞き手を高めるもの(対者敬語)があるが、5分類は、従来の3分類を元に、両者を区別することで定義されたものである。
また、本来丁寧語の一部である美化語は「敬語」からは外されることが多い。
日本語における主客観表現【摘要】原因理由的表达是指对原因、理由、动机进行说明的表达方式。
日语中这一表达方式相当发达。
不同性质的原因常用不同的方式表示,不同的方式还常常表现出句法结构上的区别。
其表达方式远远多于汉语,多达三十几条,而且表现得更为复杂,要求得更为严谨,区分得更为仔细。
本文将列举出日语中所有的表示原因理由的表达形式,通过主客观的基本概念及结果的好坏、消极与积极、接续方式、词性等方面,试图找出它们的特点特征,给予归纳总结。
【キーワード】主観;客観;表現;積極;消極(以五十音图为序)25、て「て」的词性较多,助动词、接续助词、终助词、提示助词等等,本文只涉及原因理由的表达。
一般来说,「て」只接在用言的后面,用法有以下几种。
1)表示中顿、动作行为的先后顺序。
2)与其它词搭配组成惯用表达形式。
3)表示原因理由。
「て」表示原因理由很特殊,所以日本的语法学者把它归纳为「て」系列。
「て」本身并没有表示原因理由的功能,而是取决于前后文的逻辑关系,如果能明确意识到因果关系时也可用「ので」或「から」代替。
如果后项是主观性强的意志、命令、劝诱、许可、禁止等内容时,一般不能用「て」表示原因。
所以说它更接近「ので」系列的用法。
暑いから、(×暑くて)窓を開けなさい。
①試験が終わってほっとした。
②彼は用事があって帰ったのですか。
26、で格助词,含义很多。
在表示原因理由时,它表示自然、生理、社会、精神、物理等方面的原因。
不能用于意志、命令、劝诱、请求等主观色彩很强的表达中。
属于「ので」系列的用法。
①火事で一文なしになる。
②大勢の人は癌で(に)苦しんでいる。
③この二,三日は帰国の準備であわただしい。
27、とあって「ある」表示事物的存在,还能以「~てある」的形式表示人为动作的结果、现存的状态。
这个「ある」和「と」构成句型「~とあって」,意思是「~という事態なので(由于这种情况而…)」,属于表示原因、理由的「~ので」系列,用于已经发生的事情,故在句尾不能使用如「~でしょう/~かもしれない/~つもりだ/~たい/~(よ)う」等表示推测或意志的词句。
浅析日语会话中的简略现象摘要:在日语会话中,感觉我们经常会听到一些似懂非懂的句子。
其实它并不是句子、语法的错误,而是在日语会话中常见的一些简略现象。
本文从日语会话中常见的几种简略现象进行分析,以希望日语初学者对这一现象有基本的认识。
关键词:日语会话省略约音现象【中图分类号】 g642 【文献标识码】 a 【文章编号】1主语的省略无论是在日常口语的会话中,还是在原版或国内编著的教材中,我们都很少听到「私」「あなた」这样的人称代词。
究其原因我们可以知道,并不是日语中没有这样的人称代词,而是日语与汉语表达不同,在会话中说话人或听话人从场景都可以对省略的成分、内容做出合理且明确的推测。
例如:1、はじめまして、(私は)佐藤と申します。
(自我介绍)2、(私は)ぜひ行きたいです。
(表愿望意志)3、(私は)日本語は難しいと思います。
(表思考判断)4、すみませんが、(あたなは)田中先生ですか。
(询问)5、この本、(あたなは)お読みになりましたか。
(敬语)6、(あたなが)分からなければ、(ぼくは)教えてあげますよ。
(授受关系)日语中主语被省略是日语的特点之一。
通过上面的例子我们可以知道,借助日本人的文化习惯可以省略主语,借助上下文及语境可以省略主语,借助日语自身的特点也可以省略主语等等。
例1为自我介绍的句子,汉语中在自我介绍时,常用“我叫……”开头,然而在日语的表达中,如果我们把「私」添加上去,反而会给人不地道的感觉。
例2、例3为表达个人愿望、想法的句子,当给听话人说起有什么愿望、想法时,那么谈话的内容必定是指说话人自己的愿望、想法。
如果不是说话人自己的愿望,那么句子中就不会用「たい」;而如果不是说话人自己的想法,那他就会在「思う」这个句子中加上某某主语,句中省略则表示就是指的说话人自己。
例4的疑问句,两者在会话中有疑问,那么肯定就是问对方了,因此往往可以省略「あたな」。
例5中「お~になります」是一个标准的敬语句型,根据日本人的说话习惯,对自己的行为动作是不可能用敬语的,因此它的主语肯定就是对方了。
概述日语中常见的省略表达方式本文从委婉的省略表达、人称代词的省略、双方共知部分的省略三个方面分析了在日语中经常出现的一些省略表达方式。
[摘要]日语的表达有个显著的特点,那就是省略表达比较多。
在日常生活中省略表达处处可见。
本文通过具体的例子分析了委婉的省略表达、人称代词的省略表达和谈话双方共知部分的省略表达,最后分析了日语中存在众多的省略表达的原因。
[关键词]省略表达;委婉省略;人称代词省略;共知部分省略省略是任何语言中都存在的一种语言现象,一般来说,讲话中往往省略大家共知的部分,以求简明扼要。
由于日语特有的语言氛围和日本人独有的“以心伝心”、“腹芸”的文化背景,日语中的省略现象尤为突出,古典文法学家松尾拾治郎把省略作为日语三大特征之一,著名国语学家金田一春彦也认为日语具有“中国語以上の省略表現”:日本語の簡略表現は、時に中国語を上回るということは注意しておきたい?日本人は中国語こそ簡略表現の極致のように思っているが、時には日本語にかなわないようだ?极多的省略表达现象,更增加了日语的暧昧性。
下面我们来看一些在日语中经常出现的一些省略表达。
一、委婉的省略表达委婉的省略,有时处于礼貌,有时处于自身为难,故意将后半句省略,任对方去琢磨、去理解。
这种省略往往出现在诸如向对方提出不满,拒绝对方或请求对方帮助等不说不行但说了又怕给对方带来不快或伤害的场合。
如:请求帮助时说:ご面倒でなければ……お忙しいところですが……提出不满时说:ちょっと、ご相談いたしたいことがございますが……あのう、申し訳ありませんが、あの、ステレオですが、音が……拒绝对方时说:お手伝いできるといいんですが……明日はちょっと……用省略的方式将自己不好讲或不愿讲的话巧妙地“移交”给对方,看似模糊,听者稍加留心便可明其所言,这种省略的方式常给人一种如释重负的良好感觉。
因此,不仅在以上场合,就连在接电话时也经常会说“はい、鈴木ですが……”这种情况下省略的多是一个句子单位,这是建立在日语本身的结构和共通代码———文化的共同理解的基础上的。
コレジャナイ感コレジャナイ感とは、自分が思っていたものとは少し違うものが出てきたときに抱く感情。
漫画やアニメが実写化、フィギュア化した際にコレジャナイ感を感じることが多い。
合ってるけど、なんとなくこれじゃない感じ→コレジャナイ感「確かにこれなんだけど、なんかコレジャナイ感が…。
」イタい意味イタいとは、非常識な言動をする人に対して不憫、みじめに思うこと。
KYな発言をしたり、変な格好をしたり、当人は気づかずにイタいことをしている場合が多い。
当初はネットスラングだったが、今では一般に浸透している。
DQNとほぼ同意。
由来見ていて痛々しい(=可哀想)→痛い→イタい使用例「彼女が意外とイタかった。
」誰得、俺得意味誰得(だれとく)とは、"誰が得するんだよ"の略。
2ちゃんねる等で、誰も必要としないような無意味な情報に対するツッコミとして使われる。
ニコニコ動画の誰得動画は『意味不明な動画』『無駄にクオリティが高い動画』『高画質過ぎる動画』という意味がある。
関連語:俺得(俺はけっこう好きだな)、だれうま由来誰が得するんだよ→誰得使用例「母ちゃんのメイド姿とか、誰得だよ。
」さとり世代意味さとり世代とは、無欲な若者を指す言葉。
特徴は『車に興味が無い』『酒・タバコをしない』『服にお金をかけない』『旅行もしない』『飲み会・外食は贅沢と考える』など。
草食系男子とほぼ同意。
由来(無駄だと)悟っている世代+ゆとり世代をもじって→さとり世代山岡拓氏著『欲しがらない若者たち』について書かれた2ちゃんねるのスレッドで生まれた言葉使用例「さとり世代と団塊の世代は話合わないよね。
」ROMる(ロムる)意味ROMるとは、掲示板やサイトでコメントを書き込まずに、ただ読んでいること、または人。
主に2ちゃんねるで使われる言葉。
由来Read Only Memberの頭文字+動詞化の接尾辞"る"→ROMる使用例「2ちゃんねるやってるけど、基本ROMってるわ~。
日本語教育における日本語文法学習者にとって、最初日本語に接す時は皆簡単だと思ってしまう。
しかし品詞の種類が増え、それぞれ「活用」しているような変化があり、ますます難しく感じる。
日本語の品詞はたくさんある。
それに、細かく分類することができる。
分類法により、品詞を分類する方法も様々である。
よく知られているのが、学校文法の品詞分類である。
最初に単語を自立語と付属語に分かれる。
そして、それぞれを活用するものとそうではないものに分かれる。
最後に箇条下記でそれぞれに当てはまるものを分類する。
例えば、形容動詞は単語の自立語の中の活用するものに属する。
助詞は付属語の活用しないものになる。
このような分類は、ネイティブ学習者、つまり日本人学生にとっては馴染みのあるものが、外国からの学習者にとってはかなり理解しにくい分類方法になる。
なぜなら、この品詞分類は、橋本文法の分類方法をそのまま使ったからだ。
このような古典なものを持ち出しても、外国人学習者がお手上げしかない。
というわけで、日本語教育で使われている品詞分類は他のものになった。
代表例としては、品詞名イコール用法という分類方法である。
分かりやすい例として、形容詞を取り上げよう。
語尾に「イ」が付いている形容詞は「イ形容詞」と名付けられ、「ナ」が付いている形容詞は「ナ形容詞」になる。
その他、動詞は動作を表す品詞で、疑問詞は疑問を持ち出す品詞である。
品詞の分類ができれば、それぞれについて説明することができる。
学習者にとって、特に初・中級の人にとって、動詞は一番身につけにくいものだと考える。
それに、日本語の分の中心としての述語は殆ど動詞になっているため、これから、動詞を中心として、日本語の文法を分析しよう。
橋本文法の動詞の分類表を使うと、外国人学習者に対して不明な部分がいくつかがある。
「終止形」と「連用形」など、名前の概念はその一つだと考える。
日本語学について心得のない学習者はおそらく上級レベルになっても分からないままだと考える。
日语中主语省略现象的使用作者:聂琬瑶王卓来源:《中外企业家·下半月》 2013年第5期聂琬瑶王卓(秦皇岛职业技术学院外语系航空服务教研室,河北秦皇岛066311)摘要:日本人的日常生活中,经常会使用省略语。
与日本人交流的时候,正确使用省略语也是非常重要的。
从不同的角度来看,关于日语的省略表现,可能会有很多不同的看法。
本文主要就日语的主语省略的方面进行探讨研究。
关键词:日语主语;省略语;交流;日常会话中图分类号:H36 文献标识码:A 文章编号:我们都知道,日语中一个独特的现象是避免明确的表达自己的意思。
在日语的对话里面,总是会省略一些句子。
比如说,希望得到别人帮助的时候,通常会说「時間がありましたら~」、「ご面倒でなければ~」等。
在不称心如意的情况下,通常会说「あのう、申しわけありませんが、音が~」、拒绝对方的时候,一般会说「明日はちょっと~」「お手伝いできるといいですが~」。
日本人通过这样的省略现象,把自己不能说和不想说的话,巧妙的留给了对方。
大多数外国的日语研习者来到日本,使用日语和日本人直接接触的机会变的多了起来。
但是,因为对日语的语言习惯不能很好的理解的原因,纵使能够使用日语进行十分地道的会话的外国人,也因为日语中各种各样的表现方法的不同,而出现不少双方不能很好的交流的情况。
日本人在日常生活中,经常会使用省略语。
和日本人交流时,正确的使用省略显得格外重要。
从各种各样的角度,关于日语的省略表现,有着不同的见解。
我们通常都会说“在日语中,主语经常被省略”,这种说法是以下面两个条件为前提的。
一是,主语本身是不可缺少的;二是虽说是省略,却不会改变任何句子的意思。
在这里,我们以第二个作为中心来探讨。
一、会话文方面的主语省略口语中的省略,在全世界无论何种语言中都是经常出现的现象。
日语的会话文里,经常会把主语省略。
(1)「何時にお發地になりますか。
」「午後二時。
」(2)「何をするか。
」「新聞を読んでいます。
文法の变貌―無題化文献综述专业:日语班级:08日语1班作者:*** 指导老师:***(江西科技师范大学,南昌 330038)摘要:日语作为世界上比较特殊的语言之一,有很多独特之处。
其中最特殊的地方即为日语主语经常被省略。
本文就日语无题化的研究历史、表现、原因和日语主语存在的必要性加以说明。
关键词:主语;省略;主语废止论;表现;原因主语是我们经常使用的语法术语,它是句子成分之一。
在笔者学习日语的过程中,主语似乎不成为问题,但在日本语法学界它却是一个很有争议的概念,曾经引起20世纪甚嚣一时的“主语论争”。
争论的核心焦点是:“何谓主语”、“日语中有无主语”“ハ和ガ区别何在”“ハ的意义、职能”“主语和主题的区别”等。
关于日语中有无主语的争论,立场最鲜明,观点最极端的是三上章的“主语废除论”。
即使在21世纪,“主语废除论”也没有淡出人们的视野。
笔者在本文中首先翻阅大量资料,分析了目前日语主语无题化的研究现状。
可以说,句子中的主语省略是诸语言的普遍现象。
它涉及到语义学、句法学、篇章学、文体学、语用学等多方面的深入研究。
同汉语、英语相比,日语句中的主语大量地、经常地被省略掉又显示出日语语言的特殊性。
它主要表现在三个方面:1、从内向外看或从外向内看,日语的谓语有明显的方向指向性。
2、复杂、发达的敬语表达方式暗示了主语的存在。
3、日语授受表达句式中的潜在的人称指向特点决定了句中主语要经常被省略掉。
1 日语主语无题化的研究现状1.1 主谓中心说大槻文彦、森重敏、大久保忠利、鈴木重幸以及学校文法等认为,主谓关系是句子中的主要成分。
鈴木重幸在论文中写到:「主語と述語は文の成立の基本的なモメントであって、基本的にはそれだけで文が成り立つ。
」学校文法也明确指出:「主語と述語……文を组み立てる最も中心的な部分である。
」按照句子的主谓结构关系,学校文法把日语句子分成三类。
○私は中学生です。
(单文)○ゆりは香りが高い。
(复文)○海は深く、水も美しい。
日本語の諺あ1青菜に塩(あおなにしお)垂头丧气原义指水灱灱的新鲜蔬菜被撒上了盐后,一下子就变蔫了。
比喻由于某种事情没有做好而变得意气消沉、沮丧的样子。
汉语为垂头丧气、无精打采、心灰意冷、沮丧等。
另外,俗语像霜打的茄子与其意思相近。
2揚げ足を取る(あげあしをとる)吹毛求疵原义是指趁对方抬腿就立即将其扑倒。
引申指拿别人细微过错的言行进行挖苦、讽刺。
汉语可译作吹毛求疵、抓小辫子、抓话把儿等。
3足が出る(あしがでる)收不抵支原义指在别人面前伸出脚而违反常规礼仪。
由此引申为使用的金钱数额超出收入、预算等。
汉语为亏空、出现赤字、超出预算。
另外还指事情已经败露。
汉语为露出马脚、现出原形等。
4足を洗う(あしをあらう)金盘洗手这句话若在日常生活中则为字面之意,而作为惯用句使用时,引申为改邪归正,弃恶从善及改变生活态度(职业等)之意。
汉语常作洗手不干,金盘洗手。
5頭が痛い(あたまがいたい)大伤脑筋原义指(因病,身体不适)头疼。
作为惯用句使用,表示因某事而烦恼,伤脑筋等。
汉语中也有头疼一词,其意思亦兼有因病而头痛之意和因烦事伤脑筋之意。
可译作头疼,伤脑筋等。
6後足で砂をかける(あとあしですなをかける)过河拆桥这一成语本意是指动物大小便之后用后腿将其盖上沙子。
引申指忘记别人的恩情,溜之大吆,且临走还给人留下麻烦。
与汉语的成语过河拆桥意思相近。
7後の祭り(あとのまつり)事后诸葛亮祭り是日本的节日,节日一过,庆祝节日用的装饰用品也随之失去了用步之地。
後の祭り即指错过时机后毫无用处。
汉语可译作马后炮,事后诸葛亮等。
8穴があったら入りたい(あながあったらはいりたい)无地自容是用来比喻人羞愧难当时的窘态。
汉语为无地自容,恨不能钻进地缝儿里。
9痘痕も笑窪(あばたもえくぼ)情人眼里处西施痘痕是脸上的麻子,而笑窪是酒窝。
在情人的眼里,脸上的麻子也成了酒窝。
比喻相恋的人把对方的缺点也看成是优点。
10油を売る(あぶらをうる)磨洋工字面意思是卖油。
日本語における主語の省略
日本語の主語は頻繁に省略されます。
省略というより、主語はないのが基本で、必要な時だけ用いる「表出」とする考え方もあります。
事実、日本語では「私」を対象化して主語にせず、省略し、それでいて「私」の行動であることを伝える表現が多くあります。
「私が私が」という自己主張の強い表現を避ける日本語の傾向がその背景にあるようです。
今回はそんな日本語における主語の省略について書いていこうと思います。
まず、主語が頻繁に省略されるポイントについて以下に挙げていきます。
A.話し手(書き手)
B.行動の主体が誰であるかが問われない総称的な主語
C.同じような要素が連続して現れる場合で先にでてきた言葉
D.状況(ジェスチャーを含む)から見て言わずとも分かる場合
A.話し手(書き手)は頻繁に省略されます。
「誰が」ということを言わなかった場合、その「誰が」に当たる第一候補は話し手(書き手)自身となることが省略の理由です。
例:
1.このままではまずいのではないかと(私は)思う。
2.(私は)どうしてもあの服が買いたい。
3.(私は)始めるとするか。
4.(私は)この絵を彼に描いてもらったのです。
5.(私は)拝見いたします。
B.行動の主体が誰であるかが問われない総称的な主語の場合、主語は省略されます。
例:
1.あの地域では、(Aが)熊に遭遇する可能性がある。
2.(Aが)毎日飲み歩くのは健康によくない。
3.(Aは)この事件を世界金融危機と呼ぶ。
4.(Aは)肉に塩を振り、しばらく寝かせる。
5.(Aは)お酒を未成年に販売してはいけない。
6.(Aは)この試験に合格すれば、昇進できる。
C.同じような要素が連続して現れる場合、先にでてきた言葉は実質的な意味を失うため、省略されることが多くなります。
これは文章の冗長さを避けるためです。
例:
1.まもなく(時間が)正午になります。
2.タクシーに乗ると、(金額が)20,000円もかかる。
D.状況(ジェスチャーを含む)から見て言わずとも分かるだろうという主観的な判断に基づき、表現対象(主語)が省略されます。
いわゆる暗黙の了解とい
う、極めて状況依存的かつ主観的、あいまいな省略である一方で、日本文化を特徴的に表す現象とも言えます。
例:
1.(曇り空を見上げて)(雨が)降ってきそうですね。
2.俺に任せておけば(○○は)大丈夫だ。
3.(経済指標のデータを見て)(○○は)危ないですね。
省略の基本は、前と同じ要素が出てきた場合は省略できるということです。
しかしながら、本当に同じ要素と言えるかどうかについては慎重な判断が必要です。
仮にAという主語が前後して出てきた場合でも、文脈の展開によって後出のAはすでに前出のAと同一ではない、ということがあるからです。
さて、逆の視点から見て、どのような場合は省略しにくい、または省略できないのでしょうか。
省略しにくい、省略できないポイントについて以下に挙げていきます。
a.省略すると混同を招く場合
b.文と文の間に存在する意味上の距離が遠い場合
c.文と文の間に存在する物理的な距離が遠い場合
a.省略すると混同を招く場合は省略できません。
例:少年は万引きをした時、警察官がこちらを見ているのに気づいた。
だが(少
年は/警察官は)何事もなかったように立ち去った。
上記の例では、立ち去ったのは「少年」である可能性も、「警察官」である可能性もあり、省略してしまうと意味不明な文章になってしまいます。
b.文と文の間には意味上の距離があります。
意味上の距離が近いと省略しやすく、遠いと省略しにくくなります。
例:
1.Aは大学院進学に当たってゼミの指導教授に推薦状を書いてもらった。
(Aは)大学院進学が決まると、すぐに礼状を書いて出した。
(順接)
2.Aは大学院進学に当たってゼミの指導教授に推薦状を書いてもらった。
(Aは)大学院進学が決まっても、しばらく礼状を書かなかった。
(逆接)
同じ主語の省略でも、1.の方がスムーズに感じられます。
これが意味上の距離で、文の間に存在する意味上の距離が 1.の方が近いということです。
一方、2.の場合は意味上の距離が遠く、「Aは」という主語を省略しないほうが自然でしょう。
なお、意味上の距離が存在する場合の対応方法として、以下の2つの方法があります。
1)主語を省略しない
2)接続詞を補う
1)については、意味上の距離を保ちつつ、新たな話題が始まるという感じが加わることに注意してください。
2)については、純粋に意味上の距離を縮め
る作用があります。
2)の例:
Aは大学院進学に当たってゼミの指導教授に推薦状を書いてもらった。
しかし、(Aは)大学院進学が決まっても、しばらく礼状を書かなかった。
接続詞の作用によって距離が縮まり、不自然さがなくなったと感じられます。
意味上の距離が近い場合に主語を省略しない用法では意味上の距離を保ちつつ、新たな話題が始まる効果があるのに対し、省略する用法には文にまとまりを持たせる効果があります。
そのため、省略してもしなくても良い場合、同一の段落(または話題)内においては省略することで文章にまとまりをもたせ、段落(または話題)が変わったところでは省略しないことで新たな話題が始まるという感覚を加える用法が効果的です。
C.文と文の間に存在する物理的な距離が遠い場合、同じ要素であっても、省略しにくいものです。
例えば2つの主語の間が10ページも離れていると言う場合には、新出の主語として扱い、省略しないのが妥当でしょう。
(文:間仁田)。