同形异意语中日

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『吾輩は猫である』における同形異義語の品詞や意味
黄冬思一、問題の所在
『吾輩は猫である』は明治時代の作品であり、夏目漱石の代表作と考えられる。

同一の表記であり、それぞれの持つ意味が違う漢語は同形異義語である。

『吾輩は猫である』には、日中同形異義語は多く見られる。

しかし、日中同形異義語の辞書が多いが、漢語の品詞や意味に関する分析は少なかったので、本稿では作品に使われている日中同形異義語の品詞や両側の意味から考察を試みる。

二、先行研究
沈国威によると、「日中両言語間の語彙の交流は、漢字の伝来から考えれば、千年以上の歴史を持つ。

しかし、交流と言っても、明治維新までは、主に中国日本という一方的な流入であった」ということである。

今世界で漢字を使う国は中国と日本しかないが、漢語の意味を角度を変えて捉える必要があるではないか。

そこで、日中両国で「同形異義語」の漢語を見つけて分析し、母語を中国語とする日本語学習者や母語を日本語とする中国語学習者に役にたつのであろう。

また、李薇は「この漢字漢語の背景には、高度発達した中国文化があり、日本へその文化とともに伝えられた。

日本で漢語が借用され、受容されるようになったということは、その文字で綴られた内容、すなわち中国の思想、哲学、文学から生活文化の万般にわたるものが日本及び日本文化に絶大な影響を与える契機となったと言えるのであろう。

」という。

李薇は「応酬」、「遠慮」二つの漢語をめぐって、現代日中同形異義語に生じた日中生活文化差異を分析したが、日中同形異義語全般的に反映した文化および社会の変遷する過程について言い及ばなかった。

三、考察の対象と方法
『吾輩は猫である』第一章を対象とし、日中同形異義語を収集した。

本稿で、日中同形異義語を採取していき、その漢語の品詞や両側の意味をデータにして、その上で、日中同形異義語について分析を行う。

また、『吾輩は猫である』の訳本を二冊対照しながら、中国において、日中同形異義語の通訳に対する理解を説明する。

四、現在までの考察
1、品詞の変化
漢語は名詞と形容動詞が多く、現代日本語で、漢語の名詞➕(が)するの形で動詞になり、一般的な使い方として広く使われている。

そのために、日
本語の名詞は中国語で動詞になる場合もあったが、実質的に品詞の変化はなしと考えられる。

また、日中同形異義語は形容詞と名詞の相互変化が多く見られる。

2、同形異義語の意味
日中同形異義語とはいえ、一つの言葉がそれぞれの意味を持っているので、そのうちに、両側で意味が重ねる場合もある。

それで、意味が全く違う漢語を二つ見出し、分析してみた。

①勉強
中国で、勉は「励む」の意味であり、強は「強い」の意味である。

『老子』の「知足者富,强行者有志」から「強」は自分の能力を超えて、何かするの意味が見られる。

ということで、現代中国語で大いに発展した結果、勉強は「無理をして」と「しぶしぶ」といった意味になったわけだ。

その一方で、現代日本語の「勉強する」という意味が生まれたのは、塾に通って夜遅くまで勉強しているからだ。

この方面から考えれば、日本語の「勉強」は「無理をして」というニュアンスがあると言える。

②無理
先に文字通りの意味を見ていこう。

「無」は「なし」の意味である。

中国語の「理」は「道理」「天理」の意味で、その意味に生じた「無理取闹」というのがある。

だから、中国語の「無理」は「理不尽」、「道理がない」の意味である。

しかし、日本で「無理だ」「無理をする」はよく使われているが、この場合での「理」は体力的、知力的、自然的なバランスと考えられ、「無理」はその状態を保てなくて、「強いて行うこと」の意味である。

なお、日本の場合で、「無理」は「道理がないこと」の意味もあり、中国語の意味と一致した。

つまり、長い歴史を経て両国の言語は大いに発展したことで、同じ表記であり、意味が違う漢語が多く存在している。

両国の文化や思想が違うことで、違う意味は当地に生じたと思われる。

3、同形異義語の通訳
語例を収集するだけではなく、同形異義語に対しる中国人の理解を分析することで、中国人の日本語学習者に力になるではないかと思う。

データから見れば、多くの人に知られる漢語(勉強、肝心)に対して、中国人の通訳のほうが柔軟である。

しかし、普通の同形異義語に対する通訳が単一で、通訳者は使いこなすことができないと考えられる。

五、今後の課題
本稿は『吾輩は猫である』の第一章を取り上げて、同形異義語を考察してきた。

しかし、同形異義語の語例が少ないために、説得力がないと思われやすい。

今回、『吾輩は猫である』を読み続けて、同形異義語の語例を収集するつもりだ。

その語例の中から、一般的な法則を見つけようと思う。

また、文学作品の日中同形異義語を分析したが、改めて同形異義語の定義を考え直した。

例えば、中国から借用した「欠伸」という言葉はは日本で使われているが、今の中国で殆ど使われていない。

このような漢語は同形異義
語かそれとも同形同義語かを研究したいと思う。

そこで、アンケートを作成し、日本人と中国人を対象してその結果を分析していきたい。

参考文献
夏目漱石『吾輩は猫である』(岩波書店)
張麟声『日中ことばの漢ちがい』(くろしお出版)
高島俊男『漢字と日本人』(文藝春秋)
于雷《我是猫》(译林出版社)
刘振瀛《我是猫》(上海译文出版社)
李薇「現代日中同形異義語について:「遠慮」、「応酬」をめぐって」。