江南游记一部分(日语版)
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2021年第2期芥川龙之介,是日本大正时期具有代表性的作家,他在明治二十五年(1892年)出生于东京的中央区,之后被芥川家收养。
在家庭的影响下,芥川龙之介很早开始接触文学作品,据相关史料记载,他非常喜欢《西游记》《水浒传》等中国古典著作。
大正十年(1921年)的三月到七月,芥川龙之介作为《大版每日新闻》的海外视察员去往中国,这次旅行了却了他对中国风景和历史的憧憬已久的心愿。
芥川龙之介将他一生中唯一的一次中国之行的所见所闻先后记录于《中国游记》。
1925年11月,《上海游记》《江南游记》《长江游记》《北京日记抄》《杂信一束》作为《中国游记》的单行本在《大阪每日新闻》上刊登出版。
在《中国游记》这部作品中,芥川龙之介使用了很多隐喻手法,比如在记述“孔子庙”“南京城”时,多次使用“小便”“尿臭”等污秽词语。
隐喻这一手法可以堪称该作品中的一大特色。
但读者如果无法正确理解该手法的寓意所在,很有可能会对作品及作者产生误解。
为此,本文将对《中国游记》中所出现的污秽词语从隐喻的角度进行分析,力争能够为当代读者理解该作品起到参考作用。
1.隐喻在传统修辞学中,隐喻是一种修辞手法。
在『広辞苑』(2006)中,写到隠喩的定义:“喩えを用いながら、表琫面にはその形式を出さない方法。
また、複数のものを内的·外的属性の類似によって同一化する技法。
”[1]在《日语语用学研究》[2]中,作者提到,暗喻也叫隐喻,是比喻的一种,和明喻是一对。
明喻是“以彼物比此物”,而暗喻则是“以彼物喻此物”。
孟瑾把隐喻作为比喻的一种,认为普通的比喻是把“本体”与“他物”作比较,而隐喻是把“本体”比喻为“他物”。
他认为正如“比较”和“比喻”之间的区别那样,“比喻”和“隐喻”在功能反面也有很大的不同。
如上所示,隐喻最初作为一种修辞手法被人们所研究,但是到了十九世纪八十年代,莱考夫和约翰逊将隐喻定义为“根据类似性的比喻”,[3]认为其是用“具体”“已知”的物品来理解“抽象”“未知”的物品。
部编版初中八年级下册语文《唐诗二首》教案范文部编版初中八年级下册语文《唐诗二首》教案范文精选5篇(一)以下是一种可能的《唐诗二首》教案范文:教学目标:1. 了解《唐诗二首》的背景和作者。
2. 学会欣赏和鉴赏诗歌,理解诗歌中隐含的意境和情感。
3. 培养学生对古诗文的兴趣和学习能力。
4. 提高学生的朗读和表达能力。
教学重点:1. 对《唐诗二首》的内容和意境的理解。
2. 学会欣赏和鉴赏唐诗的艺术特点。
3. 学会正确朗读和表达古诗。
教学难点:1. 提高学生对于古诗的理解能力。
2. 培养学生对于诗歌的感悟和鉴赏能力。
教学准备:1. 《唐诗二首》的课文及相关资料。
2. 画有相关插图的课堂展示。
3. 录制了《唐诗二首》的朗读音频。
教学过程:步骤一:导入(5分钟)1. 老师出示插图,引发学生对于古诗的兴趣。
2. 老师播放《唐诗二首》的朗读音频,让学生感受古诗的节奏和美感。
步骤二:探究课文(15分钟)1. 学生自读《唐诗二首》,了解诗歌的基本内容。
2. 学生分组讨论《江南春》和《静夜思》的意境和情感,并展示讨论结果。
3. 教师给予适当的指导和解释,深入理解诗歌中的意境和情感。
步骤三:学习诗文特点(20分钟)1. 老师指导学生观察《江南春》和《静夜思》的诗句,分析句法和修辞手法。
2. 学生分小组进行讨论,归纳和总结出唐诗的常见艺术特点。
3. 学生进行朗读练习,体会古诗的韵律和节奏。
步骤四:朗读表达(15分钟)1. 学生进行朗读练习,注意把握句子的意境和情感。
2. 老师组织学生进行诗歌朗诵比赛,评选优秀的朗诵者。
3. 选几位学生朗读《唐诗二首》,进行诗歌表达评价。
步骤五:拓展延伸(10分钟)1. 学生分小组选取其他唐诗进行欣赏和鉴赏。
2. 学生可以自由选择一首唐诗,进行背诵和朗读表达。
步骤六:课堂总结(5分钟)1. 回顾学习的内容,总结《唐诗二首》的意境和情感。
2. 学生发表对于古诗学习的感受和收获。
教学反思:通过本节课的教学,学生能够了解和理解《唐诗二首》的内容和意境,并学会欣赏和鉴赏唐诗的艺术特点。
江南游记作文(通用5篇)江南游记作文(通用5篇)在日常学习、工作或生活中,大家都跟作文打过交道吧,作文是人们把记忆中所存储的有关知识、经验和思想用书面形式表达出来的记叙方式。
那么你有了解过作文吗?下面是小编为大家收集的江南游记作文(通用5篇),欢迎阅读与收藏。
江南游记作文1江南好,风景旧曾谙。
日出江花红胜火,春来江水绿如蓝。
能不忆江南?江南之美,古来共谈。
江南往往代表着繁荣发达的文化教育和美丽富庶的水乡。
同里古镇,便是江南六大著名水乡之一。
它自宋代建镇距今已有一千多年历史,镇区内始建于明清两代的花园、寺观、宅第以及名人故居有数百处,川字形的15条小河分隔成七个小岛,而49座古桥又将其连成一体。
一进古镇,便让人感受到水乡小桥流水人家的独特风韵。
我们进镇后,首先乘坐了小木船。
在碧波上荡漾,颇有春水碧于天,画船听雨眠。
的风味。
看着座座江南独具韵味的粉墙青瓦式的古老房屋,钻过了座座饱经沧桑但仍顽强挺立的石质拱桥,这都让人情不自禁地赞叹:真美啊。
下一站是珍珠塔。
在去珍珠塔的途中,我经过了一个名叫猫的天空之城的小店。
那是一个主要卖明信片的优雅小店,在那里,你可以将写好的明信片寄给未来,它与同里有一个共同特征有特色。
几分钟后,我到达了珍珠塔,珍珠塔是陈王道的府邸。
虽名叫珍珠塔,但是里面并没有一座很高的塔,其实,珍珠塔这一个名字是源于发生在这里的一个动人的故事:方卿因家道中落,去襄阳向姑母方朵花,也就是陈王道的夫人借贷,反受奚落。
表姐陈翠娥赠传家之宝珍珠塔,助他读书。
后来方卿高中状元,告假完婚,先假扮道士,羞讽其姑,再与陈翠娥结婚。
珍珠塔内风景优美,摆设讲究,真是巧夺天工,即使在现代,也是精品。
这不得不让我们钦佩古代人的智慧。
最后,我去了极负盛名的退思园。
退思园虽只有9亩8分大,但苏州园林的精髓亭、台、楼、阁、廊、坊、桥、榭、厅、堂、房、轩一应俱全。
它小巧精致,清淡雅宜,亭台掩映,趣味横生,实是江南古典园林的经典之作。
高一语文江南的冬景1(本站推荐)第一篇:高一语文江南的冬景1(本站推荐)《江南的冬景》导学案【学习目标】1.欣赏大自然的美,提高审美品位,学习捕捉对自然万物独特的审美感悟,并用美的形式把它们表达出来。
2.了解郁达夫的散文风格。
3.学习从文章结构、语言特色、写作方法等方面赏析散文。
【学习重点】同学习目标3 【学习难点】同学习目标1 【学法指导】自主学习,反复阅读;与文本直接对话,加以评点。
【课前预习】一、知识积累1、写出至少三句关于描写江南的诗句:提示:查阅资料;初中已学诗句;上网查询。
二、基础知识1、郁达夫,原名,字。
其代表作有小说《》《》等。
提示:a、课本75页注释1; b、见导学案的知识链接; c、上网查阅资料。
2、在括号内给加粗字注音煮茗()涮羊肉()剥花生()蛰居()曝背谈天()乌桕()赭色()远阜()槎桠()()绿林豪客()恣意()搁下笔()提示:a、课文下注释; b、查字典; c、要能够默写三、课前先学浏览课文,整体感知:提示:快速浏览课文,阅读方法的运用:提炼、概括、整合信息。
1)本文体裁是,其特点是。
郁达夫文中的“江南”指的是。
文中有具体的实例吗?2)郁达夫对江南的冬景有怎样的印象?(寻找文眼)3)文中哪些段落写了江南的冬景?可以概括为几幅图画?尝试给每幅图画命名。
课中探索:1、根据预习,从文中的几幅图画中找出一幅你喜欢的,并说说图画中选取了哪些景物,有什么特点?2、为什么写北方的冬天?运用了什么手法?文中还有这种手法的运用吗?3、从文章的字里行间我们可以看出郁达夫对江南冬景的偏爱,说说你是如何看待这种偏爱的?(体味作者的情感)归纳小结达标反馈阅读课文7—8节,完成下面的题目。
1、第8节中描写雪景的诗句能否调换?为什么?3、描写江南的雪景,写法上有什么特点?试作简要分析。
3、从郁达夫的《江南的冬景》中,你学到了哪些写作散文的手法?试用这些手法,写一段描写景物的话。
学习感悟知识链接郁达夫(1896.12.7—1945.8.29)原名郁文,字达夫,幼名阿凤,浙江富阳人,幼年贫困的生活促使发愤读书,成绩斐然。
江南游记作文800字“月落乌啼霜满天,江枫渔火对愁眠。
姑苏城外寒山寺,夜半钟声到客船。
”苏州,曾经带给我温馨记忆的千年古城,那个秀冠江南的美丽地方,今天在和太湖之滨的无锡告别之后,终于又可以见到你了。
以下是江南游记作文的800字范文,欢迎阅读。
江南游记作文800字篇一:故人西辞黄鹤楼,烟波三月下扬州。
金秋九月,丹桂飘香的季节,把自己重新交给自然,带着梦想,背起行囊,再次远行!奔波8个城市,跨越中国南北两端,像当年的大旅行家徐霞客一样游历千山万水!梦里江南之行的第一站—扬州,我来了……驶过我国第一大跨径的组合型桥梁,长达35.66公里的润扬长江大桥,低头俯瞰长江之水奔流东去,终于由镇江进入到扬州地界,映入眼帘的是一座清新、秀美的城市,绿影婆娑的绿化带、整洁的街道、拔地而起的楼群,没有嘈杂的汽车喇叭的鸣叫,安宁、惬意!扬州,历史文化名城,距今有2490年文字可考的历史,自古就有“苏北门户”之称。
是联合国人居奖城市、国家环境保护模范城市、中国森林城市。
“天下三分明月夜,二分无赖是扬州”。
扬州城,素来是人文荟萃之地,风物繁华之城,有众多的名胜古迹和雅致园林。
华灯初上的夜晚,来到淮扬人家,品尝着扬州菜的三头(拆烩鲢鱼头、扒烧整猪头、蟹粉狮子头),一道大煮干丝,充分考验了厨师的刀工,干丝切得细如火柴梗,煨在已经煮得雪白的汤料里,味道非常鲜美。
而比这些大菜更出名的则是各色扬州点心和小吃。
点心有:三丁包子、千层油糕、双麻酥饼、翡翠烧卖、干菜包、野鸭菜包、糯米烧卖、蟹黄蒸饺、车螯烧卖、鸡丝卷。
小吃有:笋肉锅贴、扬州饼、蟹壳黄、鸡蛋火烧、咸锅饼、萝卜酥饼、鸡丝卷、三鲜锅饼、桂花糖藕粥、三色油饺。
仅仅看到这些名字就已经让人垂涎欲滴了。
扬州的饮食文化闻名海内外,扬州菜肴与鲁菜、川菜、粤菜被并称为中国的“四大菜系”。
扬州菜也称为淮扬菜,淮扬菜的发展经历了一千多年悠久的历史,具有深厚的文化底蕴,因此很早以前就确立了中华第一大风味菜系的地位。
第一課一、会話出会い李:あのう、すみません。
男性:えっ?李:これ、落ちましたよ。
男性:あっ!すみません。
有難うございます。
李:あのう、失礼ですが、先ほどの方じゃありませんか。
男性:ああ。
さっきは、どうもありがとうございました。
助かりました。
李:いいえ、どういたしまして。
男性:中国の方ですか、日本語がお上手ですね。
李:いいえ、まだまだです。
勉強すればするほど、難しくなる感じがします。
上海へは、お仕事でいらっしゃったんですか。
男性:ええ、こちらに転勤になったんです。
空港はすっかり変わりましたね。
驚きました。
李:町もずいぶん変わっていますよ。
変化が早くて、私たちもついていけないくらいです。
男性:そうでしょうね。
李:ほら、高層ビルが見えてきたでしょう?あの変は上海の新しい中心地なんです。
男性:すごい。
まるでニューヨークみたいですね。
李:じゃあ、ここで。
男性:ええ、どうも有り難うございました。
さようなら。
二、課文日本の鉄道日本には、JR、私鉄、公営の3種類の鉄道会社があります。
JRとは、Japan Railwaysの略です。
以前は国営の鉄道でしたが、1987年に民営化されました。
世界的に有名な新幹線もJRの路線の1つで、日本の主要な都市と都市を結んでいます。
最高時速は300キロを超えます。
最初に完成したのは東海道新幹線ですか、山陽新幹線、東北新幹線、九州新幹線など、路線がどんどん延びています。
私鉄とは、JR以外の民間企業が経営する鉄道会社で、大都市には大きな私鉄がたくさんあります。
また,公営の鉄道は,地方自治体などが経営するものです。
中国の鉄道は、ほとんど国営です。
主要都市を結ぶ路線はもちろん,世界で始めて実用化されたリニアモーターカーも国営です。
ところで,JRや私鉄の各路線では,運行の方向を表すのに特別な言葉を使っています。
それは、「のぼり」「下り」といる言葉です。
特に本州では、地方から東京方面へ向かう路線を「上り」と言い,東京から地方へ向かう路線を「下り」といいます。
16.江南的冬景【目标导航】1.通过文本研习,能够热爱自然,感受自然美,提升审美品位;2.学会观察和发现自然景物的特点,尝试用恰当的形式和情感描写出来;3.感受壮美的审美特征,理解想像和联想在文中的作用。
【语言积累】1.音形辨识(1)字音识记煮茗.(míng) 蛰.(zhé)居煊.(xuān)羊肉曝.(pù)背赭.(zhě)色乌桕.(jiù)槎.(chá)桠.(yā)(2)多音字辨析夹.衣(jiá)间.或(jiàn)给.予(jǐ)剥.花生米(bāo)夹.克(jiā)中间.(jiān)给.你(gěi)剥.削(bō)(3)字形辨识铭刻沼泽洋溢须臾远阜明晰煮茗诏书狭隘丰腴河埠淅沥2.词语积累逍遥:没有什么约束,自由自在。
例如:真隐士未必真逍遥,隐士在普通人的眼里是世外高人,有济世之才,匡扶之力,却不愿出来做官,暗中扶助一人平定天下,待天下太平之后,就不见踪影。
洋溢:(情绪、气氛等)充分流露。
例如:一袭紫色的装束,周身洋溢着青春的活力与朝气,这就是深受广大电视观众喜欢的中央电视台《音乐电视60分》栏目的主持人亚宁。
蛰居:像动物冬眠一样长期躲在一个地方,不出头露面。
例如:如果仔细观察,你甚至会发现自己身边就有这样喜欢蛰居在家的朋友。
赭色:红褐色。
例如:赭色在中国画中可以用朱膘(应为石旁)加墨调成,可以说是一种老红色,但还是偏红比较多一点。
铭刻:①铭记。
如沉痛教训铭记在我心中。
②铸在器物上面或刻在器物、碑碣等上面的记述事实、功德等的文字。
例如:一句话,足可以永远铭刻在心,守候一生。
丰腴:①丰盈。
②多而好。
如丰腴的酒席则蛛蛛照顾住、牧场水草丰腴。
例如:而薛姑娘身段之丰腴,恰好和林妹妹的纤瘦是一对比。
曝背谈天:晒背。
例如:一代代山里老人的曝背谈天,传承了先民的文化,传承了祖先的规矩,传承了生活的经验。
莫名其妙:(也作“莫明其妙”):没有人能说出它的奥妙(道理)。
一杭州行きの汽車へ乗っていたら、車掌が切符を検しらべに来た。
この車掌はオリヴ色の洋服に金筋入りの大黒帽をかぶっている。
日本の車掌に比べると、何だか敏活な感じがしない。
が、もちろんそう考えるのは、我我の僻見へきけんの祟たたりである。
我我は車掌の風采にさえ、我我の定木じょうぎを振り回しやすい。
ジョン・ブルは乙に澄まさなければ、紳士でないと思っている。
アンクル・サムは金がなければ、紳士でないと思っている。
ジャップは、――少なくとも紀行文を草する以上、旅愁の涙を落としたり、風景の美に見惚みとれたり、遊子のポオズをつくらなければ、紳士でないと思っている。
我我はいかなる場合でも、こういう僻見に促われてはならん。
――私はこの悠悠とした車掌が、切符を検べている間に、こういう僻見論を発表した。
もっとも支那人の車掌を相手に、気炎を揚げた訳ではない。
案内役に同行した、村田烏江むらたうこう君に吹きかけたのである。
汽車の外はいつまで行っても、菜畑かげんげ野ばかりである。
その中にときどき羊がいたり、臼挽うすびき小屋があったりする。
と思うと大きい水牛も、のそのそ田の畔くろを歩いていた。
五六日前やはり村田君と、上海の郊外を歩いていたら、突然一頭テーブルの水牛に路を塞がれた事がある。
私は動物園の柵内は知らず、目のあたりこんな怪物に遭遇した事は始めてだから、つい感心した拍子に、ほんの半歩ばかり退却した。
するとたちまち村田君に、「臆病だなあ。
」と軽蔑された。
今日はもちろん驚嘆はしない。
が、ちょいと珍しかったから、「君、水牛がいるぜ。
」と言おうとしたが、まあ、泰然と黙っている事にした。
村田君もきっとあの瞬間は、私もなかなか支那通になったと、敬服していたに相違ない。
汽車は一室八人の、小さい部屋に分かれている。
もっともこの車室には我我二人のほか誰もいない。
室のまん中の卓子テーブルの上には、土瓶や茶碗ちゃわんが並べてある。
そこへときどき青服の給仕が熱いタオルを持って来てくれる。
乗り心は余り悪い方じゃない。
但し我我が乗っていても、この客車は正に一等である。
一等といえばいつか鎌倉から、ちょいと一等へ乗った所が、もったいなくも或ある宮様と、たった二人ぎりになったのには、恐懼きょうくの至りに堪えなかったけ。
しかもあの時持っていたのは、白切符だったか赤切符だったか、その辺も実は確かじゃない。
......二そのうちに汽車は嘉興かこうを過ぎた。
ふと窓の外を覗のぞいて見ると、水に臨んだ家家の間に、たかだかと反った石橋がある。
水には両岸の白壁も、はっきり映っているらしい。
その上南画に出て来る船も、二三艘そう水際に繋つないである。
私は芽を吹いた柳の向うに、こんな景色を眺めた時、急に支那らしい心持ちになった。
「君、橋がある。
」私は大威張りにこう言った。
橋ならばまさか水牛のように、軽蔑されまいと思ったからである。
「うん、橋がある。
ああいう橋は好かもんなあ。
」村田君もすぐ賛成した。
しかしその橋が隠れたと思うと、今度は一面の桑畑の彼方かなたに、広告だらけの城壁が見えた。
古色蒼然そうぜんたる城壁に、生生しいペンキの広告をするのは、現代支那の流行である。
無敵牌牙粉むてきはいがふん、草嬰孩香烟そうえいがいこうえん――そういう歯磨や煙草たばこの広告は、沿線至る所の停車場に、ほとんど見えなかったという事はない。
支那はそもそもいかなる国から、こういう広告術を学んで来たのか? その答えを与えるものは、ここにも諸方に並び立った、ライオン歯磨だの仁丹だのの、俗悪を極めた広告である。
日本は実にこの点でも、隣邦の厚誼こうぎを尽くしたものらしい。
汽車の外は相変わらず、菜畑か桑畑かげんげ野である。
どうかすると松柏しょうはくの間に、古塚のあるのが見える事もある。
「君、墓があるぜ。
」村田君は今度は橋の時ほど、私の興味に応じなかった。
「我我は同文書院にいた時分、ああいう墓の崩れたやつから、たびたび頭蓋骨を盗んで来たですよ。
」「盗んで来て何にするのですか?」「おもちゃにしおったですよ。
」我我は茶を啜すすりながら、脳味噌のうみその焦げたのは肺病の薬だとか、人肉の味は羊肉のようだとか、野蛮な事を話し合った。
汽車の外にはいつの間にか、莢さやになった油菜の上に、赤々と西日が流れている。
江南游記:三 杭州の一夜(上) 杭州こうしゅうの停車場へ着いたのは、かれこれ午後の七時だった。
停車場の柵の外には、薄暗い電灯のともった下に、税関の役人が控えている。
私はその役人の前へ、赤革の鞄かばんを持って行った。
鞄の中には手当たり次第に、書物だのシャツだのボンボンの袋だの、いろいろな物が詰めこんである。
役人はさも悲しそうに、いちいちシャツを畳み直したり、ボンボンのこぼれたのを拾ったり、鞄の中の整理に着手してくれた。
いや、少なくともそう見えたほど、一通り検査をすませた後は、ちゃんと鞄の中が片付いたのである。
私は彼が鞄の上へ、白墨チョークの円を描いてくれた時、「多謝タオシェ」と支那語の御礼を言った。
が、彼はやはり悲しそうに、またほかの鞄を整理しながら、私には眼さえ注がなかった。
そこにはまだ役人のほかにも、宿引きが大勢集まっている。
彼等らは我我の姿を見ると、口口に何か喚わめきながら、小さい旗を振り回したり、色紙の引き札をつきつけたりした。
が、我我が泊まるはずの、新新旅館の旗なるものは、どこを捜しても見当たらない。
すると図図しい宿引きどもは、滔滔とうとうと何か饒舌しゃべり立てては、我我の鞄へ手をかけようとする。
いかに村田君に怒鳴られた所が、少しも辟易へきえきする様子がない。
私はもちろんこの場合も、雀すずめが丘のナポレオンのように、悠然と彼等を睥睨へいげいしていた。
しかし何分か待たされた後、怪しげな背広を一着した新新旅館の宿引きが、やっと我我の前に現れた時には、やはり正直な所は嬉うれしかった。
我我は宿引きの命令通り、停車場前の人力車に乗った、車は梶棒かじぼうを上げたと思うと、いきなり狭い路へ飛び込んだ。
路はほとんどまっ暗である。
敶石は凸凹を極めているから、車の揺れるのも一通りではない。
その中に一度芝居小屋があるのか、騒騒しい銅羅の音を聞いた事がある。
が、そこを通り過ぎた後は、人声一つ聞こえて来ない。
ただ生暖かい夜の町に、我我の車の音ばかりがする。
私は葉巻をくわえながら、いつか亜剌比亜夜話アラビアやわじみた、ロマンティックな気もちを弄び始めた。
その内に路が広くなると、ときどき戸口に電灯をともした、大きい白壁の邸宅が見える。
――と言ったのでは意を尽くさない。
始めはただ闇の中から、朦朧もうろうと白い物が浮き上がって来る。
その次にそれが星のない夜空に、はっきり聳そびえ立った白壁になる。
それから壁を切り抜いた、細長い戸口が現れて来る。
戸口には赤い標札の上に、電灯の光が当たっている。
――と思うと戸口の奥にも、電灯のともった部屋部屋が見える。
聯れん、瑠璃灯、鉢植えの薔薇ばら、どうかすると人の姿も見える。
このちらりと眼にはいる、明るい邸宅の内部ほど、不思議に美しい物は見た事がない。
そこには何か私の知らない、秘密な幸福があるような気がする。
スマトラの忘れな草、阿片あへんの夢に見る白孔雀くじゃく――何かそんな物があるような気がする。
古来支那の小説には、深夜路に迷った孤客が、堂堂たる邸宅に泊めてもらう。
ところが翌朝になって見ると、大廈たいか高楼と思ったのは、草の茂った古塚だったり、山陰の狐きつねの穴だったりする、――そういう種類の話が多い。
私は日本にいる間、この種類の鬼狐の譚だんも、机上の空想だと思っていた。
ところが今になって見ると、それはたとい空想にしても、支那の都市や田園の夜景に、しかるべき根ざしを持っている。
夜の底から現れて来る、灯火ともしびに満ちた白壁の邸宅、――その夢のような美しさには、古今の小説家も私と同様、超自然を感じたのに相違ない。
そういえば今見た邸宅の戸口には、隴西ろうせいの李寓りぐうという標札があった。
事によるとあの家の中には、昔のままの李太白が、幻の牡丹ぼたんを眺めながら、玉盞ぎょくさんを傾けているかも知れない。
私はもし彼に会ったら、話して見たい事が沢山ある。
彼は一体太白集中、どの刊本を正しいとするか? ジュディト・ゴオティエが翻訳した、仏蘭西フランス語の彼の采蓮さいれんの曲には、吹き出してしまうか腹を立てるか? 胡適こてき氏だとか康白情こうはくじょう氏だとか、現代の詩人の白話詩には、どういう見解を持っているか?――そんな出たらめを考えている内に、車はたちまち横町を曲がると、むやみに幅の広い往来へ出た。
江南游記:四 杭州の一夜(中)この往来の両側には、明るい店店が並んでいる。
が、人通りは疎まばらだから、少しも陽気な心もちがしない。
むしろ町幅が広いだけに、いかにも支那の新開地らしい、妙な寂しさを与えるだけである。
「これが城外の町、――この突き当たりが西湖せいこですよ。
」後ろの車に乗った村田君は、こう私に声をかけた。
西湖! 私は往来の外れを眺めた。
しかしいくら西湖でも、闇夜に鎖とざされていては仕方がない。
ただ車上の私の顔には、その遥はるかな闇の中から、涼しい風が流れて来る。
私は何だか月島あたりへ、十三夜を見にでも来たような気がした。
車は少時しばらく走った後、とうとう西湖のほとりへ出た。
そこには電灯をつけ並べた、大きい旅館が二三軒ある。
が、それもさっきの店店のように、明るい寂しさを加えるに過ぎない。
西湖は薄白い往来の左に、暗い水面を広げたなり、ひっそりと静まり返っている。
そのだだっ広い往来にも、我我二人の車のほかは、犬の子一つ歩いていない。
私は昼のような旅館の二階に、去来する人影を眺めながら、晩飯だのベッドだの新聞だの、――要するに「文明」が恋しくなり出した。
しかし車屋は相変わらず、黙黙と走り続けている。
路も行人を絶ったまま、どこまで行っても尽きそうじゃない。
旅館も、――旅館はもうずっと後ろになった。
今ではただの縁に、柳らしい樹ばかり並んでいる。
「おい、君、新新旅館はまだ遠いのかね?」私は村田君を振り返った。
すると村田君の車屋が、咄嗟とっさにその意味を想像したのか、君よりも先に返事をした。
「十里! 十里!」私は急に悲しい気がし出した。
この上まだ十里も先だとすると、新新旅館に着かない内に夜が明けてしまうのに相違ない。
して見れば今夜は断食である。
私はもう一度村田君へ、我ながら情無い声をかけた。
「十里とは驚いたな。
僕は腹が減って来たがね。
」「わしも減った。
」村田君は車上に腕組みをしたまま、恬然かつぜんと支那煙草たばこを咥くわえていた。
「十里ぐらい何でもないですよ。
支那里数の十里だから、――」私はやっと安心した。