武候祠日语导游词

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31 「武侯祠ぶこうし

四川省成都市の武侯祠は国内最大規模で、保存状態が最も良い三国時代の蜀で活躍した丞相

じょうしょう

諸葛亮しょかつりょうの祠です。国務院によって、武侯祠は全国初の重要文化財に指定されています。

特に注意すべきなのは、武侯祠の正門に掛けられている「漢昭烈廟かんしょうれつびょう」と書かれた大きな額で

す。

もともとここは、昭烈皇帝である劉備りゅうびのお墓と宗そう廟びょうでした。諸葛亮が亡くなった後、人々は

その忠義に感じ入り、劉備の祠の隣に武侯祠を建設し、丞相諸葛亮と皇帝劉備を共に祀ることを考えました。

武侯祠の庭園は、西晋時代に造られましたが、現存するものは清の康煕こうき11年(1672年)に再建されたものです。

武候祠の中で最も大きな建物である劉備殿は、その後ろにある諸葛亮殿より1メートル高くなっており、それは君主と臣下の関係を示しています。

劉備殿の両側には関羽かんうと張飛ちょうひが別々に祀られています。

また、東西に渡る通路には片側14人ずつ、合わせて28人の蜀漢の有名な文臣や武将が祭られています。

劉備殿の後ろにある諸葛亮殿には、古今の著名人が語った諸葛亮に対する称賛の言葉が展示されています。これら簡潔で選び抜かれた言葉、寓意的で深い言い回し、味わいある書法は、武侯祠の貴重な財産の一つです。

この諸葛亮殿正門に掛けられている対聯ついれんの大きな額は、諸葛亮が心をとらえることを大事にしていたという真髄を押さえています。そこには、「兵法では人の心をとらえるのが上策で、城を攻めるのは次の策、治国は時期を判断し、情勢を推し量る必要がある」という、軍や国を統制する彼の深遠な考え方が書かれており、対句もきちんと整っていて、対聯の中でも非常に優れた作品と見なされています。

諸葛亮、字あざなは孔明こうめいといい、中国では誰もが知っている知恵の神であるだけでなく、三国志文化すべての中で彼の物語は最も影響力があり、最も広く知られています。

諸葛亮殿には孔明太鼓が展示されています。言い伝えによると、これを鍋の代わりにしてご飯を作ったとのことです。殿の奥には、彼が設計し造ったとされている木牛流馬もくぎゅうりゅうば、弓の連射機、孔明灯が展示されており、三国時代の交通事情や軍事装備を知る上で貴重な文化財となっています。

また諸葛亮殿には、彼の息子諸葛瞻しょかつせん、孫の諸葛尚しょかつしょうも祀られています。

諸葛亮は生涯にわたって勤勉で、知恵にあふれ、軍事、治国、人徳などの面で多くの新しい道をつけるような功績を立て、長きにわたって人々から敬われています。

諸葛亮殿後方の中央通り上に、三孔さんこう石橋いしばしに続いて三義廟さんぎびょうがあります。

三義廟の後ろにある結義楼けつぎろうは、四川西部の民族の風情や建設スタイルを基にして建てられた、古い形式の劇場です。人々はここで伝統劇を見ながらお茶を飲み、四川をじっくり味わい楽しいひと時を過ごすことができます。

武侯祠には他にも劉備の墓、三絶碑さんぜつひなどの文化財や三国志の文化展示室があります。

「三絶碑」というのは、その碑文を唐王朝の丞相裴度はいどが文章を作り、著名な書道家柳公綽りゅうこうしゃくがそれを書き、名匠魯建ろけんが刻字したことからその名がつきました。文章、書法、彫刻の3つ全てが巧みで、群を抜いて優れていることから、後代の人が「三絶碑」と呼ぶようになったのです。

武侯祠にある三国志文化展示室には、三国時代の政治、経済、軍事、文化に関する実物や文献が非常に多く収集されています。

武侯祠のすぐ隣にある錦里は、四川省西部の建築スタイルを保存し、蜀の風習を味わうことのできる観光地、また文化の町です。そこに行くなら成都の生活を体験することができ、庶民の文化の多種多様な様子を見ることができます。

成都の武侯祠は、三国志の聖地を巡ることができる場所、また観光名所としても有名で、成都の文化発信の窓口にもなっています。