一、「における」(P369) 【用法】「名1+における+ …
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敬語の練習:問題()の中の言葉を敬語にして書きなさい。
「れる、られる」の形は使いません。
1.学生:先生、今朝の新聞をましたか。
(読む)先生:ええ、読みました。
2.社員A:XY社の社長は何時にますか。
(着く)社員B:11時にます。
(来る)社員A:11時ですね。
分かりました。
社員A:部長、部長もXY社の社長とますか。
(会う)部長:ええ、私もお話したいと思っています。
・・・・・・・・・・・・・・・社員A:XY社の社長はました。
(帰る)社長は「食事もおいしかった」とました。
(言う)3.学生:先生、その本は重いから、私がます。
(持つ)先生:ああ、ありがとう。
じゃあ、お願いします。
4.(日本語学校のパーティで)学生:先生、何をますか。
(食べる)先生のお好きなものを私がます。
(取る)先生:ありがとう。
じゃ、お寿司を少しお願いします。
学生:先生、夏休みに旅行にますか。
(行く)先生:ええ、田舎に帰ろうと思っています。
キムさんはどうしますか。
学生:わたしはアルバイトがありますので、東京にます。
(いる)でも、来月国から母がます。
(来る)5.(デパートのエレベーターの中で)A:お待たせいたしました。
ます。
(7階)レストラン、スポーツ用品、時計、めがねなどがございます。
レストランをご利用の方はこちらでくださいませ。
(降りる)日本語における敬語表現一般的には敬語を尊敬語・謙譲語・丁寧語の三つに分類する。
日本語学においてはさらに丁重語・美化語を立てた5分類が多く使われている。
文部科学大臣及び文化庁長官の諮問機関である文化審議会も、2007年に、尊敬語・謙譲語Ⅰ・謙譲語Ⅱ(丁重語)・丁寧語・美化語の5分類にするという敬語の指針を答申した。
敬語にはその性質上、話題中の人物を高めるもの(素材敬語)と話し手が対面している聞き手を高めるもの(対者敬語)があるが、5分類は、従来の3分類を元に、両者を区別することで定義されたものである。
また、本来丁寧語の一部である美化語は「敬語」からは外されることが多い。
~において/~における的用法区别前接名词,连体形为「における」、「においての」,敬体为「におきまして」,还可以用「においては」、「においても」的形式。
「~において」表示动作进行的场所、场面、状况,相当于格助词「で」。
但是,并不都是与「で」相对应的。
另外,格助词「で」原来是由「にて」转变而来的。
而「にて」是书面语,口语上不大使用。
学校で(○において)勉強する。
<場所>外交で(○において)腕をふるう。
<場面>その時点で(○において)決める。
<状況>手紙で(×において)知らせる。
<方法>会社は5時で(×において)終わる。
<刻限>癌で(×において)死んだ。
<理由>石で(×において)造られた家。
<材料>全部で(×において)いくらですか。
<限定>它有以下三层意思:(一)、表示场所。
~において/~における的用法区别1、彼は家庭において、実にいい父親です。
/他在家里是一位好父亲。
2、全国高校野球大会は甲子園球場(こうしえんきゅうじょう)において行われます。
/全国高中棒球比赛,在甲子园球场举行。
3、海外における日本企業の数は年々増えています。
/海外的日本企业年年增加。
4、日本においては、20歳未満の飲酒(いんしゅ)は法律で禁じられています。
/在日本,法律禁止20岁以下的年轻人饮酒。
5、中国だけでなく、日本においても、交通事情は悪化しています。
/不仅中国,日本的交通状况也在不断恶化。
(二)、表示领域、方面。
1、日本の物理学会において、彼の右に出る者はいません。
/在日本物理学界,他是第一权威。
2、最近、人々の価値観において、小さな変化が見られます。
/最近,人们的价值观发生了微妙的变化。
3、資金援助をするという点においては賛成だが、専門家を派遣するという点においては反対です。
/赞成资金援助,反对派遣专家。
4、日本の電気製品は機能だけでなく、品質においても優れています。
/日本电器不仅功能全,而且质量好。
日本語における外来語の導入と役割に関する考察はじめに日本語は外来語を受け入れやすい言語だといわれている。
外来語は日本語に昔から入ってきており、現代日本語において、いわゆるカタカナ語と呼ばれる外来語は年々その数を増やしてきている。
現在、日本の多くの場所で外来語が普及しており、テレビや雑誌などでも多くのカタカナ語を見聞きするようになった。
また、私たちの身近なところでも、外来語が増えてきている。
外来語が入ってきたことにより、日本語だけではなく、日常生活にも大きな役割を果たした。
そこで、本論ではカタカナで表記される西洋系の外来語だけに着目し、時代背景と合わせて日本語における外来語の由来と導入状況を整理して述べる。
その上で、外来語の役割について語彙、観念と生活などの面から分析して考察する。
1.外来語の定義と導入1.1外来語の定義外来語について、辞書の定義の中で最も簡単なものは、「もと、外国語だったものが、国語の中に取り入れられた言葉」⁽1⁾という定義である。
しかし、『広辞苑』の定義をみると、「外来語は外国語で、国語に用いるようになった語。
狭義では、漢語を除く。
伝来語。
」と、また、『大辞泉』によると「外来語は他の言語から借用し、自国語と同様に使用するようになった語。
借用語。
日本語では広義には漢語も含まれるが、狭義には、主として欧米諸国から入ってきた語をいう。
現在では一般に片仮名で表記される。
」となどのように説明されている。
どの辞書の定義を見ても、「外来語」は他の言語から借用されたと同様に使われている語であり、狭義には漢語は「外来語」に含まれないという定義では一致している。
1.2外来語の導入1.2.1第一期(江戸初期から江戸末期まで)西洋系の外来語の導入が400年以上にわたって続いてきたが、これを大きく次の四つの時期に分かれる。
第一期はポルトガル語・スペイン語・オランダ語からの洋語が中心をなす。
1543年に種子島にポルトガル人が漂着して鉄砲を伝えてから、日本は外国との交流に関する新しい時代に入ることになる。
日本語における主客観表現【摘要】原因理由的表达是指对原因、理由、动机进行说明的表达方式。
日语中这一表达方式相当发达。
不同性质的原因常用不同的方式表示,不同的方式还常常表现出句法结构上的区别。
其表达方式远远多于汉语,多达三十几条,而且表现得更为复杂,要求得更为严谨,区分得更为仔细。
本文将列举出日语中所有的表示原因理由的表达形式,通过主客观的基本概念及结果的好坏、消极与积极、接续方式、词性等方面,试图找出它们的特点特征,给予归纳总结。
【キーワード】主観;客観;表現;積極;消極(以五十音图为序)25、て「て」的词性较多,助动词、接续助词、终助词、提示助词等等,本文只涉及原因理由的表达。
一般来说,「て」只接在用言的后面,用法有以下几种。
1)表示中顿、动作行为的先后顺序。
2)与其它词搭配组成惯用表达形式。
3)表示原因理由。
「て」表示原因理由很特殊,所以日本的语法学者把它归纳为「て」系列。
「て」本身并没有表示原因理由的功能,而是取决于前后文的逻辑关系,如果能明确意识到因果关系时也可用「ので」或「から」代替。
如果后项是主观性强的意志、命令、劝诱、许可、禁止等内容时,一般不能用「て」表示原因。
所以说它更接近「ので」系列的用法。
暑いから、(×暑くて)窓を開けなさい。
①試験が終わってほっとした。
②彼は用事があって帰ったのですか。
26、で格助词,含义很多。
在表示原因理由时,它表示自然、生理、社会、精神、物理等方面的原因。
不能用于意志、命令、劝诱、请求等主观色彩很强的表达中。
属于「ので」系列的用法。
①火事で一文なしになる。
②大勢の人は癌で(に)苦しんでいる。
③この二,三日は帰国の準備であわただしい。
27、とあって「ある」表示事物的存在,还能以「~てある」的形式表示人为动作的结果、现存的状态。
这个「ある」和「と」构成句型「~とあって」,意思是「~という事態なので(由于这种情况而…)」,属于表示原因、理由的「~ので」系列,用于已经发生的事情,故在句尾不能使用如「~でしょう/~かもしれない/~つもりだ/~たい/~(よ)う」等表示推测或意志的词句。
日本語と中国語における「頭」を使った慣用句の考察1 日本語の「頭」と中国語の「头」の意味分析この章では、日本語と中国語における「頭」の慣用句にはどのような違いがあるのか、また両言語において「頭」の意味がそれを用いた慣用句の意味とどのような関係にあるのかを考察する、その前にまず、日本語の「頭」と中国語の「头」が表す意味を比較する。
1.1 日本語における「頭」の意味分析『広辞苑』『大辞林』『大辞泉』といった日本語辞典をもとに、日本語における「頭」(あたま)の意味を整理すると、以下のようになる。
[基本義](1)動物の、脳(や目・口・鼻・耳)がある部分。
[派生義](2)髪の毛、頭髪。
「頭をかる」(3)物の上部、先端。
「釘の頭」(4)物事の始め。
最初。
「来月の頭」(5)上に立つ人。
「頭に据える」(6)脳の働き、思考力、考え方。
「頭がいい」上記の(1)~(6)の意味を見ると、身体部位としての「頭」は日本語では、(1)の首から上の、脳(や目・口・鼻・耳)がある部分を指すのが一般的であるが、「頭を刈る」の例が示すように、「頭」も(2)の頭の毛、頭髪、または髪の形を表している。
また、(1)は(6)の脳の働き、思考力や考え方という意味に拡張されていることが分かる。
また、「頭」は体の一番上に位置するところから(3)(4)(5)の意味が派生されたと考えられる。
1.2 中国語における「头」の意味分析『现代汉语词典』や『汉语大词典』などにおける「头」の解釈をもとに、中国語における「头」の意味を整理すると、以下のようになる。
[基本義](1)人や動物の首から上の部分。
脳や目・耳・鼻・口のある部分。
[派生義](2)髪、髪の毛。
「剪头」(頭を刈る)(3)物の前端、または品物の切れ端や使い残し。
「船头」(船首)、「烟头儿」(たばこの吸い殻)(4)事の始め、または終わり。
「从头说起」(始めから話す)、「街道的尽头」(町のはずれ)(5)首領、頭目。
内閣訓令第1号各⾏政機関公⽤⽂における漢字使⽤等について政府は,本⽇,内閣告⽰第2号をもって,「常⽤漢字表」を告⽰した。
今後,各⾏政機関が作成する公⽤⽂における漢字使⽤等については,別紙によるものとする。
なお,昭和56年内閣訓令第1号は,廃⽌する。
平成22年11⽉30⽇内閣総理⼤⾂菅直⼈(別紙)公用文における漢字使用等について1漢字使用について(1)公用文における漢字使用は,「常用漢字表」(平成22年内閣告示第2号)の本表及び付表(表の見方及び使い方を含む。
)によるものとする。
なお,字体については通用字体を用いるものとする。
(2)「常用漢字表」の本表に掲げる音訓によって語を書き表すに当たっては,次の事項に留意する。
ア次のような代名詞は,原則として,漢字で書く。
例俺彼誰何僕私我々イ次のような副詞及び連体詞は,原則として,漢字で書く。
例(副詞)余り至って大いに恐らく概して必ず必ずしも辛うじて極めて殊に更に実に少なくとも少し既に全て切に大して絶えず互いに直ちに例えば次いで努めて常に特に突然初めて果たして甚だ再び全く無論最も専ら僅か割に(連体詞)明くる大きな来る去る小さな我が(国)ただし,次のような副詞は,原則として,仮名で書く。
例かなりふとやはりよほどウ次の接頭語は,その接頭語が付く語を漢字で書く場合は,原則として,漢字で書き,その接頭語が付く語を仮名で書く場合は,原則として,仮名で書く。
例御案内(御+案内)御挨拶(御+挨拶)ごもっとも(ご+もっとも)エ次のような接尾語は,原則として,仮名で書く。
例げ(惜しげもなく)ども(私ども)ぶる(偉ぶる)み(弱み)め(少なめ)オ次のような接続詞は,原則として,仮名で書く。
例おってかつしたがってただしついてはところがところでまたゆえにただし,次の4語は,原則として,漢字で書く。
及び並びに又は若しくはカ助動詞及び助詞は,仮名で書く。
例ない(現地には,行かない。
)ようだ(それ以外に方法がないようだ。
目次1.はじめに (1)2.男性を賛美する言葉 (1)2.1直接に男性を賛美する言葉 (1)2.2間接に男性に賛美する言葉 (3)3.男性を崇敬する言葉 (3)3.1三人称代名詞の男性化 (3)3.2男性中心社会の価値基準に基づく言葉 (4)3.2.1職業に関する言葉 (4)3.2.2男部の漢字はない (4)4.まとめ (5)参考文献: (6)1.はじめにセクシスト・ランゲージとは、性別のステレオタイプに影響を受け、性的指向のある言葉、特に女性を度外視したり、軽視、蔑視したりするような言葉である。
李(2006)は、「場合によって、男性中心社会の価値基準で女性を一括りにして、より劣った性として表現する言葉と指摘され、「男性優位社会」の本質を表すもの」と定義している。
中国では、母系社会から父系社会への転換が終わった時点から、女性の地位が落ち始めた。
その後、父権制度の強化・発展に伴って、男性の優位性が次第に現れ、「男尊女卑」の思想が提唱するようになってきた。
このような歴史的背景を持って、女性を差別するセクシスト・ランゲージは避けられず、中国語に出現するのである。
陳(2005)によると、中国語におけるセクシスト・ランゲージは男性を賛美・崇敬する言葉と女性を侮辱・蔑視する言葉の2種類に大別している。
授業中にはすでに中国語における文字、慣用句・熟語、罵り言葉などにかかわる女性を侮辱・蔑視する言葉を説明したので、以下は前者を取り扱って、考察していきたい。
2.男性を賛美する言葉2.1 直接に男性を賛美する言葉人の学識、才能、願望・抱負、性格などを賛美する四字熟語は男性のみを対象としているものが多い。
たとえば、顶天立地(何も恐れず、堂々とするさま)、万夫不当(一万人でも敵わない人)、 大智大勇(知恵と勇気を全部持つ人)などがある。
これらの言葉は男性を褒める場合だけに使うものである。
逆に女性に使うと、僭越や皮肉などのニュアンスが感じてしまう。
《外国语言研究》第一辑中国世界语出版社1998 p.106~110日本語における連用格と連体格との関係北京大学彭广陆0.はじめに日本語では、文中における名詞と他の単語との意味的な閱係、つまり格(case)の意味,格関係を表すには、名詞の後ろに格助辞という接尾辞(suffix)をくっつけるという手段が利用されている。
更に、名詞の語形(form)をつくる格助辞は、構文論的な機能によって、連用格と連体格に分かれている。
連用格と連体格とは、一定の条件の下では相互に移行することができる。
場合によっては、連用格と連体格への選択が自由になることもある。
本稿は、連用格と連体格とのそういった関係を取り上げるものである。
1.日本語の格体系連用格と連体格の相関関係を論じる前に、まず日本語の格体系を概観する必要がある。
日本語の格をめぐっては、今までいろいろと議論されてきたが、それにも関わらず、格の定義付けから格の種類の認定まで数多くの問題が残っている。
それに関しては、彭広陸〔1998〕では、扱われているので、ここでは深入りしないことにする。
筆者は、今のところ、日本語の格体系について、次のように考えている。
まず、格の標識(marker)の有無によって、無標示格(裸格)と標示格に二分する。
後者の場合は、連用格と連体格との対立をなしている。
連用格は主格と斜格に分かれるが、更に後者は、作り方によって単純連用格と複合連用格に分けることができる。
連体格にも単純連体格と複合連体格という下位分類が見られる。
一方、連体格には、「がの格」「をの格」「にの格」「までにの格」が存在しないため、連用格と連体格とは、きちんと一対一の対応閱係を形作っているわけではない。
言い換えれば、「が格」「を格」「に格」「までに格」が連体格となると、他の連体格に融合したり吸収されたりすることになる。
そのため、一つの連体格が二つ以上の連用格と対応することもあるのである。
日本語教育における日本語文法学習者にとって、最初日本語に接す時は皆簡単だと思ってしまう。
しかし品詞の種類が増え、それぞれ「活用」しているような変化があり、ますます難しく感じる。
日本語の品詞はたくさんある。
それに、細かく分類することができる。
分類法により、品詞を分類する方法も様々である。
よく知られているのが、学校文法の品詞分類である。
最初に単語を自立語と付属語に分かれる。
そして、それぞれを活用するものとそうではないものに分かれる。
最後に箇条下記でそれぞれに当てはまるものを分類する。
例えば、形容動詞は単語の自立語の中の活用するものに属する。
助詞は付属語の活用しないものになる。
このような分類は、ネイティブ学習者、つまり日本人学生にとっては馴染みのあるものが、外国からの学習者にとってはかなり理解しにくい分類方法になる。
なぜなら、この品詞分類は、橋本文法の分類方法をそのまま使ったからだ。
このような古典なものを持ち出しても、外国人学習者がお手上げしかない。
というわけで、日本語教育で使われている品詞分類は他のものになった。
代表例としては、品詞名イコール用法という分類方法である。
分かりやすい例として、形容詞を取り上げよう。
語尾に「イ」が付いている形容詞は「イ形容詞」と名付けられ、「ナ」が付いている形容詞は「ナ形容詞」になる。
その他、動詞は動作を表す品詞で、疑問詞は疑問を持ち出す品詞である。
品詞の分類ができれば、それぞれについて説明することができる。
学習者にとって、特に初・中級の人にとって、動詞は一番身につけにくいものだと考える。
それに、日本語の分の中心としての述語は殆ど動詞になっているため、これから、動詞を中心として、日本語の文法を分析しよう。
橋本文法の動詞の分類表を使うと、外国人学習者に対して不明な部分がいくつかがある。
「終止形」と「連用形」など、名前の概念はその一つだと考える。
日本語学について心得のない学習者はおそらく上級レベルになっても分からないままだと考える。
現代日本語における接尾辞「がる」の意味・用法韓金柱東京外国語大学大学院地域文化研究科大学院生hanjinzhu@yahoo.co.jp1. はじめに本稿は、現代日本語における接尾辞「がる」の意味・用法について再考することを目的とする。
分析の対象とするのは、以下の(1)~(3)に示すような「感情形容詞+がる」である。
(以下、分析の対象となる「がる」に下線を付して示す。
)(1)彼女は机を叩いて、悔しがった。
(2)彼女は顔には出さなかったが、心の中では悔しがっていた。
(3)彼女は表面上机を叩いて悔しがったが、心の中では喜んでいた。
2. 先行研究の記述の検討先行研究において、接尾辞「がる」の意味・用法は、以下のように記述されている。
しかしながら、以上のような接尾辞「がる」の意味・用法についての記述は、以下の各点において十分でないと考えられる。
1ここで「切実性」とは、「主語に当たる人物が心からそうであると思う、感じる」ことであるとされている。
10まず、以下の例(4)に見られるように、「~がる」という表現が用いられる時、主語に当たる人物が必ずしも内的にその形容詞で表される気持ちや状態にあるとは限らない。
(4)彼女は人の同情を引くために、わざと苦しがった。
また、「~がる」という表現が用いられる時、以下の例(5)に見られるように、主語にあたる人物の「内的状態」と「外に表れた様子」は必ずしも一致するとは限らない。
(5)彼女は口にはしなかったが、心の中では悲しがっていた。
また、以下の(6)(7)に見られるように、「~がる」という表現が一人称で用いられる時、必ずしも、黄(2004)が述べるように、自分自身の「以前」に抱いた感情・感覚を捉えて、それを客体的にながめているとは限らない。
(6)私は「いいなあ」と心の中で彼女のことをうらやましがっています。
(7)ここで諦めたら、何年後かに私は成功した人をうらましがるに違いない。
「ようだ」「らしい」「そうだ」における中国語母語話者の日本語学習者の学習状況The acquisition of‘youda'‘rasii'‘souda'by Chinese native speakers learning Japanese謝瑩(国際理解教育領域)1はじめに日本語の類義表現の使い分けは外国人の日本語学習者にとって困難である。
「ようだ」「らしい」「そうだ」の使い分けもその中の一つである。
日本語では、比況を表すのは「ようだ」、間接な根拠による推測は「らしい」、直接目で観察し、物事の様子を表す時は「そうだ」を使用するというふうに使い分けているのに対して、中国語では、すべて「好像」で表すことができる。
こういった違いによって、中国語母語話者の日本語学習者は誤用が生じやすいという問題点がある。
だが、従来の研究では、日本語学の観点から、「ようだ」「らしい」と様態表現「そうだ」の相違についての先行研究が多くなされてきた。
中日対照の観点から、中国語への訳し方や「好像」との対応関係などについての先行研究も多い。
しかし、中国国内の日本語学習者の実際の習得状況に関する研究が未だに少ない。
本論文は中国国内の日本語学習者がどんな場面で誤用が生じやすいのか、それに誤用を防ぐために日本語教育の現場でどんな対策を取るべきなのかを明らかにする。
2先行研究これら各語の用法の違いについての研究、特に「ようだ」と「らしい」に関しては、数多く研究されてきた。
柏岡(1980)、森田(1980)、柴田(1982)、寺村(1984)、早津(1988)、中畠(1990)、三宅(1995)、野林(1999)、菊池(2000)などがある。
様態表現「そうだ」に関する研究は菊池(2000)や泉原(2007)などがある。
これらの研究を以下のようにまとめることが出来る。
①「ようだ」のみ使用可能の場合ⅰ直接観察(体験)し、推論を加える余地なく、観察(体験)に密着した一体のものとして観察対象の様子を述べる場合、ⅱ婉曲用法として使用する場合、ⅲ比況用法として使用する場合。
日语语法学习:日语一级语法总结测试61.私の知っている-----において、そのような事実はありません。
1.こと2.ところ3.限り4.のみ2.電気工学の世界に-----彼の名声はますます高まっていった。
1.あたる2.いたる3.おける4.たいする3.十年間一日も休まなかったと言う練習があって-----今日の彼がある。
1.こそ2.のみ3.から4.ゆえ4.お菓子をとらえてから怒るなんて大人-----人なんでしょう。
1.っぽい2.げない3.びいている4.じみている5.本日を-----、私は会長職を辞めさせていただきたいと思います。
1.限りまして2.成りまして3.もちまして4.論じまして6.これは何も-----日本のみならず、世界的な問題である。
1.ひとつ2.ひとり3.一国4.一体7.この競技場は五万人----の客を収容できる。
1.なり2.から3.だけ4.さえ8.スイッチを押すだけで洗濯ができるなんて、私の若い時と比べて、便利な世の中に------。
1.なったそうだ2.なりかねない3.なったものだ4.なったところだ9.あの歌手ときたらダンスが上手だが、肝心の歌はとても下手で、------。
1.聞いたはずがない2.聞かずにはおかない3.聞くどころではない4.聞かれたものではない10.犬や猫を飼うことは、人間の一生早送りして見るようなものだ、子供時代の可愛さ、成長する楽しみ、老いていく寂しさ、死の悲しみ、それら-----命の重さを身をもって知ることができる。
1.を通して2.をめぐって3.にわたって4.に即して33123/22341解析:1.(3)“限り”强调一种范围上的极限.2.(3)“における”用在表示时间,地点,场合的名词后,表示”处于”.3.(1)“こそ”强调”不是别的,正式这个”用来强调一个必不可少的前提.4.(2)“げ”相当于”そう”的样态用法,用在个人个人主观感情的表达形式后.5.(3)“をもちまして”是”で”在敬语体中的表达形式,这里是限定范围.6.(2)“.何もひとり”和“のみならず”可以视作固定呼应的使用,表示某中现象不止出现在前项这一事物上. 7.(2)“からの”用在数字后面,表示”最起码有”.8. (3)”ものだ”前接动词过去式,表示一种亲身经历的回忆,感慨.9. (4)“ものではない”用在可能动词过去式后面,表示强烈的否定.10. (1)“を通して”前接名词,表示通过某中方式方法.。
コンプレックス脱出の持続への試み――「結婚者の手記」における「嫉妬」を中心に劉 金挙0.はじめに詩から小説へと転進した犀星は、コンプレックスから脱出するために、引き続き抒情性豊かな作風を用いて、所謂初期三部作において様々な努力を通じてあらゆる試みをなした。
しかし、小説家としての輝かしいデビューを果たしたものの、依然として容易に解消できないコンプレックスに苛まれていた(1)。
それは、結婚前の生活は既に掘り尽くした後、自然の成り行きとして結婚生活を取り扱うようになった以後の作品にも影響を及ぼすのである。
周知のように、第一期の創作において、犀星は相次いで『結婚者の手記』『愛猫抄』と『香炉を盗む』を書いて、結婚生活というテーマを追い求めている。
「作品の根底に流れているいくつものキーワードのうち、<嫉妬(2)>」というものが、当段階の作品において特に目立つのである。
本稿では、『結婚者の手記』における嫉妬に主眼をおき、彼のコンプレックス脱出の努力を見ていこうと思う。
1.何故嫉妬が発生するのか作品の中に、「ゆめ」「寂しい氣」「嫉妬」と「妬み」という語句が度々出てくる。
心理的に考えれば、ここに出た「ゆめ」や「寂しい氣」は、凡て「嫉妬」によるものである。
では、普段何気なく話されている「嫉妬」とは、一体何だろう。
詫磨步俊氏は、「嫉妬とは、自分より優位を占めたとき、あるいは、自分が大切にしているものを奪われたり、奪われそうになったときに起こる感情である(3)。
」と、分析している。
彼の説明によれば、人間は、他人より優れている面もあれば、及ばない点もたくさんある。
もし心の奥で自分の限界というものを知らなければ、必然的に自分を常に他人との比較において考えてしまい、しかも他人より尐しでも優位に立とうと思い、さらにそのことを、当の相手だけでなく、一般の人にも広く認めてもらいたいという願望が強く表れるようになる。
その結果として、嫉妬は自然にできてしまうのだという。
論 文言語における 〈夫〉 と 〈妻〉 の関係について―〈名称〉 の観点から―齋 藤 佳 子要 旨 本稿においては,〈夫〉 と 〈妻〉 の概念に関わることばをカテゴリー化し,その結果を筆者が行った調査に基づき分析し,〈名称〉 の観点から,〈夫〉と 〈妻〉は互いをどのように見なしているのか,そして 〈夫〉と 〈妻〉 の関係に影響を与えるのはどのような要因なのかということについて考察する。
親族用語は「名称としての目上語」「名称としての目下語」「呼称としての目上語」「呼称としての目下語」という4つにカテゴリー化されるが,本稿は前の2つを扱う。
対象となる名称語としては,夫側における「目上語」では「家内」と「妻」,「目下語」では「女房」と「かみさん」,妻側における「目上語」では「主人」と「夫」,「目下語」では「亭主」となる。
尚,本調査とは,夫 (37人) と妻 (37人) が使う名称語を「子供誕生前」(=「前」) と「子供誕生後」(=「後」) に分け,さらにそれぞれを「改まった場面」と「くだけた場面」に分け,調査を行ったものである。
結果は以下の通りである。
「前」の「改まった場面」では,〈夫〉 は 〈妻〉 を目上の者 (=「上」) とも目下の者 (=「下」) とも見なすが,〈妻〉 を「上」と見なす 〈夫〉 の方が 〈妻〉 を「下」と見なす 〈夫〉 より53%多かった。
一方,〈夫〉 を「上」と見なす 〈妻〉 は100%となった。
「くだけた場面」では,〈夫〉 は 〈妻〉を「上」とも「下」とも見なすが,〈妻〉を「下」と見なす 〈夫〉 の方が 〈妻〉を「上」と見なす 〈夫〉 より76%多かった。
一方,〈妻〉 も 〈夫〉 を「上」愛知大学 言語と文化 No.24とも「下」とも見なすが,〈夫〉 を「上」と見なす 〈妻〉 の方が 〈夫〉 を「下」と見なす 〈妻〉 より50%多かった。
「後」の「改まった場面」では,〈夫〉 も 〈妻〉 も「前」と同様の結果となった。
日本における若者の雇用問題について都市化の進行とともに、村の共同体組織がだんだん崩壊していきます。
ところで日本はこの五十年で経済を急激に成長させてきました。
日本にはいくらでも仕事がありました。
学校を卒業したら、必ずどこかの会社に入れました。
その会社で一生働き続けることができます。
つまり、当時の日本では家族に金銭的な心配をさせることなく、夫はみんな会社人間となります。
妻はみんな結婚したら、仕事を辞めて主婦になります。
このような家庭は当たり前です。
こうして、金銭と精神的な支えは結婚を求める要因です。
しかし、現在の日本では、それが変化しつつあります。
不景気によって、夫である男性の給料がいつまでも上がりません。
また、給料が下がる場合も出てきました。
会社が倒産で、次の就職先が決まりません。
家族を養うだけのお金を持ってくることが出来ない夫が少しずつ増えてきます。
近年、家族を作って、家族を維持するということが困難になります。
昔のように、村の仲間のような地域の助け合う共同体もなくなりました。
これらはいくつもの問題を付随して引き起こしつつあります。
1結婚出来ない若者の増加。
2日本では結婚していない女性は親と一緒に住むのが一般的だ。
3離婚の増加。
この結果、最近の日本では男も女も「能力主義」を実行しています。
男性も女性も仕事ができるかどうかが社会で評価されるようになりました。
特に35歳未満の世代では妻が正社員として働く家族ほど、夫の給料が高いというデータが出ます。
結婚しても女性は会社を辞めず、子供を産むより、正社員としての仕事を続ける傾向が強くなってきました。
つまり、強い者同士の結婚が増加しますが、非正規雇用の男性と女性同士が残りました。
しかし、いつ仕事がなくなるかわからない弱者同士の結婚が増えています。
中国も同じ、2013年民政局の統計によって、2013の離婚数350万対です。
離婚率は2.59%で、2000年―2014年の離婚率が年々増加しつつあります。