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日语青岛介绍

青島PR

青い海、緑の木々、赤煉瓦の街並み。自然と融和した近代都市青島は、ここが中国とは思えないほどの西洋的な雰囲気に包まれています。国際貿易都市として、中国屈指のリゾートエリアとして、青島ビール発祥の地として、そして中国北方艦隊の基地として、さまざまな「顔」を持つ青島の風景をお楽しみください

【市西部エリア】

中 山 路

古き良き青島が残る商店街。デパート、レストラン、映画館などがあります。

天主教堂

1934年に建てられた重厚なムード漂う教会です。

第六海水浴場

青島駅から徒歩10分に位置する海水浴場。桟橋の近くです。

桟 橋

青島のシンボル。全長440mの桟橋はいつも観光客で賑わっています。

総 督 府

1906年に造られた総督府は青島を代表する西洋建築の一つです。

天 后 宮

15世紀に建てられた最も古い道教の寺院です。

小 青 島

悲しい天女伝説を伝える小島です。琴島とも呼ばれています。

迎 賓 館

1908年に建てられた迎賓館は毛沢東も滞在した歴史的建築物です。

海軍博物館

軍事マニアは必見。潜水艦の内部へも入ることができます。

魯迅公園

海沿いに整備された公園です。近くには水族館もあります。

海底世界

最新の展示施設を整えた地下5階建ての水族館です。

小魚山公園

小さな観光公園ですが眺めは青島一。眼下にすばらしい景色が広がります。

信号山公園

キノコのような建物が特徴的な展望公園。レストランもあります。

老舎故居

著名な作家老舎が30年代に居を構えていた歴史ある建物です。

康有為故居

戊戌維新を指導した康有為が住んでいた洋風建築です。資料展示もあります。

基督教堂

1910年に建てられ、丸みを帯びた外観が特徴的な教会です。

青島ビール博物館

歴史展示、製造工程の見学、出来たてのビールの試飲もできるという博物館です。

青島山砲台遺址

青島山の地下に縦横に造られた要塞が、そのまま展示施設として整備されました。

【市東部エリア】

第一海水浴場

青島最大の海水浴場。夏場は大勢の海水浴客で賑わうほかイベントも開催されます。

中山公園

青島最大の中央公園です。動物園も隣接されていて家族連れで楽しむことができます。

八 大 関

緑と静寂に包まれた別荘地。洋館が建ち小鳥の声に心が癒されます。

花 石 楼

小さな城塞のような5階建ての洋風建築物。屋上からは八大関の全景

と海が見渡せます。

海浜遊歩道

青島の海岸沿いに整備された遊歩道。全長は40km以上。海風が心地よく散歩コースに最適です。

第二海水浴場

中国要人のプライベートビーチが一般市民にも開放されたのがこの海水浴場です。

第三海水浴場

青島東部新区に最も近い海水浴場です。2003年に新しく整備されました。

太 平 角

静かな別荘地帯です。海天大酒店から徒歩10分。早朝の散策が気持ちいいですね。

電 視 塔

鋼製の塔としては中国一の高さを誇ります。リフトで行くこともできます。

湛 山 寺

青島では数少ない仏教寺院の一つです。1930年代に建てられました。

五四広場

赤いモニュメントが特徴的な臨海広場です。市政府の正面に位置する象徴的な公園です。

音楽広場

どこからともなく音楽が聞こえてくる小公園です。五四広場に隣接します。

【石老人エリア】

海 豚 館

かわいいイルカのショーが見られる展示施設です。市街と石老人地区の中間に位置します。

彫刻芸術博物館

青島の現代彫刻を展示した博物館です。芝生公園が隣接します。

青島市博物館

新しく建てられた市立博物館です。石仏、彫刻類、書画、古代の貨幣などが展示されています。

石老人海水浴場

広大な面積を誇る石老人リゾート地区にある海水浴場です。一部はプライベートビーチとなっています。

【労山エリア】

太清宮景区

2000年以上の歴史を持つ宋代建築の寺院です。道教修業の場として知られています。 太平宮景区

奇岩に囲まれた岩山の中腹に位置する道教の寺院です。

北九水景区

約1時間30分ほどかけて一水から九水まで沢沿いにハイキングが楽しめます。

雨 林 谷

小学生向けのミニテーマパーク。虎の赤ちゃんや小鳥ショーがあります。。



中 山 路

香港中路が近代建築が建ち並ぶ繁華街とすれば、中山路は古くから市民と共に発展してきた庶民のための商店街であるといえます。全長1.3kmの中山路には、百貨店、地下商店街、日用雑貨店、漢方薬の店、映画館、書店、レストラン等々、何でもそろっています。

しかし、そんな中山路へも近代化の波は押し寄せてきました。青島第一百貨店、国貨デパート等の伝統的百貨店に加えて高級百貨店イトキンがオープンし、一般市民から上流階級まで、多様な消費者を対象とした商店街に生まれ変わろうとしています。また中山路全体についてもオリンピックに向けて大改

装が行われ、歩道も整備されて若者にも親しみやすい商店街となりました

同時に中山路は、街角ではイカ焼きに人々が群がり、路上ではさまざまな土産物、果物、小物類が販売されるという、古き良き中国を色濃く残している場所でもあります。近代的なイトキンビルを一歩路地へ入ると、そこには20年前から変わらない青島市民の生活があります。

市東部の新しい高層マンションに住み、買い物はジャスコやカルフールへ行くという生活の中で、ふと「中国」が恋しくなった時は、ぜひ中山路へ行ってみてはいかがでしょうか。

天主教堂

青島にはドイツ占領時代に建てられた多くの歴史的西洋建築が点在しています。この天主教堂も有名な建築の一つとして知られています。

天主教は19世紀末、ドイツ占領時代にこの地に伝えられました。1925年には青島教区が設立され、1932年にこの教堂の建設を開始、1934年に完成しました。塔高は60米、塔上には4.5米の巨大な十字架、正面は青島花崗岩から作られた重厚な建築物となっています。

この建物は中山路東側の小高い丘の上にありますが、現在、この一帯はオリンピックに向けて整備中。あちこちで工事の音が響いていますが、天主教堂の中はまるで別世界のように静寂に包まれていました

第六海水浴場

青島というところは実に不思議な都市です。近代的なオフィスビルを出て徒歩3分のところに海水浴場があるのですから。

第六海水浴場は、有名な観光スポット「桟橋」の西側に隣接しています。ここが海水浴場ですよと言われなければ、ちょっとわかりません。道路の下でたくさん人が泳いでいるなという感じです。

砂質の浜で、思ったよりきれいですね。日本の内湾の海水浴場のような砂泥質ではありません。干潮時には沖合にまで潮が引きますが、満潮時には砂浜はほとんどなくなります。それでも夏場は人でいっぱい。道路の下が更衣室や売店となっています。

繁華街のすぐ南にあるので地理的には大変便利ですが、リゾート気分を味わいたい人や水質が気になる人は第二海水浴場や、石老人に行かれたほうがよいかも知れませんね。

近くには、建銀大酒店や、華天大酒店、青島飯店など、国内旅行者向けのホテルがあります。青島駅からは徒歩10分

桟 橋

桟橋は、青島湾の中心、青島一の繁華街中山路の南端に位置する最も有名な観光スポットの一つです。桟橋の建設は1891年

(光緒17年)、当時の清朝政府が軍需物資の供給のため、旅順から資材を運び、埠頭の建設を開始し翌年に完成、李鴻章桟橋と命名されています。

1897年、ドイツの占領後は軍用埠頭として使用され、ドイツ軍は桟橋をさらに沖合へと延ばして全長は350米となりました。さらに1931年、当時の国民党政府が26万元を投資して改修、1933年には総延長440米、幅10米となったのです。

桟橋南端の半円形の防波堤の上には、民族色豊かな八角亭が建築されました。この八角亭の屋根は黄金色の瑠璃瓦、周囲には24本の漆紅円形の亭柱があり、「回瀾閣」の名で親しまれています。

建国後は人民政府によりたびたび改修が重ねられるとともに、周辺には売店や記念撮影場所等が整備され、また干潮時には絶好の磯遊びができる場所として、多くの市民や旅行客に親しまれています。1992年、青島市人民政府は、この桟橋回欄閣を文物保護施設として指定しました

総 督 府

太平路を桟橋から東へ7~8分歩くと北側に続く細い道の奥に総督府が見えてきます。現在の青島市人大常委会ビルです。

総督府は1903年に起工、1906年に完成した建物でドイツの建築家が設計しました。建築面積は7500㎡、高さは20m、外面は青島特産の花崗岩でできており、凹型をしたビルが二つ向かい合うように建っています。

総督府は1906年の竣工以来、数々の青島の歴史を見守ってきた建物の一つと言えるでしょう。ドイツの総督府として、日本軍青島司令部として、1949年の解放後は青島市人民政府ビルとして、そして1990年からは青島市人大常委会及び市政協合署ビルとして、現在も使用され続けているのです

天 后 宮

桟橋を出て海沿いに太平路を東に歩くと、約10分程度でこの天后宮に着きます。青島にはもともと三つの天后宮がありましたが、滄口と沙子口にあった二つは今はもう存在しません。現存する天后宮は、1467年(明代成化三年)に建設が始まり、道教太清宮の支派に属していました。

この天后宮は市内で最も古い建築物で「中国大廊」とも呼ばれ、前に大劇場、正門と東西に二つの側門があり、門屋は鐘楼と鼓楼に分かれています。

小 青 島

小青島は、桟橋東南に位置する小島で、別名「琴島」とも呼ばれます。面積0.024平方キロ、海抜17mの小さな島ですが、桟橋と並び、青島のシンボル的存在でもあります。もともと青島とはこの島の名前でしたが、ドイ

ツ占領後に市区が青島と名付けられたため、ドイツにより「阿克那島」と命名されました。その後日本軍占領時代には「加藤島」と呼ばれましたが、地元の人は「小青島」と呼ぶようになりました。

島には塔高15.5mの八角形の純白の灯台があり、宝石のような紅い光を発して船を導いています。この灯台は1900年にドイツ軍によって建造され、解放後に大規模な修理が行われました。

小青島へは、海軍博物館横からつながる堤防を通って入ります。島はゆっくりと一周しても10分程度です。

 昔昔、天上に琴を弾く仙女が住んでおり、青年漁師に恋をして地に降り結婚しました。夫は毎日海へ漁に出て、妻は島の上で、夫への想いを込めて琴を弾き続けたそうです。

天上の大帝がこのことを知り、激怒して兵を派遣、とうとう仙女は殺されてしまいました。しかし琴の音は死後も鳴り響き、船の航行を導き続けたということです

迎 賓 館

信号山の南麓にあるドイツ風の建築物。これは本来は提督の官邸で「提督楼」と呼ばれていました。また建物の大部分が花崗岩を切り出して作られていることから、「石頭楼」とも呼ばれました。この石頭楼はドイツの建築家によって設計され、 1903年に着工、1908年に完成しています。

高さ30m、建築面積4,080平方米の建物は、100万ドイツマルクを費やして建てられました。内装は絢爛豪華で、厨房、会議室、ダンスホール、食堂、寝室のほか、噴水や水槽が飾られ、さらには総督の安全を守るための兵員も詰めていたとのことです。

1949年6月の青島解放後、当時の政府は提督楼という名称を迎賓館と改めるとともに、 1957年には大改装を行って26,000平方米の大庭園を造りあげ、園内には様々な花木が植えられました。

1984年青島市人民政府は迎賓館を市の重点文物保護単位に指定、1992年には山東省が省の文物保護単位に指定して、青島の著名な建築物として現在に至っています。

海軍博物館

青島にはいろいろな「顔」があります。有名な青島ビールの本拠地、国際貿易都市、中国最大の避暑地、海洋研究の中心地等々。そして青島は中国有数の海軍基地であり、また軍事教育の中心地でもあります。

この海軍博物館では中国海軍の退役駆逐艦「鞍山号」,「鷹潭号」や潜水艦「長城号」に乗船できるほか、戦闘機やミサイル等の展示を楽しむことができます。屋内展示では海軍の歴史を知ることができます

ここは観光施設としてだけでなく、海軍の

研修施設として多くの軍人が訪れる場所でもあり、制服姿の中国海軍の軍人がたくさん見学しています。

なお潜水艦だけはカメラ持参禁止。受付でカメラを預けて番号札を受け取ってからからご乗艦ください。潜水艦に乗艦できる機会は滅多にありません。ちょっと古いタイプですが、ハッチから梯子で入るので本格的な気分が味わえます。

魯迅公園

魯迅公園は青島湾から匯泉湾へと続く莱陽路沿いに位置します。この公園の東には第一海水浴場、西には小青島と海軍博物館、さらに海産博物館が隣接するなど、青島観光の中心地の一つでもあります。

この公園は1929年に建てられ、当初は「若愚公園」と命名されました。その後1931年に「海浜公園」となり、解放後は人民政府により改修され、1950年、革命家であり思想家であり文学家である魯迅にちなんで「魯迅公園」と改名され今日に至っています

公園入り口に建つ魯迅像は、1986年10月に建てられた花崗岩からなる高さ3メートルの像です。

魯迅公園周辺には、第一海水浴場、小魚山公園、海底世界、小青島、海軍博物館と見どころがたくさんあります。他の観光地と組み合わせて訪れてはいかがでしょうか。

海底世界

2003年に魯迅公園近くにオープンした海底世界。以前は古い水族館のみでしたが、最新設備のアクアリウムができたことにより、青島市民だけでなく内外の観光客の間にもその名を知られるようになってきました。

今回は全ての施設が地下に造られているという海底世界へ行ってきましたので、その全貌?をご紹介いたしましょう。まずは地上のチケット売場へ。地上の展示館を含めて入館料は100元。これは少し高くはないでしょうか!と文句の一つも言いたくなるような料金ですね。それでも黄金週ともなると人?人?人で溢れかえるとか。

チケットを購入しまずは地上の展示館へ。展示館も依然と比べて新しくなっています。さまざまな海洋生物の標本、巨大なクジラの骨格標本などが展示されています。イセエビよりも大きな巨大シャコにはびっくり。まだこんなシャコエビを食べたことがありません。標本を見ながら「美味しそう!」と言ってる中国人観光客も...

地上展示館の次は、いよいよ海底世界へ。この施設は山の斜面を利用してつくられているため、入り口は地下4階にあります。山肌にポッカリと開いた洞窟へと入っていきます。動く歩道に乗って長さ86.2メートル

の海底トンネルへ。我々日本人は水族館や海産魚を見慣れていますが、中国は広い国だから生まれて一度も海を見たことがないという人がたくさんいます。だからこういう施設は感激ものなんですね。あちこちで記念撮影をしたり魚を指さして喜んでいる人を多く見かけました。

そして極めつけは巨大な円柱水槽(下左画像)。この「円柱展示水体」は、高さ7.6メートル、直径5メートル、円周10メートルという巨大な水槽で、円柱水槽としては世界最大とのこと。熱帯魚と珊瑚礁の色彩がとてもきれいです。

そして最後はお土産店へ。ペンギン、シロクマ、ヒトデ、カメ、タコ、イルカなど、大小さまざまな縫いぐるみが、お子様連れのお父様とお母様をお待ちしています。

後で気づいたことですが、どうも見学の順番を間違えたようですね。水族館、海獣館、淡水館の三つを飛ばしてしまったようです。上の画像は、海洋生物館と海底世界のみ掲載しています。さてこの海底世界ですが、少々割高ですがお子様連れで行くのに適した施設だと思います。大人同士で行く場合はアベックで行くとかするとよいですね。決して男同士で行くところではありません

小魚山公園

百年前、この地はただの土丘で、漁民が網を干す場所でした。1891年清軍が青島に進駐したとき、この山の西側(現青島海洋大学)に兵舎を構え、この小山を見張り台として定めたのです。1897年、ドイツ占領後は山頂に炮台が築かれました。1934年には湛山寺仏学院は山頂に「湛山経舎」を建て、仏法の教育の場所としても使用しています。

現在の小魚山公園は1985年に建設されました。公園面積は800平方米、頂上には閣高18米、屋根には緑色の瑠璃瓦が使われた挑檐式三層八角構造の「覧潮閣」と呼ばれる建物が立っています。この閣内には土産物店があるほか、建物を取り巻く各階のベランダからは、青島湾から匯泉湾まで、西欧風の青島の街並みを一望することができるのです。

覧潮閣の西側には「碧波亭」と呼ばれる挑檐式六角亭が、また東側には「用翠亭」と呼ばれる四角亭が並び、1閣2亭の景色は遠方からも眺めることができ、青島の印象的な風景の一つとなっています。

園内の曲廊には3枚の壁画が飾られています。正面には黒い大理石の中央に「小魚山」と書かれた大きな象形文字。北廊には幅9.1米、高さ2.67米の「八仙過海」、東廊には同じ大きさで「蒲松齢宇宙」

が迎えてくれます。

また公園入り口からはきれいな小道が頂上まで続き、途中の店にはドイツ風の家の模型や水彩画が売られ、みやげ物におすすめです。

信号山公園

電視塔とならび、ひときわ目立つ赤いキノコの建物。この一帯が信号山公園です。頂上からは市内が一望できるほか、六角亭や茶屋などの休憩場所やレストランもあります。

信号山は旧名「挂旗山」と呼ばれ、旗を掲げて船の入港を知らせる信号旗台が設置されていました。この山は、龍山路、伏龍山路、龍華路、龍口路、龍江路に囲まれていることから、五龍山とも呼ばれています。

さて、皆さんは小魚山公園からの青島の景観はよくご存じですね。それでは信号山公園からの景色を見たことがありますか?よく晴れた日には、ここから360度のパノラマを楽しむことができます。

キノコの上は回転レストラン。ガラス張りでのんびりと景色を眺めながら、串焼き肉と青島ビールに舌鼓を打ってはいかがですか

老舎故居

市内黄県路12号(東方飯店と信号山公園の中間付近)に位置します。著名な作家老舎が30年代に居を構えていたのがここです。代表的な作品「駱駝祥子」や「文博士」をはじめ、数々の小説がこの地から生まれました。

康有為故居

小魚山公園の入口から東へと歩き、突き当たりを右に下る坂道をおりていくと、住宅街の中に小さな洋風建築が姿を現します。中国近代史の中でその名を知られる康有為が晩年を過ごした建物です。

康有為(KangYouWei)は、1858年に広東省南海県で生まれました。このため「康南海」とも呼ばれています。 1898年、当時の光緒帝のもと戊戌(ぼじゅつ)維新を指導。変法論の主唱者として、西洋の近代国家体制を学んだ先進的な中国人として、また傑出した政治家として知られています。

1917年、康有為は初めて青島を訪れた後すぐに大連へと赴任しました。この短期滞在の間に、青島の緑の樹々と紺碧の海の風景は康有為に強烈な印象を与えたようで、1923年には再び青島に帰ってきてこの居をかまえました(現在も、青島の魅力に取りつかれて再訪される方々がたくさんいますね!)。この居は「天遊園」と名付けられ、1927年に没するまで、青島を訪れるたびにこの天遊園に居住したとのことです。

現在、この建物には「康有為先生故居陳列室」が設けられ、ゆかりの品々が展示されています。歴史にご興味のない方は、わざわざ訪れることもないところですが、小魚山公園

の近くにあり、青島と中国近代史の関係の一端に触れることもできますので、お時間のある方は立ち寄られてはいかがでしょうか。

基督教堂

頂上に「赤いキノコ」が建つ信号山の麓に、二つの有名な西洋建築があります。一つは迎賓館、もう一つが基督教堂です。

基督教堂はドイツの建築家(羅克格)が設計し、1908年起工、1910年に完成しました。現在は住宅地の中に埋もれて目立たなくなってしまった教堂も、当時は青島でも有数の西洋建築として知られていました。

基督教堂は鐘楼と礼拝堂の二つで構成されています。高さ39.16mの鐘楼は青島を象徴する碧色で塗られ、大きな時計は現在も時を刻み続けています。礼拝堂は千人を収容できる規模を誇ります。 1999年5月、基督教堂は観光地点の一つとして内外からの旅行客に開放されました。

青島ビール博物館

青島ビール創立百周年を記念して、青島ビール股分有限公司2千万円を投じて建設されたビール博物館です。2003年8月15日にオープンしました。登州路にある青島ビール工場の左側、街に面した3階建ての西洋風の建物です。

博物館は三つの展示施設からなります。第一展示区は歴史と文化区で、百年間の青島ビール歴史資料を展示しています。第二展示区は生産工程区で、青島ビールの生産過程と沿革を紹介しています。第三展示区は多用途展示区で、青島ビールに関する記念品などを展示販売しています。

入場料は、大人1名30元コースと50元コースがあります。どちらのコースも全ての展示施設を観ることができます。50元コースのほうはオプションがついているとのこと。

まずはレンガ色の建物へと入ります。青島ビール百年の歴史がパネルや模型で紹介されていました。青島ビールは約百年前にドイツ資本で創業されましたが、戦争中は日本の会社(現在のサッ○ロビール?)経営の時期もあったらしく、当時の経営陣の名前やあの★型のトレードマークの写真も展示されていました。

創業百周年を記念して贈られた貢ぎ物がずらりとならぶ通路を過ぎ、いよいよ試飲コーナーへ。中央にはバーカウンターが設置され、服務員がビールサーバーからピッチャーへとビールを注いでいます。ビールを堪能した後は隣のお土産コーナーへ。ここではキーホルダー等のアクセサリーやオリジナルグラス等を売っています。

この博物館は見どころが多く試飲のおまけまで付いているので、ビール好きにはいちおしの観光

スポットです。ただしビール工場敷地内の建物を改造して作られているので、工場が休みの時は博物館も休館となることがあります。事前に確認して出かけるか、旅行社に予約したほうがよいと思います。

青島山砲台遺址

青島山砲台遺址のことは、ガイドブックにも地図にもなかなか掲載されない隠れたスポットの一つですが、最近はパックツアーのコースにも組まれるようになってきました。

青島山砲台は、青島に侵攻したドイツ軍が1899年に建設しました。施設は南北二つの砲台跡(うち一つは復元) と地下司令部から成っています。

山中に建設された地下司令部は、総面積2,000平方米、3階(一部5階)構造で、指揮所など50あまりの部屋とこれらを結ぶ迷路のような地下通路から構成される大きなもので、現在でも当時のまま保存されています。

1914年の日独戦争の時、ドイツ軍は降伏直前に砲台を破壊し、地下司令部のみが残りました。解放後は中国海軍の施設として使用された後、1997年11月に修復、一般公開されています。

第一海水浴場

第一海水浴場は青島で最も古く、また最も大きい海水浴場として知られています。第一海水浴場は匯泉湾に位置するため、別名「匯泉海水浴場」とも呼ばれます。半円形の海岸は、長さ約580米、幅40米で細砂質の砂浜です。波打ち際から沖合の防鮫網までは380米あります。

この海水浴場は、もともとは漁民が船を係留したり、網を干したりする場所でした。ドイツ占領時代には、飛行艇の発着場所としても利用されていました。

そして戦後は青島市民の憩いの場として解放され、1989年には市政府が大改修をおこない、 20万人が一度に遊泳できる大型の施設として完成しました。

2003年、第一海水浴場はオリンピックへ向けてさらに大改修が行われ、お伽の国のように建っていた更衣室やシャワールームはすべて撤去され、地下に整備され7月から供用が開始されました。

海水浴場は、また市民の健康増進の場としても利用されます。朝になると、浜を散歩する人、遊泳をする人、ジョギングをする人、海へ向かって大声をあげている人、沖合にはウィンドサーフィンを楽しむ姿を見ることもあります。海洋都市ならではの光景ですね。

なお青島人は、海水浴や遊泳のことを「洗海澡」と呼ぶのだそうです。

中山公園

この公園は緑の木々と四季折々の花に囲まれた青島市最大の広大な公園で、「東園花海」として知

られ青島十景のひとつにも選ばれています。

中山公園は1901年に建設が始まり、園内に桜の木が多く植えられたことから当時は「櫻花公園」と呼ばれました。日本占領時には「森林公園」「旭日公園」と名を変え、1922年には「第一公園」となりました。そして1929年、革命家孫中山にちなんで「中山公園」となり現在に至っています。

中山公園は、面積80万平方米、南、北、西の3ヶ所に入口があります。南門が正門となっており、直径20米の大きな噴水池が私たちを迎えてくれます。

公園を南北に貫く「櫻花路」の沿道には、その名の通り桜の木が植えられ、毎年4月になると雲海のごとく櫻が咲き乱れ、恒例の櫻花会には20万人以上の人が訪れて「春櫻緋云」を楽しみます。また秋には恒例の菊花展も開催されます。

この公園は市民の合唱や歌の練習場として格好の場所。いたるところから歌声が聞こえてくるのがおもしろいですね。池では老人が釣りを楽しんでいたりします。園内にはお子様向けの小さな遊園地、茶店、土産物店があり、動物園も隣接するなど、大人から子供まで一日中楽しめる市民の憩いの場となっています。

八 大 関

匯泉王朝大酒店や東海大酒店に宿泊された人は、早朝の散歩に絶好の場所です。静寂な路地、伝統的な西洋建築、新聞売りの呼び声、緑の木々と美しい花、小学校では生徒たちが元気に朝のラジオ体操をしている。時のたつのを忘れてしまうような空間がここにあります。

この地区には八つの道路があり八大関と名付けられていますが、現在は、山海関路、寧宇関路、居庸関路、臨准関路、嘉峪関路、函谷関路、紫荊関路、武勝関路、正陽関、韻関の十関路が東西に七条、南北に三条交差し、八大関を形成しています。

八大関は、別荘地として、保養地として、西洋伝統建築の地区として、そしてさまざまな花が咲き乱れる地区として有名な場所です。

八大関は100年前は田園地帯でした。30年代に入って別荘地として開拓され、外国人のための居住施設が多く建てられました。解放後は人民政府が保養地として巨額を投じて改修し、多くの保養施設や招待所が建てられました。そのなかでも八大関賓館は特に有名です。伝統建築としては、公主楼や花石楼等を訪れてみてはいかがでしょうか。

花 石 楼

八大関東に位置する西洋建築。もともとはドイツ提督が魚釣りや狩猟、休憩する場所として使用されて

いました。

花石楼は、1932年に格拉西莫夫(カラシモフ?)という白ロシア人によって建設されたとのことです。 5階建てで、屋上の観海台からは黄海と八大関のすばらしい景色が広がります。

この建物は花崗岩により造られていることから「花石楼」と呼ばれています。外観はドイツ風、ゲーテ風のこじんまりとして華麗精緻な雰囲気があります。

八大関へ行ったら、そのまま海岸寄りに散歩がてらに歩いていける距離です。前面は第二海水浴場となっています。

海浜遊歩行道

青島市の西の端から東の端まで、全長40.6kmにわたって、海岸沿いに遊歩道を造ってしまおうという計画の一部が完成しました。さすが中国はスケールが違いますね。この遊歩道、長時間歩いても脚が疲れないように、施設の大半は「木の道」でできているのです。真夏の一日、心地よい海風に吹かれながら、できたばかりの遊歩道を散策してきました

この遊歩道は地図で見るよりも距離があるので、数回に分けて散策をされるとよいと思います。木製の歩道はよく整備されていて、とても気持ちよく歩けます。そのうち遊歩道ジョギング大会でも開催されるのでは。

第二海水浴場

第二海水浴場は、もともとは中国の政府要人やVIPの保養地の一つであり、一般には開放されていませんでした。現在は市民の憩いの場として多くの市民が訪れます。

場所は、八大関の南、八大関賓館や4星ホテル青島東海大酒店から至近距離で、東には有名な花石楼もあるという絶好のロケーション。

8月に市民や観光客でにぎわう海水浴場です。砂浜にはキャンプが立ち並び、海水浴客はもちろん、バーベキューや磯遊びをする家族連れや若者たち、そして結婚式の記念撮影をするカップルでいっぱいでした。八大関へ散歩に行かれたら、少し足を延ばしてこの海水浴場を訪れてみてはいかがですか。

第三海水浴場

第三海水浴場は、香港中路の西、海天大酒店から徒歩15分のところに位置します

この海水浴場は、第一海水浴場と比較してややこじんまりとしています。海水浴場の位置する太平角は、ミニ八大関といった雰囲気ですね。緑が多く静かで、夏場でなくても、海風を感じながらのんびりと散歩するのよい場所です。

海水浴場の西側に更衣室が整備されています。東側(海天大酒店側)には磯場があります。砂質はきめ細やかなのですが、近くに磯があるため藻類が漂着していることもあります。海水浴

場沿いの遊歩道に沿って、中華レストラン「海莱」や人気のカフェ「朗園」なども営業しています。

この場所から西の方向へ海浜遊歩道を20分ほど歩くと花石楼があり、さらにその西は第二海水浴場、八大関へと続きます。

太 平 角

香港西路にある5星ホテル海天大酒店から海岸沿いに西へ徒歩約10分。道路を跨ぐだけで、近代都市から静寂な別荘地帯へと足を踏み入れることができます。樹木に覆われた洋館、海水浴場、新しく整備された海浜遊歩道。結婚式の記念写真を撮っているカップルも多く見かけます。

八大関ほどは大きくはありませんが、太平角は静寂に包まれた別荘地帯として有名。古い洋館は住居として、企業の保養施設や事務所、レストラン、カフェなどとして今でも使用されています。

晴れた日に海岸から眺める東部新区の高層ビル群はまさに絶景。自然と調和した青島市の魅力に見とれてしまいますね。この太平角からは、東は五四広場へ、西は八大関へと遊歩道がつながっているので、車の往来を気にせず、時間をかけてゆっくりと散歩するのもよいと思います。

電 視 塔

「鋼塔」としては中国一といわれる電視塔は、欅美林公園内、海抜116mの太平山上に建っています。塔高は232mで、青島で最も高い建築物です。周辺は太平山公園として整備されています。

高速エレベーターで52秒、130m地点の展望台に到着します。展望台では360度の市内のパノラマを楽しめるほか、レストランやバー、娯楽施設も整っています。

ただ、この施設を訪れた人がみな指摘することですが、窓ガラスがきれいではありません。せっかくの眺望も感激が半減してしまいます。青島の美しい景色はきれいな窓ガラスを通して見たいものですね。

さて、この施設は山の上にあるため、動物園?甚山寺を結ぶリフトかタクシーを使用しなければ行くことができません。タクシーをご利用の場合は、見学が終わるまで待ってもらったほうがよいでしょう。

湛 山 寺

湛山寺は1930年代に建てられた歴史の新しい寺です。中山公園の東、森林公園の隣に位置します。 30年代当時、青島を訪れた国民党南京政府や仏学家たちが青島では仏教が不振なことを知り、資金を集めて湛山の南麓に建設しました。

1932年から1944年までに、三経殿、大雄宝殿、天王殿、山門等の主要な建物が完成しました。この間、1940年には青島湛山仏教学校が開校し、多くの優れた人材を輩出しています


お寺自体はそれほど大きくはありません。古いお寺ではないので「歴史」を感じにくいかもしれませんね。薬師塔などもあってお寺としてのそれなりの雰囲気はあります。太平山と湛山の麓の美しい自然に囲まれていて、隣は森林公園なので、市街地にあっても静かで緑が多くよいところです。

五四広場

五四広場は、青島市政府ビルの南に位置する臨海広場です。この広場の名称は、中国の有名な五四運動にちなんで名付けられました。

広場は政府ビルから海に向かって整備され、中央には赤い色をした高さ30m, 直径27mの彫刻「五月の風」や噴水などがあり、市民の憩いの広場として親しまれています

広場のイベントスペースでは、春節、黄金週などの祝日にさまざまな催しが開催され、多くの市民や観光客で賑わい、夏のビール祭り開催日には花火大会も行われます。

音楽広場

音楽広場は、五四広場から西へ徒歩3分の場所に位置します。五四広場と比較してこぢんまりとした公園ですが、芝生がとても美しく、随所に埋められたスピーカーから、クラシック音楽が流れてきます。

ヨットの帆を形取ったような休憩施設のほか、音楽家の彫刻が立ち並び、そのユニークな姿は絶好の記念写真の対象となっています。

特におもしろいものがあるという訳ではありませんが、休日のひととき、クラシックに耳を傾け海を眺めながらのんびりと散歩するのにぴったりの公園です。

海豚表演館

海豚表演館は1995年に開館しました。敷地面積40000平方米、建築面積7200平方米、4600万人民元を投資して建設された施設です。労山へ行く途中の石老人西側に位置します。海豚館は3階建てで室内表演場は800名、屋外表演場は1800名を収容することが可能です。

現在、館内では、訓練された6頭のイルカ(海豚)、8頭のアシカ(海獅)、3頭のアザラシ(海豹)の演技や、孔雀や珍しい動物、熱帯魚等を観賞することができます。特に6頭のイルカは、温順、敏速で、20種類以上の演技をこなして、観客を楽しませてくれます。

海豚表演館は総合的な教育?娯楽施設として、レストランや標本や写真等の展示施設も充実しています。

青島彫刻芸術博物館

市街から石老人へ向かう途中の海岸沿いにある博物館です。近年のモダンな彫刻類が数多く展示されています。青島は、海岸沿いに多くの野外彫刻が並ぶ街としても知られています。この彫刻博物館で、中国の現代芸術の一端を知るのもおもしろいかと思い

ます。

彫刻博物館の東側には美しい海浜公園がつくられています。海風に吹かれながら、緑の芝生の間をのんびりと散歩するのもよいでしょう。

青島市博物館

石老人リゾート区の東に位置する市立博物館です。以前は桟橋近くにありましたが、新しく建設されました。この博物館は、青島市文化博覧中心という建物の一角を占めており、同じ建物の中に、美術館と海爾科技城が同居しています。

博物館は3階建てで10の展示室から成っています。石仏、彫刻類、書画、古代の貨幣などが展示されています。

この博物館はビール場からさらに東寄り、世紀広場という幅広い道路の北に位置します。対面は国際会覧中心です。美術館とあわせて展示品をご鑑賞されてはいかがでしょうか。

石老人海水浴場

石老人国家旅遊リゾート区は、市東部に広がる広大な区域で、娯楽施設、海水浴場、美術館、ホテルなどが整備されています。この地区には、長い長い砂浜が続き、夏には海水浴客が、春や秋には多くの観光客が広大な景色を楽しむために訪れます。

海水浴場の近くには、有名な娯楽施設の弄海園、麒麟ホテル、博物館、美術館などがあります。都会の喧噪を離れて静かな石老人に滞在すれば、あなたもきっとリゾート気分を満喫することができるでしょう。

太清宮景区

太清宮景区は、市内から東へ30km、車で約1時間のところに位置し、青島観光の定番の一つとなっています。 景区は宝珠山の7つの峰に囲まれています。宝珠山の主峰は「老君峰」と呼ばれ、その左手には「桃園峰」「望海峰」「東華峰」、右手には「重陽峰」「蟠桃峰」「西王峰」が連なります。

南は太清湾と呼ばれる海に面していることから、海からの湿気を含んだ暖かい空気の影響で、亜熱帯的な環境下にあり、そのためこの地域は「労山小江南」とも呼ばれています。このような地形は古来から風水学的に絶好の場所であるとされ、ここに道教発祥の地が造られた所以でもあるのです。

太清湾は、現在は遊覧船の発着場やアトラクション施設が造られていますが、ドイツ占領時代には青島市内から船でやってきてこの湾から上陸し、太清宮を観光するのが一般的だったようです。

 海に面して建立された太清宮は2千年以上の歴史があり、典型的な宋代の建築と庭園様式を成しています。また道家は植物をある種の重要な意味合いを持つものとして重要視し、この太清宮にも国内では珍しい植物や、亜熱帯特有の

植物が繁茂しています。

太清宮景区は、市内から東へ30km、車で約1時間のところに位置し、青島観光の定番の一つとなっています。 景区は宝珠山の7つの峰に囲まれています。宝珠山の主峰は「老君峰」と呼ばれ、その左手には「桃園峰」「望海峰」「東華峰」、右手には「重陽峰」「蟠桃峰」「西王峰」が連なります。

 南は太清湾と呼ばれる海に面していることから、海からの湿気を含んだ暖かい空気の影響で、亜熱帯的な環境下にあり、そのためこの地域は「労山小江南」とも呼ばれています。このような地形は古来から風水学的に絶好の場所であるとされ、ここに道教発祥の地が造られた所以でもあるのです。

 太清湾は、現在は遊覧船の発着場やアトラクション施設が造られていますが、ドイツ占領時代には青島市内から船でやってきてこの湾から上陸し、太清宮を観光するのが一般的だったようです。

 海に面して建立された太清宮は2千年以上の歴史があり、典型的な宋代の建築と庭園様式を成しています。また道家は植物をある種の重要な意味合いを持つものとして重要視し、この太清宮にも国内では珍しい植物や、亜熱帯特有の植物が繁茂しています。

太清宮は3万平方米の面積を占め、建築面積は2500平方米、三官殿,三清殿,三皇殿が主体となっています。このうち三官殿は、天官、地官、水官の三つから構成される「三進殿」の様式で建てられ、周囲は樹齢1000年を超える樹木で囲まれています。

 太清宮は市内からは車で約1時間、院内の観光に約1時間かかります。午前中は青島市内観光、昼食をとり、午後からは太清宮観光のように組み合わせて計画するとよいと思います。

太平宮景区

 太平宮は労山の東岸にあります。青島から車で約1時間30分。ここに到着するまでは、西欧風の青島市街とは違った、岩山、紺碧の海、点在する漁村などの風景を楽しむことができます。

 太平宮の麓へ着いたら、ロープウェイか徒歩で上へ上へと登っていきましょう。この太平宮は、太清宮や上清宮と同じく道教の道場として、太平興国年間に建立されたものです。

この太平宮の近くには「綿羊石」「獅子峰」など奇岩、奇峰が点在し、またロープウェイからは崖に書かれた真っ赤な文字「天下第一寿」を見ることができます。

北九水景区

 九水は、労山中部を流れる川の名前で、この流域では一番長い河川です。源泉は労山頂上にあります。頂上の巨岩には「源泉」の2

文字が刻まれ、この岩の下から清泉が湧出しているのです。

 九水は南と北の2つに分かれます。柳樹台以南を南九水、以北を北九水と呼び、北九水はさらに内と外に分かれています。この川には所々に水をたたえている深みがあり、下流から上流に向かって一水から九水まで名前が付けられています(「○水」というのは水が集まって池のようになったところ。頂上まで九つの池があるので九水といいます)。

川には沢に沿って遊歩道が整備され、約1時間30分ほどかけて一水から九水まで沢登りを楽しめます。遊歩道沿いには所々に売店があり、お菓子、飲料水、みやげ物がならびます。九水にたどりついたら、ホースから山水が流れ出ているので、どうぞ遠慮なく(生水だと怖がらずに)飲んでみて下さい。

 外国で生水を飲むのは少し勇気が要りますが、ここの水は天然の鉱泉水で、安心して飲むことができます。

雨 林 谷

 小学生向けの小さなテーマパークです。石老人から東に来るまで約5分の労山路沿いに位置します。山の中に突然巨大な恐竜の模型が姿を現します。入場料は大人1名30元。

 園内には大きな三角形の温室がつくられ、熱帯雨林を模したジャングル仕立てとなっています。さほど大きくはありませんが滝もあります。

雨林谷の目玉商品は「虎」。室内外で虎が飼育され、小さな虎の赤ちゃんが3匹誕生して新聞を賑わしたのもこの雨林谷でした。虎は有料にて記念撮影ができるようです。

 孔雀が放し飼いにされ、記念撮影の格好の対象となっていました。また野外ステージでは、かわいい小鳥たちのショーが開催され、多くの小学生たちで賑わっていました。

この施設はさほど大きくはありません。2時間もあれば十分に楽しめると思います。石老人の他のお子様向け施設とセットにして遊びに来るとよいでしょう。

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