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日语专八作文

1.「日本人、日本語および日本文化」

日本に来る前に、日本人はとても謙虚で親切だと聞いたことがあります。でも、日本人と接触したことがないので、それは本当かどうか知りませんでした。こんなことがあるまでは。

これは、日本に来たばかりの頃のある日のことです。学校から家に自転車に乗って帰る途中でお腹がすきました。コンビニでおにぎりを買おうと思って鍵をかけないままでコンビニに入りました。戻ってきたら、何と!自転車がなくなってしまいました。「たしかに、ここに置いたのに、どうしてないの?もしかして邪魔したから、誰かに移動されたかな!」そう考えて。まわりをちゃんと探しましたが、見つけられませんでした。私の自転車が盗まれた。やっとわかりました。その時、どうすればいいのかわからず、一ヶ月前に1万円で買った自転車がなくなったままなら、どうしようと気があせって、悲しくて、涙が流れ出ました。

近くで私の変な様子をずっと見ているおばあさんがいました。おばあさんは私に声を掛けました。「どうしたの?」とおばあさんが言いました。私は「自転車がなくなりました。」と言いました。「警察に行ったほうがいいよ!」とおばあさんが言いました。「警察はどこにありますか?」おばあさんは親切に私に教えてくれました。「まっすぐ行って道路の右側、新井薬師前駅の近くに交番があるよ!」と言いました。でも、その時、私は日本語が下手でぜんぜんわかりませんでした。わからない顔をしている私を見ておばあさんは警察に私を連れて行ってくれました。行く途中で、いろいろな話をしました。自分の涙がいつの間に、止まったのはもう気がつきませんでした。いまでも、優しいおばあさんの声と顔を覚えています。私が困った時に、やさしくしてもらって本当にありがとうございました。

今は、日本に来てもう1年になりました。日本滞在が長くなると、日本人だけではなく、日本語と日本文化も大好きになりました。日本語を勉強すれば勉強するほど、日本語の男の子の言葉と女の子の言葉の区別がはっきりしているような言葉が、もっとないだろうか、と思うことがあります。また、日本人が敬語と謙譲語が一番よく使っているので、日本人の性格は謙虚で親切だと思います。日本人の特質の親切で穏やかな性格は、花見、温泉、作動、華道など、日本文化の中にもよく表れています。(中国女性)

2.「将来の夢」

.皆さん、日本へ来た自分の夢を持っていますか。将来、一番やりたいことはなんでしょうか。将来どんな人になりたいですか。私たちは日本に住んで、そろそろ1年になります。この1年間にいろいろな人と知り合ったり、友達を作ったりして、一人一人の願望、夢、考え方はぜんぜん違います。ある人はお金は第一で、ほかのことはお金ほど大切じゃない。だから、毎日バ?トをしてばかりで、勉強をしない。また、ある人はいつも自分の目標を持って、一生懸命勉強します。毎日充実した生活を過ごします。みなさんはどんな人に属しますか。私は日本へ来るまえからずっとある夢を持っています。ですから、今、この私の夢を皆さんに告白します。

私は日本へ来たばかりのときから、ずっとバ?トをしながら勉強しています。こんな生活、今まで皆さんと同じでぜんぜんかわっていません。でも、私にとって何が必要か、よくわかっています。今、自分にとって勉強が一番大切なものです。

今年はみんな必ず進学します。私も大学に入るつもりです。経済、証券について勉強するつもりです。私は国にいた時から、経済が大好きでした。なかでも証券にいちばん興味があります。以前、私の父はエンジニ?でしたが、仕事を辞めてからずっと証券をしています。毎日、父と一緒に株価を分析して、考えて、悩んで本当に楽しかったです。株価の数が上がったり、下がったり、私もときどき興奮したり、時々いやになったりもしました。証券の奥の深さを実感しました。だから、進学のために、証券のために、今から本当に一生懸命勉強しなければなりません。日本語は一番大切です。もし、勉強しないと、理想の大学の合格の知らせを手に入れるのは無理です。

合格したら、大学の4年間、うまく時間を利用して知識を身につけたいです。卒業後は国へ帰ります。そして、証券会社に勤めたいです。自分の努力を通して、才能を十分に発揮して、奇抜な証券家になりたいです。でも、これだけではなく、仕事をしながら貯金して、結婚します。将来自分の子供の成長と将来のためにもっとがんばりたいです。自分の苦労を自分の子供に、もう一回経験させるわけにはいかないからです。家族3人、どこでもいつでも一緒に幸せな一生を送ります。(中国女性)

これは私の将来の夢です。どうですか?皆さん、どんな夢を抱いていますか。いままで、どう考えてきましたか。夢は実現しましたか。

3.「日本人から何を勉強したか」

わたしは去年4月に日本に来ました。1年間ぐらい日本に住んでいますからいろいろなことを勉強しました。日本語のほかに、日本人の精神と1年間で日本人の仕事に対する態度を勉強しました。今は、その例について、3つのことについて話そうと思います。

私が?ルバ?トしているスーパーに私と日本人が3人います。Nさんという人が毎日一生懸命に仕事をやっています。日本人の習慣であるかどうか、わかりませんが、毎日仕事が終わる時間は5時なのに、Nさんだけ7時ぐらいまで働いて、その2時間は無料です。このようなことは中国ではぜんぜんありません。無料で残業するなんて理解できないかもしれません。でも、もしかしたら、中国人が日本人のように仕事をしたら、各方面で発展の速度が速くなると思います。

次に、日本の警察について話します。私は法律を守って生活していますが、時々、警察に検査されます。原因は私がいつも自転車の電気をつけないからです。警察は検査をする時、態度がやさしいです。私の自転車の登録番号を聞いて、自転車の所有者かどうか確かめます。時々、私は中国の警察と日本の警察と比較して、ぜんぜん違うと思います。日本の警察はいつも自転車に乗って、酔った人とか外国人とか熱心に注意しています。時々、交番の前に犬をつないでいます。私はこれはおかしいと思いますが、実際はこの犬は主人を待っていて、警察はこれを許可しています。

もうひとつ日本の警察が親切だと思ったことがあります。私は池袋駅に自転車を置いていたとき、警察が「お兄さん、気をつけてね!自転車に鍵をかけなければ、だめだよ」と言いました。警察官の笑顔を見て、私の心は熱くなりました。私が外国人なのに、関心を持ってくれたことに感激したのです。もしこんなことを中国の警察が言う場合、もっと威厳がある言い方で、注意します。

また、日本の警察はまじめです。沼袋の電車の踏み切りに警察官が2人いました。オートバ?を検査していたのです。ときどき、トランシーバーでしていました。どうも、事件があったらしいです。あとで、黒いオートバ?が来て警察が検査しようと思ったとき、オートバ?は突然加速して逃げたのです。1人の警察官が飛びついて、泥棒とオートバ?と警察官はいっしょに倒れました。泥棒が逮捕されました。私は目の前で突然発生した事に驚いて呆然としました。日本の警察はやさしい人もいるし、威厳がある人もいるし、このまじめな精神を勉強しようと思ったのです。

あと、日本人の他の特徴は文句を言わないし、顔に出さないことだと思います。ずっと笑顔を見せています。日本人の我慢強い性格に敬服させられます。「敬服する」というのはつまり「尊敬の気持ちを持って感心する」という意味です。私のもう1つの?ルバ?トはチラシ配布です。いつも駅の出口で配布するとき、昼間会社に通っている人が大勢います。あるとき、私に向かって「じゃま!」といって私にぶつかってきた人がいました。私はとても怒りました。私の笑顔がすぐ消えました。でも、時々、先輩の所を見ていると、先輩もときどき「じゃま」にされて、ぶつけられていました。それでも笑顔を消さずにずっと保持していたのです。私は敬服しています。勉強しました。今、わたしは笑顔をずっと保持していて、ぶつかられても我慢することも勉強しています。

日本人の長所はいろいろあります。でも、勤勉な精神とか、まじめな仕事に対する態度とか我慢強い性格は私を敬服させています。だから、皆さんも、日本で日本語と日本人の仕事への真面目な態度と我慢強い性格を勉強しましょう。

ご清聴ありがとうございました。

4.「日本の教育」

私の出身地韓国と日本は同じ?ジ?の国で最も隣接した国である。しかし、両国は経済のみならず文化、歴史的にかなりの違いがある。そのため、来日してから印象に残っていることが多い。その中でも一番印象的なのは、日本の教育である。

日本は戦後、破壊された経済を短気に驚異的に復帰させることに成功した。この成功の秘密の一つは日本の教育システムだと思っている。みんな平等に教育を受け、日本の発展のためにがんばってきた。しかし、今になって日本の教育システムが議論の種になっている。

日本の学校ではいじめは深刻な問題である。学校でのいじめはどこの国でも珍しくないが、日本は独特の問題を抱えている。それは、いじめにより子供達が自殺することである。韓国では、いじめから逃げるため、自殺を選ぶ生徒はない。いじめ、自殺という問題は、日本の教育システムと日本の社会が生んだ問題ではないだろうか。つまり、受験重視の教育とあまりコミュニケーションのない親子関係が原因の一つかもしれない。

もう一つの問題は理由なき投稿拒否である。学校に行きたくても貧困のため、学校に通えない子供達が大勢いる世界の国々を考えてみると、全くの贅沢な問題に見えてしょうがない。

また、日本の大学における教育は世界的にみると、かなり低いレベルにあると言われている。学生たちは、今まで受験競争で苦しめられたため、大学は四年間のレジャーランドであると考えている人が少なくない。授業に参加しなくても単位をとることができ、誰でも卒業できる。これはまったく韓国と同じであるといえる。

教育の問題を解決しなければ日本の将来が危うくなっていくと思う。日本の教育の長所であった平等主義はもはや時代遅れだと思う。才能のある学生も他の学生と合わせなければならないのは、理解できない。

国の教育がその国の経済にも直接つながっている。戦後改善された日本の教育によって戦後の日本経済が回復されたと言える。しかし、21世紀型の経済には戦後型の教育ではとても対応できない。このままこの問題を放置すれば、世界における日本の地位が低下していくおそれがある。教えるだけの教育から考えさせる教育になってほしい。

5.「中国の西双版納の抜水節について」

西双版納は中国の雲南省に位置している景色がいい観光地である。人を魅惑する熱帯森林、植物、自然景観などは、毎年多くの旅人を招いている。環境もそうだが、それよりそこで毎年一回開く祭り「抜水節」がもっと多くの旅人を招いている。「抜水節」の意味は、水を注ぐ祭りだそうだ。だったらこれはいったいなんの祭りだろうか。

西双版納に住んでいるのは、中国の少数民族だ。もちろん祭りの日になったら、男女たちがきれいな少数民族の衣装を着て、踊りながら祭りを楽しんでいる。話によると、昔、そこの生活習慣が厳しくて、若い男と女が普通に話すことができなかったそうだ。でも話すこともできなかった若い男と女達が祭りの日になったら、相手に自由に自分の愛情を表すことができるのだそうだ。一年も待って、好きな相手がみつかったら、祭りの日、盆に水を入れ、相手の体に注ぐ。もし相手から同じように水を注いでもらうと、それはお互いに好きですよ、の意味になって、二人がデートをするんだそうだ。そして、結婚までいく。でも、相手に水を注いでも何の反応もなかったら、そこでやめるしかないそうだ。その時は仕方なく他の人に水を注ぐ。ずっと、お互いに好きな人が見つかるまで。

こんな美しい話の伝わる伝統の祭りだからこそ、毎年人気がある。もちろん旅人も参加してもいいそうだ。旅人もその日、自分の好きな人が見つかったら、一生懸命何回も相手に水を注ぐ。それで相手から水を注いでもらったら、また、一つの美しい話ができる。

もし、みんなもチャンスがあったら、ぜひこちらに来て楽しんでね

6.「私の第二のふるさと、大連」

日本の皆様に紹介したい自分の国のことは、数え切れないほど多い。その中で、一番取り上げたいのは大連である。何故かというと大連の近年の成長は中国経済発展の成功の一例として皆に知ってほしい。そして、中国に対してより一層の理解をしてほしい。

大連は中国の東北部に位置している港の都市である。恵まれたよい天然の地理的条件のおかげで、80年代開放都市として経済が発展し始めた。1994年に私が初めて大連へ行った時、大連はまだ少年だった。大規模な基盤整備が建設中で、市民の資質もそれほど高くなかった。その後、1999年までずっと大連で勉強、仕事をしていたが、この五年間、大連の著しい発展のプロセスを自分の目で見つめて来て、感動、賛嘆、誇りに思う気持ちが心から溢れている。

経済が発展する一方で、都市の環境建設の成功が最も賛嘆に足る所だと私は思う。緑に囲まれている街、広い芝生、鳩の群れ、絵のように美しい公園。特に特色ある数多い広場は、市民の夜の生活の場所になっている。夜の幕が降りると、華やかな夜景の中で、家族連れ、恋人達、老人も、若者も、子供も、皆が近くの広場に集まって、踊ったり、スポーツしたり、散歩したり、外国語で交流したりして、特有の広場文化が形成された。市民の素質も次第に高まった。いつの間にか、外郷人の私は、このような活発で、生き生きとした都市の雰囲気の中に溶け込んで、生命力、向上力が感じられて来た。

先月、一年ぶりに大連に帰った。飛行機を降りた瞬間、活力、生命力が漂っている空気を身のまわりに感じた。たった一年で、大連はまた大変化を見せてくれた。一年前に比べて、都市の性格はもっと輪郭が明らかになって、「ああ、今の大連は青年期を迎えて来たな」と思われた。

大連のような都市は、今の中国で少なくない。だから、生命力、活力、暖かい人情を味わいたければ、大連へ行こう、中国へ行こう。そこで人生の動力と向上力が探せると思う。それにそこの人民の親切、誠実、善良、および人々の頑張る気持ちが、きっとあなたの心を暖かくさせてくれると私は信じている。

7.「みんなに紹介したい私の国の本」

いつかテレビで「韓国と言ったら何を思い出しますか」と言う質問に、ほとんどの人が「焼き肉」「キムチ」などと答えるのを見たことがある。五千年の歴史を持っている韓国の?メージが、たった二つの食べ物に象徴されるのを見て、なんとなく悲しくなった。

本当にそれ以外自慢するものを韓国は持ってないかしらと思いながら、少しでも?メージチェンジに役に立つことを願って、一冊の本を紹介しよう。

「私の文化遺産踏査記」と言うタ?トルのこの本は、韓国のあちこちを著者が直接足で歩きながら自分が見て感じたことを短いエピソード形式で書いたものである。ある地方にどんな時代の文化遺産が残っているか、著者はそこで何を感じたのかを考えながら読むと、読む人もその場所に行きたくなる本である。

韓国に関心を持っている人だったら、直接その場に行って韓国の文化遺産に接することもいいと思う。私もその本に書かれている場所全部ではないが、何カ所か行ったことがある。そこで知らない人に道をきくため声をかけたり、わざわざゆっくり歩いて行ったりして目的地に到着したら、その本に書いてあった、自分の主人を待っている犬がまだいるのを見て嬉しく思ったことがある。きっと著者が感じたことが私が感じたことと同じだろうと思ったら、心が豊かになる気分だった。

そんなに固い文章ではなく、軽いエッセ?を読む感じの本なので、一度は読んでみることをお勧めする。そうすると韓国に関して前と違う?メージを持つことができるかも。

8.「私のふるさと」

私のふるさと、延辺は中国の東北部に位置している都市です。小さな都市とはいえ、国では多少有名です。その理由はいくつかあるが、代表的なものだけ紹介したいと思います。まず私が一番誇りに思うのは、サッカーチームです。こう言ったら全国で優勝でもしたかと思いがちですが、そうでもないのです。ただ、全国リーグに参加できる12チームのなかに入っているだけです。でも、誇りに思う特別な思いは、メンバーほとんどが朝鮮族で形成されているからです。中国には55の少数民族があります。その中で自分のチームを組んで全国大会(日本のJリーグに相当)に参加できるのは、延辺チームだけなのです。全国最強の12チームの中で生き残っているだけでも難しいが、それも強豪を脅かす存在なのです。すごいと思いませんか。

私の大好きなサッカーなので、つい話題に乗ってしまったが、延辺はそればかりではありません。毎年大勢の観光客が訪れる「長白山」(白頭山とも呼ぶ)も、一つの見所です。長白山から落ちてくる滝を眺めながら階段を上って、上の「天池」と言う所まで着いた時、その景色のすばらしさには「すごい!」という言葉しか出ないほどです。水の色は本当の青色で、向こうの山との調和はまるで絵の具でわざと作り出したようにきれいです。また、下山して下の温泉でゆでた卵を食べたら、もう気分は最高です。こんな感動を味わうために、海外からも客が絶えません。私は長白山を訪れるために、ほぼ一、二年おきに日本から中国へ渡る日本人にも会ったことがあります。その客たちは退職した大学の教授でした。皆さんも時間に余裕があったら、一回行ってみてはいかがでしょう。

以上は昔から知られていたことだけど、最近国内だけでなく、世界組織の注目も浴びている、通称「黄金三角地帯」も延辺に属している地域です。黄金三角地帯といったら麻薬と何か関係があるのではないかと思うかもしれないが、これは地理的条件が原因で名付けられたものです。具体的に言えば琿春という都市は中国、ロシ?、朝鮮三カ国を結ぶ隣接地であることです。だから、近年この地理的に有利な条件を利用して貿易を発展させるために、この地域の開発が始まりました。私のふるさとは大都市と比べるとまだまだ豊かだとは言えないが、持っている自然財産、つまり、大自然の美しさ、民族の調和で生み出された独特な文化、地理的条件を利用して、これからの発展を図っています。これからも注目されていくと思います。皆さんも一回行って感じてみたらいかがでしょうか。

8.「技術の進歩と幸せ」

台湾で、ある大金持ちが、最先端技術を備えた豪邸を買いました。すべての設備は非常にすぐれたメ?ンコンピューターに制御されており、網膜チェックのセキュリテ?ーシステム、百を越える監視カメラ、全自動化した電化製品、炊事や洗濯はおろか、電気をつけたり消したりする必要もありません。何か買おうと思ったら、手元のコンピュータに注文すれば、肉や魚でも、本や雑誌でも、ブランド品でも高級車でも、宅配が届けに来てくれます。そこで支払いをする必要もありません。注文したとたんに、すでにメ?ンコンピュータが口座から振り込みですましたからです。これならスーパーや本屋をはじめ、まず買い物に行く必要はありません。

したがって、いろんな人との接触もしなくてすむのです。更にその豪邸のある部屋では、ハワ?でもロンドンでも、行く先さえ設定すれば、メ?ンコンピュータで、?ンターネットから資料をおろし、室内で360度で模擬再生し、風景のみならず、日差しや温度や風の肌触りまで作り上げるのです。機嫌がよければエベレストのてっぺんで日の出をながめて、それから世界一周の旅行をして、夜はパリで豪華な夕食を楽しむ。あ、もちろん実際に行くのではなく、このハ?テクの模擬室が作り上げてくれるのです。パリでの夕食も、模擬した街の風景に合わせて食事をコンピュータに注文すればいい。座って少々指さえ動かせば、何でもできてしまい、もはや生涯のほとんどを家から一歩も出ずに過ごせるのです。正に「不出門而能知天下事」と言う中国のことわざのように。

でも、この夢のような生活の中に、何か欠けている物を皆様は感じませんか。夕暮れにつつまれて買い物に行く時、街で近所の人と出くわして、にぎやかに話し合う。そして家で夕食をつくり、テレビを見ながらのんびり食べる。掃除や洗濯をすました時のすっきりした感じ。雨に打たれて、やっと手に入れた本を濡れないように抱えて家路を急ぐ。これらの日常の幸せを、この大金持ちはどのぐらいおぼえているのでしょうか。

私は中国の天津に生まれました。幼いころの印象にかなり残ったのは、毎年の旧正月です。そろそろ年が暮れると、町中老若男女を問わず、みんなうれしそうにはりきって新年の準備を始めます。子供はお年玉と新しい洋服を着るのを楽しみにして、正月一日には珍しく鳥や豚の料理を食べます。その時の喜びを今でもはっきり覚えています。しかし、時代が進み、技術がどんどん発展するにつれて、年中いつでも鳥や豚を食べられるようになってからは、新年を迎える喜びは、だんだんうすれている様な気がします。

あの大金持ちが平凡なことを忘れたのと同じように、今の我々も何かを忘れつつあるのではないでしょうか。発達した技術や便利になった生活に、昔あった幸せや喜びを奪われつつあるのではないでしょうか。

技術が進歩したとか、時代が発展するとかで、必ず幸せになれるわけではありません。気をつけないと、握っていた幸せが、知らぬ間に指のすきまから、こっそりもれてしまうのです。もちろん、それで技術や進歩に歯止めをかけるつもりではありません。ただ、人が幸せになるには、もっと大切な事があるのだと思うのです。人によって、それは違いがあるかもしれませんが、どんなに時代が発展しても、いくら技術が進歩しても、それだけはけっして忘れてはいけないものです。

9.「日本人よ、外に出ましょう」

皆さんこんにちは。皆さんは人から「外人」と呼ばれた時、どう思われますか。「外人」と言う言葉の漢字を初めて習った時、私はとても驚きました。「外人」を漢字では「外の」人と書くからです。

「外の」人とは、どういうことなのでしょうか。私は最初それを「宇宙人」のことと思ってしまいました。今回は留学生として日本に来て、もうそろそろ十ヶ月になりますが、六年ぐらい前、初めて日本の地を踏んだ時は新しい世界で、私はとても不安でした。

どの電車に乗ればいいのか全くわかりませんでしたし、日本語がよく話せませんでした。仕方なく英語で日本人に話しかけると、ある人は"I don't know,I don't know."と言って、逃げてしまいました。彼はきっと、外国人に話しかけられて、困ったなあと思ったのかもしれません。でも、何も助けてもらえなくて、本当に困ったのは私なのです。

私が日本人に逃げられたのは、この時が初めてではありません。?ルバ?トをしている時のお客様や、買い物に行った時の店員も、私が外国人だとわかると、皆顔をしかめて逃げたいような様子で、まるで宇宙人を相手にしているかのようなのです。私が外国人でいることが、そんなに悪いことなのでしょうか。

日本にいる外国人はとても日本語が上手でも、また、何年日本に住んでいても、周りの人に外人と呼ばれてしまいます。外人はいつまでたっても日本人にとって「外の」人なのです。

ではなぜそうなのでしょうか。外国人は日本の習慣や物の見方は、あまりよく分かりません。話し方も日本人とは違うのです。正しい方法を日本人がきちんと私達に教えてくれないからではないでしょうか。外国人は、日本のことを知ろうとする時、日本人はそれに対して、きちんと教えてくれて、外国人からも新しい見方を教わる。このような対等の関係というのは、人と人とのふれあいの基本だと思いませんか。

言葉が通じないから話をしたくないとか、あるいは、外国人にはいろいろな面倒があるから自分がかかわりたくないと言って、逃げていってしまっているのでは、外国人はいつまでたっても「外の」人のままなのです。

日本は周りが海に囲まれている島国なので、昔から外国の人々と距離を置いて暮らしてきました。また、日本には一つの民族しかないと言う意識が、どこかにあるのかもしれません。しかし、現在日本に滞在している外国人の数は、およそ300万人ともいわれています。もう、日本という国は、日本人だけのものではないのです。

現在の日本は、外国からの新しい技術やシステム等を、どんどん取り込んで発展してきました。言葉の面でも、外来語のように、ほとんど日本人の生活の一部になっているものもあります。

私は日本と言う国は、自分の家のド?や窓を全部閉め切って、テレビを見て外の世界を知ろうとする人々の国のように思います。それは、もうやめましょう。自分の家の中に人を招き入れて、自分が外に出て、人と付き合うことは大切なことです。それに家でずっとテレビを見ているのでは、退屈してしまうのではないでしょうか。

さあ、日本人よ、外に出ましょう!

本日は、ご清聴、ありがとうございます。

10.「JAPANIMATION(日本の?ニメーション)とニッポン」

欧米の子供達の目を奪いつつある日本の?ニメ、ポケットモンスター。国内では一時刺激的な映像のため問題にもなったことがあったが、今でも子供の一番人気のあるキャラクターがピカチューであることは確かだ。

実は日本の?ニメが世界に広がって、特に今時の若者に?ピールしているのは、ここ最近のことではない。自分でさえいわばJAPANEMA TIONに引かれて日本語の勉強を始めたくらいだけど、まさに1980年代から2000年にわたって、日本の文化として実質的影響力を持っているのはマンガではないかと感じられる。

私が日本のマンガ、特に?ニメーションにこだわって興味深く見ているのは、今までの「日本」と言う国の?メージと相当違っているところをその中に見いだせるためだ。

多分韓国だけではないと思うけど、日本と言えば国粋的で官僚的雰囲気が支配的だという印象が強い。その上よりはげしい競争をあおる経済大国、恵まれた先進国と言う固定観念を持っている。

しかしこう印象づけられた日本が、?ニメーションの中では変化している。自ら一等志向、官僚主義、科学技術への固い信念から抜け出すように新しい思想を続々と見せているのだ。ところでそういう考えが既成社会への不満を持ち続けた世界あちこちの若者の共感を呼んだわけだ。でもここどとどまらないで、日本の文化、たとえば武士精神や伝統的美意識等が画面を通して世界へ繰り広げられているのが、もっともっと注目すべきではないか。

私は日本の一断面をJAPANEMATIONを通して見ようとした。そこには今まで私が育って来た世界と別世界ではない同じ感受性を持っている日本があり、違和感まであった日本の精神や文化にだんだん慣れていく私がいた。これからも変わっていく日本の社会や意識に?ニメーションを持って?クセスしたい。

11.「日本のテレビ番組と青少年の成長」

日本に着いたばかりの時、日本の娯楽番組がおもしろいと言う話を聞いた。テレビをつけると確かにいい番組がある一方、あまりにも退屈な番組も少なくないと感じられた。自分の鑑賞力に問題があるのではないかと疑ったこともあったが、周りの外国人に聞いたところが、だいたい同感だった。

番組の中で、ほぼ裸になっている男たちがよく出る。別にたくましい体ではないのに、なぜ露出しなければならないのか、とても不思議だった。露出欲が強い民族だなあという?メージに受け止められた。チャンネルが変わると、若い女性たちが自分の私生活を堂々と語っている。その変わりに商品券がプレゼントとして手に入った。性に対する開放度は確かに国によって違うが、ここまで来たとは、中国人の私はどうしても納得できない。?メリカも性開放国だけど、与えてくれた雰囲気がなんか違うと感じた。また小学生や中学生の恋愛を励ます番組を見て、もっと驚いた。

主なメデ??手段のテレビは、民衆に対する影響力が他のメデ??より更に大きいだろう。前述のような番組が人生観、価値観がまだ成熟していない青少年にどんな影響を与えているか。青少年がいったいその中から何を教えられるか。現在、日本の青少年犯罪がどんどん増えて来た原因は、テレビ番組にその一因があるのではないか。

日本の番組にひきかえ、中国の方が国からいろいろな制約を受けるので、青少年に悪影響を与える番組はあまりないと思う。もちろん、日本のように政府に対する監督の役目はあまり果たせないが、青少年に対する影響の面から見れば、中国の方がましだと私は思う。

「青少年犯罪が社会問題になっている」と日本政府から国民に至るまで皆が大騒ぎしている。それを抑えるために新しい法令も出した。でも、それではなかなか足りないだろう。教育システムから教師の素質、親の子育ておよび社会環境まで、隅から隅までチェックしなければならないと思う。その中には、テレビ番組の制作者たちも、青少年の健康的な成長のために、いろいろ考えてほしい。

12.「私の異文化体験2」

56の民族で形成された中国は、多様な文化に恵まれている。そんな中で、私は少数民族(朝鮮族)として、多数を占めている「本当」の中国人との接触を通じ、もう異文化には触れていた。しかし、日本に来てまた新しい異文化との接触なのだ。なぜならば、中国は長い歴史の中で異文化と言う境界線がだんだん薄くなって来て、異文化らしくなくなったからだ。

新たな環境の中で、私はいろいろな相違点に気づいた。まず、外国人に対する受け入れの面で、日本は単一民族のせいか、私の国に比べると、あまり寛容ではないと思う。従って、偏見もあると思う。最近、日本では外国人による犯罪が増えている。だからといって、何でも外国人を疑うことはないのではないか。

先週の日曜日、バ?ト先でお金が盗まれた。私は何かひっかかった人がいたので、店長に言ったら、店長の口から始めて出た言葉が「外国人?」だった。何で物事に対して、曖昧な言い方をするのに有名な日本人が、こんな問題に対しては何の根拠もなく露骨に外国人を疑うのだうろ。私にとってはどうしても納得できないのだ。

たぶん、人はいいものより悪い方がもっと印象に残るくせがあるかもしれない。実はよく考えてみると、自分が(日本に)慣れてからは、そのいい面が見えなくなるのだ。

日本と私の国を比べると一番感じたのは、国民全体の素質だ。小さな場面で見ても、電車を待つ時、三列に並んで待つ。国ではなかなか見られない光景だ。また、ゴミの面で、日本は本当にきれいだ。これも人々の意識が一定のレベルまで到達したからこそ実現できるのだ。細かい問題に見えるが実は、大きい問題も細かさから大きく発展するのだから、軽視できないのだ。

中国も日本同様の発展を果たすためには、まだまだ勉強しなければならない問題がたくさんある。そのためにはいろんな異文化を体験して、その中から優劣を区分して、いい面を受けいれ、悪い面を捨てるのが近道になるのではないだろうか。

13.「私の異文化体験」

日本に来て一年に近い私は、思いがけないくらい様々な出来事にめぐりあいました。まだ留学生にならない就学生の私、学校に通わない時間には寿司屋で?ルバ?トをしています。これは学生時代にバ?トをした経験がなかった私にとって、初めてのバ?トとも言えるでしょう。

日本について何もかもわからない私は、夏学期授業中に先生に日本の各地の花火大会を教えてもらい、バ?ト先でそういう話をしたのがきっかけで、マネージャーの家の近くに花火を見に連れて行ってもらいました。

日本の夏と言えば、花火です。大人だけではなく、子供まで皆浴衣を着て、うちわを持って、芝生に座って花火を打ち上げる時間を待ちます。言うまでもなく屋台も周りに長蛇の列が並んでいます。食べたり飲んだりして、だんだん人もいっぱいになって、空も暗くなって来ました。

いよいよ花火が打ち上げられて、目の前に大きいのとか小さいのとか続々と夜空に輝きます。一発一発の花火はその町の商店から金額によって提供されたものです。大きければ大きいほど、もっとお金がかかるということです。どんな時、どのような花火を打ち上げるか書いてある予定表も、一軒、一軒、町の家に届いて、花火が咲いた裏にこのようなことがあるのが分かって来ました。そばに座った見も知らぬ人と、花火の姿を評価し、一斉にすばらしいやらきれいやら声を出して、町の人々に溶け込んで、うれしいとしみじみ感じました。

台湾は日本のように特定の時期に花火を打ち上げることはありません。昔お正月を祝うために線香花火などのような花火をしましたけれど、今は安全のため禁止されました。ですから、花火を見たことは、非常にいい思い出になりました。

14.「日本の若者への忠告」

日本と言えば経済大国。米国の次である。これは誰も分かる事実だ。国の大きさと言えば我が国、中国の三十分の一。だがGDPは中国の何倍もあり、自信を持っている国だ。だからこそ、我々は日本のすばらしさを習う為にこの国へ来たのである。

私が日本へ来たのは一年半前。日本の隅々まで分かる、と言うにはずいぶん不足である。でも今まででもっともわからないのは、日本の一部の若者たち。同じ若者たちなのになぜ分からないのか、これも国の差であろうかと思うが、なんとなく今の若者に心配もある。もちろん外国人としてこんな心配をすることはないが、ここで自分の見解を述べたい。

先月、私はテレビ番組を見た。それは今、渋谷で遊んでいる若者たちに「日本の首都はどこにありますか」と聞いたら、その中で答えがまちがった人が何人もいて、驚いた。回答がいろいろあったが、おもしろいのは「新宿です」「渋谷です」と答えた人が何人かいて、なんかすごく私を驚かせた。自分は今首都に住んでいるのに、なぜ…。それで彼らの最終学歴を追跡してみたら、表面的には全部高校、あるいは専門学校生もあった。家に行ってみても、本棚にちゃんと本が並べてあり、きれいな部屋を持っていた。でももっとおかしいと思ったのは、こんな人たちが恥もなく自分を弁明したことであった。もし中国でこんな学生がいたら、それがどのぐらい恥か、想像も出来ない程度だ。でも日本の若者はこれが恥だと思えないのだ。

世界の国民の教育水準レベルを見ると、多分日本は上であると思う。日本にこんな高い知識を持っている人がたくさんあったからこそ、今の現代日本があるのではないか。もちろん私たちも日本にこんな若者は少ないと思うが、なんとなく日本の国民も自分の国の教育制度について一度考えてみて欲しい。量より質に関心を持ったほうがいいのではないかと思う。

15.「日本の自然と生活について」

日本は小さな島国であり、昔から地震の多い国である。このせいで超高層も建てられないし、部屋も木造が多いし、また小さな国であるから部屋も小さくて、外国人からよくうさぎの部屋だと言われる。

でもこんな環境の中で生活しているからこそ、発展しているのじゃないかなとも思える。日本はもともとから資源の少ない国であって、何でも輸入に依存している。こんな環境で人は次々と自然にうち勝たなければならない。これで外の国より先に現代化社会に進んでいたと思う。私は日本に来てそろそろ二年になって、その間あんまりよくないマンションで暮らし、地震のこわさも感じていたけれど、やはり中国には戻りたくない。

それはここでもう一生懸命闘っている日本人の姿に見慣れ、そうすればこそ生きている価値があると感じたからだ。また住んでいる間、日本人の礼儀正しさ、こまやかな性格も気に入ったのだ。始めの時はうるさくて、それしか思えなかった。バ?ト先でもいつもこまかいことで言われ、ほんとうにいやだったが、時間が経つにつれて、もう自ら先頭に立ってそうするようになった。朝のラッシュ?ワーの時も、いくら混んでいてもきちんと並んでいる姿を見ると、やっぱり違う感じがした。

生活の中でただの小さな事であるが、文明社会の印ではないかと私は思う。

16.「日本」

特に中国人にとっては常に聞く国名だ。「日本」、私はそれだけではなく、人とはまた少し違った経験を持っている。

台北にいる祖父母に会う為、七才の私は(大陸から)父母と共に日本へ来た。1983年のことである。東京の中野区で普通の小学校に入り、「外国人」として少しずつ日本語を学び、日本の習慣を知り、日本に近づいていった。国籍や民族の問題でいろいろあったが、確かに違和感はどんどんなくなっていった。そこで台北に行き、また中国人の間で暮らす事になった。その過程で、私はずっと「我是中国人、我愛中国」や「愛国」の様な観念を抱き続けていた。

今年の四月、私は「留学生」の名目で再び東京へ来た。重い荷物を引きずりながら駅に迎えに来た学校の先生と待ち合わせし、疲れながらも懐かしい街の風景で心が一杯になってならなかった。「ああ、また来たんだ!」という気持ちの他に、やはり心のどこかに「あ、また帰って来たんだ!」と言う感じもあったのだと思う。私は日常会話程度の日本語は出来るものだから、それからの生活にあまり不便はなかった。十何年ぶりにもかかわらず、やはり昔と同じ様に、かなり自然に日本人の間で暮らしている部分があると思う。そこで私は思った。十年以上前に別れて、しかもたった三年半の生活経験しかないこの土地に対して、私はいったいどのような取り扱いをしているのか。幼い頃の、外国に対しての懐かしいと言う印象が、なぜこれほども早く、鮮明に、強烈に甦って来たのか。始めの頃は非常に不思議に思えた。

実は中国人とはいえども、台湾の台北市に「帰国」する時は「大陸人」「外省人」として入境し、その社会に入ったのだ。それから天津に「帰り」親戚を訪ねたら、今度はほとんど「台胞」(台湾同胞の略)と叫ばれる。その時期の私は、それを非常に悲しく寂しく感じた。

もちろん、この度も「外国人」として日本に入境した。だがその「外国」に対する定義は以前にも増して難しい。「ああ、留学生さんですか。ええと、どちらの国からいらっしゃったんですか?」と聞かれた時、私は答えに悩んだ。始めは「中国、台湾」と答えたが、「ええ?どっち?」と相手の顔にも混乱した表情が浮かびあがる。さんざん調整した後、「ああ、今回は台湾から来ました。」と言う様に、詳しく説明しないまでも、理屈上事実に反した点はまったく無いように答える事にした。最近はその悩みも捨てて、相手がどう思うにしろ、完全に相手にまかせている。疲れたからではない。前の自分が持っていたそのこだわりがばかばかしく思えてきたのだ。狭義の国籍や民族など、形式上の問題にだけ目を向けていたらいかん。もっと視野を拡大しなければならん。そう言った重要さを覚えた。

私は三つの違った民俗を持つ場所で暮らした事がある。国籍と関係なく、私は一人の人間、一匹の動物として、その三カ所からたくさんの物事を知らぬうちに吸収し、やがてどれに属するとも言えない人間になった。それをどんな語彙を使って形容すればいいのか。

今の私にとって、日本は地域であって、それを国家として見たくはない。もちろん、日本は国として政府を持ち、特有の歴史や文化を送ってきたのが現実で、実際に民族や法律などの問題でも大きく異なる事がある。だがそういった様々な既存の制限、法制の中で、より自由自在に生きたければ、根本的な価値観と自分自身の定位から改める他ないのだ。一人の某国人だけでなく、更に一人の地球人としてすべての人たちに接するしかないのだ。今度の出国は、私にとって非常に重要な意義を持つ。なぜなら今回日本に来て、私は従来閉じていながら開けていたつもりの目を、少し本当に開けることができたからだ。

17.「日本語はどこに?」

私が日本語を勉強しようと思ったのは、大学時代日本語を専攻していた友達の影響を受けたからだ。曲線で丸いひらがなを書いている友だちを見る度に、私はこんなにかわいい字もあるんだ、どんな発音をするんだろうと思いながら、友だちの隣で字をまねして書いたことがある。そうして始めた日本語の勉強はいままで続いている。そしてこれからも勉強したい。

日本語を勉強する時、私は時々腹が立ってしまう。テレビを見たりまわりの日本人と話したりする時、どうして私は今日本語なんか勉強しているんだろうと思わせるからだ。今の日本人、特に若者が使っている日本語は、日本語ではない。ほとんどが外国語、特に英語で成っている。そして言葉もくずれて、外国人の私たちが聞くとき、今何を話しているかわからない。その英語に相当する日本語があるのにもかかわらず、わざわざ英語を使うのはなぜなんだろう。英語を使うのが格好いいから?それは西洋コンプレックスだとしか言えない。もちろん、私の国韓国でも外来語は使っている。しかし、差がある。韓国語を愛する人がまだ多いことだ。日本に来たことがある韓国人はほとんどが同じように感じる。日本では日本語で話すより英語を使った方がいいと言う笑えない話しだ。でもどうして日本語で話そうという人より英語でしゃべる人の方がえらいと思うんだろう。韓国だったら英語でしゃべる人より韓国語を使う外人の方がもっと素晴らしいと思って、もっと親切にしてあげる。そしてこれらかも、もっと多くの人が韓国語を勉強して、韓国語が世界的に愛されることをねがっている人が多いと思う。

自分の国の言葉を持っているのは自慢なことだ。だから自分の国の言葉を守ることはその国の人たちの義務であり、守るためには母国語を愛する精神が必要だ。日本語を愛する日本人に会うのは、日本語を勉強している外人には励ましになる。日本人はみんな自分の国の言葉にもっと自信を持ってもいいですよ。自慢しましょう!

18.「公害と自転車」

日本に来たばかりの時、すごいと言う言葉を私も知らないうちに口から出したことがある。子供から髪の毛が真っ白いおじいさん、おばあさんに至るまで、たくさんの人が自転車に乗って道を走っていたからだ。特に前と後ろに子供まで乗せて走っているおばさんを見た時の驚き。

私は今まで韓国で自転車に乗って道を走ったことがない。それは韓国に住んでいる、特に都市に住んでいる人なら、ほとんどそうだと思う。自転車に乗るためにはわざわざ広場などに行って、運動とか遊びのために乗る人が多い。けっして交通手段ではない。もしソウルの真ん中を自転車で走っている人がいたら、皆一度はその人に目をくれるかも。

ソウルの道を歩く時、私はいつもハンカチ越しに呼吸していた覚えがある。道路を走っている車が原因である。今韓国で車を持ってない人はほとんどない。家は持たなくても車は持つべきだと考えている人が多いからだ。だからいつも道路は渋滞で、約束の時間に遅れても「道が混んで???」と言ういいわけはもう通じない。こんでいるのは当たり前のことだからだ。

韓国の交通問題は最悪である。車がふえることによって公害の被害もどんどん深刻になりつつある。もちろん、車に一緒に乗ったり、車の(ナンバープレートの)一番最後の数字と日付が同じだったら、その日は車は使えない、と言う決まりがあるけど、それだけでは今の事態は解決できない。もっと何か要求される。それは国民自らが問題の深刻さを感じて協力することである。

交通が不便な所に行くとか、急ぐとき、車は本当に便利で役に立つ手段である。しかしその便利さにはまってショッピングなどに行くまで使うのはひどいと思う。みんなが一緒にすんでいる社会では私一人だけは大丈夫だと考えがちだが、そういう甘い思考はなるべく早く捨てた方がいい。環境を保つのは他の人ではなく、私自身だからである。

19.「環境問題」

今日世界の企業は多国籍化している。私は世界的に連帯が進んでいる自動車企業の環境対策と地球の温暖化について、様々な側面から検討してみたいと思う。

自動車企業は他の企業より最も環境に深く関係があることは間違いない。まず自動車企業が温暖化を犯す主たる原因とそれに対する企業の対策を検討してみよう。

第一は自動車から排出される排気ガスである。企業は排気ガスを減らすために生産工程から様々な工夫をしている。最近はこうした環境問題を解決するためにハ?ブリッドカーという新たな自動車を研究しつつあるが、企業の採算性との問題点を生み出しているのが現実である。

第二は自動車の過剰生産が生んだ地球気温上昇である。気温が上昇すれば降水量が多くなって、様々な産業に被害を与える。この問題に関しても政府や企業がすべきことはたくさんあると思うが、まだその具体策は打ち出されていない。いずれにおいても地球温暖化に対しては、重要な問題ではないかと思う。企業としてはとりあえず設計から販売まで環境に対する意識を入れてほしい。採算性に合う企業戦略を企画することと、安くて地球にやさしい製品を生産して多国籍市場に向けて販売する企業戦略が必要である。また消費者の意識転換が必要である。企業がいくら環境を考え、製品を生産して販売しても、コストだけ考える消費者であると失敗するにちがいない。

世界自動車市場はもはや成熟期に入ったと言われている。次に消費者意識の成熟化があってこそ、自動車産業が新たな研究開発に取り組むことができると思う。

規制をかける政府、製品を生産する企業、製品を利用する消費者の三者が一体化してやさしい地球作りに努力しなければならないと思う。

20.「赤信号、皆で渡れば、恐くない」

皆様、こんにちは!今日は本当にいいお天気ですね。この間、「ひより」と言う言葉を習いましたが、今日のようなお天気を「いいひより」と言ったらいいでしょうか。

今月で私が日本へ来て八ヶ月になります。日本に到着して電車の駅を出た時ですね、びっくりしました。外国って、自分の国とはずいぶん違うだろうと思っていたのに、始めに目に入ったのはローソンとマクドナルドでした。それだけじゃなくて、目に入るすべての風景が韓国のソウルのある町と似ていました。違うのは車の走る方向と(逆ですね)えーと、あ、顔の黒い金髪の女の人がとりわけ多いのだけでした。

しかし住んでみるとやはり違うところはありました。文化の違いと言ったらいいでしょうか。ここではその一つのエピソードを皆様に話そうと思います。

ある日、バ?トが終わって家に帰る途中でした。駅からちょっと行くと小さい道路があります。そこに着いたらまだ赤だったので、信号を待っていました。そばを見回すと私以外にも、何人かいました。もちろん反対側にもですね。ところがそのとき、誰か一人が道路を渡り始めました。そうすると、後から皆渡るじゃないですか。まだ赤なのに???。一人で残された私がバカを見た感じでした。

瞬間、ふと国の大学の時、先生から聞いた言葉が浮かんで来ました。「赤信号、皆で渡れば恐くない」もう何年も前のことですが、俳句に関する授業中でした。先生も何の気なしに出したのだと思われますが、なぜかそれに強い印象を受けました。そしてそれがその日の出来事をきっかけにしてよみがえったんです。その日以後も何度か同じことを体験しました。

皆さんには多少耳の痛い話であるかもしれませんが、私にはそれがいわゆる日本人の集団主義を実感させた最初の事件でした。多数の意志が間違った道に向かう時、そしてその力が少数の正しい意志をなくさせる時の危険性は、もう言うまでもないと思います。

誇張が過ぎるんじゃない?と反問する方もいると思われます。確かに日本人は世界中でもルールをよく守ると言われますし???。でも私が注目したのは便乗行動と言う傾向です。少なくともそれらしいことが社会に影響を与えたと思います。もしその場所に子供たちがいたとしましょう。彼らは学校で「正しいことは人に流されないで守るべきだ」と教わります。ところが放課後学校を出て道路の前に立つ時、反対の世界にあうかもしれません。皆様、その子たちは、それをどう受け止めるでしょうか。

もちろん、日本人が皆そうだと言うわけではありません。とんでもないですね。この間、日本人の知人とも話し合いましたが、むしろ彼はそんなことを批判するくらいでした。そして日本へ来て今まで、多くの日本人から受けた手厚い気くばりは忘れられません。私は日本と日本人が好きです。ですから今日のこの場所で何か役に立てることを言いたかったんです。何か私が学校の先生みたいになりましたね。

皆様、子供たちはこれからの社会の大黒柱です。彼らが正しい価値観を持ち、守れるために何かを直してみませんか。小さな事でもいいですよ。どうでしょうか。今日からでも横断歩道で、勇気のあるバカになってみるのは。21.「自然」

工業都市の蘭州で学生時代を送った。その二年間、青空と星が輝く夜空を一度も見たことがなかった。西北の荒涼さの特徴だと思っていたが、それは自然ではなく、人工的工業汚染であった。人類と共存してきた自然はいまや人間の限りない欲望の結果、人々の生活や生存まで脅かしている。

昔から人類は自然と戦ってきた。衣食住のため、自然を利用するのは、人間と環境の相互作用である。しかし、産業革命以来、資本の獲得、生活の豊かさ、快適さを求めるために、空を突くような煙突からは一日中煙りを放出し、汚水は澄んでいた川に流れ込んで水銀中毒などいろいろな環境問題をおこした。地球保護意識に目覚めた専門家によって自然破壊、環境汚染などの問題が警告されてきたが、先進国は自然保護の先頭にたって自然保護に取り組んでいながらも、自国の利益が損なわれない範囲に限るし、発展途上国は一日たりともはやく先進国と経済的、国力的に肩を並べたいとして、その環境が脅かされるのを甘くみている。また貧しい国では地球と言う意識さえ持っていないのである。今でも?フリカのある部族は集団移動するたびに一つの森を燃やして耕作するという話も真実だ。国際援助、環境保護を訴えることは急務だ。

新聞の記事である?ギリス人青年がりんごのへそまで食べる所を見て、不思議に思った。ゴミを減らすために苦いへそまで食べるのは納得が行かない半面、平時の自分の行動を振り返ってみた。人々のささいな行動に意識が込められ、自然を守っている。

人は地球に住まわせてもらっているのである。自然を征服するという本当の意味は、自然を守るのではなく、自然の豊かさに恵まれ、より深い関わりを保っていくことである。国々、人々はその関係を見直して、自然破壊に歯止めをかけてほしい。(中国、女性)

22.「環境問題について」

われわれはいつも「環境を保護せよ。」とよく口にします。でもこれを実際に行動に移すのはむずかしいです。社会が発展するとともに、国々で石油を原料としていろいろな工業品を使っていますが、実はこういうものからいろいろな環境破壊、環境汚染が出て来ます。

またいちばんひどい例は森林破壊です。森林、木は昔から人類が持っている大切な財産だと言えます。人類だけではなくて、地球にとっても一番重要な物だとも言えます。それなのに、人類は今いちばん大切なものを自分の手で破壊しています。シベリ?森林破壊のビデオでは、人類がどういうふうに森林を破壊しているかが見られます。シベリ?森林はもとは美しい森林だったけれど、人間が何回も木を切って、大きな穴があちこちにでき、それがまた湖になって、大幅な面積に広がっています。こういうスピードで破壊を続けると、地球はいつかきっと森林を失うでしょう。

もう一ついま社会的にいちばん注目されている問題は「原子力発電所」です。世界でもっとも強い国、もっとも発展した国になるため、人類はこの危ない原子力を始めました。各国でこれは国のためだと言っていますが、実はこれがどんな重大な環境破壊になるかわかりません。ロシ?のチェルノブ?リでの原子力爆発事件でも、多くの人が死んで、子供たちが白血病になって苦しんでいるビデオの場面は、想像できないほど悲惨でした。日本でも今年東海村臨界事故があり、大勢の人に不安感をもたらしました。住民は水も飲めなくて、普通の生活ができませんでした。

これで本当にいいのか。経済発展のために何でもやっていいのか。これはみんながよく考えるべきだと思います。ほかにも海にごみ箱とかあきびんなどを捨てたり、ゴルフ場下流の汚染など、いろいろあるけど、結局人間自身の営みの結果です。これだけ見ても人類はどのくらい環境を破壊したり、汚染しているのかが見られます。今大学でも環境法学部という学部ができたけれど、環境の重要さを非常に重視しているのがわかります。

環境は人類の生命と同じくらい大切です。いくら口で環境を保護せよと言っても、何の役にも立ちません。いちばん大切なのは、自分から早めに意識して、早めに実際に行動に移すことだと考えます。21世紀に向かうわれわれにとって、もっとうつくしい環境、もっと清潔な環境をつくるのが、我々の責任だと考えます。

23.「クリスマスと現代人」

「聖しこの夜、星は光り、救いの御子は馬ぶねの中に眠りたもう、いと安く。」

そうです。このごろ町に出かけてみると、町のあちらこちらでこの歌を始め数多くのキャロルが?通る人々の心を捕らえています。そして人々の心の中をウキウキさせたり、なごやかにさせたりします。なぜいきなり一年中静かな町が、12月、それもクリスマスともなると浮ついた気持ちになるものでしょうか。これはただ日本のみならず、全世界、宗教と国境を越えて現れた現象なので、クリスマスという言葉が持っている意味は幅広いと思われます。

さて、まず私が知っているクリスマスの意味を述べます。クリスマスは今から二千年前、?スラエルの小さい町ベツレヘムというところで、一人の赤ん坊が生まれた所から始まるということです。それではなぜ、この生まれたばかりの赤ん坊に、大切な意味があるのでしょうか。その方はよい家庭環境でもない馬ぶねの中で生まれたのです。その方は33年間何も持っていない空身で、特別な教えさえもらったことなしに、一人でおおぜいの人々を変化させました。その方はいつも金持ちより貧しい人、強い人より弱い人、病気の人、子どもたち、また一般の人々には地位階層関わらず愛と勇気、希望など生に対する前向きな理想像を導いたのです。その方の教えは二千年過ぎた今日でも否定できないものです。

一方そんな?エスの誕生のクリスマスが、サンタクロースの誕生日だと間違って覚えているような現代人も多いということです。サンタは、ただあるクリスマスの日、フ?ンランドという国のある神父が、貧しい家の子どもたちにプレゼントをあげるため、赤い帽子、着物を着て、赤い網袋の中にプレゼントを入れて配ったということから由来するものです。それが商人と大勢の人々の誤解によって、若い男女が飲んだり食べたりする日、それから無秩序になったりして、本当のクリスマスの意味が消えつつあるようです。

私たち現代人は色あせたクリスマスとともに、物質的には豊かな生活を営んでいるのですが、精神的には貧しい生活をしています。世界の所々では異常自然現象がおこったり、倫理的に納得が行かないショッキングな事件があちらこちらで生じています。基本秩序の枠が崩れつつある。恐ろしいことです。

それで一部社会学者たちは、迫っている二千年のことを「不確実な時代」「展望が不透明な時代だ」と悲観論をあげています。それは豊かな生活とともに人間のとどまるところを知らぬ欲望、情緒が枯れたことが原因になって、この世は暗くなるということです。

ここで私は自分自身を大切にしてクリスマスの暖かい心と?エスの愛を実践すればこれからの二千年、この世の展望は明るくなると思います。今度のクリスマスは大切な自身を振り返って考えながら、回りの人々にも愛を配ってあげたらいかがでしょうか。

24.「思い出の川」

小学生のころ、私は家族と中国の北方の小さい町に住んでいました。小さくてきれいな川が町を通り、南北に流れていました。

毎日私は友達と一緒にこの川の近くで遊んでいました。絵が大好きな私は時々川の周りの景色を書いていて、将来は画家になりたいと思っていました。美術の時間に私は以前の景色の絵を自分の宿題として先生に出しました。しかし私の絵はいつも70点以下で、将来絵と絶対無縁だ、と先生は言いました。私はがっかりして絵をかくのをやめようと思いました。

一年後、美術の時間に新しい先生に教わりました。この先生は優しくてきれいでした。今日の宿題は何でもかいていいと言いました。何もかきたくなかった私は、以前の絵を出しました。次の美術の時間、私の絵は先生に高く評価されて自分でも信じられませんでした。その後私は一生懸命絵をかきました。時々先生といっしょに川のそばに絵をかきに行きました。

「興味をもつのは一番いいことです。Fさんは将来画家になれますから、ぜひ頑張ってください。」

と先生は言いました。私は喜んで自信を持ちました。

私は先生の顔を見ると以前には絶対ない感じがありました。秋の景色もきれいだったが、先生はもっときれいでした。私は先生が好きでした。そのとき私は小さかったので、自分の気持ちは誰にも言いませんでした。しかしこの気持ちはだんだん強くなりました。小学校を卒業した後の夏休み、この気持ちを先生に言わなければならないと思いました。それで先生の絵をかいて絵の下に

「私は先生のこと大好き。おとなになったら先生の恋人になりたい。」

と書きました。字はできるだけ小さくしました。自分の作品を見て満足しました。次の日、はずかしいことも忘れて、私は絵を持って先生の寮に行きました。ド?をノックするとき、緊張しました。ド?が開いておばあさんが出て来ました。

「C先生いらっしゃいますか。」

私は小さい声で言いました。

「すみません、C先生は南の方に引っ越ししました。何か用事がありますか。」

と言いました。何も答えないで私はすぐ走り出し、川のそばに立って泣きました。

今私は日本に留学しています。この川は今水がありません。それ以来先生のことは全然わかりません。以前のことを思う時、自分でも笑ってしまいます。でも、美しい川ときれいな先生のことは今でも夢に見ます。

25.「思い出の場所ー料理専門学校」

ずっと前の96年の春、私は自分の未来の予想図を心に刻んで、地元大連にある料理専門学校に足を踏み入れました。あこがれの中国の料理鉄人の技を目指して、専門学校に入ったのです。包丁とうでが一つになったその技は、言うまでもなくすばらしいものでした。学校に入った私は、うきうき、わくわく、どきどき????。言葉では表現できない気持ちでした。

しずかな環境に包まれた校舎はあざやかな緑に彩られていました。そのしずかな校舎で、さまざまな感動の物語があったのです。その中でも最も心に残っていることは、常識なんかまったく知らない私が、料理の実習の時、油の温度が270度に上がるまで放っておいて、油に火がついてしまったことです。沸騰している油に火がついて、命にかかわった時、先生が自分の安全なんか考えずに「危ない!」と叫ぶと同時に炎のなべを持ち上げました。270度もする油が先生の手にこぼれ、ジュージュー音が鳴っていました。何もできない私はそのままよこに立っていること

しかできませんでした。外に出た先生はそれっきり帰って来ませんでした。先生は手にひどいやけどをしていました。見舞いに行った時、生徒のためなら???と言ってくれた先生は誰よりもえらく感じました。

学校を卒業した後も、学校で起きた事を振り返ってみると、心がしびれてきます。仕事を始めた後もその事が自分の気持ちに拍車をかけてくれました。たったの二年間だったけど、その二年間は自分にとって、とても思い出深い二年間でした。仕事中つらい時も楽しい時も専門学校に行っていた頃の事を思い出すと勇気がわいて来て、がんばろうと思えます。それが私の一番思い出が残る場所です。

26.「?ルバ?ト」

「?ルバ?ト」はもともとド?ツ語で「仕事」という意味であるが、日本では40年ほど前から、学生の副業の意味として使われるようになった。

現在、日本の大学生の90%以上が?ルバ?トを経験しているという。そして?ルバ?トのために学校を休む学生も多いそうである。

授業はやぼっても?ルバ?トにはいく。そういう大学生たちは何のために働いているのだろうか。ある?ンケート調査によると、大学生の?ルバ?トは、サービス、販売など第3次産業の仕事が多い。そして、「どうして?ルバ?トをするのか」という質問に対しては「海外旅行をしたいから」「車を買うため」などの回答が多かった。ほかにも、「貯金をして、留学の費用にするつもり」「学費は自分でかせぎたいから」「会社勉強になにから」という回答も見られたが、ごく少数てあった。この調査結果からわかるように、?ルバ?トの目的は遊ぶためのお金をためることが中心となっている。

たとえ遊びが.主な目的でも、?ルバ?トをすることで、労働の尊さやお金を得ることの大変さを体験できるのだから、大きな意味がある。しかし、?ルバ?トのためなら授業をさぼってもいいとのは問題である。

27.「病気」

日本に来て1か月ぐらいたったとき、病気になりました。そのときは、胃が痛くて何も食べたくありませんでした。どうして病気になったのかよくわかりません。はじめがまんして学校に行っていましたが、だんだんひどくなりました。それで、近くの病院に行きました。

お医者さんは「かぜが原因で胃炎になったのです。あまり心配しないで、ゆっくり休んだほうがいいですよ」と言いました。そして注射をして薬をくれました。私は勉強が遅れるから学校を休みたくないと思いました。しかし、お医者さんの言う通りにしたほうがいいと思って、家でずっと寝っていました。

二.三日したらだいぶよくなりましたが、あまり無理をしないように気をつけました。四日目に友達がお見舞いに来てくれました。病気をしないように、いつもきんと食事をして、よく休養することが大切だと思いました。

28.「スポーツ」

すもうは日本の国技です。わたしは高校生の時、ド?ツ初めてすもうを見ました。テレビで見たのですが、力士があまり大きいのでびっくりしました。その時から、私はすもうが好きになって、友達とすもうの練習を始めました。今、ド?ツで、20人ぐらいの友達とすもうのクラブを作って、毎日練習をしています。

私の夢は、日本の?マチュ?すもう大会で優勝することです。今まで2回挑戦しました。1回目は、1回戦で、負けましたが、2回目は3回戦まで勝ちました。私は体が大きいので、一生懸命練習すれば、きっと強くなれると思います。

すもうは、何も道具を使わない、人間の力がぶつかる素晴らしいスポーツです。私はすもうが、ド?ツでももっと盛んなってほしいと思います。

29.「高校生活」

高校の時、私は毎朝7時20分に家を出ることにしていました。けれども、遅刻しそうになって走ったこともありました。帰りは、友達と偶に寄り道をして、ケーキ屋さんや本屋さんへ行きました。校則では禁止されていたので、何となくスリルがあって、ドキドキしたことを今でも懐かしく思い出します。

私は3年間ずっと合唱部でした。練習はつらくもあり、また楽しくもあまりました。1年に1度の発表会の前は、練習で帰りがおそくなることがよくありました。暗い道を、友達と駅へ向かう途中、悩みを相談し合ったり、10年後の自分たちについて、話したりしたりものです。今から思えば、このおしゃべりが、毎日の生活の楽しみだったのかもしれません。私が高校生活で得た一番大きなものは、友情だと思います。

30.「趣味」

私の趣味は書道です。休日はいつも午前から筆と硯を出して。夕方まで習字をしてすごします。でも、この習慣は日本に来てから始めたものです。もちろん私の国中国でも子供の時から、みんな習字を習います。しかし、国ではそれは趣味ではありませんでした。

日本では何でも非常にお金がかかります。ですから始めの頃、私は暇な時でも何もしないで一日中部屋にいました。でも日本語学校で習字のクラスが始まったので、私もやってみることにしました。漢字は私の国でも書きましたが、ひらがなを筆で書くのは初めての経験でした。その時私は筆で書くひらがなの美しさにとても感動しました。今、私はひらがなの練習に夢中になっています。

それに習字をやっている、国のこと、特に高校生のころを思い出して、とてもなつかしい気持ちになります。習字は孤独な趣味です。友達は「もっと外に出て遊んだ方がいいでしょう」と言いますが、私は習字をやっていると本当に時間をわすれてしまうのです。

31.「スト?」

最近、私が住んでいる?パートのとなりにスト?が出来た。スト?には、パンやおにぎりなどの食料品から、洗劑,などの雑貨まで、生活に必要なものはたいていそろっている。その上、24時間あいているので、いつでも必要な時間に買い物ができる。この店ができたおかげで、夜遅くお帰ってきたときでも買い物ができるようになった。

私のような一人暮らしの男性だけでなく、仕事で帰りが遅くなった女性も弁当を買っている。この店では、毎月の電気代や電話代を払うこともできる。それに、コピー機もあるので、たいへん便利だ。

このように、スト?のおかけで生活は便利になったが、よいことばかりではない。夜、車で買い物に来る人が増えたために、うるさくて勉強ができなくなってしまった。エンジンを止めないで店に入ったり、店の外で大声でおしゃべりをしたりする人がいる。また、いぜんより道が汚くなった。

スト?を利用する人は、近所の人たちのことをよく考えてほしい。

32.「私の一日」

私は毎朝6時半に起きます。そしてラジオの中国語の勉強を始めます。中国語の発音は大変難しいです。7時半ごろ朝ご飯を食べます。

私の家は郊外にあります。会社は町のまん中にあります。家から駅まで10分あまり歩きます。そして電車で会社へ行きます。家から会社まで55分かかります。電車はいつもたいへんこみます。会社は9時に始まります。仕事はたいてい6時に終わります。どきどき駅からタクシーで帰ります。3分ぐらいです。170円かかります。

私の会社は旅行会社にいます。支店は全国に八か所あります。仕事はたいへんおもしろいです。私はよく出張します。来週は九州へ行きます。しかし、出張はとても疲れます。日曜日はほんとんどの会社は休みます。しかし、わたしの会社はめったに休みません。社員は交替で休みます。休みの日は一か月に4回とどです。その日は昼ごろに起きます。あまり外出しません。家でゆっくり小説を読みます。夜はビールを少し読みます。そしてステレオで音楽を聞きます。ときどきテレビも見ます。

33.「私の家族」

私の家族は4人と1匹です。両親と私、弟、それにゴンという名の犬です。父は歴史家なので、セラリーマンのように毎日決まった時間に出勤しません。父は話が苦手なので、母が客の相手をします。高校へ行っている弟は将来外国で働きたがっています。

ゴンは今年10歳になります。とてもいばっていて、父がいない時はゴンが父の椅子に座っています。他の人が座ると、鼻にしわをよせて怒ります。寂しがりやで留守番も嫌いです。母や私が出かける支度を始めると、私たちの傍から決してはなれません。留守番をしなければいけないと分かると、私たちの靴を隠してしまいます。ゴンの最後の手は仮病です。ゴホゴホと咳きをしたり、びっこをひいたりすます。家族はそれに時時騙されます。

34.「日本語の授業」

日本語の授業は1週間に5回あって、文型や会話、漢字、作文などを練習します。本を読んだり、テープを聞いたり、ビデオを見たりもします。授業中は先生も私たちも日本語しか使いません。

始めに、簡単に復習をしてから、新出語や文型を習います。先生は絵や動作を見せて説明していきます。何回も文を聞かせてから、私たちに言わせます。私たちは文型を使って文を作ったり、先生の質問に答えたり、学生同士で質問しあったりします。

よく、先生は私たちに短い会話を暗記させて、役割練習をさせます。とても緊張しますが、実際に、体を動かしながら話すのは面白いので、私はこの練習が一番好きです。しかし、漢字は苦手です。先生は私たちに漢字が書いてあるカードを読ませたり、何回もかかせたりします。最後に、声を出して教科書を読みます。先生は私たちに一人ずつ読ませて、間違った読み方をなおします。

35.「お誕生日」

私の誕生日は4月23日です。今年の誕生日で私は30歳になりました。私はその日、友達といっしょに誕生日パーテ?ーをする支度をしました。まず、カフェをかりきりました。

そしてそこをきれいにかざりました。バースデーケーキにろうそくを21本たてました。それから私がすきなこん色のワンピースをきました。

5時からパーテ?ーを始めました。友達がたくさん来てくれました。そしてみんな私に「おめでとう!」と言ってくれました。私がケーキに立ててあるろうそくの火を消す時、シャンペンの栓をぬいてくれました。そして、人形やこう水や絵など、いろいろなプレゼントをくれました。それからうたを歌いながらビールを飲んだりスケーキを食べたり、ゲームをしたりして過ごしました。

36.「娯楽」

「日本人は働き蜂」とよく言われます。確かに、日本人は勤勉でょく働き、中には「仕事が趣味」という人もいます。しかし、誰でも仕事ばかりしているわけではありません。それでは、仕事から解放された時、日本人はどんなことに楽しみを見出すのでしょうか。

まずゴルフです。サラリーマンにとっては、たんに趣味というだけでなく「接待ゴルフ」といって、日曜日に青空の下でゴルフをするのは、趣味と仕事の両方ができて「一挙両得」のようです。

「時間と暇があれば旅行したい」、大部分の日本人がこう考えているのではないでしょうか。国内ばかりか円高の影響から海外旅行熱も高まるばかりで、休日の駅や空港は大変混雑します。

スポーツ観戦は野球、サッカー、相撲などに人気があります。テレビの番組表を見ると、いかに日本人がこれら

が好きかがわかります。広いグランドで繰り広げられるゲームや狭い土俵の上の勝負に熱狂し、ひと時を過ごすのは、たとえテレビの観戦にしても楽しいものです。

また、お年寄りに人気があるのはゲートボールです。孤独になりがちなお年寄りがいっしょにボールを追いかけることで、楽しみを共有できるのはよいことだと思います。

パチンコは、好きな人と嫌いな人がはっきり別れます。しかし、どんな町にもパチンコ屋が必ずあり、いつも混んでいることを考えると、日本人の娯楽の中に必要がありそうです。パチンコフ?ンは老若男女を問わないようで、店の中には、さまざまな層の人がゲームを楽しんでいます。

カラオケは世代によって楽しみ方が違います。若者はカラオケボックスで、歌うことを目的に、数時間を過ごします。仲間だけでいられること、何人もで楽しめること、歌っている瞬間は主役でいられることなどから人気があるようです。勤め返りのサラリーマンが立ち寄るバーなどにも、カラオケの設備のあるところが大半です。「いっぱい飲みながら」歌うカラオケは、知らない人同士マ?クを譲り合い、上手な歌に心からの拍手をし、下手な歌にもお世辞の拍手をする。最近では外国人のために、各国語の局をそろえたところも出てきました。

37.「私の一週間」

私は月曜日から金曜日まで日本語の学校に行きます。そして9時から3時まで勉強します。お昼休みは12時から1時間あります。私はこの時間がすきです。自分のクラスの友達はもちろん、他のクラスの友達ともおべんとうを食べながら、いろいろなことを話し合います。ときどき学校の近くのレストランへ行くこともあります。

放課後は学校の図書館で5時まで予習と復習をしてから?ルバ?トに行きます。月曜日から金曜日まで、昼と夜は?ルバ?トや勉強で忙しいですからあまり遊びに行きません。土曜日は学校は休みです。朝は掃除をしたり、洗濯をしたり、近所のスーパーへ買物に出掛けたりします。日曜日の午前中は教会へ行きます。午後は天気のいい日は公園を散歩します。土曜日から日曜日にかけて温泉に行ったことがありますが、わたしは土、日は家で両親や友達に手紙を書いたりテルビを見たりして、のんびり過ごすのが好きです。

38.「私の友達」

私は積極的な性格ですから、友達がたくさんいます。しかし一番仲が良いのは你来我网さんという友だちです。彼女と初めて会ったのは、高校生になった時です。你来我网さんは私は反対に、女らしく優しくて、すなおです。私と同じ年ですが、いつも私の悩みを聞いてくれて、私には本当のお姉さんのような人です。私が寂しい時や困ってにる時は、いつでも力になってくれました。

你来我网さんは、今、ゲザ?ナーになって有名な洋服の会社につとめ、毎日いそがしいようです。私が日本へ来ているので会えませんが、暇があれば手紙を書き、電話も時時かけています。これからもずっと仲良くしていきたいと思ってにます。

39.「自己紹介」

私は中国から来た「ぼくのゆめ」です。今島根にある寮に住んでいます。外国人は私一人です。ですから、はじめのころは、言葉や食事のことなどでとても苦労しました。お風呂に入る時も恥ずかしくて嫌でした。

でも、今はもうすっかり寮の生活にも慣れて、みんなと仲良くなりました。私は料理が得意なので、休みの日は、寮の友だちにごちそうします。すると、みんなとてもよろこんでくれます。私は好奇心が強くいろいろなことを体験してみたいと、いつも思っています。それで、以前から趣味のあった日本へ来たのです。

今熱中していることは生け花です。次は、お茶をやってみたいと思っています。にほんへ来る前は、病院に勤めていました。日本語の勉強が終わって帰国したら、日本語や日本で学んだことをどんどん仕事に生かしたいと思っています。

40.「私の国の教育」

中国の義務教育は中学3年生までで、16歳までです。中国では小学校から中学校に入学する時は試験がありません。中学校から高校に入る時から試験があります。高校から大学に入る試験はとてもむずかしいです。進学校の高校3年生たちは、朝7時から夜時まで学校で勉強します。試験科目が多いので入学試験に合格するためにはたくさん勉強しなければなりません。一番たいせつな科目は国語と英語と数学です。1クラスの30パーセントの生徒が大学へ進学します。進学しない人は家にいる人もいますし、就職に合格する人もいます。

「3時間しかねなかったら入学試験に合格するが、4時間寝たら落ちる」という話があるほど、大学に入学試験は難しいです。日本の予備校と同じような学校があるので、入学試験に落ちたらその学校で勉強します。

中国の教育はとても厳しくて、日本とあまりかわらないと思いもす。

41.我的大学生活

种类によっての热心な出现は时间に素晴しい教授で教师、思考の列车に近く学友と坐るために、歩行者がすべて妨げたそれらを座席のための一见引き出す教科书を、终日大学生命始めてしまった道の歩行者のプロローグを次第にであるずっとクラスに出席した多数、壊したキャンパスの静けさを、すぐに、雑谈していた最后の夜スポーツが一致する教室の教室の方に动かされて非常に速く浸るある恐れられていた軽いステップを置くことを可能にしたこと、ちょうど照らされた私の大学生命天候が何人かの人々阴の外国语を読むキャンパスで见る教师と上向きに飞んで、表面の古い教授は时间后に学校からの休暇に青年辉きの午后をある最も忘れられない渡している、これは行くために自分自身が割り当てる时间、割り当てられた?クセス网、一绪に、そしてまたそう食事した任命同时にだった各种类の活动が行なった元気づけた学生のサッカー竞技场のグループの文学様式ホールからの音、送信された时间蹴る球をだった

が、また何人かの何人かの若いメス学生はだったこの2 年に、住むために燃料を补给された叫ぶこと...... 意识不明に2 年の大学渡されて実际によかったそして、成长した育つ、自身の梦に日刊新闻の私达がすべて次第に先に行ってもいかにが生命の悪い状态にすべてある

42.地球を守ろう

経済が発展する一方で、環境問題も相当深刻になってきた。深刻な環境問題の一つに森

林破壊がある。我々が木を次々に切り倒したことは、多くの問題を生み出した。ある野生生物は生息地を奪われ、絶滅した。また木が少なくなったことで、山崩れや川の氾濫が起こりやすくなった。

また都市部では自動車の数が年々増えている。自動車の排気ガスは、大気汚染に大きな

影響を及ぼしている。大気汚染によって、喘息や気管支炎、肺がんなどの呼吸器系統の病気が急増している。工場から出される有毒ガスも大気汚染の大きな原因だ。大気汚染は「空中鬼」とも言わ

れる酸性雨を降らせる。酸性雨は森林や農作物を枯らせ、湖の魚なども死なせてしまう。

また、工場の廃水は、川に住んでいる生物に被害を与える。さらに、汚染された魚を食べた人間は病気になり、汚染された川の水を引いた田畑の農作物は枯れてしまう。

環境汚染が更にひどくなれば、人類は破滅する。そして全ての生物が滅んでしまったら、

地球はただの汚れた星になってしまう。この美しい地球を守るために、人類全体が協力していかなければならない。

43. 国民的スボーツ

スポーツの普及は、国によって特徴があり、それぞれの国には国民的スポーツと言える

ものがある。例える、?タリ?ではサッカーが国民的スポーツと言える。ワールドカップでは?タリ?チームはいつも優勝候補の一つである。また、世界各国の有名選手たちが?タリ?のプロサッカーチームで活躍していることからも、レベルの高さが分かる。

日本ではやはり野球だろう。会社から帰ったお父さん達の楽しみは、ビールを飲みなが

ら、テレビで好きな野球チームを応援することだと日本語の授業で習ったことがある。野球シーズンには毎日のように、試合の様子がテレビで生中継されるそうだ。

?メリカ人はバスケットボールが好きだ。大きな選手が狭いコートを激しく動き回る。

点数が入るたびに観客は立ち上がり歓声を上げる。テレビで見ていてもその興奮が伝わってくるようである。

中国ではもちろん卓球だ。私達は子供の頃から卓球に慣れ親しんできた。どの学校にも

卓球台が並ぶ運動場があり、いつも大勢の学生が卓球を楽しんでいる。オリンピックなどの国際大会で活躍する有名な選手もたくさんいて、彼らは私達の憧れの的であり、誇りでもある。

44.花見

今年も春になった。野原が緑になり、花が咲いて、野鳥もいろいろ渡ってきた。大学の

近くに大きな公園があり、そこは桜の名所である。今年も見事に桜が咲いていると聞いて、友達と四人で日曜日に花見に行ってきた。

その日は朝から天気がよくて、気持ちがとてもよかった。私たちはビールとお酒とお弁

当を近くのスーパーに買いに行った。花見の影響か、スーパーはいつもより混雑していた。買い物を済ませた私たちは自転車で公園に行った。公園の中の桜の花はちょうど満開で、見渡す限り花の海だった。少し早めに行ったので、花見をしている人はまだ少なく、ゆっくり花見ができ、花の前で写真をたくさん撮った。まもなく花見に来る人がだんだん多くなって、公園の中はとてもにぎやかになった。お昼には、満開に咲いている場所を選んで、お弁当とビールなどを広げた。食べながら、話したり、歌ったり楽しく一日を過ごした。今年も花見を満喫できた。やはり、青い空の下、仲間とともに自然を楽しむという経験は人間にとってとても大切だと思った。

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